■六章 01・欠陥

 


■□六章



 自分の吸血行為が、他と違うと気付いたのはいつだったか? 当たり前のように繰り返していた行為が、異常であると認識したのはいつからだった?

 昔から、それほど血液に執着がなかった。嗜好品と言いきって手を出す他の吸血鬼が、不思議でたまらなかった。人と同じように食物摂取で、空腹は満たされていたから。

 それでも満足感には僅かに届かず。一度だけ、他の吸血鬼の捕食のおこぼれに預かった事がある。だが、あまりの不味さに吐き出したのを覚えている。


 それがきっかけだったのか、今まで食物摂取で満たされていたはずの体が、満たされなくなっていた。いよいよ血液を摂取しなければならないのかと、躊躇いがちに考えた。

 しかし以前と同じように、血液に対する欲が出てこない。恐らくはあの味が原因だと思った。



「君は変わった体質だねぇ。それじゃぁ、苦労するよ」



 あの時はまだ若かったツバメが、今と変わらず目隠しをして、不気味な笑い方をしながら言った。血液が不味かったのが、実は自身の体質によるものだと知りレイジは悩んだ。

 どれだけ不味い血液を摂取しても、空腹であることが変わらない。なのに不味いと分かっている血液を、わざわざ摂取する必要があるのか? 気付けば固有の能力は著しく落ちていた。


 偏食――そう呼ばれる吸血鬼と同じなのだと分かり、やがてレイジは人と同じ食事をして、空腹を無理やりごまかした。腹は満たされないが、口に入るものは美味しかった。

 その中でも、特にトマトは美味しかった。それに僅かながらも、空腹が満たされた。落ちるしかなかった能力が下げ止まったのに気付いてからは、好んで食べるようになった。


 他の偏食者たちと接触し、生き方を教わる。

 その中で花嫁、花婿と呼ばれる、偏食者が摂取出来る血液を持った人間がいることを知った。棺に出会えるのが一番だと、その偏食者は言ったが、夢物語のような口調だった。それほどまでに、棺に出会うのは難しいらしい。

 提供者であればすぐに分かると言われ、人の生活する昼の世界に紛れ込み、人間と同じように生活し始めた。


 一箇所に長く留まらない、彼らが人間に紛れ込む時に決めたこと。レイジもそれに倣った。わざと印象を薄くし、人の記憶に残らないように生活していく。

 そんな生活を続けていたとき、とても美味しそうな匂いがする女性に出会った。

 ああ、この人が花嫁なんだ、とすぐに分かった。


 だが、どうやって摂取すればいいのか。他の吸血鬼のように襲えばいいのだろうか。もともと捕食行動に積極性がない自分に、そんなことが出来るのかとしばらく頭を悩ませた。

 別に痛い思いをさせるわけではないのだからと、考えを納得させた。吸血鬼の唾液には、痛みをすり替える効果がある。

 人間から見ても子供の部類に入るレイジが、大人の人間を襲うのはリスクが高い。しばらくは花嫁の様子を見ながら、ほんの少し印象を残すようにした。記憶の片隅に引っかかるような、あざといやり方。


 花嫁には家族があり、自分と年の頃が近い子供がいたらしい。物乞いと勘違いした花嫁が、レイジに少ないながらも食料を与えた。

 そうやって不自然にならないように近付き、花嫁が警戒心を薄くした頃合を見て襲った。いつもの時間に帰宅する、花嫁の身体に甘えるように抱きつく。

 花嫁の身体は柔らかかった。戸惑ながらレイジの身体を抱えると、花嫁は困った顔をした。何かを言おうとした花嫁の首筋に、レイジは噛み付いた。


 口の中で、血を味わう。確かに、他の血液と違って、とても美味しかった。

 自分から捕食のために噛み付いたのは初めてだった。ビクリと花嫁は震えたが、引き剥がすようなことはされなかった。

 ただ一言――



「痛いよ」



 頭上から落ちた言葉に、噛み付いていた首筋から口を離した。レイジは大きく目を開いて花嫁を見た。まるで信じられないと言うように。

 痛いと言った。レイジが噛み付いた首筋を手で押え、顔を顰めながら。

 唾液は確かに塗った。ならばなぜ痛みがある。



「私は何もされなかった、何も見なかった。だから早くここから離れな。異端審問会に見つかるとやっかいだ」



 花嫁はレイジをそっと地面に下ろすと、いつもの帰り道を歩いていった。

 それから、レイジは必死になって調べた。なぜ、自分が噛み付くと痛みがあるのかと。不味いのを耐えて、他の人間でも試した。だが、結果は同じだった。

 そして出した答えは、自分の、吸血鬼としての欠陥――。


 それを受け入れるのに必死で、しばらくはどう過していたのか記憶があやふやだ。やっと自分の中で噛み砕いて、消化して、外に出てみれば……

 ――花嫁が死んだ事を知った。

 異端審問会が、花嫁が吸血鬼に変貌したことを察知し、犠牲者を出す前に殺した。レイジはその場から、逃げるように離れることしか出来なかった。


 後はただひたすら、自分の欠陥を隠して静かに過した。偏食だったのが幸いした、食べるものには困らない。力のない非力な吸血鬼として生きていく。

 困ったことと言えばあの一件でスイッチが入ったように、空腹になると血液を欲するようになったことだ。まるで、正しい血の味を知ったことで、吸血鬼の本能が目を覚ましたように。

 それでも、人を襲う気にはならなかった。だから代わりに死体で試したこともあるが、とても摂取できる代物ではなかった。


 ひっそりと隠れるように過し、血液不足からくる空腹で、体が促す休眠に従い眠り、数年たっては目を覚ますを繰り返していた、ある時。何度目かの休眠から、強制的に叩き起こされたことになった。

 激痛と共に目を覚ましたレイジが見たのは、自分の傍に、ベールハットを被った金髪の女性が、ヘッドに血のついたゴルフクラブを持って立っている姿だった。



「ただそこで眠っているだけなら、私のために働きなさい」



 報酬は、自分が摂取出来る血液と、夜の世界の居場所の提供。


 それからは女王のもとで、数々の奇妙な命令をこなして過す。何故そんな奇妙なことを指示するのか、気になって後々訊ねてみれば、滅多に外に出ることが出来ない女王の、退屈しのぎのためだと知った。

 それでも構わなかった。確固たる居場所があるだけで、レイジには充分過ぎる程だったから。

 基本的には昼の世界で生活し、しばらくすると女王のもとへ戻る。時折召喚状が届いた場合は、大抵荒事の要件が出たときだ。


 昼と夜の世界を行き来する、そんな生活を繰り返す。

 数ヶ月間だけ、ツバメとともに生活していた事もあった。何を考えているのか分からないあの男は、始終面白そうに笑っていた。


 何故か従者の真似事のような事もしていた。事実、有事の際にはこちらの考えの先回りをして用意をしているのだから、有能であったといえる。

 レイジが日常生活でヘマをやらかした時は、腹を抱えて笑っていたのを覚えている。腹は立つが、その時あの膨大なツバメの知識量に助けられたので、結局怒り損ねた。



『次は総合病院前です。お降りになるお客様は――』



 そんなアナウンスに、レイジは目を覚ました。移動中のバスの車内で寝ていたらしい。人の少ない平日の昼間だ、慌ててボタンを押して降りる準備を始めた。



+++++



 入社してから手付かずだった未消化の有給休暇を、今回の騒動でがっつり使用することになったミサトは、あの医師のいる病院の前でケーキ片手に立っていた。その箱に、自分の勤めている会社の銘柄がプリントされているのはご愛嬌だ。

 見事に晴れた空に、退院するにはいい天気になったなと思う。


 あれからやってきたサガラたち警察に事情を話し、ミサトたちは早々に病院へ移動した。診察に、警察からの事情聴取にと、目まぐるしくミサトは対応した。コーフィンは入院となったが、ミサトはあっさり帰宅許可がおりた。

 が、帰ってみればハツエのお説教が待っていた。ハツエの言うことももっともで、レイジと一緒になって延々と耐えていた。別に畳に鉈が突き刺さっているの発見し、それが怖かった訳ではない。断じて。恐ろしかっただけである。

 ハツエのお説教が終わって、いろいろな意味で疲れたミサトはそのまま畳の上にダウンした。一番精神力が必要だったのが、お説教に耐えることとか、なんか違うと思いながら夢の世界に旅立ったのだ。


 そして表向きに出した騒動に巻き込まれたと、警察から実家と会社に連絡が行き、あちらこちらから電話が来て、数日はベルが鳴りっぱなしだった気がする。



「お待たせ、ミサトさん」



 病院前のロータリーでバスを降りたレイジが、ミサトを見つけて声をかける。片手には駄菓子が入ったコンビニ袋と、黄色い花のミニブーケを持っていた。

 そんな普通の到着に、ミサトは少しがっかりした。



「……空でも飛んでくるかと思ったのに」

「ミサトさんは僕に何を期待してるの?」

「夜は棺桶で寝てないし、普通に日中活動してるし、私服はヒラヒラの襟がついたシャツ着てないし、真っ黒で裏地が赤いマントを羽織ってないし、赤ワインの入ったグラスを持ってトレビアーンって言わないし」

「……ご丁寧にありがとう。さ、行こう。あまり遅くなると、お茶をする時間がなくなるよ」



 呆れ半分にレイジは答えると、ミサトの手にあったケーキの箱を持った。さりげなくそういうことをするのは、やはり紳士の国といわれているイギリスにいたからだろうか? 首を傾げながら、ミサトはレイジの後を歩く。

 アスファルトとは違う音を立てる床を歩きながら、ミサトはチラリとレイジを見た。見目麗しい吸血鬼で偏食持ちの男が、平然と真っ昼間に出歩いている。その視線に気が付いたのか、レイジもミサトに視線を向けた。



「何?」

「腹が立つくらいキューティクルが綺麗な髪だよね」



 確かに、顔は綺麗だ。吸血鬼は美形が多いという世の理は正しかった。……本人は、わざと印象に残らないようにしているらしいが。

 夜の世界の住人で、その中の頂点に立つ二人のうちの一人、『女王』と呼ばれる存在に仕える吸血鬼。『女王の剣』と呼ばれる実力者。女王は、レイジの恩人らしい。その女王のために、レイジは昼の世界で生活している。

 そしてその女王が、コーフィンの事実上の保護者になる人でもある。



「これは生まれつき」

「こっちは朝起きると髪がとんでもない事になってるのに」

「寝相が悪すぎるんだよ、ミサトさんは」

「何で知ってんの!?」

「ハツエさんが嘆いてた」

「おばあちゃん!?」



 ミサトがレイジの正体を知ったからといって、二人の関係は今までと何ら変わっていなかった。

 なんでこんな事態になったのか、偏食や花嫁のことを質問攻めにして、夜の世界のことをレイジに教えてもらった。実体験をしたのが良くも悪くも影響したらしい。思ったほど、受け入れるのに時間がかからなかったのが自分でも驚きだ。

 最後にミサトが訊いた質問に、少しだけ寂しそうな顔をして答えたのが、やけに頭に残っている。



「本当に、花嫁にならなくていいの?」

「痛がらせる気はないし、ミサトさんは昼の世界が大事でしょ?」

「そりゃそうだけど……先生が採血方法もあるって言ってたし」



 頻繁でなければ、少量の採血で摂取することも可能だと、医師が言っていた。それなら、自分が少し我慢すればいいだけだしと思っていたが、レイジの反応はいまいちだった。



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