05・先を示す白い人影
「エヴァンシェリン、僕は表の君と友達になった覚えはない」
エヴァンが投げた紙をねじ込むようにポケットにしまいながら、レイジは心底嫌そうに呟く。
空間を支配していたアビーが消えたことで、白黒の世界が色を取り戻し、分割されていた箱が一つに繋がる。部屋へと戻っていく場所で、破壊された家具と傷だらけの壁や床、そして大量の血痕が、この部屋で起こった事を教えていた。
ミサトたちの姿を捜すように、空間まで繋がった部屋にレイジは視線を巡らせる。やはりというか、ミサトたちの姿はない。強制的に箱に干渉するほかない。実体干渉になることに渋い表情になるが、背に腹はかえられない。今はミサトたちが優先だ。
小さく息を吐き、水を広げるように部屋に力を行き渡らせる。探るように動かした力が、空間の境目を見つけるとゆらゆらと揺れる。一度目を閉じて開くと、レイジは加減なしに力を放った。
+++++
ひたりひたりと、前を歩く人影を、ミサトたちが着かず離れず追いかけてかなり経つ。ときたまナオトに消されるアビーの使い魔も、現れなくなった。それにしてもあの人影、最初見たときよりも体の線がハッキリしてきた気がしないか? そう、ピントがあっていくように、人の姿のように見えてくる。
抱きかかえたコーフィンが、ミサトの服をぎゅっと握り直すのに気が付いて、ミサトもコーフィンを抱え直す。
「お嬢さんは、彼の花嫁になるのかい?」
「……今は特に考えてません。本人から直接訊いた訳じゃないですし」
「花嫁になると、頻繁に吸血鬼と接触することになる。直に皮膚触れ経口摂取を繰り返すことで、老化が緩やかになるらしいが、その身体にかかる負担は小さくはない」
そこで言葉を切ると、ヤシロはミサトを見る。
「もし、君にとって昼の世界が大事だと思うのなら、花嫁になってはいけない。今と同じ時間を歩んでいきたいのなら、なおさら」
「そんなに詳しいのは、娘さんのことがあるから、ですか?」
「そうだな。私も、随分と長く生きてしまったよ」
無駄に年だけを重ねて、何一つ出来ていないとヤシロは思う。先に逝った妻に、手向けの花を送るのも何十年と繰り返している。娘は、自ら手を取ったのだ。それは分かっていた。
だが、嫁ぐ先が吸血鬼の元とは、娘はついぞ知らされなかったのだ。娘は事業家の青年と結婚するのだと、何度も言っていたのだから。自身もまた、見事に騙された。
「私は、吸血鬼がどんな性格で、どんな風に生きているのか、知りません。だから、知ってから、花嫁になるかは決めます。少なくとも、レイジさんは無理強いはしないでしょうから」
ミサトが見せた表情は、ナオトにここに連れてこられてから、初めて見せた自然な笑みだった。
ヤシロの隣を歩いているのは、小さな人間だった。昼に生きる、型にはまった変わることのない小さな世界を生きる人間。
そのミサトの姿が、あの時の娘の姿と似ていた。
自らの意思で、その手を取った花嫁と――。
息をはくと、ヤシロはおもむろに前を見据える。いつの間にかあの人影が足を止め、右手でどこかを指し示す。道案内のように、こっちへ行けと言うように。
「止まったようだな」
「今のところ、使い魔が来る様子はなさそうですね」
「罠を考えるのは当然なんだが、このままここで動けないのも困るな」
一定の距離を開けて、ヤシロがあの人影の様子を窺がう。止まった場所から一歩も動かず、ずっと右手を上げたままだ。首をかしげながら、疲れないのかしら? と他人事ながらミサトは思ってしまう。
再びあの人影を見れば、また姿が変わっていた。明らかにスタイルのいい長身の男の姿が、そこにはあった。だが、まだ顔は判らない。銀髪なのは判断できた。目の部分が青い色をして、鼻と思うおうとつが微かに見える。
相変わらず、右手は上がったまま。ある方向を指していた。
「どの道行く当てはないわけだし、行くしかないな」
「了解です。でも、先頭は俺が行きますよ」
「もとよりそのつもりだ、安心しろ」
やや不満気な表情のナオトに、ミサトは後ろに下げられた。慎重な足取りであの人影へ近付き、上げられた腕の方向へ足を動かせば、明らかに場違いな、スチール製の扉があった。よくある事務所の扉といっても問題ない代物。何でこんなものがここにあると、唖然としながらミサトはあの人影を見た。
行けと手を振る人影の、顔が見えた。見覚えのある顔だった。銀色の髪の、青い瞳の外国人。スラリとしたスタイルを持つ長身の男。どこかのんびりとした雰囲気で、ミサトの勤める店の限定商品を発売前に買いにきていた。困った顔で妹の使いっパシリをさせられた――
「お客さん?」
思わず声が出た。何でこんな所にお客さんがいるんだ! しかもあの扉だらけの廊下の部屋にいた男と同一人物だと気付き、口をパクパクさせながらミサトは指さす。
そんなミサトの様子に、男はシーっと口元に人差し指を当てる。じっとミサトを見つめる青い瞳に、何故か黙っていなければいけない気になる。これが医師の言っていた魅了というものなのかと、ぼんやり思う。
ナオトとヤシロが注意深く扉を調べる。ナオトがそのノブをゆっくりと回すが、カチリと小さな音を立てるだけで、扉が動く気配はない。
「鍵、かかってるみたいですね」
「鍵穴はないか。大方結界の類だろう」
向こう側の住人なのかと、ミサトは警戒しながら男を見る。彼が吸血鬼で、あの光景が食事風景ならば危険だ。
そんなミサトの様子に男は困ったように眉を下げると、端に寄れというように手を動かす。一瞬悩むも、ミサトの足はすんなりと壁際へと動いた。
とりあえず打ち破れるか試してみようと、ナオトが扉から体を離したとき――形容しがたい程の甲高い大きな音を立て、扉に縦に切れ目が入った。
向こう側から誰かが扉を蹴るような音がすると、二つに分割された扉がミサトたちに向かってぐらりと倒れ、少し前に見た部屋の景色を背に、暗闇の中を覗く人の姿が現れる。
「ミサトさん! コーフィン! 聞こえますか!?」
「レイジさん! ここにいるよ!」
「ミサトさん!」
頭の上に光りながら跳ね鳴いているシラタマを乗せるというミサトの姿に、レイジは思わず毒気を抜かれる。
「怪我はしてませんか?」
「うん。二人とも怪我はしてないよ」
ミサトたちを見るレイジは、奇妙な体勢だった。ミサトは真っ直ぐ立って目の前の長方形に空いた空間を見ているのに、レイジは何故か上から下を覗くような体勢だ。
あの奇妙な現象に、出口とやらも正しく繋がっているのか怪しい。
「一応引き受けた手前、怪我させるわけねーだろが」
「……正直、当てに出来るか悩みました」
「まあ、確かにそうだけどさ……」
ナオトは軽く肩を竦め、ミサトを見た。光ることを止めたシラタマが、器用にミサトのポケットに滑り込んでいく。
画面に番号を表示させたままの携帯をレイジはヤシロに放り投げると、飛び下りるように中へと入る。
「取りあえず外に出てください。そしたらその番号に電話を。今回の件の責任者、サガラさんに繋がるので」
「分かった。彼女は……」
「僕が連れて行くので近付かないでください」
ピシャリと言うレイジにヤシロは小さく息をはくと、先に表に出たナオトの、伸ばされた腕を掴んだ。
足早にレイジがミサトに近付けば、隠れるようにいた後ろの男に気付き目を瞠る。
「……エヴァン」
レイジにとっては見覚えのある男、少し前まで会話をしていた相手――エヴァンの、
「レイジさん、後ろの人知ってるの?」
「あー。うん。彼は
「裏?」
「詳しくは、出てから話すよ」
何となくミサトも手を振り返すと、裏のエヴァンは嬉しそうに笑った。くるりと背を向け暗闇の中に消えて行く彼の姿を、ミサトとレイジはただ黙って見送る。
「……ここまで来て、まだ黙ってる気じゃないよね? レイジさん。巻き込んだ責任として、全部説明することを要求します」
「……黙っていて、ごめん。ちゃんと話すよ」
「ついでに何で服が破けてるのかも」
ジト目でレイジの腹を見ながら、ミサトは言った。
「……は、はい」
「痛い?」
「かすり傷と同じ。心配しなくて平気」
ミサトからコーフィンを預かると、レイジは話しかける。返事は返ってくる。この状態に棺としての体質が、多少なりとも回復を始めたらしい。
「巻き込まれただけのミサトさんが、責任を感じる必要はないよ」
眉を八の字に下げるミサトの姿に、レイジが苦笑しながら言った。
「ハツエさんも心配してる。戻ろう、ミサトさん」
「……うん」
そっと差し出すレイジの手に、ミサトも自分の手を重ねる。
「……レイジさん、助けに来てくれてありがとう」
「どういたしまして」
置かれたミサトの手を握りながら、ほんの少し表情を和らげてレイジは答えた。
.
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます