04・出来損ないと黒い内側

 


「欠陥品が噛み付くなんて、お義姉様がどれだけ痛かったことか……」

「彼女は貴方と違って、ギャーギャー叫ばないでしょう?」

「レディに向かって失礼ね!」

「おや。男も女も、誰彼構わず喰らう貴方が、淑女と仰いますか?」



 レイジの指摘に眉をひそめるも、すぐにアビーは勝ち誇ったように髪を掻きあげ、その肉感的な唇の端を吊り上げた。



「吸血鬼なら実に正常な行動よ。フン。ろくに噛み付くことすら出来ない欠陥品は、不能と同じよ!」

「出来損ないに欠陥品、今度は不能ですか。よくもまあ、そんな品のない語呂がポンポン出てきますね。王の教育を疑いますね」



 足癖の悪さを気にせずレイジは椅子をアビーに向けて蹴る。なかなかシックなデザインの一人がけの椅子は、アビーの腕の一振りで見るも無残な破片と化した。

 視界を遮る破片の隙間を通すように、アビーは小さな弾丸のような塊をいくつも放つ。腕で叩き落とし、避ければ、小さな破裂音が断続的に続く。



「なんでアンタが、出来損ないの吸血鬼が! 人間でもなければ、吸血鬼と呼ぶのすらおこがましいアンタが! いつまでもこちら側にいられるのよ! アンタみたいな奴の居場所は何処にもないのよ!」



 居場所がない、そんなことは分かっている。昼の世界で生きるにはあまりにも寿命は長く、夜の世界では、自分のこの欠陥は致命的だ。

 吸血鬼でありながら、本来あるべき効果を持たない唾液。血液を摂取するにあたって、痛みを伴わせる行為。偏食であるが故に、提供者への負担は大きすぎた。

 だから花嫁は迎えないと決めた。あんな経験は、一度で充分だ。



「……女王陛下にでもお聞きになったらどうですか?」



 昼の世界で生きることに意味を持たせ、夜の世界に居場所を与えたのは女王だ。吸血鬼として問題のないアビーには、理解し難いことだろう。

 室内を飛び交う小さな塊を相殺しながらレイジは動き回った。置き去りの家具を足場にアビーの頭上を飛び越せば、人外の跳躍力を持ってしてアビーもまた追い、レイジに向けて一撃を放つ。

 まるでそこに足場があるようにレイジは体を捻り、続けて予備動作なしに、踏みつけるようにアビーの腹に蹴りを入れる。崩れた姿勢で放ったアビーの攻撃は天井を抉った。



「あんな若作りの年増になんて会いたくないわ!」

「本人が聞いたら、さぞ喜ぶでしょうね。若く見られるのが嬉しいらしいですから」



 風が唸るような鈍い音に、転がるようにレイジは床に伏せた。背後の壁が切れ目を見せ、その向こうにぽっかりと広がる暗闇が顔を覗かせていた。

 トントントン。レイジが調子よく床を指で叩けば、部屋のいたる所に散らばる破片が、意志を持ったかのように一斉に動き出す。張り巡らせた力はまだ残っている。破片全てに、ほんの少しずつ力を纏わせ、弾き飛ばす。

 壁や家具に大量の穴を開け、アビーの服や肌に軽い音を立てながら容赦なく当たる。浅く肌を切るだけの、ダメージは些細なものだ。だが、数がある分鬱陶しい。



「小細工ばかり! このっ、出来損ないが――っ!!」



 破片を叩き落としていたアビーの耳に、ずっぷりと、妙に生々しく何かが刺さる音が入った。ジクジクとした痛みを訴える腹を見れば、長い木片がその身を赤く染めながら刺さっていた。あの時、レイジが蹴り上げたテーブルの破片が、レイジが蹴りを叩き込んだ場所と同じ位置、アビーの腹に刺さっていた。

 ブラインドショット。しかも目印を打ち付けた場所を目標にしたもの。腹に刺さる木片と、投げた姿勢から腕を下ろすレイジに、アビーは何が起きたか理解した。するりと、右腕に纏わりつくあの冷たい感触にアビーの顔が青くなる。打ち払うには判断が遅れ、腕を締上げる感触が、ボキリと太い木が折れるような音を鳴らすと霧散する。

 アビーが痛みを感じるよりも先に、体が、甲高い悲鳴を上げた。


 関節とは違う方向に、ありえない場所から曲る右腕をダラリと下ろし、アビーはレイジを睨みつける。腹部の出血は少なくないが、耐えられない量でもない。ふらつきながらも、次の一手を考えるのは、アビーの意地だ。



「アンタみたいな出来損ないが、エヴァンお兄様と同じ偏食だなんて」



 この目の前の、吸血鬼と呼ぶのもおこがましい男の前で、膝を折るのはアビーのプライドが許さない。


 ゆったりとした足取りで、アビーから一定の距離を保つ場所にレイジは立つ。軽く肩を竦め、虫を払い落とすかのように腕を小さく振った。パッと、噴水のようにアビーの首から吹き出す鮮血。

 ――硬い。首を切り落としたはずなのに、何故繋がっている……? レイジは眉をひそめると、慌てて真横に飛び退いた。一足違いで、レイジがいた場所に突き刺さる巨大な錐。滑らかで、綺麗な表面を見せる凶器。反射する程磨かれたそれに、アビーの姿が映りこむ。

 小さな悲鳴と共に、アビーの体が何もない空間に埋まった。その腰に腕が巻きつき、骨ばった手が、血の吹き出るアビーの首を押える。



「横入りされたか」



 その手と目の前の極悪な凶器に、レイジは一人の男に思い当たる。アビーが支配する箱に、容易く干渉できる存在。



「お、お兄様……」



 埋まるアビーの体と反対に、浮き出てきた一人の男。銀髪に青い瞳の持ち主の男は、アビーの返り血で顔を染めながら、怜悧な瞳がレイジを油断なく見据える。



「連絡もなしに遊びまわって心配したんだよ、アビー。そろそろ帰っておいで」

「でも、エヴァンお兄様、花嫁と棺が」

挨拶はしてある・・・・・・・



 諭すようなエヴァンの口ぶりに、アビーは眉を八の字に下げると小さく頷く。



「いい子だ。戻ってすぐに手当てをしなさい」

「はい、お兄様」



 しおらしく返事をすると、アビーは少しづつ体を空間に埋めていく。去り際にレイジを一睨みして、ようやくその姿は消えた。

 消えるアビーとは反対にエヴァンは空間から浮かび出し、すらりとした長身の、長い足が床に着く。



「久しぶりだな、レジナルド・・・・・。こうして直接会うのは、何十年ぶりだろうね」



 この間は、体ではなかったからねと、切れ長な瞳を和らげながら笑い、エヴァンが続けた。



「……妹の手綱ぐらいちゃんと握っておいてくれないか。エヴァンシェリン」

「アビーは後で叱っておくよ。それより久々の再会なんだから、形式的でも挨拶ぐらいはして欲しかったな」

表の君・・・は、馴れ合いはしない主義じゃなかったのか?」



 レイジの問いかけにエヴァンは苦笑すると、小さく指を鳴らす。音に合わせるように、あの巨大な錐が一瞬で消えた。エヴァンは軽く肩を竦めると、胸元から名刺サイズの小さな紙をレイジに投げる。

 警戒しながらレイジは紙を受け取ると、その紙面を見て眉を寄せた。

 紙につらつらと書かれている文字は、どう見ても人名で。その次に病院の、それも部屋番号まである。生憎とその名前にも、病院にもレイジの心当たりの人物はいない。



「君のことだから、あの愚者を使ってある程度は耳には入れているだろう? 私が今回ここに来た理由は、ただ新しい花嫁を探すためだけじゃない」

「……棺はついで、とも」

「そう。残念なことに、私には人間の伝手が少なくてね、難儀したよ」

「だったら、花嫁の親族に喧嘩を売らなければいい」

「君と違って、目の前のご馳走に『待て』をする理由はない」



 皮肉めいたエヴァンの言い方に片眉を上げるも、レイジは冷ややかな視線を向けるだけに留めた。レイジの、吸血鬼として欠けている物を知る少ない存在は、相手にするにはやりにくい。



「我々偏食は、迎え入れた花嫁と花婿は大切に扱う。ある意味で、花嫁の奴隷のようなものだ。故に、花嫁が望むものがあれば、出来うるかぎり叶えたいと思うのは必然――」

「……ここにある名前は、君の花嫁か」

「ご名答。幸いなことに、君がアビーの騒ぎに乗ってくれて助かった」

「好きで乗ったわけじゃない」

「知っているさ。今、君は花嫁にご執心だろう? ワインで祝杯したいぐらいだよ」



 グラスを持ち軽く上にあげる仕草をしながら、エヴァンは笑う。



「嫌がらせにしかならない。さっさと婚活に勤しんだらどうだ」

「面白い例えだ」

「事実だろう?」

「花嫁を探すのは君も同じ。これは偏食である以上避けられない現実だ」



 お互いが剣呑な表情で顔を見合わせる。それでも一色触発な空気にならないのは、ここで騒動を起こす気がないということだ。

 なにより、エヴァンがまだ目的を終えていないのが大きい。



「まあ、婚活の愚痴は後にするとして」

「僕は聞く気は欠片もない」

「物の例えだ、レジナルド。それでだ、私の花嫁が親元に帰りたいと言ってね。親族を捜していたんだよ」



 エヴァンには不釣合いな、珍しく疲れたようなため息をつく。人間の伝手が少ない彼には、中々に骨の折れる作業であろうことは想像に難くない。ましては本国から遠く離れた地だ。個別に精神に干渉をし、記憶を探る作業も楽ではない。



「まさかと思うが、僕に花嫁の親族を捜せと言うんじゃないだろうな」

「その必要はない。その場所に、父親を連れて行ってくれればいい」

「だからその父親を――」

「父親の名はヤシロ。五十年程前にイギリス在住。その時に一悶着あってね。今は半端者になっている」



 つい先ほど、それこそ十数分前にいた人物の名前だ。頭を抱えたくなる衝動を必死で抑え、レイジはエヴァンを睨みつけた。わざわざ紅薔薇を仕留めろとまで頼み、花嫁である娘に会いたいと言った男を、すげなくあしらったのは間違いなく自分だ。



「最悪だ……」

「そう言ってくれるな。どこの世界も、義父との折り合いは難しくてねぇ」



 ニコニコとした表情で、エヴァンはそうのたまう。折り合い以前の問題があるだろうがと言いたい。そもそも、ヤシロが半端者になっているのがおかしい。用意周到に囲うこの男が、ヤシロを半端者にするのはメリットがないだろうに。



「お義父上に伝えてくれるかい? 妹共々、不義理を働いて申し訳ないと」



 ……どうやらヤシロが半端者になったのは、アビーが原因か。



「……僕が引き受けること前提か」

「私は友達が少なくてね。頼んだよ、レジナルド」



 苦笑しながらエヴァンは言う。不義理も何も関係ないだろうに、発言はまあ、人間で言うならば至ってマトモとも取れる。その内面で何を思っているのか、あまり考えたくはないが。



「ああ、ついでといっては何だが、友達の花嫁を寝取るつもりはない。偏食の辛さは、偏食にしか理解できないからね。ただ、彼女が自ら私を選ぶのなら、やぶさかではないよ」



 やはり腹の中では、ヤシロに対して詫びる気持ちはないらしい。裏の・・エヴァンならば思うところもあるだろうが、生憎と目の前の男は違う。ほんの少し口角を上げた怜悧な笑みを浮かべると、エヴァンはその姿を消した。



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