03・埋没する白と黒の箱

 


 アビーが叫ぶや否や、部屋の色が反転した。明るい色の壁は薄い灰色に変わり、床は影より濃い黒色になる。白と黒の色彩フィルターがかかったように、視界の色が一変した。

 ギシリ、と床板が音を立て崩れ始める。部屋を空間ごと切り取るとこんな感じなのか。いくつもの箱に分割された部屋が、現れた暗闇に沈んでいく。



「空間支配――! まずい、ミサトさん!」



 ミサトのいる箱に行こうとしたレイジの目の前に、赤い刃が通り過ぎた。反射的に後ろに避けたが、浮いた前髪が一箇所、短くなっている。



「行かせないわっ!」



 空間を割って・・・・・・目の前に現れたアビーに、レイジは大きく後ろに退がった。



「アビゲイル……」



 ひたりとアビーを見据えると、レイジは静かに腕を動かした。



「レイジさん!」



 傾きながら離れる部屋、覚束ない足元にとっさにミサトは近くのチェストを掴んだ。

 沈んでいく箱の中から、ミサトはレイジのいる箱を見上げた。ほんの少しあの黒髪が見えただけで、その姿はすぐに黒一色に塗りつぶされる。


 しんと静まり返った場所で、ミサトは床にへたり込みコーフィンを抱きしめた。まだ、コーフィンの体は温かい。呼吸もある。ミサトが呼びかければ、小さく声を返す。大丈夫、大丈夫。

 あまり喜ばしくはないが、アビーが言っていたじゃないか。棺と呼ばれる存在は、心臓をどうにかしないかぎりは死なない。レイジも大丈夫。医師が言っていた、偏食の吸血鬼は力が強い。



「見ぃつけたぁ」



 ポスンと置かれた手に、ミサトは小さく声を上げた。振り向けば、そこに居たのは、あの水風船のような人間――アビーの使い魔。



「さあ、一緒にご主人さ――」



 言い終わる前に、使い魔は黒い灰となって消えた。サラサラと落ちていく灰から、ミサトは慌てて離れた。灰の積もった場所にあるのは数本の針。



「逃げるぞ」



 言われると同時に、体が引っ張られる。よく見れば、奥のほうからあの使い魔たちが現ていた。

 わずかにある陰影が、ここが何かの建物の中だということを教えているが……。病院で遭遇した精神世界と似た場所なのか? ミサトには判断がつかないが、ここに留まっているのが良くないのは理解できる。



「前以外に選べなさそうだな。ナオト、前に出て哨戒を頼む」

「りょーかい」



 多少なりとも、追っ手の数は殺いでおきたい。あの針を取り出すと、ナオトは後ろに投げつけた。一度では無理だ、だから何度も執拗に狙う。これが他の半端者なら、紅薔薇の使い魔といえ一度で仕留められたはずだ。

 どこからともなく現れた紅薔薇の使い魔が、灰となって消えていく。それほど数は多くない。あのレイジが相手なら、紅薔薇もこちらに気を回す余裕はないだろう。何しろ、花嫁と棺を殺すわけにはいかないのだから。



「かなり集中してみれば、道や壁が見える。出口はありそうだな」

「もう少し明るければ、それなりに陰影が分かるんですけどね」



 壁を背にして曲がり角の先を調べるナオトの、ぼやくような言葉にミサトのポケットが淡く光りだした。



「へ? ま、まさか……」

「何? あんたペンライトでも持ってんの?」

「い、いえ。あんまり考えたくないんだけど……」



 まさか、もしかしてと思いながらミサトがポケットに手を入れれば、指先にあたるやたら肌触りのいい感触。



「キュー」

「シラタマ!? いつから忍び込んでたオイ!」

「……何その毛玉」



 ナオトの毛玉発言にぶわりと体を一回りほど膨らませ、シラタマはミサトの頭の上によじ登った。明るく光る体が、辺りをぼんやりと照らす。二人が言っていたように黒一色のなか、陰影が壁や柱を浮かび上がらせる。

 三人が見つめる正面、その陰影の中に、まるで心霊写真のような白い人影が立っていた。輪郭のハッキリしない姿、形から人であると判るもののそれ以上は窺い知れない。



「誰、あの人……」



 ミサトに心当たりがある心霊写真もどきはハツエだが、それにしては人影はハツエより大きい。それに雰囲気的に、男の人のような気がする。ミサトは二人に尋ねるように視線を向けるが、二人共険しい表情で白い人影を見ている。どうやら心当たりはないようだ。

 人影がゆっくりと歩き出した。ミサトたちが後を追って来るか気になるのか、人影の歩みは遅い。



「ど、どうします? ヤシロさん」



 使い魔のように誰のもので何をしに来たのか判らない存在に、ナオトは顔を引き攣らせる。



「こちらに攻撃をする意志はなさそうだし、紅薔薇の使い魔よりは幾分ましだろう。お嬢さんはどうかね?」

「え? 私ですか? そうですね……あんまり危ない感じはしないんですけど……」



 実際、危険か否かより何も感じないのだ。それこそ通勤途中にすれ違った人と同じように、ただ前を歩いているだけのような。



「では、後をついて行ってみるか」



 コーフィンを運ぼうと手を出したヤシロをミサトはやんわりと断ると、どちらが前か判らない人影を見つめる。



「ミサト……」

「大丈夫だよ。少しだけ我慢して。すぐに外に出れるから」

「ん」



 一度コーフィンを抱え直すと、ミサトは人影を追って歩き出した。



+++++



 暗闇に埋没したミサトたちの箱を視界の隅に捉え、レイジは目を細めた。空間支配でここまで出来るのは驚きだった。屋外だったのもあるが、前回はこの使い方を見ていない。気付いていれば対処ができたのに。

 区切られてしまってからは、こちらは手出しができない。精神ではない実体への干渉は、今この場では危険だ。使い魔ならば、向こう二人で対処できるだろうと信じるしかない。

 頭を切り替え、レイジはアビーを見る。早急に事態を片付けるのが得策。



「お兄様の花嫁、ねぇ……」

「なによ、出来損ない」



 クスクスとレイジは笑う。何が一体おかしいのか? 明らかに愉悦を含んだレイジの瞳が、アビーを見た。

 部屋の支配権は確かにアビーが握っているが、部屋へ仕掛けたものはレイジの影響下にある。他者の影響下の仕掛けに干渉するのは、部屋の支配権を維持するアビーには難しい。

 パシリと細かな音を立て続ける部屋に、蜘蛛の巣の様に張られた力が揺らめき、一気にアビーへと向かう。



「アビゲイル、彼女が君の義姉あねになることはない」



 いきなり背後から聞こえてきた声にぎょっとし、アビーは振り向いた。



「――!?」

「彼女は僕の・・花嫁だ」



 いつの間にかアビーの後に回りこんでいたレイジが、力を放とうとしたアビーの腕を掴み、その腹に容赦なく左足を蹴りこんだ。放せば逃げられるのは目に見えている。目印を入れるように、深く抉りこむ。



「かはっ!」



 腕を放せば細いアビーの体は勢いに流され後に退る。予想外の肉体への攻撃にたたらを踏むアビーに、しなる鞭のように鋭い空気の刃が放たれる。気付き避けるアビーの髪を一房切り落とす。はらはらと散らばる赤毛が、モノトーンの空間のなかで異様なほど鮮やかだった。



「こほっ。あんたの花嫁ですって? 笑わせないで頂戴! 出来損ないが花嫁を迎えたって摂取できないでしょうが!」



 アビーの叫びに呼応するように、室内のモノクロの明かりが生み出す影が一斉に刃となってレイジ向かう。床を蹴り、張り巡らせた自身の力に足を掛け、レイジは踏み抜くように見えない足場を一気に蹴り崩す。影の刀身に十重二十重にと絡みつく細い糸が、その動きを止め、絞め砕く。

 影へと戻る刀身を視界の片隅でレイジは見届ける。暗がりに霞む勢いで振り下ろされたアビーの腕が、身体に絡みついていた力を切り払った。



「喰いましたよ、彼女。だって僕の花嫁ですから」



 出し抜けに、赤い刃がレイジを襲う。耳に痛い破裂音を出しながら、腕に込めた力が、赤い刃とぶつかり弾ける。ほんの僅かに足を引いた動作でアビーは刃を作り出し、空気を切り裂きながら、レイジの首めがけ飛ばした。

 アビーの握り締めた手が震える。身体中に再び纏わりつく冷たい空気を払いながら、レイジを睨みつける。



「出来損ないがお義姉様に手をだしたの!?」

「ここ最近お腹がすくことが多かったもので」

「な、なんてことなの……」

「でも、原因は貴方にもあるんですよ」

「どう言う意味よ」

「貴方が僕の花嫁にちょっかいを出したから、僕は彼女を喰べたんです。言うなれば、貴方が何もしなければ、彼女は――っ!?」



 ゆらりと揺れた力の糸が、一瞬で目の前に迫るアビーを捉えた。空間を繋いで現れた姿に、バックスッテプだけでは足りない。アビーのリーチがわずかに長い。揮棒のようにアビーは指先だけを振ると、仕返しだと言うようにレイジの腹を切り裂く。それでも派手に切られたのは服のみで、覗く肌には細く赤い線があるのみ。

 踵どころか先まで尖ったヒールが、レイジの側頭部目がけ飛んで来る。仰け反るように足をかわして、床につけた腕を支点に足払いをかけ、間合いを取る。



「ただでさえ今月金欠なんですから、買い替えするような事態は避けたかったのに」



 人が居ないから、後腐れがない。ある程度抑えはするが、節約はなしだ。目印は既にあるのだから、全体に回す大技が簡単に組める。人間を・・・気にしないのはやはり楽だ。

 可憐な容姿からは想像し難い、素早い動きでレイジが放つ色のない刃を避け、アビーは両腕を時間差で振り下ろした。



「死ねば服なんて買い替えなくて済むでしょ!」

「君に看取られて死ぬなんて冗談じゃない」



 背後の壁を穿つ風を感じながら、レイジは足元にあったテーブルの破片を蹴り上げ手で掴む。靴を叩きつけるように下ろし、床の上に力を浸透させる。



「効果の含まれない唾液持ちなんて、吸血鬼の欠陥品じゃない!」

「出来損ないから欠陥品にランクダウンしましたか……」



 苦笑しながらレイジはアビーの赤い刃を叩き消す。本来素手で受け止めることの出来ない攻撃を、レイジはあっさりと防いだ。普段なら手帳で叩き落とすところだが、ないのなら手帳の代わりを腕に纏わせるまでだ。



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