02・無垢なるは花嫁

 


「――っ!?」



 ミサトの方を一切見ることなく、ヤシロはにこやかな笑みを浮かべながら言い放つ。ギクリと強ばるレイジの表情に、硬くなる体。

 ヤシロははっきりと言った、彼女が餌であると。彼等は“ソレ”を正しく理解している。



「おや。否定はしないと、おっしゃらないんですね」



 とっさのことに、言葉が出てこなかった。まさか、このタイミングでそれを言われるとは。よりにもよって、何も説明をしていない時に。手に持ったカップをテーブルの上に置くと、ヤシロはそこでようやくミサトを見た。

 ミサトは、なぜか困ったような表情をしていた。驚きも、恐怖も、怒りもない。ただ、いつものように眉尻を下げて曖昧に笑う。



「うん。改めてその反応をされると、こっちも反応に困るなー」

「は?」

「いや、さすがにただの食料扱いなら怒るけどさ、そんな罪悪感ありありな顔されるとね。って、レイジさん大丈夫?」



 鳩が豆鉄砲を食らったと形容するような、何とも言えない顔のレイジに、声をかけながらミサトが手を振る。



「……知ってたの?」

「ちょっと前に知った。紅薔薇さんがぺらぺら喋ってくれたのと、先生が教えてくれたから」

「あ、そう、うん。そっか……」

「レイジさんがぐーすか寝てる間と、逃亡してた間にね」



 ミサトはあっさり言っているつもりなのだろうが、そこはかとないトゲを感じるのはなぜだ。



「……あの、その、あの時はごめん。寝ぼけてて」

「だろうね。二言目がお腹空いた、だから」

「すみませんでした。あの、僕、責任とります!」

「責任って何!? いきなり重くなったよ!?」

「寝ぼけてたとはいえ、噛みついたことには変わらないから」

「ちょっと待って、噛みつくって……ああ、そういえばレイジさん吸血鬼だもんねぇ」



 思わず感慨深げにミサトは呟く。そうでしたね、そうでした。あんまり実感ないけど、吸血鬼でしたね、この人。はぁっと息をはいて、レイジを見る。とてもじゃないが、あの紅薔薇と同じように誰彼構わず襲うとはとても思えない。

 それに……例え餌だとしても、バカ正直に「ハイ、そうです」と言いはしないだろう。なら、どうせ騙されるなら、信じて騙されようじゃないか。



「あれ? 血を喰べことじゃないの?」

「私、噛まれてないけど」

「……え、ええっ!? じゃ、じゃあ何で!?」



 噛んでいないのに、血液を摂取出来たのはどうしてだ? 驚きに硬直したのも一瞬で、レイジは頭を抱えて声を上げた。



「こちらの話をしてもよろしいかな?」

「あんまりよくないけど、どうぞ。こっちは合図をされるまでちゃんと黙ってましたからね」



 憮然とした表情でミサトはヤシロに言う。ここに来てからの短時間で、交渉という名の脅しにミサトは大人しく従った。コーフィンのことだってレイジに話したいのに、それすら許されなかった。



「合図? そういうことですか……。そこまでして、僕を引きずり出したいですか」



 据わった目つきでレイジはヤシロを見た。その視線に、背筋にひやりと冷たいものを感じたのは気のせいではないはずだ。

 ――やはり偏食は、歪んでいる。ヤシロは思う。おそらく、彼女が花嫁だからだ。これがどこにでもいる普通の人間だったら、きっとこんな目はしない。無関心を地で行く。



「……その月牙とか言う人の花嫁、連れて来ても平気なんですか?」

「平気じゃないだろうね。言ったら悪いけど、僕だってそうだし」



 答える気がないらしいヤシロに代わり、顔に手を当てて、自分でも分かるキツくなっている目元を隠しながらレイジは言う。

 同じ偏食だからわかる。提供者は生命線と言っても過言じゃない、だからこそ過剰とも言える執着を見せる。籠の鳥として一生を終える提供者たちを何人も見てきた。



「私はただ、娘に会いたいだけなんです」



 ナオトが僅かに眉を寄せる。



「手段が絶たれた状態を打破するには、どうすればいいと思いますか? あなたの様に力のない、非力な者たちが」

「諦める、という選択肢はなさそうですね」

「あったなら、ここまではしなかったでしょうねぇ。紅薔薇を仕留めれば、おのずと月牙も表に出てくる。安易な考えでしょうが、もっとも簡単でもある」



 簡単であるが故に、力のないものには出来ない。

 ひと気のない屋敷、ナオトを諌める行動。少なくとも、このコミュニティーは統制が取れていたはずだ。だから、ヤシロは動けなかった。そして自分が行動を起こすには、力不足であることも理解していただろう。



「例え月牙が表に出ても、花嫁を連れて行くことはないでしょう。そこから先はどうするつもりだったんですか」

「索敵と哨戒の能力に長けた者を動かすつもりでした」



 ヤシロはちらりとナオトに視線を向けた。実践向けではない能力の持ち主。触媒を通さなければ、行使することすら出来ない弱い力。そしてナオト自身、それを理解している。



「そのわりには、尾行に気付かれていましたよね」

「あなたではありませんが、非力であることを否定はしませんよ。実際、我々の能力はあなた方オリジナルより遥に劣るのだから……」



 顔を顰めてナオトはレイジを見た。レイジの横顔からは何も感じられない、ただ、事実だけを淡々と述べただけ。



「だから、僕を動かそうとした」

「ええ。あなたが動けば、まず間違いなく女王陛下の耳に入る。女王陛下が動くか否かはこの際問題ではないのです」

「……動く可能性があることで牽制をしたかった」

「その通り。例え王の血筋とはいえ、女王陛下を相手にしたくはないでしょう。居場所を突き止める時間が欲しかった」

「陛下を時間稼ぎの駒に使いますか」

「お怒りはごもっとも。けれど我々も悠長に構えてはいられないのです」



 サスペンスドラマの悪役との会話のような展開に、ミサトは一人閉口した。すぐ傍の南極大陸か、北極のような寒気を感じて腕を擦りたいが、それすら出来ない雰囲気だ。

 女王陛下、それに王。あまり身近に感じない単語にミサトの眉間にシワが寄る。そう言えばアビーが言っていた出来損ないも気になる。とてもレイジに該当しそうな言葉に思えない。もしや、定職に就かないことだろうか?

 カツンと、高い音が響いた。踵の高い、そう、ヒールが出す音だ。するりと首に生暖かい何かが巻きついた。腕だ。耳に息がかかる。微かに、血の臭いが漂ってきた。



「まあ、お義姉様ったら。お茶会でしたら私も呼んでほしかったわ」



 ぞくりと全身が鳥肌を立てる。頬と頬がつきそうなくらいの位置に、アビーの顔が現れた。責めるような、拗ねるような、大きな金色の瞳がミサトを見つめていた。


 頬を撫でる指先は、細くしなやかで綺麗だった。とても、何人もの人間を殺めてきたとは思えないほどに。外見だってそうだ。何も言わなければ、海外のお嬢様にしか見えない。

 ごくりと息を飲み込んで、ミサトはレイジを見て――見るんじゃなかったと後悔した。明らかに怒っている。ハツエと違って目に見えて分かる怒り方じゃない。その逆だ。すぐには見えない、くすぶった炎。冷たい瞳が、ミサトの方へ向いている。ピリピリと肌に刺さるような視線。普段が温厚なだけに、何が起きるか判らないのが怖い。

 無言のまま、レイジが静かに右腕を動かした。首に巻きついていた腕も、頬に触れた指も、風が通り過ぎるように素早く離れる。ガッと空気の塊がぶつかるような音が、ミサトのすぐ傍で鳴った。



「コーフィン!?」



 驚きに目を見開いたレイジが声を上げる。その言葉に、ミサトは勢いよく振り向いた。

 視線の先にコーフィンはいた。ぐったりと四肢を投げ出し、アビーに髪を掴まれた状態で。あの後どれだけ掴まれていたのか、首は赤くなっている。

 コーフィンが薄く目を開いた。視線は定まっていないのに、何かを探すようにゆっくりと動く。声は果たして出るのか、小さく動き出した口が声にならない言葉を紡ぐ。


 みさと、たすけに、いかないと。


 考えるよりも先に、体が動いた。立ち上がった勢いで、テーブルのカップが落ちる。割れる音を耳に入れながら、コーフィンに向かってミサトは走った。



「コーフィンちゃん!」

「止すんだ! ミサトさん!」



 そこにアビーがいることすら構わずに、ミサトは手を伸ばす。コーフィンの瞳が、焦点を結ぶ。力のない指先がぴくりと動く。抱え込むように、ミサトはコーフィンをその腕に抱きこんだ。



「その手を離して!」



 コーフィンの髪を掴むアビーの手を叩き落としながら、ミサトは怒鳴る。レイジが動き出すよりも一歩早く、ナオトが腕を動かす。自身の手を叩かれたことに呆然とするアビーの視界に、銀色の光が向かう。慌てて後に下がれば、立っていた足元の床に突き刺さるやたら太い針。

 アビーはナオトを睨みながら、弧を描くように片腕を動かす。行儀も何もお構いなしにテーブルに足を掛け、ミサトに向かってナオトは跳んだ。鈍い音を立てて、テーブルが砕ける。



「俺は紅薔薇の相手はできないんで、対処はそっちでよろしく」

「……厄介な方を押し付けましたね」

「んなもん知るかよ。あんた、アレとは違うんだろ?」



 ミサトの前に着地をしたナオトが、何か言いかけ口を閉じるレイジに、軽く視線を向ける。こっちは受け持つと、言外に伝えた。



「コレで貸し借りなしにしようか」

「全くもって割に合わない……」

「適材適所って言ってくれ」



 ナオトとしては打算ありきの行動だ。レイジは他所に神経を回さなくて済むし、多少なりとも貸しは作れる。

 ものは言いようだなと、口には出さずレイジは呟く。だが、判断としては正しいだろう。中途半端に手を出せば、返り討ちどころではない事態になるのは明らかだ。


 正直、正面切ってアビー相手に出来るかと言われると微妙だ。突発的な行動だったから、あの手帳を持って来なかったのはかなり痛い。力の調整と消費を抑える為の触媒がない状態で、どこまでいけるか。

 なにより、この場にいるのが一人ではないことが大きい。逃げるにしろ、相手にするにしろ、人に被害を出すわけには行かないのだから。

 ……どこまで彼らを当てにしていいか。レイジは逡巡する。



「花嫁が、私を叩いた? ……お義姉様は棺のことばっかり。そんな人形みたいな子供の、何がいいのよ」

「人形みたいって言わないで! コーフィンちゃんは自分の意思を持ってるわ!」

「――っ!? どうして、どうして棺を庇うの!? お義姉様はお兄様の花嫁なのに!」



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