07・黄昏の通り

 


「あら、かわいい。私を見て震えちゃうなんて。本当、良かったわ、まだ手を付けられてなくて。調べたらあの出来損ないと同居してるって判って、凄く心配したの。喰われていやしないかって」



 出来損ないとはなんだ? 同居人にそんな人はいないのに。内心で首を傾げながら、ミサトは前を睨む。昨日の今日で、いくら何でも行動が早すぎやしないか。ラスボスみたいにもっとゆっくりしててもいいのに!

 前と同じように助けが来るとは限らない。そんなうまい話が何度も続くわけがないのだから。多分、対処が出来るであろうレイジに連絡をするにも、呼ぶことに抵抗がある。今連絡しても、果たして来てくれるか……。

 ギリっとミサトは奥歯を噛んだ。



「紅薔薇……」

「あら、知ってるの? 勤勉なのはいいことね。紅薔薇のアビゲイル。アビーと呼んでくださる? お姉様?」

「お、おねえさまぁ!?」



 なぜに急にお義姉様と呼ばれなければならないのか? 唖然としながらミサトはアビーを見た。ミサトを面白そうに見ていたアビーが、その視線を背中に庇われたコーフィンに移す。



「では、勤勉なお義姉様。背中に隠している子供は何か知っていて?」

「どう言う意味よ」



 コーフィンを見る目は憎々しげで、今にも殺してやろうかと言わんばかりの感情が、隠すことなく現れている。コーフィンは全身の背を逆立てて、ミサトの後ろからそんな女を警戒するように見ていた。



「本当、こんな存在ものに振り回されるなんて」



 アビーの髪が内側から、押し上げられるように広がったその瞬間――視界からアビーは消え、身体に浮遊感が訪れる。地面に何かが刺さるような音が連続的に鳴ると、後から荷物のように抱えられた。引っ張り回されるような感覚が収まると、目まぐるしく動いた景色が止まる。

 すぐ傍から聞こえてきたのは、レイジとは違う若い男の声だった。



「怪我は?」

「な、ないです」



 ミサトの視界が普段よりかなり高い。案の定、肩に担がれた荷物のような状態だった。下を向けば、派手なライムグリーンのパーカーが目に入った。着ていたのは知らない青年だ。



「何でこんな状況になってんだよ……」



 ミサトを担いでいる男――ナオトが、ぼそりと言う。

 そのセリフは自分も言いたい。強張る表情に、恐怖で震える腕を動かして、自分が庇っていたコーフィンを捜す。目の前にはいなかった。この体勢で、ミサトはアビーに背中を向けているらしい。なら、背後か。

 早く逃げないとマズイのはどう考えても分かる。自分では手も足も出ないのは、前回経験しているのだから。



「ちょっと、あなたも逃げないと。あの人、きゅ……最近騒ぎになってる連続殺人犯」

「問題ねーよ。一人で逃げるくらいなら何とかなるから」



 途中を言い替えたミサトに、青年からの答えは実に素っ気なかった。そのセリフの裏を考えたらいけない気がする。この知らない青年からしてみれば、自分は立派なお荷物ですよね、はい。

 担がれた状態から下ろしてもらい向き直ると、ミサトはその目を大きく開き、現れた光景を凝視した。



「コーフィンちゃん!」



 コーフィンはすぐに見つかった。むしろ見つからない方がおかしな状態だった。ざわざわと鳴る音は、風か? それとも自分の耳に痛いくらい聞こえてくる、心臓の音か?

 コレは一体どういうこと? 現実ではまず見ることはないだろう光景に、考えが、追いつかない。

 ミサトの目に入ったのは首を掴まれ持ち上げられているコーフィンの姿。足など地面から高く離れている。宙ぶらりんとはこう言うことなのだろうか? 手を離してしまえば、あっさりと地面に落ちてしまうその状況。あの女の、あの細い腕、しかも片腕のどこにそんな力があるのか。



「子供に何てことするのよ!」

「ちょっとそこの半端者。お義姉様に気安く触らないでくださる? 手垢がついたらどうするつもり」

「……ないとは思うけど、あんたあの女の姉?」

「んなわけないでしょが!!」



 だよねと呟くと、警戒心全開のままナオトは短い針を取り出す。

 ふらつきながらミサトは叫んだが、アビーにはまったく効果はなかったらしい。意味ありげに笑うだけで、その手を離す気はさらさらない。近づこうにも膝に力が入らない。もっとしゃんとしなさいよ! 心の中で悪態をつきながらアビーを睨む。



「お義姉様はご存知ないのかしら?」



 爛々とした瞳で、アビーはミサトを見た。目の前で子供を助けようとするミサトに、アビーはその形のいい唇をニィっと歪める。



「この子供はね、首を折ろうが頭を潰そうが死なないの」

「は? ……何、言ってるの?」

「この子供は棺なの。死を内包した入れ物。生きながらにして死んでいる子供。まあ、心臓をぶち破れば死ぬけど。あら。でもこの場合、死ぬって言うのかしら?」



 コーフィンは、間違いなく生きている。心臓の鼓動も聞こえたし、脈も呼吸もあった。それに体温だって感じる。

 生きているのに、死んでいるとはどう言うことだ。



「だから棺――coffin」



 女の、甲高い声が耳に煩わしい。聞いてはいけない事だと、本能が警鐘を鳴らしている。けれど耳は正反対に、聞き逃すまいと声を拾う。



「そしてお兄様とあの男、出来損ない、お義姉様の同居人――確か今は・・レイジって名乗ってたかしら? そのレイジの食料」

「――レイジさん、の、食料……?」



 食料、とは一体何? 食料とは食べるものだ。生物が生きるためには、必要不可欠な行為。コーフィンが食料だなんて、どんな冗談だ。カニバリズムの気はレイジには感じなかった。

 だって彼はいつも、普通の食事を摂っていたじゃない。ハツエが出していた料理を美味しそうに食べていたし、初めてミサトに会った時も、鞄の中にあった惣菜の匂いを目敏く嗅ぎつけていた……。


 ――美味しそうな、匂いがする。

 あれは、本当に惣菜の匂いを嗅ぎつけての言葉なのか?



「お姉様は、出来損ないに何を聞いたのかしら? 出来損ないは何を話したのかしら? あの男はね、お義姉様。私と同じ・・・・、吸血鬼なの」

「レイジさんが、きゅうけつき……」



 呆然と呟くミサトに、アビーはケタケタと嗤う。

 吸血鬼――。ほんの少し前に、医師から説明は聞いていた。その存在が目の前の、アビーと名乗る女だと言うことも。


 でも、レイジもそうだと一言も聞いていない。

 ただの何でも屋じゃないのは、薄々気付いていた。きっと霊能力者とか、超能力者といった人たちなんだろうと、漠然と思っていた。

 決して短くはない期間を、一緒に過していた存在が、人ではなかった。



「やっぱり知らなかったか」



 アビーの耳障りな笑い声に、ナオトは眉根を寄せる。短時間でミサトの事を調べきったヤシロの情報網に毎度驚かされるが、今回もその精度に狂いはなかった。

 隣で顔色をなくすミサトと、コーフィンを見比べ、どちらを取るか天秤にかける。状況で判断しろと言われたが、どちらが一体価値が高いか。レイジの基準が曖昧なのが正直一番困る。

 餌としての価値ならば棺だが、昨日の反応を見るにどうも薄い。花嫁を優先すべきか……?



「そうそう! お義姉様を助けた男も人間じゃなくってよ」

「言っておくけど、『元』人間だから」

「も、もと……」



 アビーの言葉に、これ見よがしにミサトの肩が跳ねるのを見て、ナオトはため息をつきながら口を開く。意識を誘導されている可能性も、精神を干渉されている恐れすらある。これ以上はさすがに拙いと、ナオトはミサトの前に立った。



「それにお義姉様だって、こちら側の人間。だってお義姉様は、花嫁なんだから」



 花嫁。偏食の吸血鬼が摂取できる血液の持ち主で、定期的に提供する人間。

 ……まさか、私がそうなの?

 あの時の寝ぼけたようなレイジの言葉は、まさにそのままで。ご飯が食べたいのは、普通の食事のことではなく、自分の血液を・・・・・・喰べたいと言っていたのか。

 もしそうなら、レイジは――偏食の吸血鬼。



「ミ、サト……」



 掠れた小さな声に、ミサトははっと顔を上げた。

 苦痛に顔を歪めているコーフィンを助けないといけないのに。でも、身体が動かない。すぐ傍にいる得体の知れない存在たちに感じる恐怖。人であって人ではない存在。

 自分も、そちら側を無視できない立場に、知らぬ間になっていた。


 ぎゅっと拳を強く握ると、ミサトは腹に力を入れる。まるで縫い付けられたように、硬直している身体を無理やり動かす。震えは止まらないし、歯はガチガチと音を立てている。止まれ! 止まりなさいよ!

 レイジがどんな性格なのか、全てではないが知っている。例え一方からの見方しかしていなくても、レイジがコーフィンを喰べるのはありえない。



「だったらなんだって言うのよ! 人間だろうが、そうでなかろうが、同じ釜の飯を食った以上家族よ! 見捨てるような真似はしないわ!」



 啖呵を切ったミサトに面食らったような表情をすると、面白そうにアビーは見る。チロリと向けられる視線が怖い。けれど、今はそれを振り払うんだ。



「それにね! ウチには怖い幽霊が住んでるんだから! 家族に手を出したら容赦しないわよ!」

「あんたがする訳じゃないんだ」

「うっさいわね! 人が気合入れてるところを邪魔しないでよ!」



 ギロッと、普通の人が見たらドン引きするような目で、ミサトはナオトを睨んだ。



「あはは! いいわ、すっごいイイ! やっぱりお義姉様はお兄様の花嫁になるべきね!」

「遠慮しておくわよ! 誰の嫁になるかなんて自分で決めるわ! だいったい、顔も見せないで妹に様子見に行かせるような男なんて、熨斗つけて送り返してやるわよ! そもそもウチは婿養子派なんだから!」

「熨斗つけるも何も、つける相手が来てなくね?」



 自分の前にまで出て、わざわざアビーに言い返すミサトをナオトは後に引き戻す。

 めちゃくちゃ危なっかしい……。ナオトは顔を引き攣らせながら、ここにミサトを置いていくのはナシだと決めた。



「干渉が切れたのは予想外だったわ。仕方ないわねぇ。ねぇ、お義姉様。私の目を見てくださらない?」



 凶行を見たミサトからは酷く似合わない動作――かわいらしく小首を傾げるしぐさをしながらアビーは言った。


 ――とにかく吸血鬼に会ったら、目を見たらダメだよ。


 医師の言葉に、ミサトはキツク瞼を閉じた。なぜか閉じた上から、さらに何かが覆いかぶさった気がした。より暗くなる瞼の内側に、背中に圧し掛かるような重み。



「……レイジさん?」

「ざぁんねん。お姫さまが望む騎士ナイトじゃぁないよ」

「ツっ、ツバメさん!?」

「なんであんたがここにいる!?」



 あの独特な喋り方に、思わず声がうわずる。どうやら今度は現実世界に登場してきたらしい。あっちこっちと忙しい人だ。



「fool!」

「やれやれ、うるさい女は好きじゃないよ」

「フール? 愚者……なんでまたそんなへ――おわっ!」



 ツバメは首を振りながら、ナオトのパーカーの裾を摘んで後に引っ張る。背後で、世界が溶けたガラスの様に揺らめき出した。ナオトの裾を摘み、ミサトの目を覆ったまま、ツバメはその空間に二人を引き擦り込む。



「お、おい! 何するんだ!?」

「紅薔薇が送ると一騒ぎになるだろうから、ワタシが代わりに送っておくよ」

「え!? お、送るってどこに!? ちょっと待ってまだ――っ!!」



 二人の抗議の声も虚しく、ツバメと一緒に溶けた世界に沈んでいった。



「レイジ君にとって彼女がなら、君にとって彼女は君を呼び出す・・・・・・餌だねぇ。ひっひっひっ」

「お黙り! fool!」



 姿の見えないツバメの声があたりに響く。未だ波紋が揺らめく空間を睨みながら、吐き捨てるようにアビーが怒鳴る。その手に、コーフィンの首を掴んだまま。



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