05・同じようで違う空間

 


「そう? 別れた男の捨て台詞とかも知ってるけど……お姫さまはかなりしんどそうだから、やめとくよ」

「あんたね~」

「ひっひっひっ」



 ゆらゆらと空間を自在に漂い、ツバメはゆっくりと上昇して行く。ツバメの長い服の裾が目の前を通り過ぎていくのを見て、ミサトは慌ててその裾を掴むも、するりと手の中を抜けていった。



「ざぁんねぇ~ん」

「ぐぬぅ。何か腹立つ、メチャクチャ腹立つ! ちょっと待ちなさいって、言ってる、で、しょ、がっ!」



 勢いをつけてミサトは思い切り腕を伸ばし――ガシリとあの裾を掴んだ。



「何で知ってるのか洗いざらい吐け!」

「がっ! く、苦しい! 苦しいよ! ちょっと!」



 途端に、辺りが明るくなった。目の前では医師が苦しげな表情で、ミサトの手を叩いている。

 ミサトが必死な思いで掴んだ裾は、いつの間にか医師の首にすり替わっていた。



「へ? せ、先生?」

「そ、そう! ヘルプ! ヘルプミー!」

「す、すみません!」



 ぱっと手を離して、ミサトは何度も頭を下げた。

 首を手で擦りながら、医師は青ざめた表情で呼吸をする。



「げほっ。ま、まさか、こんなに激しく求められるとは。要望にはなるべく応えるけど、苦痛を伴うプレイはあまり好きじゃないんだよ、私は」

「…………警察呼んでイイデスカ?」

「ストップ! ごめん、ただの冗談!」



 よく見ればここは、ついさっき出てきたばかりの診察室だ。何をどうしたら診察室の、それもベッドの上で寝ているのか?

 状況が飲み込めず首を傾げるミサトに、コーフィンが抱きついた。



「ミサト! ミサト!」

「うわっ。ちょっとコーフィンちゃん」



 加減も何もない飛びつき方、しかも上手い具合にボディーブローモドキを貰った気がする。ミサトは大人しく抱きついてきたコーフィンの背中を撫でる。コーフィンの頭の上が気に入ったのか、シラタマが跳ねながら鳴いていた。

 その様子を見ながら、医師は書類やら診察道具やら、いろいろ散らかる仕事机の前に椅子を転がすと腰をおろした。

 ミサトはコーフィンを隣に座らせ、レイジの姿を捜す。ツバメ曰く夢と現実の狭間とやらの場所で、離れたレイジはどこに?



「先生。あの、レイジさんは?」

「んー。だいぶ疲れててね、仮眠取ってるところ。少し寝れば落ち着くだろうから、今はそっとしといて」



 にこりと微笑みながら言うものの、医師は詳細を語らない。

 キイキイと音を鳴らしながら医師は椅子を回すと、ミサトたちを見た。



「さて、本当はアイツが話さなきゃいけないところなんだけど、そんな事情で私が代わりに話すよ。まあ、アイツじゃなきゃ嫌だって言うなら、喜んで叩き起こしてくるケド!」

「つ、疲れて寝てるなら、無理に起こさないでください!」



 輝かしい、満面の笑みを見せながら、そんなこと医師はのたまう。手の中で扇子を弄びながら言う姿にミサトは、腹の中でよからぬことを考えているタイプの笑顔だと思った。



「そう、残念」

「あ、あの、先生……質問が。私がさっきいた病院じゃない場所と、そこで会った人たちは、一体何なんですか?」



 このまま悪乗りされて、体調が悪いというレイジを本当に起こしに行ったら拙い。ミサトは慌てて、医師に疑問をぶつけた。



「ふむ。いい質問だね。どんな場所だったかは、私は見ていないから分からないけど……一言で言うなら、特殊な力を用いて繋がれた別の空間。精神世界と言えばいいかな? だから肉体は元の場所、この場合は病院に置いたまま」



 医師は病院に現れたあの使い魔たちを思い出す。

 きっと紅薔薇の当初の予定では、精神世界にミサトを引っ張っている間に、体を回収してしまうつもりだったのだろう。だからこそ、あの場に使い魔がやって来た。



「会った人ってどんな人かな?」

「えっと、人の形をした、み、水風船みたいなのがたくさんいて、それと……その、多分それなりに親しい間柄の男女?」

「恋人かな?」

「それはちょっと、判らないです。びっくりして。男の人は銀髪だったぐらいしか覚えてなくて」



 とにかくあの場をやり過ごさなくてはと、いろいろと考えをめぐらせている時だった。全力で走った直後で、呼吸すら整っていない時の出来事。状況の気まずさを感じてヤバイと思った頃に、レイジが助けに来た。

 そのわずかな時間で覚えていたのは、銀髪と……あの青い光。



「うん。分かった。水風船みたいなのは、たぶん紅薔薇の使い魔だね」

「使い魔?」

「そう。あれはあの場所にお嬢さんを連れてきた人物が、意図的に作り出した存在、僕たちは使い魔と呼んでいる。まあ、自発的に考え動く人形のような物だと思えばいいよ。次にお嬢さんが見た二人。そのうち女性の方は普通の人間、男の方は吸血鬼だよ」

「は? 吸血鬼? あの男の人が? ……そもそも吸血鬼って存在するんですか!?」



 ぽかんとした表情で、ミサトは医師を見た。いきなりのファンタジー全開な、実生活では馴染みの薄い単語に、何度も瞬きをする。



「うん。まあ、その反応が一般的だよね」

「じゃ、じゃあ、あの空間に私を連れてきたのは、あの男の吸血鬼ですか?」

「それは違うと思うよ。あそこに連れて行ったのは、紅薔薇だろう。紅薔薇は空間を個として認識し、切り離し、歪ませるのが得意だから。あ、紅薔薇って言うのは君も会ったことがる、あの赤毛の女吸血鬼。君、襲われたでしょ? 昨日」

「……え、ええっ!? れ、連続殺人犯じゃないの!?」

「連続殺人犯でも、喉元噛み切って一撃死、なかなか出来ないだろうね」



 目の前でアワアワと顔を青くするミサトとは対照的に、コーフィンは静かだった。と言うより、半ばミサトの身体にしがみついている状況だ。

 子供にはちょっと刺激の強い話だよねーと、思いながら医師はミサトに向き直る。



「だから、サガラさんが動いていたってわけ。サガラさんが所属してるのって、通称零課って言って、普通じゃない事件を捜査する部署。彼は心霊捜査官なんだよ」

「どこから突っ込めばいいのよ、もう……」

「たまにテレビでやるでしょ? 海外の心霊捜査官とか言う番組。あれの日本の警察版って思えばいいんじゃない?」



 日本にも、そんな部署があったんですね……。日頃お世話になることがないので、そんな課があったの全然知らないよ。人知れずカルチャーショックをミサトは受ける。



「そ、そうなんですか……。な、なら、レイジさんはやっぱり……」

「やっぱり、何?」



 ニンマリと笑う医師に、不気味さを感じながらもミサトは続けた。



ただの・・・何でも屋じゃないですよね?」

「……それは、彼が答えるべき質問だね。私には答えられないよ。まあ、君も薄々気付いているんじゃないかな? ――普通じゃないってことに」



 今まで一緒にいた中で経験したことを思い出し、複雑な表情ではあるが、しっかりとミサトは頷く。


 さて、目の前の彼女が、果たしてどこまで受容できるか……。

 音を立てながら扇子を広げると、医師は口元を隠しミサトを見た。



「あの……さっきいた場所で、私、人がいた部屋に入ったんです。そのとき青い光を見ました。私にはただの青い光にしか見えなかったのに、レイジさんは『見るな』って言いました。なんで、見てはいけないって言ったのか、先生は判りますか?」



 そういば、レイジに呼び捨てにされたことをミサトは思い出した。これが普通だったならきっと、つり橋効果でもあったのかもしれないが、度を越した事態に遭遇すると、そんな気が起きないのだなとしみじみ思う。

 効果の許容範囲越えだ、どう見ても。



「『見るな』、ね……簡単なことだよ。吸血鬼が持つ能力で『魅了』と言う物がある。相手の精神に干渉して、意のままに操る。それの初期行動が対象の目を見ること。見てたら君、もう家に帰れなかったかもね」

「いくら何でも、そんな簡単に人の――」

「出来るよ」



 ミサトの言葉を遮り、医師ははっきりと言い切った。

 半信半疑にミサトは医師を見る。独特の胡散臭い笑みを見せている表情からは、何を思っているのかは判らなかった。



「だから二人共、とにかく吸血鬼に会ったら、目を見たらダメだよ」

「わ、判りました……」

「ん」



 否定を出来る雰囲気でもなく、ミサトは頷いた。どうやって普通の人間と吸血鬼を見分ければいいのか、そもそもの問題にぶち当たる訳だが……。一体どうしろと?

 背もたれに体を預けて、医師はのんびりとした口調で続ける。



「ここ最近ね、吸血鬼に襲われる人が多くてねー。私は医者は医者でも、普通の患者は診ないから、結構忙しくしてるんだよ」

「やっぱり、普通のお医者さんじゃなかったんですね……」

「そうだよ。君だってもう、こちら側の世界にどっぷり両足を踏み入れてる状態だし、似た物同士だね!」

「そんな気全然なかったのに……」



 心底落ち込む表情のミサトに、足は抜けられないと思うよと、医師は心の中で同情する。



「まあ、私が診ているのは全体のごく一部だと思うし。みんな軽傷だと来ないし、来にくいよね、アレは」

「軽傷は判りますけど、来にくいってどういうことですか? 先生が治療してることを知らないから、とか?」



 理由が分からないといった顔のミサトに、医師は苦笑した。昨日治療した際にミサトから直接聞いた状況と、サガラから改めて聞いた内容を照らし合わせると無理もないなと思う。



「吸血鬼に噛まれるとね、すっごい気持ちイイんだよ」

「はい?」

「主に吸血鬼の唾液に含まれる成分が影響してるんだけどね、唾液が皮膚に触れると傷口の治癒力の上昇、それと快感が得られる。唾液には痛みを快感にすり替える効果があってね、性交渉の時と同じ、言わば性的快感だから、まあ、男女共に恥ずかしくって治療しにくいってワケ。私の所に来る以上は、事情説明必須だしね。噛みつかれた長さと人によっては、そのままイっちゃうらしいよー」



 下世話な表情で言う医師に、ミサトはドン引きだ。何故そのセリフをそんな顔で言う!?

 反射的にコーフィンの耳を塞いでおいて正解だった。コテンと首を傾げながら、どうして耳を塞いだのかとミサトを見上げる、コーフィンの純粋な瞳に胸が痛む。



「……私のとき、普通に痛かったんですけど」

「それは紅薔薇が唾液を塗りつける前に、ガブッてやったんだろうね。まだ気になるようなら消毒してあげようか?」

「謹んでご遠慮致します」



 なんだろう、医師の手の動きが卑猥に見える不思議。



「お嬢さん方は目をつけられたかもしれないし、充分気を付けるんだよ」

「は、はい」

「一応、紅薔薇は凶悪なだけで普通の吸血鬼だからいいケド……」



 凶悪に普通もへったくれもないだろうに、医師には何か違いがあるらしい。少しだけ困ったように眉を寄せる。



「吸血鬼にも、誰彼構わず襲えない奴もいてね」

「えーと、それはその吸血鬼の性格からですか?」

「そんな可愛い次元の話じゃないよ。体質的に、特定の血液しか受け付けられない吸血鬼がいるんだよ」

「……血液アレルギー?」

「ああ、それに近いかもね。そんな吸血鬼を偏食って呼んでる。偏食はね、一般的な吸血鬼のように、お腹が空いたから通りすがりの人間を頂きます。って出来ない。他の吸血鬼もそうだけど、基本的には、人間と同じように食べ物から栄養を吸収していてね、その中でも偏食は、特定の食べ物を好んで食す」

「偏った食生活の人みたい」

「まあ、いつ自分の体に合う血液が摂取出来るか分からないから、食物でも摂取効率の高い物を食べるんだよ」



 ああ、だから偏食なのかと、ミサトは合点がいった。それにしても、吸血鬼なのに特定の血液しか受け付けられないとは、ずいぶんと苦労しそうな気がする。



「そうだねえ。私が知っている偏食だと、林檎や苺にトマトかな。小耳に挟んだ話だと、ユリ根に蓮根とかもいるらしい」

「い、意外と多いんですね」

「そう言う訳じゃないよ。何故か判らないけど、偏食の吸血鬼は力の強い奴が多くてね、有名だからそういった話しが結構入る」

「そ、そうなんですか……」



 指折り数えながら、医師は言った。

 その偏食吸血鬼、全員が全員、凶悪ではないと思いたい。力が強い上に凶悪とか、それなんてラスボスですか?



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