03・扉の館

 


■□■□■



 半日もしないうちに、レイジたちはまた病院に戻ってきた。

 昨夜自宅に帰ってきたのは深夜近く。疲れのせいか病院で眠っていたミサトたちを布団に運んで、その後明日以降の予定をハツエに話していたら、あっという間に日付けは変わっていた。

 そして非常識すぎる帰宅方法を目撃したハツエから、お説教を延々と正座で聞かされて、気が付いたら空は白んでいた。


 説教の原因は、病院のロビーまで着いてきた半端者だ。仕掛けを払いはしたものの、気付くのが遅かった。やはりあの医者は、見かけたついでに追い払ってやるような親切心は持ち合わせていない。

 半端者を追い払う労力と、寝ている二人を運ぶ労力。どちらを選ぶかと言われれば、後者の方が少なくて済む。

 そして自宅に帰ってみれば、夜中に関わらずハツエが玄関の前で待っているという、想定外な事態に遭遇。お蔭であの帰宅方法を、ばっちり目撃されてしまった。その結果が長い説教である。


 さすがにここ数日まともな睡眠を取っていないと、眠くて眠くて仕方がない。そうでなくても空腹感が強くなっているのが、それに拍車をかけている。普段ならあと三週間は持つのに……予定外の消費が痛い。

 清潔すぎる空気に、あの独特の消毒液の薄まったような匂いが鼻につく。一般の外来とは離れている別棟の廊下で、誰もいないのだからと開き直って、レイジは長椅子に横になっていた。本来なら病院関係者から注意が来るだろうが、ここなら問題ない。別棟の管理責任者はあの医師だ。

 時折目を開いてはまた閉じるという、浅い眠りを何度も繰り返していた時、額に冷たい感触がした。のろのろと瞼を開けば、コーフィンが紙パックのジュースをレイジの額にあてていた。



「診察終わった。医者、持ってげ言った」

「……ああ、診察お疲れさま。ありがとう」

「ん」



 レイジが起き上がり、空いたスペースにコーフィンはちょこんと座った。目を擦りながら受け取った紙パックを見る。やはりと言うか、トマトジュースだ。



「ミサトさんはまだみたいだね」

「ん。医者言った。ミサト、保険書類手続き」

「一応これも保険適用範囲か……」



 足を揺らしながら、コーフィンがオレンジの紙パックのストローに口を付ける。

 その様子を見て、レイジは硬くなった首を解しトマトジュースを飲む。


 結局、この騒動の流れに乗るような形でコーフィンは預かることになった。警察への手続きは終了しているが、預かり先が決まるまで時間がかかるとミサトに伝えれば、これで誘拐犯扱いされないとほっとしていた。

 気にするべきことは他にもあるだろうが、まず第一が犯人にされないことだったらしい。他人を受け入れるということに、寛容というか懐が広いというか……何事にも程があるとレイジは思う。

 確かにツバメが言ったように、預かることを彼女は気にしなかったが……。どこまで視たのか、相変わらずそら恐ろしい能力だ。



「……そう言えば、君さ、どこに行くか知らないって言ったよね?」

「ん」



 ストローから口を放して、コーフィンは頷く。



「なら、何かをするために来た? 例えば、誰か人に会うとか?」

「ん。名前、知らない人に会う。グランパ、優しい人言った」

「優しい人?」

「ん。グランパ、嘘言わない」



 そう言うと、コーフィンはまたジュースを飲み始める。

 コーフィンのおじいさん曰く優しい人、とやらに会うために不法入国をすることになるとはどう言うことか?

 正規のルートで入ってきたほうが、安全だし問題もないだろうに。それとも表に出ると問題になる私生児で、記録の上では存在しておらず、パスポートが収得できなかったからか。



「……優しい人ねぇ」

「ん」

「会いに行くのに、場所を知らないのは困らないかな?」

「教えると危ない、言った」

「だから知らされていなかった、か」



 こくりと頷く。

 少しずつではあるがピースを集める。親元……この少女の場合は、グランパと言っているおじいさんか、に帰すよりは、その優しい人のところに連れて行った方がいいのだろう。

 しかし相手と場所が判らないと、どうにもならない。



「おじいさんの連絡先は、分かる?」

「……グランパ、教えてくれなかった」

「住んでいた場所はどうかな?」



 ぺこり、と少女の持っていた紙パックがへこんだ。

 俯いて黙る少女の顔を、レイジは盗み見る。あの時の感情を消した表情ではなく、必死に何かを抑えこむような顔。



「ごめん、嫌なことを訊いた。今のは答えなくていいよ」

「……グランパ、変わり者。誰も来ない。けど優しい」

「そう、いいおじいさんなんだね」



 頷いたコーフィンの頭をレイジは軽く撫でた。

 人付き合いの悪い老人と、無表情な少女。親族関係だろうと当たりはつくが、周囲との関係性に悩む。

 少女の名前を考えると、周囲はあまり歓迎していなかった? だから、離れて暮らしていたのか。これは両親のことを訊くのは地雷になる可能性が高い。

 二人して無言のままジュースを飲んでいれば、話し声とともに診察室の扉が開いた。



「ありがとうございました」

「お大事にねー、明日も来るんだけど」



 向こうも診察が終わったかと、レイジはぼんやりと思った。

 扉を閉めるミサトの手には、これまた紙パックのジュースが。どうやらあの医師は、全員分の飲み物を用意していたらしい。



「待たせてごめんなさい、終わったよ」



 鞄に茶封筒をしまい、ミサトはレイジたちの方へ歩きながら言い、



「――えっ?」



 一瞬、ミサトは何かに驚いたような表情をすると、何の前触れもなく廊下に倒れた。鞄の中身が音を立てて周りに散らばる。転がり出てきたシラタマが、鳴きながらミサトに擦り寄った。



「ミサトさん!」

「ミサト!」



 弾かれたように二人が駆け寄る。

 閉じられた瞳に、倒れたミサトが動き出す様子がない。生きているのかと嫌な予感がしたが、微かに上下する胸に、腕には脈がある。

 コーフィンがミサトの身体を揺さぶるが、その瞼は開かない。



「ねー、何か今凄い音がしたんだけ――」

「さっさと来い! 医者!」

「ちょっと、怒鳴らなくたって聞こえて……何があった?」



 ダルそうに廊下に出て来た医師は、目の前の光景に一瞬で表情を切り替えるとミサトに駆け寄る。



「何かを見たような表情をしたら倒れた」



 レイジの言葉に、医師は何を視ているのか? ミサトの身体に視線を巡らせ、やがて渋い表情になる。



「……まずい、引っ張られてる」



 医師の一言に、レイジはミサトの首筋にあるガーゼを剥がした。目に入るのは二つの小さな穴。治り始めている傷口、けれどまだ『治ってはいない』。

 レイジは小さく舌打ちをすると、上着を脱いでミサトにかける。数度深く息を吸うと、睨むように医師を見た。



「そっちは任せた」

「お前その状態で行――」

「連れ戻してくる」



 宣言するや否や、自分の額をミサトの額にピタリと重ねる。

 ぐらりと傾くレイジの身体を見ながら、



「あー。行っちゃった」



 困ったように医師は呟いた。

 ミサトの隣で、同じように倒れたレイジ。短い間に起きた出来事に、コーフィンは状況が飲み込めないらしく、何度も瞬きをして倒れた二人を見る。



「やれやれ、どーすんのこれ。干渉している間はヘタに動かせないのに」



 頭を掻きながら医師は二人ではなく廊下の先を見る。

 医師の視線の先には、申し訳程度に人の形を保っている人ではない存在が複数、身体を左右に揺らしながら歩いてきていた。きっとミサトが起きていれば、いつかの水風船人間と言ってくれたことだろう。

 彼らの姿に気付いたコーフィンが、ミサトの名前を呼びながら激しく体を揺さぶる。



「ちっちゃいお嬢ちゃん、彼女はそっとしといておあげ。今、隣のアイツが迎えに行ってるところだから」

「でも……」

「任されちゃった以上ちゃんと追い払うよ。だから君はそこから動いちゃダメ。いいね?」

「……ん」



 しぶしぶ頷いたコーフィンを視界の片隅に置いて、医師はズボンのポケットから小ぶりの扇子を取り出した。朱色の房飾りを揺らしながら広げると、ぱちりと鳴らしてまた閉じる。



「さてと。許可なく私の『場』に入ってきた以上、手加減はしないよ」



 言うなり医師は、広げた扇子を水平に振った。



+++++



 どろりと、体が沈んでいく。

 けれど水に沈むものとは違う感触。もっと粘度の高い物だ、沼の中に沈むとはこう言うことなんだろうか?

 周りは真っ暗だ。でも、自分は病院の廊下を歩いていたはず。ならなんで、こんな状況になっているんだろう?

 あの二人は大丈夫だろうか? 自分以外の様子が判らないから心配になる。


 ――ぴたりと、足が地についた。

 明るくなったミサトの視界に、ふかふかとした毛足の長い絨毯が敷かれた廊下と、異様な壁が飛び込んできた。

 精緻な細工が施された扉が、均等にずらりと並んだ壁。窓も何もない。綺麗なガラス細工の照明が、天井から辺りを照らす。百合の花が活けられた花瓶が、等間隔に飾られている。

 扉と扉の間は、その扉が開く分だけ空いているようだった。試しにミサトは一番近くの扉のノブを回してみたが、鍵がかかっていて開かなかった。



「ここ、どこ?」



 ぐるりと首をめぐらせて見るものの、まったく心当たりのない洋館だった。一本道の廊下らしく、曲がり角は見当たらない。前か、後か、どちらかに進むしかないらしい。

 とりあえず前に進めば、その内誰かに会うだろうとあっさり見切りをつけて、ミサトは足を動かした。

 その内、扉が開く部屋が見つかればいいんだけど……。


 ギシリと、床板が軋む。自分が立てた物ではないのは確かだ、後をついてくるような音。現にミサトが足を止めても、その音は鳴っている。

 他に誰かいるのか? 僅かな期待を込めてミサトは後ろを振り向いて、無言で前に向き直ると全力で走り出した。



「なんでここにあの水風船いるのー!?」



 後にいたのは、コーフィンを見つけたときに遭遇した、あの水風船のような人間だった。身体を左右に揺らしながら、ミサトの後を追って来る。何気に足が早いのが余計に腹が立つ。



「水風船じゃないですよぉー」



 しかも尋常じゃない人数に、応えた声が不気味なハーモニーを奏でる。

 一人二人ならいざ知らず、ざっと見ても十人以上はいる気がする。なんでそんなにいるんだよ! ここはコイツらの住処か何かかっ!?

 時間を稼ごうにも、道を塞げるような物はない。あるのはどう見ても値が張りそうな花瓶だけだ。



「そうだ、シラタ――しまった、シラタマ鞄の中だった!」



 どこかで手放したのか? 手元に鞄がないのだから、シラタマがいないのは当然で。

 ミサトは息を切らしながら、とにかく前に走り続けた。

 目の前に、廊下の突き当たりが見えた。壁に並んだ扉より、もっと豪華な作りの両扉がそこにはあった。


 後の水風船人間の目的は判らないが、これでこの扉が開かなかったら人生終了の予感しかしない。

 覚悟を決めてその両扉に、ミサトは体当たりをした。弾き返されるかと思った体はすんなり中へと入った。勢いに転びそうになるのを堪えて、後から伸びてくる腕を押し返すように、急いで扉を閉める。

 鍵のない作りの扉だった。だから入れたのかと思うと同時に周りを見て、手短なところにあった何かの棒をノブに引っかける。ドンドンと扉を叩く音がするが、見た目の豪華さどおり、そう簡単に打ち破られる気配はない。


 ほっとしてミサトが部屋の中に向き直れば、そこには人がいた。それも二人。スラリとした体格の一組の男女で、そしてその男女はあろうことか抱き合っていた。

 ひくりと、ミサトの頬が引き攣る。もしかしなくてもお邪魔なタイミングで部屋に入ったのは、誰の目から見ても明らかだ。

 奥には暖炉があり、向かい合うように革張りの椅子があった。テーブルの上には大きなガラス鉢に盛られた真っ赤な苺。今はどこか所在なさげだ。



「んっ……」



 肩の大きく開いた桜色のワンピースを着た女が、微かに身じろぎ声を出した。頬を高揚させながら、女は男の首に腕を回す。

 やばい、このままここにいるのは物凄く嫌だ。いたたまれない気分になるとか、そんなレベルの問題じゃない!

 男が肩に埋めていた顔を上げた。どこかで見たことのある、銀色の髪が揺れる。露わになった肩の、女の白い肌に広がる赤い色。ポタリと落ちた赤い液体が、肌の上を滑る。


 今流れた液体は、どこから落ちた? 位置的に、そう、男の口元から……。その考えに行き着いて、体が硬直する。

 赤く色づいた唇が弧を描く。男がゆっくりとミサトの方へ向き始めた時、背後の扉が派手に打ち破られた。破壊された扉の破片が宙を舞う中、ミサトは、二つの青い光に気がついた。



「見るな! ミサト!」



 耳に聞きなれた声とともに、手で視界が塞がれる。



「レ、イジ、さん?」

「正解――っ!」



 すぐ傍でする荒い呼吸音。痛いぐらいの力で掴まれる腕に、引き寄せられた体。バクバクと激しく動く心臓の鼓動が伝わってきた。



「ああ、君でしたか」



 さっき見た銀髪と同じだ。この声も聞いたことがある、それも最近。

 後に引きずられているのに、水の中を引き上げられているような感覚だった。



「なるほど、あの子の仕業か」



 目の前は真っ暗で何も見えないのに、あの男が笑ったような気がした――。



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