02・廊下での話

 


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 追い出されるように廊下に出たレイジは、低いイスに腰をかけて待っていたサガラに近付く。



「もういいのか?」

「あの子に追い出されました」



 苦笑いをするレイジに、サガラは少し前に嗚咽が聞こえてきた部屋に視線を向けた。

 二人がどういった関係なのか非常に気になるが、首を突っ込んだらヤバイと直感が告げているので諦めた。さすがにまだ、馬に蹴られてなんとやらな目には遭いたくない。どうも、そういった感じに見えないのが本音だが……。


 どこにでもいそうな雰囲気の女だと、サガラは思う。

 肩にかかる程度の長さの髪を、明るめの茶に染めているのも別段珍しくはない。すっきりとした目鼻立ちに大きめの瞳。もしかしたら、普段は明るい表情を見せているのかも知れない顔は、見た時は憔悴しているようだった。



「おや、ようやく来たのかい。まったく、あんなに泣かせちゃダメじゃないか。君って男は」



 白衣を着た痩身の男が、紙の束を持ちながらサガラの元へやって来た。ほっそりとした顔立ちに、真っ黒な髪の毛。前髪の左側の部分に一箇所だけ、白い髪が一筋走っている。縛った部分の短い髪が、後ろでちょこんと跳ねる様に揺れた。

ミサトとコーフィンの治療を担当した医師は、一度ミサトたちのいる部屋の扉を見ると、小さな瞳をニンマリさせて下世話な表情で口を開いた。



「泣かせるならもっと優しくしてあげないと。そう思うでしょ、サガラさん」

「おたくが医者でいられるのが不思議でたまらない」

「僕も何故貴方が医師業を続けていられるのか、心底不思議です」

「私は患者と偉い人の奥さんには手を出さないよ。退院とか離婚したら別だけど」



 ムフフと品のない笑い方をしながら、医師はサガラに紙の束を渡した。が、その紙を引ったくるようにレイジが奪う。

 その書類、一応公的なものなんだがなーと、紙を捲るレイジの姿を見ながらサガラは思う。



「二人共診察と治療は終了。帰っても大丈夫。彼女は見た目の割に出血量はそれほどなかったし、傷口は“治り始めていた”。経過観察として、数日通院してもらうことにはなるよ」



 ぴたりと紙を捲る作業を止めると、レイジは医師を見た。視線の意味に気付いてか、医師は含みのある笑みを浮かべる。

 続きを促すようにサガラが口を開く。



「コーフィンという女の子の方は?」

「あの女の子はMRIとCTスキャンもやったけど、異常なし。口の中を切っていたのと軽い打撲、それと擦り傷の治療」

「そうか。打ち所がよかったのか……」

「後は、証拠となりそうなものは取れるだけ取った。そんなところだよ、サガラさん」



 正式に提出するものは後日にと、医師は付け加えた。

 レイジが捲っていた紙をサガラは取り返すと、さっと視線を走らせる。この医師が、一番重要なことを最初の紙に全て書く癖はこういったとき助かる。



「で、こっちは私たちに重要な話。――彼女たち、『因子』は持ってなかった。よかったね」



 レイジはその一言に驚きながらも、ほっとしたように肩の力を抜いた。もしかしての、最悪な事態は避けられたから。

 手に持った採血管を揺らしながら、医師はレイジを見た。ゆらゆらと容器の中で波打つ赤い液体に、レイジの目が自然と惹きつけられる。つい視線で追ってしまったことに気がついて、頭を振る。



「調べたんですか?」

「普段はやらないけどね。君の知り合いじゃ、やらないワケにはいかないでしょ。それに、彼女を襲ったのは紅薔薇だし。だから傷の回復は、紅薔薇の唾液の影響」



 静かな口調でいわれた一言に、レイジはサガラを見た。そうなのかと問い詰めるレイジのキツイ視線に、サガラはたじろぎつつも頷く。



「ああ、そのことを話しておこうと思ってな。彼女には犯人の詳細は伏せておいたから」

「彼女、目をつけられてなきゃいいけどねぇ……」



 採血管を見ながら、医師がポツリと言った。



「そうそう。サガラさんに頼んでた伝言聞いたから、一応周りを見ておいたよ。半端者がいたけど、君、なにやったのさ」

「何もしてない。紅薔薇を仕留めろと頼みに来ただけだった」

「わお、すごい他力本願なお願いだね」



 本人たちが聞いたら激しく怒りを買いそうな言葉を、医師はにこやかな笑顔でさらりと言ってのけた。その表情とセリフに、僅かながらも『そちら側』の世界を知っているサガラは、思わず一歩後ろに下がった。

 というより、すぐ傍のレイジが苛立っているのをひしひしと感じ取って、サガラはさらに距離を離した。結果としてその判断は正解だった。



「ところでさー、君、まだ彼女に手を出してないのかい?」

「…………」



 今しがたきついセリフを吐いた舌の根も乾かぬうちに、医師はレイジに言い放った。

 その問いに答える代わりに、レイジは険のある目で医師を睨みつける。

 どこか鋭い寒気が突きつけられた感覚に、あれ? これもしかして殺気向けられてる? と医師は背中に軽く冷や汗をかきながら、気合でその顔に笑みを貼り付けた。



「やっぱり怖いんだ。痛がられるの嫌だ――っ!」



 風船が破裂するような音が響くと、医師がその場を飛び跳ねるように避ける。

 傍目には何が起きたのか分からないが、医師が避けたのだから、何かしらの攻撃的行動だったのだろうと、サガラは一歩引いたところから判断する。人間が巻き込まれて、無事な保障は欠片もない。



「っと! 危ないなあ」

「すみません、手が滑りました」

「滑るような手があるとは思えないんだけど……」



 服についた何かを払うように、医師が手で体を叩き始める。



「だから向こうにいたときに、紅薔薇を仕留めておけばよかったんだよ。情けをだすから面倒事が起きる」

「情けは出してない、均衡を崩したくなかっただけだ」

「王の血筋の一人ぐらい、ってしまってもどうってことないだろうに。それで崩れるのならそれまでってことだし」



 慎重過ぎるのも考えものだねと、叩き終わった体を捻りながら医師は言う。

 すぐ傍で始まった、聞く人間によっては重要すぎる内容の短い会話に、サガラは軽く目眩がしてきた。前任から引き継いだ零課。その外部協力者――レイジ。紅薔薇とり合った人物だとは一言も聞いてないぞ! 元上司!



「とにかく、今日帰るんだったらタクシー呼びな。病院にコンシェルジュはいないんだから、自分で呼んでね」

「そうします。少なくとも、貴方がいる病院は安心できないので」

「酷いな、誰彼構わず手は出さないよ」

「医療行為以外で、貴方が信用できるとお思いで?」

「できるとも!」



 きらきらと眩しい笑顔のなんと胡散臭いことか。

 諦め半分に無駄なことをするもんじゃないなと肩を落として、携帯片手にその場を離れた。病院内で携帯の使用が緩和されたとはいえ、やはり利用できる場所は限られている。

 使える場所はどこだったかと思い出しながら、廊下を歩き始めたレイジの背中に声がかかった。



「ねぇ? これいる?」



 後を向けば医師が、これ見よがしに採血管を揺らし、レイジから見れば嫌味たっぷりな笑みを浮かべる。



「いりません」

「言うと思った。そんな君には、はいこれ。あげるよ」



 医師の手から放り投げられたものを、反射的にレイジは受け取った。小さな長方形の赤いパッケージの箱は、よく飲んでいるものだ。



「空腹を我慢するのは勝手だけどさ、提供者たちの献身を無駄にするなよ」



 白衣のポケットに両手を入れて、この医師にしては珍しく真面目な表情で言う。

 手の中のトマトジュースを見ると、レイジは小さく息を吐く。神妙な面持ちで一度医師を見るも、何も言わずにその場を離れる。

 ――言われなくても分かっている。声に出さずに呟いて、控えめな明かりが灯る天井をレイジは見上げた。



「さて、私も戻るかな。仕事残ってるし」



 角を曲ってレイジの背中が見えなくなると、医師は大きく伸びをしながら言った。



「……先生、一つ、聞いてもいいか?」

「内容にもよるけど、何かな?」



 医師の口がニンマリと歪み、細められた鋭い目付きがサガラを見る。

 おどけた雰囲気は成りを潜め、どこか化け猫じみた薄ら寒い気味の悪さに粟肌が立つ。



「さっき言っていた、“因子”とはなんだ?」

「ああ、そっか。君が後任になってからまだ三年だっけ? それなら知らなくてもおかしくないか。いーよ、教えてあげる。君たち零課の人間には必要だろうしね」



 ポケットにしまっていた採血管を再び取り出し、医師はサガラの目に入るように持ち上げる。



「これが人間の血液なのは判るよね? でまぁ、紅薔薇を知ってるなら簡単だけど、吸血鬼にとってこれはご飯。生命維持の他に、固有の能力を持っていれば、それを保持し続ける為にも必要不可欠なものだ。特に能力はそれでしか補うことが出来ない」



 今度はポケットの中から飴を取り出して、医師は口に放り入れる。採血管が入っていた場所と同じ所にあった飴を舐める神経が、サガラには理解できない。



「生命維持に関しては食物摂取でも補えるけど、能力保持も含めると、やっぱり血液に勝る物はないらしい。そういった諸々の事情から人間を襲って喰べるんだけど、極稀にその吸血鬼の影響を受けてしまう人間がいる。そういった人が、吸血鬼のような能力を持つことがある」

「……影響を受ける原因が、その因子というものか?」

「理解が早いね。そう。それがあるかないかは、血を抜いて調べてみないと判らない。もし因子を持っていて死ななければ、私たちの間で言うところの、吸血鬼モドキや半端者になる。ただ、因子を持った人間が襲われたとしても、必ず影響を受ける訳じゃない。因子は影響を受けやすい要素になる、とでも言えばいいかな」



 採血管を見ながら、サガラは息を飲む。

 吸血鬼が血液を欲する理由と、人体に影響を及ぼす存在。噛み付かれれば誰彼構わず、吸血鬼へと変貌するのかと思っていただけに、因子と呼ばれるものが影響するとは予想だにしていなかった。

 死ぬか、吸血鬼になるか。それだけだと思ったら、影響を受けない人間もいるのか……。


 誰でも調べられるものじゃないけどねーと、手の中であの容器を弄びながら医師は続ける。



「半端者になれば、かなりこくなことになるだろうね。特になりたての半端者は力の使い方が把握できない分、空腹は耐えがたい苦痛になる」



 それは普通の食事では、どうにもならないのだから堪らないだろう。

 あの赤い液体が、欲しくなる。元の身体なら、吐き気を催す異常性――。

 彼らは、自分が普通の人間ではなくなったのだと、再認識させられる本能。



「彼らは常に、人間の理性と吸血鬼の本能の天秤にかけられている。飢えに耐えきれず、所構わず人を襲うようになってしまえば、吸血鬼の本能に遠からず自我を飲み込まれる。そしたらだだの“血狂い者”――。吸血鬼にも、半端者にも嫌われる存在にまで成り下がる。他にも、特定の食物に限って、多少だけどどちらも摂取することが出来る体質の“偏食”とか、内包者の“棺”とか、彼らにはいろいろあるけど、まあ、君たちに必要なのはこのくらいかな」



 人であって、人ではない。

 けれど、吸血鬼と同じようで違う身体は、皮肉としか言い様がない。


 ――ねぇ? これいる?


 揺れる赤い液体と共に浮ぶ言葉。血を欲する存在は、吸血鬼。



「……レイジは、そうなのか?」



 発した声が掠れていたのは、今知らされた事実と……この医師とレイジの会話を思い出したから。

 サガラの問いに、医師はぞっとするほど不気味な笑みを向けた。



「自分で彼に聞いてごらん。喰い殺されない自信があるなら――」



 全身が総毛立つ感覚。本能的に感じる恐怖に、サガラは気圧される。

 そして思う。

 ――ああ、やはり医師コイツも普通じゃなかったか、と。



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