■四章 01・白い建物
■□四章
既に視界の中に存在しないレイジの姿を追って、ナオトは通りを疾走した。オフィス街でも、未だ帰宅の途につく人は多い。人込みの中、気配を消して他者の意識に干渉し、道を開けさせる。
ほんのわずかに残る、細い糸のような自分の力を辿っていく。針を投げつけたときに、紛れ込ませるように打った小さな礫。自分が保有する、同族から見れば酷く劣る力。触媒がなければ使うことすらできない程の、役に立たないこの力。
『僕は貴方たちが羨ましい』
ほんの一瞬見せた、あのレイジの表情。あれは一体どういう意味だ。
自分たちが哀れまれ、蔑まれる覚えはあれど、羨ましがられることはない。事実を知れば気味悪たがれ、やがて人は離れていく。
被害者でありながら、影を歩いていかねばならない。あの男は加害者と同じだ。堂々と日の差す明るい場所を歩く、あいつらと同じ、憎くてたまらない存在。
けれど今、その憎い存在に、助力を請わねばならない。
「くそっ。居場所がないってどういうことだよ」
信号が点滅し赤に変わる。待つのももどかしい。違法駐輪していた自転車の荷台を足場に、交通量の多い交差点を飛び越す。
唯一、この身体になって安堵したのは異常な身体能力だ。保有する能力が非力であるが故に、身体能力までなければ、ナオトは生きる気力をとうの昔に失っていたはずだ。それこそ自棄になり、所構わず当り散らして、異端審問会あたりに狩られていただろう。
すっかり服としての機能をなくした袖を見る。少し前までダラダラと血を流していた腕は、今は傷口がうっすらと見える程度だ。首筋に触れてみれば、こちらも血は止まっていた。
「はー。半端者でも、こういう時は役に立つよな」
皮肉げにナオトは呟く。
レイジに繋いでいた自身の力が、ブツリと切れたのはこの時だった。
気付かれた――。
強制的に糸を切られたことで起きる、鋭い痛みにナオトは顔をしかめる。
居場所を突き止めるまでには至らなかったが、ここまで追えたのは僥倖だ。
ナオトの目の前には、総合病院の大きな看板。途中で切れてしまったが、この病院の敷地を通っていたのは確かだ――。
+++++
先に治療を終えたミサトは、精密検査を受けることになったコーフィンと別れ、この事件を担当しているという刑事から事情聴取を受けていた。
一通り聴取を終えると、目の前の大柄な体躯を持つサガラと名乗った刑事の一言に、ミサトは驚きに目を開いた。
「連続、殺人犯……? あの、女の人が?」
「そうです。最近よくニュースか新聞で見ませんか? 被害者は皆、首をかき切られていた、と言う事件です」
「……あ、あれですか」
無意識にガーゼが貼られた場所を押えた。まだ微かにする痛みに眉根を寄せる。
連続殺人事件、確か被害者は全員死亡していた。つまり自分は、文字通り生き証人となったわけだ。
……まさか顔を見られた犯人が、狙って来たりはしないだろうか。サスペンスドラマのような展開は、欠片も望んでいない。本放送か再放送を見るだけで充分だ。
サガラが伝えた事実は、一部が違うのだがそれをミサトが知る術はない。
「このような状況で捜査にご協力頂き、ありがとうございました」
「いえ、私はそれほど酷い怪我ではないので、大丈夫です。ただ、コーフィンちゃんが心配で……」
あれだけ派手に地面を転がっていったのだ。目で見えないところは大怪我をしていてもおかしくない。正直、人間がそんな簡単に転がるわけがないと思っていたが、嫌な方法で考えを覆された。
「……あのコーフィンという少女のことですが、もしかして、レイジという名前の男をご存知ですか?」
「えっと、私の知人に同じ名前の人がいますけど……」
同じ人かは判りませんがと、ミサトは続けた。もしかしてこの人、レイジが以前話していた知り合いの警察関係者だろうか?
途切れた会話の気まずさからか、なんともいえない表情になるミサトを見て、サガラは首をひねった。もし、そのレイジがサガラの知っているレイジならば、あの男が言っていた知人とはこの女性になる。
サガラが伝手を使い把握していたあの男が、女の家に転がり込んだと聞いた時、最初は己の耳を疑ったものだ。アイツに“まともな”女の知り合いがいたのか!? と。
控えめなノックの音と共に、扉が開く。サガラが時計を確認すれば、医師が許可を出した時間をとうに過ぎていた。これはお小言がくるなと、軽く肩をすくめながら開いた扉を見た。
そこに現れたのは医師ではなく、今しがた話題になった人物で……。
「ミサトさん――って、なんでサガラさんがいるんですか」
サガラがめったに見ることのない、驚いた表情のレイジが、二人を見ながら中へと入ってきた。
あ、やっぱり知っている方のレイジだったかと、ミサトとサガラは同じことを思った。
「捜査に協力してもらってただけだ」
「終わったのなら、とっとと出てってください」
取り付く島もないとはこのことか。誰が見ても苛ついていることが分かる、トゲだらけな言い方だ。
「事件のことでお前さんにも話がある……一先ず表に出てる。そっちの話が済んだら来てくれ」
「……分かりました」
横を通り過ぎるサガラの耳元で、レイジは何かを言ってからミサトに向き直った。背中越しにパタリと閉まる扉の音を聞きながら、レイジはミサトに視線を合わせる。
「ハツエさんから事件に巻き込まれたって連絡がきて……、ミサトさん大丈夫ですか? 見たところ大怪我はしてないみたいだけど……」
「うん、それほど酷いものじゃなかったよ。ただの……って言うべきか迷うけど、噛み傷だから。消毒メチャクチャされた上に血液検査することになったよ」
健康診断オールAなミサトだが、よもやこの年二度目の血液検査をするハメになるとは思いもしなかった。担当した医師がやたら感染症を心配して、押し切られた感がある。
犯人のDNAの採取から始まり、傷口の写真やらなにやらと取れる証拠は取りきると言う勢いがあった。殆んど現場で証拠になる物が残っていないのが原因らしいが、担当した医師に鬼気迫るものがあったのは怖かった。
「痛い?」
「多少は。でも最初のころより落ち着いてる」
「あの子は一緒じゃないみたいだけど……」
「別室で精密検査……コーフィンちゃんの方が、酷い目に合ってるから」
疲れたように言うと、ミサトは頭を抱えて俯く。
見知ったレイジの姿に安心したのか、急にやってきた現実感に、ここへ来てから張っていた緊張の糸が切れた。
途端、震えだす身体。ガチガチと歯が音を立てる。
「どうしようどうしよう……」
目頭が熱くなってくる感覚に、視界が微かに滲んできた。
頭に浮ぶのは、小さな身体がボールのように転がる光景ばかり。あの後普通に歩いていたけれど、大怪我をしているかもしれない、もしかしたら骨を折っているかもしれない。血だって吐いていた、内蔵を痛めている可能性だってある。
あのとき違う行動をしていたら、それこそすぐにでも逃げていたら……。出てくる言葉は後悔ばかりで。間違いなく、あのときあの子を守る立場にあったのは自分なのに。なのに、あんな目に遭わせてしまった。
「ねえ、どうしようレイジさん。あの子が大怪我してたら」
レイジの上着を掴んで、今にも泣きそうな声でミサトは言う。
「私何も出来なかった。私のせいだよ、私がもっとちゃんとして――」
「ミサトさんのせいじゃないよ。大丈夫」
その場でしようと思っても行動に出来なかったこと。それは悪いわけではない。けれど自身の無力さに、苛まれる人もいる。それが、そういった場に居合わせた人間が持つであろう罪悪感であることに、ミサトは気付いていない。
治まる様子のない震え、神経的にどんどんと冷え込んでいく体。そのからだが抱きしめられた。優しく背中を擦られる感触に、気持ちが落ち着いてくる。
「ミサトさんだって、怖かったでしょ?」
宥めるようなレイジの声音に、ミサトは腕の中で小さく頷いた。
「けどそんな状況で、あの子のことも考えていた。普通なら出来なくたっておかしくないんだから。もしミサトさんがいなかったら、もっと酷い怪我をしていたかも知れない。あの子は今、ここにいて手当てを受けているんだ。ミサトさんは、あの子を守ったんだよ」
大丈夫。そう言いながらレイジが背中を軽く叩いた。優しく叩かれた感覚に、ミサトの目から堰を切ったように涙が溢れる。レイジに縋りつくように、ミサトは泣きじゃくる。
――どのくらい経ったか? 金属が動くような小さな音を耳が拾ったとき、何か硬いものがぶつかった時のような、鈍い音が響くと、レイジの体が微かに傾いだ。それから続く、何か重たい物が転がる音。レイジが、後頭部を擦りながら足元を見ていた。
「ペットボトル?」
驚きに呟いたようなレイジの声に、ミサトは泣くのを止めた。鼻を啜りながら目を擦って、何が起きたのかと辺りを見みれば、
「ミサト、泣かせた、お前ダメ」
小脇に何かを抱え診察服に身を包み、頭にシラタマを乗せたコーフィンが、仁王立ちの如く扉の前に立っていた。レイジに向ける視線がなぜか厳しいような気がしなくもない。
「グランパ、言ってた。しょーもないことと、ロクでもないことと、古傷抉って、女を泣かせる男、後から刺されて、死ね」
「……君のおじいさんはとんでもないことを言うね」
「グランパ、昔刺された、痛かった、言った」
「まさかの経験談!?」
こんな小さい子に何を教えちゃってるの!? おじいちゃん!!
衝撃の事実である。奇しくもレイジと同じことを思いながら、まだ見ぬコーフィンのおじいさんとやらにミサトは心の中で抗議する。
「コ、コーフィンちゃん! 別に私はレイジさんに泣かされたわけじゃないからね!?」
一気に不機嫌になったコーフィンの気を逸らせるように、ミサトは慌てて訂正する。診察台の上に座り直せば、レイジが上着を肩にかけた。
「ん。分かった。ミサト、大丈夫?」
「うん、私は大丈夫だよ。コーフィンちゃんは、動いて、平気?」
疑いの眼差しをレイジに向けつつ頷くコーフィン。一泣きしたらいくらかスッキリしましたとも、とミサトは口の中でこっそり呟く。
「ん。医者、異常なし、言った」
「そっか、よかったぁ」
こっちにおいでと動くミサトの手に、コーフィンは足を動かした。
「今日は危ないことに巻き込んじゃってごめんね。怪我もしちゃったし、すごく怖かったよね」
傍に来たコーフィンの手を握りながら、ミサトはゆっくりと話し出す。
小さく首を横に振るコーフィンの頬を両手で包んだ。
「あのお菓子、警察の人に証拠品で持ってかれちゃったから、また、一緒に買いに行こう」
「……ん」
肯定を意味する短い返事にほっとして、ミサトはコーフィンの髪を軽く梳き、頭を撫でる。すり寄ってくるシラタマがくすぐったい。
少しだけ頬が赤くなったコーフィンが、レイジをキッと睨んだ。
「え? な、なんで睨むの?」
「出てげ」
わざわざ指で扉の方をさしながら、有無をいわせぬ勢いで言った。
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