05・偶然の発見
「……少なくとも、陛下と僕、それと極少数の知人は違う」
「はっ、どーだか。そう言うなら、なんでアイツらを放っておく? アレは家畜を見る目しか持ってない。歩く危険物と変わらないだろ」
「否定はしないが、連中と同じにされるのは迷惑だ」
弾き飛ばされる空気の礫を避けながら、レイジは手帳を持った手を軽く振るう。ナオトの周囲の風が、ビル風と違った動きをした。
嫌な予感に、前のめりに飛び降りたナオトの背後から、鈍い金属の音が響く。その場を離れつつ室外機を見れば、外側を覆っている金属がへこんでいた。縦に棒でもぶつけられたように出来た跡が目に入る。
「あまり使いたくはないんですよ。お腹が空くので」
「へー。さっき針を叩き落した手帳も、それ?」
「そんなところです」
あえてレイジは明言しない。必要以上に手の内を明かすつもりはないのだから。
派手さの欠片らもない、攻撃の予備動作にすら見えないレイジの動き。払うように手首を動かす。するりとナオトの腕に風が絡みつき、次の瞬間、見えない刃となって腕を切り裂いた。服の切れ端に混じって血が飛び散る。
レイジが腕を後ろへ引く。ヒヤリとしたものがナオトの首に纏わりついた。慌てて風を払いながら、その場を退き、いくつもの礫をレイジに向けて放つ。ほぼ同時にナオトの首筋に痛みが走る。手を当てれば血液に触れた。確実に頚動脈を狙っていた位置。
「あんた、なんで花嫁を見つけない」
「モテないもので」
「嘘つけ」
適度な距離を保ちながら、ナオトはレイジを睨む。
あれが、あの男の保有する能力……。隙を窺がう必要性すらない、その気になれば手を振るだけで首が落とせそうだ。
「棺がない状態で空腹を気にするなら、花嫁で補えばいいだけだろ」
「基本的に食物摂取で済ませたいだけです」
「嗜好品ではないと?」
「……さっきも言ったが、連中と同じにしないでもらいたい」
不服そうな顔でレイジは言う。
錆びついた音を立てて、屋上へ続くドアが開いた。中から出てきたのはふらついた足取りの警備員と、ヤシロ。焦点の定まっていない目をした警備員は、ドアを開けるとその場に立ち止まった。
「いやはや。屋上まではさすがにこの歳では厳しいもので、エレベーターを使わせてもらいました」
朗らかに声を上げながらヤシロが笑えば、ヤシロの足下のコンクリートが破片をばらまき、細く線を走らせながら一直線にレイジに向かう。
「後で修繕費の請求が来ても知りませんよ」
「ご心配なく、誰も気付きませんから」
鞭を打ち付けるように放たれた鋭さを持った空気を、レイジはペシリと軽く手帳で叩いた。体に纏わりつくように散っていく風の不快さに顔を顰め、手で払う。
「やはり、手を貸しては頂けないと?」
「……生憎と」
そこで切れる会話。静かな攻防、まるで止まったかのような空間。上空の強い風が吹き付ける音の中に、場違いなくらい明るい電子音が鳴り響いた。
気が抜けるようなテンポのメロディーに、思わず毒気が抜かれる。
「あ? 着メロ?」
「しっまた、マナーモードにし忘れてた。あ、すみません。僕の携帯です」
途端ペコペコと二人に頭を下げながら、レイジは携帯にでた。
「大変お待たせしました。って、あれ? 何で電話を?」
携帯片手にきょとんとした表情になるレイジ。
数分前のシリアスな空気どこ行った!? と、ナオトは顔を引き攣らせ、やや困ったようにヤシロは眉尻を下げる。二人共警戒は続けているものの、どうにも気が殺がれて仕方がない。
「ええ、今は出先で。はい、会ってませんけど。何かあったんですか? ……ええ!? 何で!? ――はい、それで無事なんですか?」
急に声を上げ表情の変わったレイジに、ヤシロとナオトは顔を見合わせた。視線だけで「なんかあの人トラブル発生?」「そうらしい」と、会話を続ける。
「場所は? いえ、大丈夫です。はい――はい、分かりました。今から行きます。……いえ、そのまま居て下さい。それじゃ、あ、はい。十分気を付けます。では、失礼します」
目の前に電話の相手はいないのに、レイジは頭を下げると携帯を切る。開いた携帯電話の液晶を見て、ボタンを操作しようと指を動かすが、レイジは途中でやめて携帯を閉じた。
するりと鞄にしまうと、二人に向き直りお辞儀をした。
「すみません、急用が入ったのでこれで失礼させてもらいます」
「あ、はい。……って、そうじゃねーよ!」
反射的に言っちまったじゃないか! と、憤りながらもナオトは慌てて止めに走る。
レイジは屋上の端に駆け寄ると、首だけを後ろに向ける。後を追うナオトとヤシロの姿が目に入った。
「僕は貴方たちが羨ましい」
「はあ? 何言ってるんだあんた」
「陛下が重用しなければ、昼の世界にも、夜の世界にも――僕に居場所はなかった」
少し前と響きの違う声音で言われた言葉に、ナオトは怪訝な顔になる。
まるで道路を歩くような感覚で、レイジは足を踏み出した。当然その先は何もない。一気に姿の見えなくなったレイジに、ナオトは屋上から下を覗き込んだ。落下したのなら、地上に着くにはもう少し時間がかかるだろうに、けれどレイジは既に地面に降り立ち、何処かへ向かって走り出していた。
――恐らく、あの電話の相手から教えられた場所。
「仕掛けはどうだ?」
「まだ気付かれてない。行ける所まで追ってみる」
「分かった。気をつけろよ」
「ああ!」
集中するようにナオトは目を閉じる。それから一度下を確認すると、ナオトも屋上から飛び降りた。
本来なら一騒ぎになっていただろう行動を取ったにも関わらず、周りは普段と何一つ変わらず静かなものだった。全員が意識していたからこそ、騒ぎにならなかった。
「やれやれ、それでは警備員さん。忘れ物は見つかりましたので、下まで案内をお願いします」
「……承知しました」
ヤシロの呼びかけに、警備員がゆっくりと動き出した。
「それにしても、一目で看破されるのは予想していなかったな」
あの、奇妙な笑い方が耳に甦ってくる。
屋上のドアに鍵をかける警備員の姿を見ながら、ヤシロは深く長い息をはいた。
■□■□■
住宅街から外れひと気の減った通りに、一台の高級車が止まっていた。時折通る通行人が、物珍しげに車体を見ながら過ぎていく。
やがて運転席の扉が開くと、中から一人の老人が出てきた。
「お疲れ様にございます、お嬢様」
軽い着地音をたててしなやかに曲る膝とは反対に、宙に広がるスカートの裾。女が姿勢を正せば、重力に従いゆっくりと元の位置へ戻った。
女をお嬢様と呼んだ老人は、手早く後部座席のドアを開く。観音開きのドアに手を掛けた状態で、再び頭を下げる。
尋常ではない跳躍力をミサトたちに見せつけた女は、呼吸一つ乱すことなく、豪奢な赤毛を手で後ろへ払いながら車の後部座席へ滑り込んだ。
「……ねぇ。棺の写真、今あるかしら?」
「こちらにございます」
座席に深く沈みこんだ女に、老人は数枚の写真を手渡す。
そのどれもがスナップ写真のようだった。アルバムから引き剥がされたらしく、裏が僅かにベトついていた。
写っているのは対照的な二人。穏やかな笑みを浮かべた一人の老人と、特徴的な猫っ毛を持つ、無表情な幼い少女。
――間違いなく、あの子供だ。
「確かあの女は、coffinって言ってたかしら」
大きな名札をぶら下げて出歩いているようなものだと、女は思った。
揺れを感じさせることなく、車が動き出す。
「使い魔が消えた原因は判明いたしましたか?」
「ええ。気配が消えた周辺、あの『出来損ない』の活動範囲だったみたいね。アイツの匂いを纏った人間が複数人にいたし、アイツが始末した可能性が高いわ」
「……出来損ないでございますか」
眉間に皺を寄せた老人を、バックミラー越しに女は見た。
何か思い出したらしく、険のある表情で女は写真の少女を睨む。
「よりにもよって棺だけじゃなくて、花嫁候補までいるなんて。一体どうなってるのかしら」
「……棺、だけではなく、花嫁もいたのですか?」
「あくまでも候補だけど。こんな無表情な棺に四六時中いられるよりは、あの花嫁の方がよっぽどマシよ!」
「さ、左様でございますか」
捜していた棺は写真通りに愛想のない性格だったのか? 女の憤り方に驚きはするが、老人は使用人の矜持として顔に出すのは堪えた。
「花嫁候補は出来損ないと接触したことがあるみたいだけど、手は出されてなかったようね。とりあえず棺か花嫁、どっちかは取れるでしょ。お兄様に連絡するわ」
「かしこまりました。ときにアビーお嬢様、この後のご予定は如何なさいますか?」
携帯を操作するアビーに、使用人が訊ねる。
「今日は特にないわ。何? どうしたのよ?」
「その、大変申し上げにくく……」
今は兄の状況が状況だからと、あえて通話ではなく、メールで文章を打っていた指を止めて、アビーは怪訝な表情で使用人を見た。
そして使用人の気まずげな表情の原因に、一つ思い至った。
「あの子たちね……」
「はい。アビーお嬢様がお戻りになられる少し前に連絡がありまして、『お土産があるので、寄り道せずに帰って来てほしい』と言伝をたまわりました」
「お土産? って、あの子たち確か浅草に行ったんだったかしら?」
「はい。浅草にて雷おこし作りの体験をし、秋葉原にて自販機が空になるまでおでん缶を購入したそうです」
「おでん缶? ……缶?」
「……はい。おでん缶にございます」
つい最近、店頭のドーナツ全てを買い占めた事を思い出し、やっぱりあの子たちだけで遊びに行かせるんじゃなかったと、アビーは軽く後悔した。
というより、何よそのおでん缶って名前の物は!?
「分かったわ。屋敷に戻ってちょうだい」
「かしこまりました」
お兄様に叱ってもらわなくちゃ。何故か頭痛がしてくる頭を押さえて思う。
画面に送信したメールの返事が戻ってきたのを見て、アビーは指を動かした。
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