02・うれしくない遭遇

 


「お前、誰だ」

「アンタには関係ないだろ。てか、これが噂のタコ人間? ただの小児性愛ペドフィリアか変態じゃん」

「お兄さん、タコ人間知ってるの?」

「あ、うん。まあな。子供のネーミングセンスって、時々驚かされるよ」



 ゆっくりとタコ人間が、腕を振り上げた。少女が想像していたよりもずっと早く、その腕が振り下ろされる。

 ビュっと風の音がすると同時に、体が引っ張られた。今まで二人が立っていた場所に、異様なまでに伸びた腕が、ムチのように地面を打ち付ける。

 ずるりと腕がもとへ戻っていくと、そこにあるのは細長く抉れた地面。



「うげ。これ直すのだって金かかるのに……」

「お兄さん逃げよう! 危ないよ! タコ人間と目が合ったら連れてかれちゃうんだよ!」

「何それ?」

「えっ? クラスの子がみんな言ってた」

「へー。独自文化が花開いた瞬間に立ち会ったわ」



 男はへらりと笑うと、軽く少女の頭を撫でる。



「振り落とされたくなかったら、しっかり掴まってること。怖ければ目を閉じてればいい。すぐにタコ人間は見えなくなるから」



 言うなりまっすぐにタコ人間を見る目は、とても真剣なもので、少女は素直に男の言葉に従った。

 大丈夫、しっかり目を閉じて掴まっていればいい。ほら、もうあのタコ人間は見えない。



「たく、紅薔薇も悪趣味だよな」

「“ご主人様”をバカにするな」



 体が浮かび上がった気がした、髪の毛が揺れている。風の音が凄い、ぐるぐると回るような感じもする。バコリと、硬い何かが砕ける音が聞こえた。ぱらぱらと小さなものが落ちている気もする。

 すぐ傍で聞こえるのは、お兄さんの息づかい――。

 ピタリと風が止んだ。



「よし。追い払ったから、もう目を開けて大丈夫だ」



 そんな男の言葉に、少女は恐る恐る目を開いた。男の腕の中で首をめぐらせて見れば、確かにあのタコ人間はいなかった。



「ホントにいない……」

「で、家の場所はどこ? 家の前まで送るから」

「えと、いないなら平気だよ」

「他にいるかもしれないから、心配なんだよ」

「……あ、あっち。あの茶色い屋根で、カエルのポストがある家」

「茶色い屋根とカエルのポストな、OK」



 きっと親に言われたことを守るかで迷ったのだろう。一瞬言いよどむが、少女は家の場所を示した。指でさした方向を確認すると男は、少女を抱えたまま高く跳び上がり、そのまま通りにある住宅の『屋根の上を』駆け抜ける。

 体にかかる風の力に驚きながら、少女は目を輝かせた。



「うわ、すごい! すごいよお兄さん! 飛んでるみたい!」

「生憎、空は飛べないけどなー」



 住宅の間にある駐車場の上を飛び越しながら、少女の賞賛に、まんざらでもない様子で男は言った。

 幸い誰に見咎められることなく、男は少女の家の前へと下り立つ。



「この家であってるか?」

「うん、ここだよ。お兄さんありがとう」

「どーいたしまして。しばらくは一人で出歩くんじゃないぞ?」

「うん。怖いのやだからみんなと帰る」

「良い子だ」



 素直な返事に男は少女の頭を撫でる。それから少女が玄関のドアを開けるのを見て、男はその場を立ち去った。

 少女を送ったときと同じように屋根の上を駆け抜け、少し前から振動でその存在を主張していた携帯電話に出る。



「すいません、ヤシロさん。ちょっとトラブルで遅れてます。――いえ、そうじゃないです。紅薔薇の使い魔を始末してたので。あ、レイジを見つけたんですか。じゃあ、場所変更ですね」



 ペコペコと携帯を片手に平謝りをしながら、ナオトは走るペースを上げた。



■□■□■



 手帳に手書きのイラストが描かれた紙を挟むと、レイジはチェーン展開されている質屋を出た。サガラの所からの帰りに、目に付いた質屋に寄ったが、めぼしい情報はなし。

 何故か行きより多くなった資料が入った鞄をかけ直す。帰りがけに、暇ならそのタコ人間もついでに調べろ! と、サガラからごっそり目撃情報の紙の束を押し付けられてしまった。

 暇といえば暇だが、現在はそれほど暇とは言いがたい。少なくとも、推定迷子少女の件は長丁場になる可能性が高い。手続きはしてきたが、預かってもらえるようになるには、こちらも時間がかかる見込みだ。



「さて、ミサトさんにどう説明するか……」

「お姫さまだったら気にしないんじゃないかなぁ」



 雑居ビルが建ち並ぶ通りの隙間から声は響いた。するりと耳に纏わりつく声に、片眉をくいと持ち上げると、レイジは声の聞こえたビルに背中を寄りかからせた。

 夕暮れ時とはいえ、差し込む明かりで見えるはずのその路地裏は、何故か暗闇だった。その中から唐突に、長い爪が目立つ腕が現れる。



「ツバメさん……」

「まったく、少し鈍ったんじゃないのかぃ。『以前の君』なら、こんなヘマはしなかっただろうに」



 文字通り暗闇から現れたツバメは、レイジを見るとニンマリ笑う。



「お小言を言いに来ただけならこれで――」

「最近、君の周りを嗅ぎまわってるのがいるだろう。そして君も気付いている」



 離しかけた背中を再び壁に預けると、レイジは腕を組む。

 その隣で、イスどころか腰掛ける場所すらない空中に、ツバメは平然とした顔で座る。



「紅薔薇の手の者か?」

「それも正しい」

「それ『も』?」



 チラリとレイジがツバメを見る。視線の先のツバメは相変わらず、感情を読ませない笑みを貼り付けたままだ。



「半端者たち……だいぶ動いているみたいだよ」

「その言い方は訂正しろ。彼らとて、好きでそうなったわけじゃない」

「それは失礼。君もある意味、耳が痛い話だからねぇ」



 言いながら、ツバメは大仰なほど丁寧に頭を垂れる。悪びれる様子のないツバメを、レイジは一瞥するだけで止めた。



「ああ、そうそう。紅薔薇だけど、どうやら棺も一緒に探してここまで来たみたいだね」

「……棺も一緒?」

「そう、あくまでもついで。本命は棺じゃないみたいだよ。月牙げつがの花嫁探しらしい。どうやら花嫁の一人がそろそろ危ないらしいねぇ」

「婚活だったら本国でやれっての」



 思わず渋い顔になってレイジは毒づく。棺探しでさえこの騒ぎになっているのに、それに輪をかけるような事態だ。

 紅薔薇の兄、月牙。花嫁を探すなら、“三十年”もあれば時間としては十分すぎるだろうに。



「そりゃぁ、向こうさんは、君と違って棺のお世話になれないんだから仕方ないだろぅ。花嫁は百年持たない」

「……ツバメさん」

「これはまた失礼。ひっひっひっ。まぁとにかく、君は周りに気をつけた方がいいよぉ。特に今は九の尾ここのおの縄張りの外で生活してるんだから。お姫さまに何かあってからじゃ遅いよぉ。こんな風にね……」



 あの長い爪のある指で、何かに気付いたようにツバメは前を示す。言葉に含むものを感じて、レイジもその爪の先に視線を向ければ……。

 目立たない方がおかしいド派手なライムグリーンのパーカーの青年と、三つ揃いのスーツを着込んだ、初老の男が立っていた。



「どうも、初めまして。私はヤシロ、隣の男はナオトと言います」



 軽く頭を下げるだけの挨拶にレイジは目を細めると、壁から背を離した。

 隣のツバメが、何か面白そうなものを見たように嗤う。

 見たいものしか視ないためと、隠されているツバメの瞳。裏を返すと、見たいと思ったものなら全て視ることが出来るとも言える。



「ひっひっひっ。君凄いよ、よく動けるねぇ」



 ぴくりと、ヤシロと名乗った男の眉が動いた。



「やれやれ、ワタシはそろそろ帰るよ。じゃぁねぇ」



 何を視たんだと問いただしたくなるところをぐっと堪え、背後の暗闇に沈むように消えていくツバメをレイジは見送る。

 神出鬼没を絵に描いたような人物で、また妙に腕が立つのが腹立たしい。まるで影のように現れて、他者を翻弄してはその姿を見て楽しむ。

 珍しく濁すことなく釘を刺されたなとレイジは思う。その意味を理解して、肉体的ではなく精神的から来る頭痛に、思わずこめかみに指を押し当てると、レイジは目の前の二人を見据えた。



■□■□■



「えーと、これで全部かな?」

「ん」



 店の入り口で、買い物袋の中身とメモを見比べるコーフィンの姿を見ながらミサトは言った。

 ハツエにしては珍しく買い忘れをしたことで、絶賛お使い中な二人組み。実際は、外に出ようとしないコーフィンを、散歩させるという裏事情がある訳だが……。

 買い物リストに横線を引き終わると、コーフィンはミサトに紙を渡した。



「それじゃ、帰るとしますか」

「ん」



 短い返答と同時にコーフィンは頷く。買い物中にコーフィンが興味を持った、お菓子の入った袋が揺れる。袋の中身はおもちゃが入った箱のお菓子、通称食玩だ。キャラクター物の指人形が入った箱がよほど気になったのか、コーフィンがガン見していた。

 一つ買っていこうとミサトが提案した後、どの箱にするか真剣に選んでいた。そしてしっかりと自分で持って歩くあたりに、ようやく子供らしいところが見られたとミサトはほっとする。

 長々とどれにするかを選んでいたコーフィンの姿に、箱の外に中身の表記がある事を言うのはさすがに遠慮したが。



「んーとさ。コーフィンちゃんは、こういうお菓子が好きなの?」

「食べたことない」

「……なんですと?」



 事もなげに言われた返答にミサトは驚く。平然とした顔でテコトコと歩くコーフィンを思わず見た。少なくとも自分がこのくらいの年の頃には、一度は口にしたことがあった。

 もしかして、この子結構いいところのお嬢様で、専属の菓子職人とかが作ったものしか食べたことない。とかじゃないよね? あんな庶民的な食事出したけど大丈夫だったかしらと、違った方向で心配になってきた。



「グランパ、作ってくれた」

「グランパ……っておじいちゃんか。そっか、おじいちゃんの手作りお菓子か」



 それならさもありなん。手作りお菓子が普通な家庭は意外とある。



「じゃあ、コーフィンちゃんはおじいちゃん子だったんだね」

「違う。グランパしかいなかった」

「あ……。ごめんなさい。わざと訊いたわけじゃないよ」

「ん」



 拙いことを訊いてしまった。慌ててミサトは謝るが、コーフィンは気にしていないのか、まったく表情が変わらなかった。



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