■三章 01・ありがたくない事態

 


■□三章



「と、言うわけで、恐らく紅薔薇が入国しています」



 スチール製の机と棚が並ぶ雑然とした小さな部屋。別名厄介事係り部屋と、不本意な呼ばれ方をする零課に当てられた場所だ。今はサガラ以外出払っていて、広く感じる。

 情報料代わりに迷子届の確認を頼んできたレイジが、被害状況の紙が大量に貼り付けられたホワイトボードを見ながら言った。

 その一言に、コピー機の前で出てきた印刷物を手に取ろうとした、サガラの動きが止まる。



「すまん。もう一度言ってくれ」

「恐らく紅薔薇が入国しています。以上」

「……希望的観測で、他の連中の可能性は?」

「そのコピーを見ても同じことが言えるなら、どうぞ」



 絞り出すように言うサガラに、丸投げな言い方のレイジ。諦めたようにサガラは大量の紙面を目でなぞり、やがて深いため息と共に天井を仰ぎ見た。

 紙面の内容は古いもので五十年前、最近のもので五日前。もっとも後者は“発見されたのが五日前”の注釈に、検死記録もないところから、本当に来たばかりの情報なのだろう。

 見事に嬉しくない内容のオンパレードに、サガラの表情が険しくなる。少し前からこちらで起きている事件と、全く同じ死因の殺人事件。ご丁寧に解剖所見まで添えられたコピー用紙の束に皺が寄る。



「最悪だ。なんでよりにもよって、イギリスで大暴れした吸血鬼が来るんだよ」

「さすがにそこまでは僕も知りませんよ」



 警戒を促そうにも限界がある現状で、何をしに来たのか分からないのは避けたい事態だ。目的の分からない連中を追いかけることほど、困難なものはない。



「とりあえず、零課の人間には銀弾あたり持たせた方がいいですよ」

「あー、上になんて報告すればいいんだ」



 頭を抱えてうめくサガラをそのままに、さらりとした表情でレイジは貼られた紙の内容を記憶していく。過去の記憶と照らし合わせた情報で、一つだけ気になる名前があった。



「あれ、この中尾って人……」

「……ああ、お前さんが鞄を持ってきた事件の容疑者だよ」

「亡くなったんですか。そして零課に来た、と」

「逮捕状持って突入したら、死体が出迎えたとさ。一応表向きには自殺で発表するだろう。詳細は悪いが話せん。ウチに回ってきた時点で予測つくだろうがな。今は検死の結果待ち。他にも、コイツの仲間三人がショッピングモールで殺されている。こっちは手口も違うんで一課が担当」



 ――報いを受けたと言えなくもないが……遺族としてはやるせないな。

 あの屋上で会った詩織には、刑事罰を受けることになると言ったが、被疑者死亡の書類送検となる結果は想定外だ。



「せめてあの世で、彼女に会わないことを祈りますよ」



 貼り付けられた、まだ荒い内容をしっかり頭に叩き込んだ頃、コーフィンを調べてもらうため外に出ていた零課の一人、ミヤハラが戻ってきた。

 情報照会に必要な記載をしたメモと粗い顔写真をレイジに返しながら、ミヤハラは口を開く。



「レイジさん。迷子の女の子、届けは出てませんでした。一応、地域課で児童相談所の記録も照会してもらいましたけど、コーフィンという名前で虐待通報記録なし。生活安全課経由で誘拐事件の問い合わせもしてもらいましたが、今起きている誘拐とは違いましたね」

「……やっぱり。どうもありがとう」



 あっちは男の子でしたと、ミヤハラが続けた。誘拐事件が起きていることを漏らして平気なのかと思いながら、レイジはメモと写真をしまう。



「それとなんですが、僕の同期に国際犯罪担当してる奴がいて、この女の子が外国人なんでちょっと訊いてみました」



 にへらと笑いながら言うミヤハラに、なんとなく嫌な予感を覚えながら、レイジは無言で先を促す。



「この女の子、入国記録、なかったです。空も海も」

「はぁー」



 名前違いの可能性もあるので、顔写真もチェックしました! と、笑顔で言うミヤハラを見て、思わず長いため息が出てきた。これで密入国が確定したようなものだ。

 それでも、あの歳の子供が一人で果たして出来るものだろうか。少なくとも、手はずを整える人物が必要なはず。

 ならば、そっちを当たっていくしかない。



「どこで見つけてきたんですか? この女の子」

「ああ、うん。知り合いが帰宅途中に見つけてね。それで、そっちで保護できそうですか?」

「あ、それ無理です」



 ニコニコしている割には、ややイラついた雰囲気でミヤハラが言った。



「今ですね、タコ人間の目撃情報が多くて、手一杯です」

「いや、何も零課じゃなくて――」

「だーかーらー、子供がそのタコ人間とか呼ばれてる不審者に声をかけられる、って言う事案が頻発してて、地域課や生活安全課、それから子供と関係ある機関大騒ぎなんですよ!」

「タコ人間?」

「そう、タコ人間」



 妙なあだ名がついた不審者に首を傾げるレイジとは逆に、ミヤハラは真面目くさった顔で言った。



■□■□■



 その周辺に居を構える子供のいる家は、ここ最近頻繁に送られてくる、学校や警察からの不審者情報メールに悩まされていた。

 登校すれば授業の始まる頃にはメールが届き、下校すれば夕暮れ時にはメールが届くという、ある意味子供の活動時間帯を、図らずも知らせる状況になっていた。


 そして問題なのが、その不審者だった。 遭遇するのは、年の頃が五歳から十歳程度の子供で、男女問わず声をかけられている。

 子供たちから聞いた話を集めていくと――大柄な男。短い藁のような髪に、赤みが強い肌。服は白の長袖のTシャツに紺色のジーンズ。どちらもサイズは合っていないらしい。ビー球のような小さな目に、分厚い唇とこれまた小さな鼻。

 ただ一つ、どの子供もまず最初に言うことが同じだった。


 ――タコ人間だと思った。


 そう、言うのだ。話によると、関節が異様に柔らかく、身体を左右に揺らしながら歩いてくるらしいのだ。

 その姿が、子供たちにはタコのように見えたらしい。

 子供の登下校時に警察が巡回するようになったものの、その不審者との遭遇が減ることはなく。異様な存在に不安がその地域を取り巻いていたが、しばらくすると、こちらが驚いてしまうほどパタリと遭遇情報がなくなった。


 ほっとするも念のためにと情報を整理してみて、調べた警察官はぞっとした。なぜなら、その地域の該当する年齢の子供、ほぼ全てに声をかけ終えたのだと、分かったからだ。

 獲物となる子供がいなかったのか、それともただ不審者の対象だった子供に声をかけるのが目的だったのか、ついぞ分からずその地域での事件は幕が下りた。


 だが、呆気にとられた一部の保護者や警察とは別に、今度はウチの地域ではないのかと、周辺が警戒しだしたのは言うまでもなく。

 そしてその危惧が取越し苦労ではなく、現実のもになるのは、騒動が収まったと隣町から連絡を受けたその日からだった。



「こんにちは。小さなお嬢さん」



 少女はその日、一人で学校から帰っていた。

 朝礼で隣町の不審者が出なくなったと聞いていたが、しばらくは集団で帰るようにと、校長先生は何度も言っていた。

 けれどそれなりに長い期間、行動に制限がついていたクラスメイトたちは、その話を聞くなりさっそく放課後遊びに行ってしまった。同じ方向の子も同じで、少女は一人で帰ることにしたのだ。



「タコ人間さん?」

「タコ人間ってお兄さんのことかな?」



 柔らかそうな体を左右にユラユラと揺らしながら、男は少女に近付いてきた。

 目を見たら、“向こうの世界”に連れていかれるらしい。と、同じクラスの女の子が言っていた。だから少女は、目は見ずにゆっくりと後ろへ下がっていった。

 捕まってはいけない、家とは反対方向だけど、友達の家がすぐ近くだ。友達は帰って来てないかも知れないけど、おばさんが家にいた。友達の家に行こう、きっとおばさんが助けてくれる。

 大丈夫、目さえ見なければ平気だもん。



「んー。きみは『棺』じゃないね」

「ひ、ひつぎ?」



 ひつぎ、とは一体何? 少女は聞いたことがなかった。



「死んでないんじゃ、仕方ないかぁ」

「し、死んでるわけないじゃん! ちゃんと生きてるもん!」

「あー。君は綺麗な目をしてるねー」

「あっ!」



 思わず言い返してしまった時に、見てしまった。あの、ビー球のような目を。慌てて目を逸らしても、もう遅い。

 どうしよう、連れて行かれてしまう……。

 じりじりと詰まってくる距離に、少女の顔が強張る。


 ――目の前が、真っ暗になった。体が持ち上げられる。

 ああ、これで向こうの世界に連れて行かれてしまうんだ。

 そう思った途端、怖くなって震えてきた。どうしよう。いつもと同じだったのに、なんでこうなったんだろう。どうして私だったの? これから家に帰って、お母さんにただいまって言って、お父さんが帰ってきたら、玄関で鞄を受け取る。それが毎日続くと持ってたのに。

 もう、それがなくなるんだと思ったら、ボロボロ涙が出てきた。



「なんで、なんで……ひっく」

「あー、とりあえず泣かないでくれる? 俺が泣かしたみたいに思われるから」

「ふえ?」



 恐る恐る少女が目を開いてみれば、そこはあのタコ人間の腕の中ではなかった。派手なライムグリーンのパーカーを着た、男の人だった。



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