07・問いかけ

 


「それで、君は寝ないのかい? それとも寝られない?」

「ミサト、何度も覗きに来る」

「あー……」



 コーフィンの短い回答に、思わずレイジは額に手を当てた。

 気になるのは分かるが、そっとしておくべきだ。特にこの子には、落ち着ける時間が必要なはずだから。そんなことを思っても、時既に遅し。



「あー、うん。彼女は君に意地悪しているわけじゃないから、その、あまり気にしないで大丈夫」



 家の中のことなら、どこにいようが分かるハツエが放置しているということは、ミサトの行動を特に咎めるつもりはないらしい。もっとも、今はほっといて後で雷を落とす可能性もあるが。



「そうだ、少しだけ質問があるんだけどいいかな?」

「ん」



 形だけとは言え、第三者がいない状況はレイジにとって実に重要だ。ミサトが側にいれば「子供相手にあまり突っ込んだ質問はしないでよ」と、牽制される可能性が高いから。



「君が、ミサトさんに会うまでどう動いたのか、覚えているかぎりを僕に教えてくれないかな? もちろん、言いたくなければ言わなくていいから」

「ん――」



 ――船を降りたら、知らない男が三人、迎えに来た。車に乗せられた、どこへ向かったのか分からない。途中でこれは違うと思って、どこかの店の駐車場に車が止まったとき、逃げた。

 車に乗ろうとしていたお爺さんグランパを見つけて、その車に隠れて駐車場から抜け出した。しばらくしたら車が止まった、すぐに降りてそこから移動した。場所は分からない。

 歩いていたら店が並ぶ通りに出た。そしたら化け物が追い駆けてきた、隠れていたらミサトに会った――。


 短い返答から続いた言葉は長かった。他人ごとのように話す少女に、違和感を覚えながらも、レイジは記憶を纏める。

 この少女の話が本当なら、虐待からの家出という線は消える。ミサトの話を聞いた当初、レイジの予想は営利目的の誘拐ではないのかと思っていた。追っていたのは変質者ではなく誘拐犯。このくらいの年齢の少女だ。そのほうが家出より、よほど信憑性があった。

 それらをはるか遠くに吹っ飛ばす話に、これならば聞くんじゃなかったと、レイジが後悔してももう遅い。


 下手をしたらこれ、国際問題に発展しやしないだろうか。

 そして、ミサトが全くコーフィンから話を訊いていないという、ある意味で問題な事実も発覚した。レイジが聞いた話は、ミサトが遭遇した話でしかないということだ。よくもまあ、一切の事前情報なしで家に連れて帰って来れたものだと、呆れを通り越して感心してしまう。



「船に乗る前の話は分かるかい?」

「んん」



 今度は短い返答で進んでいく会話。メモをとることなく、動揺しつつもレイジは、回答と質問に対するコーフィンの反応を記憶していく。



「知らない人が迎えにきたのに、おかしいと思わなかった?」

「会ったことがない。迎えに来ると聞いた、だからそうだと思った。でも違った」



 淡々と答えられた質問に、自然とレイジの視線がきつくなる。この少女は何も知らないまま、ここに来たわけではない? 迎えにきた人間への違和感と、その後の行動。どうにもちぐはぐな気がしてくる。



「そう。なら船の中で、どんな客室にいた?」

「んん」



 否定を表す動作。

 船に乗っていながら、客室で過していないとはどう言うことか?



「客室ではなかった? ……まさかとは思うんだけど、貨物室、にいたりした?」

「ん」



 肯定の意味で縦に動いた首に、レイジは眉間にシワを寄せた。まともに考えなくても、密入国に行き着く。思いつくのは、人身売買や臓器密売の類。バラすと持ち運びと時間に制限がつくからと、あえて人のまま運ぶことすらあると聞く。



「どこに行くつもりだったの?」



 子供相手に向けるつもりはなかったが、無意識に鋭くなったレイジの視線。その視線に動じることなく、コーフィンは感情のない瞳で返し――



「“知らされていない”」



 コーフィンの口から出たのは、低い声音の一言。

 唐突に変わった雰囲気、視線は確かにレイジを見ている筈なのに、姿の映らない瞳。冷たく閉ざされた心を表したように、感情を消した表情。

 一瞬、ぎくりと体が固まる。



「…………知らないと? 海を越えているのに」

「ん」



 爪でカリカリと引っかかれるような感覚。

 まただ、また、記憶の中の何かがざわつく。



「化け物が何か知っている?」

「知らない」

「どんな人かも分からない?」



 首が縦に振られた、肯定の意味。

 ――化け物。


 ミサトはそれを変質者と言い、コーフィンはそれを化け物と言った。この違いは一体なんだ? 

 ……もしくは、ミサトは上手く表現する言葉が出てこなかったのか。化け物という言葉と意味が、すんなり直結しなかったのかも知れない。

 コーフィンが、微かに腕を震わせた。



「ああ、長く引き止めてごめん。それと嫌なことを思い出させちゃったね、平気だったかい?」

「ん」

「そっか、質問に答えてくれてありがとう。もうこんな時間なんだし、君も寝た方がいい」



 一度頷くと、コーフィンはレイジの袖を掴んだ。



「どうしたの?」

「……トイレ、場所どこ」

「……ああ、トイレね。この廊下をこっちに進んで、突き当りを右に行けば、お風呂場の隣にあるよ。明かり、点けておこうか?」

「平気」



 レイジの袖から手を離すと、コーフィンは暗い部屋へ視線を向けた。暗がりの中、パソコンの周辺だけが僅かに明るい。



「トマト、好き?」

「うん、トマトは大好きだよ。君は?」



 机の上の、パソコンの明かりで、仄かに浮かび上がる赤い色はいっそ不気味だ。



「……血の味のするものは、嫌い」



 コーフィンは不機嫌そうに眉根を寄せて言うと、驚くレイジを気にすることなく廊下を歩き出した。

 突き当りを右に曲った所を確認すると、レイジは苦笑しながら部屋を見る。



「血の味のするものねぇ……、例えが凄いな」



 これからサガラにどう説明すべきか。資料を纏めながら、レイジは思案に耽る。

 さして大きな声ではないが、大方今の会話は全て、ハツエの耳に入っているだろう。それで何を言ってくるわけでもないので、捨て置かれたらしい。


 ミサトがこの会話を知ることはないだろうし、ハツエもミサトにする気はないはずだ。その点においては、今までの生活の中で確認できている。そうでなければ、ミサトがレイジの仕事内容を知らない訳がないのだから。

 故に、いくらミサトがハツエに隠し事をしても、この家の中では実質不可能。コーフィンが片付けを手伝っていた、あの時の会話すら筒抜けになっている。



「……haunted house」



 まさに、幽霊屋敷。

 家に憑き、人を見る。

 心地良い空間を荒らしに来る『部外者』は、立ち入ることすら許されない。



「……そういうわけですから、あの子の安眠確保のために、ミサトさんに釘を刺した方がいいですよ」



 廊下に向かってレイジが言った。何の言葉も返ってこないが、レイジの視界の端、襖の陰から、微かに動く着物の裾が見えた。

 寝ることすら意味のなくなったハツエには、この時間はある意味退屈なのかも知れない。そんなことをふと、思う。

 それから少しして、軽い足音が聞こえてきた。コーフィンの足音は、今度は部屋の前で止まることなく通り過ぎる。



「暗闇の中、よくもまあ平然と歩けるねえ」



 姿の見えない襖の向こうを意識して、感心したようにレイジは呟いた。

 サガラに見せる資料をパソコンに打ち込みながら、レイジの片手がトマトへと伸びる。赤い身を手のひらで弄びながら、打ち間違いがないか確認して行く。

 USBメモリーにデータを移動させている間に、手に持ったトマトをかじる。



「……美味しいのになぁ」



 直前の連絡でも、向こうも問題ないだろうと踏んで、広げた手帳の明日――すでに今日になっているが、日付に予定を入れる。



「やれやれ、重なる時は本当に重なるな」



 手帳の備考欄が、珍しく文字で埋まっていた。そこにさらに、「ミサトから、推定迷子の家探し。依頼料受け取り済み」とレイジは記入する。

 普段もこのぐらい仕事があればいいのにと、レイジは一人愚痴りながら、トマトのヘタを皿の上に置いた。



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