06・正論とお説教
「人助けは善いことだけどさ、犬や猫じゃないんだから、気軽に連れてきたらダメだと僕は思う」
「うっ……。けど非常事態だったし」
「うん、確かにそうだね。だったら尚更、それこそ分かる場所の交番に駆け込むべきだったよね。なにも近場じゃなければ対応しない、ってことはないんだから」
「だ、だって警察嫌がるし……」
「だとしても、あっさり連れてくるのはどうなのかな? 一時の親切心が後になって、大問題になる事だってあるんだよ」
正論だ。まごうことなき正論だ。ミサトに返す言葉はない。 非常事態、否、異常事態だった。それを踏まえた上で、コーフィンを警察に連れて行くのに、実はミサトに躊躇いがあった。
変質者とは名ばかりの生物に追い駆けられたと説明して、担当した警察官が信じてくれるのか? と、僅かながらに思ってしまったから。
最悪「どうやらお疲れみたいですね」と笑顔で返されるんじゃと、門前払いの想像が出てきた。
また、交番へ行こうと説得するミサトと、それを拒否する少女。その繰り返される同じ問答を目撃していた通行人の目。彼ら全員が事情を知らないとはいえ、やはり精神的に堪える。
それら諸々に耐えかねて、ミサトは考えていた選択肢の、最後の一つを選んでしまった。
「……すみませんでした」
「それを言うのは僕じゃないでしょが」
「ごもっともです……」
「まあ。ハツエさんが『家に迎え入れた』から、大丈夫だとは思うけど」
確かに、ハツエは「お上がりなさい」と言った。害のあるものは敏感に感じ取れるらしいハツエが、家に上げたのだ。
「ただまあ、基本的にハツエさんはミサトさんの意見を一番にしているから。ミサトさんが連れてきた場合、ほぼ家に上げるだろうし」
「え!? 何それ、なんか責任重大な一言に聞こえるんですが……」
裏を返せばミサトが連れて、又は持ってきたものは、どんな危険なものでも家に入れると言われたようなものだ。
「あれ? 今まで気付いてなかったの? ハツエさんは家主の意見を尊重していたよ」
「……ぜんぜん気付いてなかった」
「よっぽどでなければ、家から追い出すこともないだろうし」
つい先日庭に隠れていた空き巣が、それはそれは恐ろしい目にあって追い出されていたのだが、その一件は二人の預かり知らないことである。
「僕が家に入れたのだって、ミサトさんが連れてきたから、だと思うし」
「なんか、おばあちゃんに迷惑かけた気がする」
「これを機にちゃんと反省して、不用意に変なものを連れてこないようにするしかないね」
「そうか、変なものの中にレイジさんもいるのか」
「……そこは不服を申し立てる。僕は除外してほしい」
ちゃんと家賃代わりの生活費入れてるのに、酷い言われようだ。と憮然とした表情でレイジは言った。
盛大なため息が、ミサトの口から出てくる。いろいろと行動を省みると、反省しなければならない事だらけだ。頭を抱えてミサトは再びテーブルの上に突っ伏す。いっそこのままめり込んでしまいたいぐらいだ。
「あああ~~~。どうしたらいいのさ」
「悩むなら最初から連れてこなきゃよかったのに」
ミサトとは対照的に、レイジはドライな反応だ。仕事柄いろいろな人間模様に触れる機会が多いレイジから見れば、ミサトはまさにお人よしの一言に尽きる。
ハツエがいなければ、今頃何かの詐欺に引っかかっていたんじゃないのかとさえ思ってしまう。
「警察は嫌みたいだし。レイジさん警察関係に知り合いいるんでしょ? あの子の親御さんに連絡取れないかな?」
「……難しいかな。個人情報とか関わってくるし。一応地域課か生活安全課あたりに、訳ありの迷子の子供を預かってる、って話してもらうしか手がないかな。それで何かしらの連絡や届けとか出てるなら、すぐに話がつくだろうけど」
レイジの答えは最もだ。個人情報が云々と騒がれる昨今、いかに警察といえどもおいそれと話すわけがない。
「もしくは児童相談所だろうけど……まず警察でいいと思う。こんな子供を見つけましたって届けでを出して、身柄を預けるくらいしか出来ることはないよ。後は行政機関がやることだし」
「ですよね……」
どうにかしたいと思っても、ままならない現実にもどかしさを覚える。
「とりあえず明日、知り合いの警察の人に話をするよ。子供が関わるなら行動は早いと思うし。何かの届けが出てるかどうかは割と早く分かると思う」
「よろしくお願いします」
「依頼料のトマト分は気合入れてやるよ」
「ずいぶんお手軽な気合で」
レイジがいつもの手帳を持ってくるなり、何かを書き始める。
ご面倒をおかけします。レイジの様子を見て、ミサトは深々と頭を下げた。
+++++
すでに住人の寝静まった深夜に、レイジは間借りしている部屋で一人作業に勤しんでいた。部屋の明かりは点いておらず、カーテンの開いた窓から入る月明かりのみで作業を行う。室内で唯一光を発しているのは、机の上のモバイルPCのみ。
開いた手帳と紙の束を見ながら、文字を打ち込む。画面の明かりがあるといえ、普通の人間ならばパソコン以外の文字を見るには、困難な状況。けれどレイジの視線は、まるで明かりが点いているときと変わらずに動いていた。
知人から手に入れた入国記録と書かれた名簿をなぞり、そして再度画面を見た。
紙の資料と、名前らしき文字が並ぶ画面と睨み合いを続けるという、地味な作業を黙々と続けること数時間。渡された名簿を全て捲り終えると、レイジはトマトに齧りついた。
「さりとて、名簿に名前がなくても、連中なら入国する方法は腐るほどある」
さてどうしたものかと、眉根を寄せる。
サガラから渡された資料の中に入っていた、人に見せるには著しく問題のある写真に、レイジは平然と目を向けた。ニ件とも同じ死因の解剖所見。噛み千切られた痕は同一のもの。ただしそれは動物の類によるものではなく、限りなく人間のものに形状が近い。
――恐らくあの地下鉄の男も、これと似たような所見になるはずだ。
「初めての国に来て、少しはしゃぎ過ぎている感があるな」
マウスを操作し、パソコンの画面を変える。新たに表示されたのは、タイトル代わりの日付と地名。それらがぎっしりと画面を埋め尽くしていた。その中の一つを開く。
現れたのは、サガラから渡された資料と似ていた。僅かな違いは写真の画像と、地名が国外ということ。
「念のため、連絡を入れるべきか……」
水風船が人間の形になったような変質者。腕が千切れても叫びもなにもなく、その切り離された腕はしばらくすると灰のように消えてなくなった。どちらかと言うと、変質者というよりは化け物の方がまだしっくりくる。
できれば遭遇した話を、コーフィンからも訊ければいいのだが……。どうにもミサトには、抵抗があるらしい。気持ちは分からなくもないのだが、それでは話は進まない。
綺麗にヘタだけを残してトマトを食べきると、果肉から出た汁のついた指を舐めとる。
「はぁ……本当に甘いな、コレは」
もう一つのトマトに、レイジが手を伸ばそうとしたとき、軽い小さな足音が耳に入った。その音は戸惑う様子もなく進むと、レイジの部屋の前でピタリと止まる。しかし、それから先に続くものがない。レイジに用があるのなら、声をかけるなりノックをするなり、何かしらのアクションは起こすはずだ。睨むように襖を見るが、動く様子はなく。
そして何よりレイジが戸惑ったのは、襖の向こうに気配を『感じない』ことだった。足音から考えても、襖の前にいるはずなのに。
音の感覚からみても子供のものだ。今、この家にいる子供は一人しかいない。ハツエならばこんなまどろっこしいことはしないだろうし、ミサトに至ってはさっさとノックをしているはずだ。
しばらく見ていても変化を感じられず、仕方なくレイジはトマトを諦め、襖へ向かい静かに開けた。
開けた先には誰もいないが、視線を下に動かせば、フワフワとした猫っ毛が目に入った。予想したように部屋の前にいたのはコーフィンで、レイジを見上げるように首をそらせている。
「寝られないのかい?」
「寝ないのか?」
レイジが屈んで視線を合わせながら言えば、コーフィンも同じように問い返す。質問に質問で返す様子に、やはり自分から進んで話す気はないらしい。
「まだ仕事中でね。キリのいい所で終わりにするよ」
「明かりもないのに?」
「僕は夜目が利くんだ」
レイジの回答に納得したのか分からないが、コーフィンの中では疑問は解消したらしく一度頷く。
もっともレイジからしてみれば、明かりの一つもない廊下を平然と歩いていたコーフィンもどうなのかと思うが。
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