03・訳あり少女

 


 来た時と同じように帰れるか不安だったが、帰りは何の問題もなく、ミサトが最初迷っていた商店街に戻った。

 エコバックを前カゴに入れて走る自転車を避けて、両隣から聞こえてくる店員の声を耳に入れながら、人の間をぬっていく。

 そのままバス停のある場所まで戻ろうとして、ミサトは気がついた。


 夕暮れ時だ、それも商店街だ。普通なら今のように人で溢れているはずの通りが、何故、ミサトが来た時はがらんとしていたのか。

 背中に、寒気がした。


 ――『こんな所』を女の子一人で歩かせるなんて。


 ツバメが言った『こんな所』とは、ひと気のないこの場所のことだったのか。必要な人が行ける店とは、それこそ空間が違う場所の店で。目的を持っていなければ、そこへ向かう道すら現れない店。



「あそこで会った人たち、人間だったのかしら……」



 狐や狸に化かされた人は、皆こんな感じだったのだろうか? 頬を引き攣らせながら正面に向き直る。

 来たときと同じように、否、来たときと違う人込みの中を抜ける。腰の高さほどの小さな食堂の看板の横を抜けたとき、ミサトはその奥に何か見たような気がした。

 思わず足を止めて、数歩後ろに戻る。


 食品サンプルが並ぶケースの前にある看板、その横に人が通れる細い道があった。無造作に置かれたポリバケツや発砲スチロール。青い大きなポリバケツに隠れるように、微かに、薄い茶色い何かが見えた。

 目を凝らして見れば、それは髪の毛のように見えて、ゆっくりと近付きバケツの後ろを覗き見れば、一人の小さな女の子が、隠れるように座っていた。



「あなた、どうしたの? 具合が悪いの?」



 屈んで視線を合わせるミサトに、少女はビクリと体を震わせ、それから窺がうようにゆっくりと顔を上げる。

 歳は小学校に上がるくらいだろうか。端正な顔の頬には汚れがつき、柔らかそうな髪もところどころ絡まり、汚れで固まっていた。元は綺麗なワンピースだったのだろうそれは、泥水を吸った後が目立ちシワだらけだ。

 少し考えなくても、何かがあったらしい想像がつく。



「お母さんか、お父さん、一緒じゃないの?」



 少女は首を横に振った。

 これから夜になる時間に、子供が一人で出歩く。そして親は一緒ではない。

 虐待、誘拐、事件事故――そのどれかで、この幼い子供は逃げてきた。


 迷子ではないと、ミサトに判断させたのは少女の姿。酷く怯えた様子。表通りからは見えないように身を隠し、それでも時折ミサトの背後を注意深く窺がう。

 鞄から携帯を取り出して、警察の番号を押す。どの道迷子であっても、この少女を連れていくのは交番になる。もし事件に巻き込まれたのなら、尚更、警察を頼るべきだ。一般人ではどうにもならない事もあるのだから。

 ここの交番の場所が分かれば、そのまま連れて行けたのに。ボタンの音を聞きながら奥歯を噛む。


 間違い様のない三桁の番号を確認して、初めての通話先に緊張しながら通話ボタンを押そうとしたとき、ミサトの腕が下に引っ張られた。

 視線を携帯から少女へと移動させると、少女はどういう訳か激しく首を横に振っていた。



「警察に連絡したらダメってこと?」



 こくりと頷く。そして、ジッとミサトを見つめる。



「えっと、じゃあ、あなたのお家は? 私が送っていくから」



 今度は首を横に振った。

 その拒否の動作は、家の場所が分からないのか、帰りたくないのか、それとも――帰るべき家がないのか。出てきた考えのどれもが、出来ることなら避けたい選択肢だ。



「弱ったなぁ。ぎゃく……色々あって家を出たなら、警察か児童相談所向きだろうし」



 目の前の少女に聞かせるには抵抗のある単語を途中で言い替え、少女を見ながら困ったように呟く。

 少なくとも見た目の年齢的には、家の場所が分からないというのはないだろうと思う。断片でも住所ぐらいは覚えていてもいいはずだ。

 だとしたら……そこまで考えて、頭に、ある人物の顔が浮かんだ。



「そうだ。レイジさんに頼めばいいんだ」



 職業・何でも屋が同じ屋根の下にいたじゃないか。しかも当人は警察関係に知り合いもいる。レイジにこの子を自宅まで送ってもらえば万事解決……にはならないかも知れない。



「いかんせん、家に帰りたくないのかが問題だ……」



 う~んと唸りながらレイジの番号を表示し、通話ボタンを押したミサト。

 ミサトがレイジと言った時、少女の目が大きく開かれた。



「もしかして、レイジさん知ってるの?」



 表情の変わった少女を見てミサトは訊くが、少女は何も答えず。ただ、掴んでいるミサトの袖を強く引っ張り出した。袖を放しミサトの腕を掴みながら立ち上がり、焦るように奥へ行こうとする少女を、ミサトは咄嗟に呼び止める。



「ちょ、ちょっと!?」

「あー、こんな所にいたんだね。ずいぶんと探したよ」



 そんなセリフと共にミサトの右肩から背中に、圧しかかるような重みがくる。僅かに動いたソレは、人のものとは思えなかった。柔らかい水風船。それも、水が大量に入っているものだ。それが背中に乗っている気がする。



「お兄さんとはぐれちゃだめじゃないか。迷子になってしまうよ」



 それに耳元から聞こえてくる言葉。薄い壁一枚を隔てたような篭もった声。



「さあ、お兄さんと一緒に行こう」



 するりと、右肩から右腕へと感触が動いていく。ぞわぞわと鳥肌が立つ。まともな人間なら、こんな蛇が這っていくような動きはしない。

 ミサトの腕を掴む少女の手が、震えているのに気が付いた。目の前の少女は明らかに後ろの男を怖がっている。

 今、この少女を安全な場所に連れて行けるのは自分だけなんだ。


 ――ミサトは深く息を吸うと、持っていた鞄の角で、後ろにいるであろう男を思い切り叩く。

 クラゲを殴るとこんな感触なのだろうか? 当たった感触は、やはりというかグニャリとしていた。手応えらしきものはあったが、ダメージになったのかミサトには分からない。

 それでも男の体が離れた瞬間、ミサトは少女を抱えて一目散に走り出す。


 狭い路地を、脇に並ぶ物にぶつかりながら駆け抜ける。突き当たりが行き止まりでないことを祈りながら、商店街を出る方向へ曲る。

 避けようとした空き缶を蹴り飛ばして、壁際にあるママチャリに「駐輪場に置きなさいよ!」と悪態をつきながらミサトは進む。

 ちらりと後ろを振り向いて――



「ひっ!」



 見るんじゃなかったと、ミサトは激しく後悔した。

 水風船を人型にして、服を着せたらああなるのか? サイズの合っていない服に、関節の位置が明らかにおかしい体。僅かな凹凸があるだけの顔は、位置的に鼻だと分かる程度。ビー球が嵌っているかのような目に、どうやって声を発しているのか謎な口。藁のような髪に、赤みがかった肌の色。


 それが、軟体動物の如く体を左右に揺らしながら追い駆けてきている。

 はっきり言おう、子供でなくても夢に出てきそうなフォルムだ。



「いやー! キモイ! 超キモイ!」

「酷いですよー。気持ち悪いなんてー」

「あれ知能あんの!?」



 ぎょっとしながら前に向き直り、そういえば迷子を捜している兄のような言葉を発していたなと、思い出す。

 けれど、どんなにまともそうなセリフを吐いても、あの見た目では怪しさ全開しかない。そもそもアレは人間なのかと訊きたい!



「マズイマズイマズイ。早くバス停行かなきゃ。あああ! でもバス着てなかったらアウトだー!」



 いざとなったら怒られること覚悟で駆け込み乗車しかない。ダメならタクシーだ。

 ミサトが抱えていた少女が、急に横へと手を伸ばした。



「ちょっと、危な――」



 危ないからとミサトが言い終わる前に、大量の発泡スチロールとダンボールが後ろへと崩れ落ちた。箱の一つには空き缶が入っていたらしい。軽い金属音が転がる音が聞こえる。

 いかに空箱とは言え、大量の箱は狭い道を完全に塞いだ。



「ぎゃー! 大惨事になってるー!」

「あー。こんなに散らかしたらダメじゃないですかー」



 思わず足を止めそうになるが、崩れた空箱の向こうから聞こえたあの間延びするような声に、ミサトはハっとし後ろ髪を引かれながらも前へ進む。



「ううう。ごめんなさーい、商店街の皆さーん」



 逃げたい、一刻も早く現場から逃走したい。追跡者から逃げるよりも、この惨事を引き起こした現実から。

 大人の対応としては間違っているが、今は緊急事態なので許してください。後で商店街のゴミ掃除とか、ボランティアで行きますから!



「早くバス停着いてー! 出来ればバスが停まってる状態で!」



 そう叫んだ時だった。突如として狭い道が開け、車が走る二車線道路が目の前に現れた。

 そしてそこには、行きがけにミサトが降りたバス停と、まさに今停車し、乗客を乗せているバスが一台停まっていた。



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