02・手段と目的
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仕事終わり、薄暗くなってきた細い通りをミサトは歩いていた。自宅とは反対の方向になる目的地は、一昔前の下町風情を残す地域だった。
ただし、風情はあれどもひと気はなく。通りを歩くミサトとすれ違う人はいない。商店街のシャッターは開いていても店員はいないという、防犯上大丈夫なのか心配になる状況である。
「うう。全然見つからない」
かれこれ一時間ほど商店街の通りを彷徨っているわけだが、該当する店らしきものは影も形も見当たらなかった。
こっそりため息をついて、ミサトはあの紙を見た。レイジが描いた地図だが、大雑把にも程がある。本人も行ったことがなく、前のアパートの管理人に口伝てで聞いただけと言う情報は、今のミサトには不安しかあたえていない。
「この地図見ても、この辺りのはずなんだけどなぁ」
ようやくすれ違った、近所に住んでいるであろう小柄な老人に聞いても、知らないと言われるばかりで挫けそうになる。
「おやおや、お嬢さん。どうやらお困りのようだねぇ?」
絡みつく、ぬめるような低い男の声が、耳に入った。驚きにビクリと肩を跳ねさせて、ミサトはゆっくりと振り向く。
――蛇みたいな人。
その人を見て、真っ先に頭に浮かんだ言葉。別に、その人が蛇のようにクネクネと体を動かしている訳じゃない。ただ、この雰囲気と言えるものが、爬虫類のソレと似ているように感じた。
「どうしたんだぃ? さっきからキョロキョロしていたけど、もしかして迷子さんかなぁ?」
ひんやりと感じる空気は、周りが暗くなったからだと思っていたい。顔を引き攣らせながら、変な人に絡まれてしまったと激しく焦る。
「そろそろ帰ったほうがいいよ。この辺も最近は物騒だからねぇ。帰り道が分からないなら教えてあげるよ」
目の前の人は、夕闇に染まった長い黒髪が顔の半分を隠していた。ジッとミサトを見ているのだろうが、果たしてこの人には見えているのか?
瞳があるであろう場所は、黒い色に銀の刺繍が施された布に覆われていた。目隠しをしている状態で、いったい何が見えるのか?
それでも視線をめぐらせているらしく、瞼の辺りの布が動く。顔を傾げると長い爪のある指で、ミサトが持っている紙をさした。
「そのお店に行きたいのかぃ?」
「え? このお店、知ってるんですか?」
「うん、知ってるよ。久尾和物雑貨店は色んな物を置いているからね。それが必要な人が行けるお店だよ」
「……レイジさんと似たようなこと言ってる」
ミサトの一言に男は傾げた首を、反対方向へコテンと傾けた。口元に指を持ってきて、ニンマリ笑う。
「レイジ君の知り合いだったのかぃ。まったく……“こんな所”を女の子一人で歩かせるなんて、駄目だねぇ」
「あのー、レイジさんの知り合いデスカ?」
ひっひっひっと不気味な笑い声までついた笑い方に、後半が思わずカタカナのような発音になってしまった。だが、怪しさ全開の男を目の前にして、悲鳴を上げないだけましだ。
「うん、知り合いだよ。ワタシは占い師のツバメ。お姫さまは何て言うんだぃ?」
「あ、えっと、ミサトです」
「うん、わかった。お姫さまだね、よろしく」
「…………」
聞いておきながら、名前で呼ぶ気はないらしい。呼ばないなら聞くなよと、言いたいところだが言い返せない自分が悲しい。
「そのお店はアッチだよ」
そう言いながらツバメが指さす方向は、かなり早い段階でミサトが一度行った道だった。
「そこの道、もう行った所なんですけど……」
「その時はお店が必要であって、お店にあるものが必要じゃなかったからだよ。お姫さまは手段と目的を間違えたから行けなかったんだよ。今度は行けるよ」
「はぁ……」
「じゃぁねぇ」
ぷらぷらと手を振りながら離れたツバメが、途中で足を止めるとミサトに振り返った。
「ああ、そうだ。帰りに落し物を拾うから、大事にするんだよぉ?」
「……落し物?」
占い師らしく意味深めいたことを言って歩き始めると、今度こそツバメは振り返らなかった。
必要な人にはすぐに辿り着けるはず。
そう聞いていたし、ツバメにも似たようなことを言われた。目的が店ではなく店の商品。商品を買うための手段がお店。つまりは、『店が必要ではなく、店にある物が必要な人には』、すぐに辿り着ける。そんな言葉遊びのようなことで現れる店であると、いったい誰が思うか。
少し前に歩いた板塀が並ぶ道を進んで行けば、目の前に古めかしい建物が見えてきた。
「嘘。さっきはなかったのに……」
時代劇でしか見ないような作りの日本家屋。淡い橙色の光を放つ提灯が立てられた入り口。
瓦屋根に立ててある『久尾和物雑貨店』の看板は、ミサトが探していた店の名前と同じものだ。
および腰になりながら、ミサトは入り口の小さな暖簾をくぐった。
中は、物でごった返していた。それも季節感などお構いなしで。ただ見るからに和物ばかりが並んでいるので、和物雑貨店の名に偽りはないらしい。幸い足の踏み場はある店内を、薄手のジャケットの裾を引っ掛けないようミサトは進んで行った。
これで探し物とかするとなると、見つかるのかと他人事ながら心配になる。
「おや、お客さんがいらっしゃるとは」
店の奥から、袴姿の小さな少年が箱を幾つも抱えながら現れた。レジ代わりらしいそろばんのある机に丁寧に箱を置くと、少年は頭を下げた。
「いらっしゃいませ。お客さまをお出迎えもせずすみませんでした、ちょうど奥から物を出していたものですから」
「いえ、お構いなく。あの、探し物をしているのですが、白粉はこちらで取り扱っていますか?」
「白粉ですか? ええ、扱っていますよ。持ってきますね」
にこりと、邪気のない笑顔にミサトもつられて笑顔を返す。少し前のあの不気味な笑い方が吹き飛ばされる。
やっぱり笑顔ってこうだよね。あのオバケ屋敷にありそうな笑い方はナイナイ。それにあの子かわいいし。
そこまで思ってハタと気付く。確かレイジは、管理人の家族が経営している店と言っていたはずだ。と言うことは、この小学生に見える子が店主? 踏み台を使いながら、薬箪笥の引出しの一つを探っている少年を見る。
「あの、こちらのお店は、ヒフミさんという方が店主をしていると聞いたのですが……」
「ええ、そうです。ヒフミはただいま席を外しておりまして。もしかしてヒフミに御用がありましたか?」
「そうじゃないです。ただ君が店主なのかなって」
「いえ、僕は手伝いをしているだけですから――あった」
きちんと元の場所に踏み台を戻してから、少年はミサトに箱を手渡す。中を開けてみれば、桔梗の花が描かれた漆塗りの器が出てきた。
「最近の若い人で、白粉をお求めになる方は珍しいですよ」
「そ、そうなんですか」
まさか未確認生物のご飯です、などと言えるわけもなく。
パチパチと音を立てるそろばんを見ながら、一体いくらになるんだろうと、ミサトは思考を逃避させる。はじき出された良心的な価格にこっそり安堵しながら、ミサトは会計を済ませ店を出た。
少年がひらひらと揺れる暖簾を眺めていたら、奥の引き戸が動く音が響き、煙管の匂いを纏わせた女性が一人、入ってくる。
「お帰りなさい、
「ああ、今帰ったよ。不躾者にはちょっとお説教はしたが、効果はいまいちだね。あれは『魂がない』もんだから面倒だ。敷地の外には追い出したが、その周りをうろちょろしてるだろうさ」
着崩した着物姿の長い白髪の持ち主は、店の中に入ると何かに気がついたように、辺りを見回した。
「……ところで、『人』が来ていたのかい?」
「はい。白粉を買われていきました」
「白粉ねぇ」
「初見のお客さまでしたが、御前のことを知っていたので、誰かからか聞いてここに来たみたいですよ」
煙管を燻らせ紫煙を吐く。近くの椅子に腰を下ろすと、ヒフミは面白そうに嗤った。
「『人間』の客が来るなんて、久しぶりだねえ」
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