■二章 01・地下鉄

 


■□二章



 次の電車の運転手がホームに倒れている男を発見し、警察が到着するまで数分。

 地下鉄の入り口を封鎖する黄色いテープに、並ぶ警察車両。慌ただしく出入りする人の、動きを照らすパトカーの赤いランプ。日常の中から切り離された光景に顔を顰めながら、レイジは階段の脇に立つ男に声をかけた。



「今晩は、サガラさん」

「おう。遅くに悪いな、レイジ」



 サガラと呼ばれた大柄な体躯の男は、火をつけずに咥えるだけに留めていた煙草をしまうと、片手を上げてレイジを呼んだ。



「サガラさんが出張るってことは、零課担当案件ってことですよね?」

「そう言うこった。それとこの間は助かった、一課と二課の連中が感謝してた。鞄、見つからなくて焦っていたからな」

「それは良かったです」

「わざわざ来てもらってすまないが、一度仏さんを見てくれるか?」

「分かりました」



 黄色いテープを持ち上げながら、後をついてくるように言うとサガラは階段を下りる。外とは違い、中は生温い風が吹いていた。



「そういやお前さん、今あのアパートじゃないんだって?」

「どこでその話仕入れてきたんですか?」

「伝手はいろいろあるんだよ」



 出された話に、レイジは渋面になる。あのアパートが半壊して、ミサトの家に厄介になっているのは隠しておきたい事実だ。何しろミサトは、レイジの職が『ただの』何でも屋という話を信じているのだから。



「こっちは連絡がつけば文句はないから心配すんな」

「アチコチに言いふらさないでくださいよ」

「お前さんと連絡が取れなくなるのは痛いからな、そこはきちんと理解している」



 それにミサトがごく普通の一般人なのは誰の目から見ても明らかだ。ハツエという幽霊がいても気にしない、肝の据わった女性だとしても、気分が悪くなるような、血なまぐさい話は耳に入れたくない。



「分かっているならいいです。それで状況は」

「被害者の男性は、この近くの会社に勤めている会社員。会社の警備員に聞いたところ、帰宅は大体この時間らしい。電子カードの記録とも合っている」

「ずいぶん遅いお帰りで」

「だな。話によるとサービス残業らしかったが……まあ、それは俺たち警察の担当じゃないんでどうしようもないが。それでだ、端的に言うと――帰宅途中に襲われた」

「死因は?」



 階段を下りた先を曲ると現れるホーム。発見された段階で、終電まで残すところ後一本となっていたので、最後の電車が発車次第ホームは封鎖。人の立ち入り制限に、電車の運行の妨げ。

 この異様な現場で、それらを気にしながらの現場検証にならなくてよかったとサガラは思う。



「失血死だそうだ」

「ただの失血死、じゃないですよね?」

「だからお前さんを呼んだ。すまない、ちょっと通してくれるか」



 背を向け現場の記録を取っていた人たちが、体を動かし道を開ける。その中の何人かが、サガラの後ろにいるレイジに気が付き会釈をした。

 サガラが、まだ運び出されていない遺体にかけられたシートを捲る。レイジの目に入ってきたのは、血の気のない白い顔の、頚動脈を無残にも食い千切られた男の姿だった。



「お前さんの意見は?」

「遺体の状況がおかしい。失血死だとしてもこの白さは異常……。それに不意を討たれたとしても、成人男性なら多少なりとも抵抗できるはずだ。だとしたら、付近に血痕が飛び散ってもおかしくないが……その痕跡が見当たらないのは妙」



 このホームに血の臭いは充満していなかった。換気がなされていても、これほど早くに臭いが抜ける事はまずない。そう、抵抗する間もなかったのなら、流れ出た血液はいったいどこへ行ったのか。



「それとあの食い千切られた痕。動物の類には見えなかった」

「心当たりは?」

「残念なことに――ある。目撃者は?」

「該当する列車の乗客に話を聞いているが、乗客の一人が、赤毛の女が男に抱きついていたのを見たと言っている」



 赤毛の女と言う言葉に、レイジは眉根を寄せる。

 遺体を乗せた担架が運ばれる様子を見ながら、サガラは続けた。



「その赤毛の女、目撃者がいるのに防犯カメラには何故か撮られていなかった。映像には男が何かにぶつかられたように後ろに下がって、一人で倒れる様子しかない。しかも困ったことに、後ろに下がった時にホームにある柱の影に体が隠れて、肝心な所が分からない」



 ちらりと、サガラはレイジを見る。視線の先のレイジは、剣呑な表情で人の形を取った白い線を眺めていた。何度か瞬きをしてこめかみを押えると、レイジはさらに眉間の皺を深くする。



「同じ死因の変死体が今回で三件目。ただでさえウチの課は人手がないってのに。そう言うわけで、そっちにも調査、頼んでいいか?」



 サガラが深いため息をついて頭を振る。上にどう報告するか悩みながら携帯を取り出し、アドレス帳を開く。



「分かりました。最低限の資料は見せてもらえますよね?」

「手の空いている奴に持ってこさせる」



 アドレス帳の上司の名前を通り越し、自分の部下の名前を出すと、サガラはボタンを押した。



■□■□■



『続いてのニュースです。昨夜、地下鉄駅構内にて――』



 朝のニュースの音だけを聞きながら出勤の準備をしていたミサトは、テーブルの上の光景に悩んでいた。



「シラタマの様子がおかしい」



 昨夜やってきた未確認生物ことケセランパサランは、ミサトによってシラタマと名前が付けられた。

 シラタマになった経緯は、ハツエがどこからか見つけてきた、白粉おしろいの入った器の縁に体を乗せて、ちまちまと食べている姿を見てだ。漆塗りの器だったのもあってか、丸い体形が、同じく丸い形の白い色で、食べると美味しい和菓子に見えた。

 ハツエからネーミングセンスがないと言われたが、シラタマと名づけられた本人(?)から、特に抗議もないようなので決定。



「おばあちゃん。大変、シラタマの色が変わった」

「え? シラタマちゃん色変わるの?」

「朝見たら変わってた」



 朝食の支度を終えたハツエが、おかずを乗せた盆を持ちながら居間に入る。テーブルの上のシラタマを見ると、確かにそこにはミサトの言うように、色の変わったシラタマがいた。

 昨夜見た真っ白だった体が、今ではくすんだ灰色に変わり、心なしか元気もないように見える。テーブルの上をちょこちょこ動いていた素早さはなく、逆に一回りほど小さく縮みガタガタ震えている。



「……食中りにでもなったのかしら」



 ぽつりと呟くハツエ。

 聞きたくなかったセリフだが、ミサトの耳にはばっちり入った。



「おばあちゃん!? それどう言うこと!?」

「んー。納戸の隠し戸から見つけた白粉だったから……」

「ねえ、おばあちゃん。まさかその白粉、結構年数経ってたとか、言わないよね? ていうか言わないで! お願いだから!」

「この家にわたしが住み始めた頃のだしー、まだ若い娘時代に買った物だしー」



 あらぬ方向を見ながらハツエは言う。どうやらハツエはテンパると語尾がのびるらしー。

 そのセリフに、ミサトはまじまじとハツエを見た。見かけは間違いなく老婆である。本人曰く、死んだ時の姿とのこと。そのハツエが若い娘時代に買ったものと言った。すでに死んで何年経過したか知らないが、軽く見積もっても四十年以上前になる気がする。

 ……目眩がしてきた。



「うん。こういう時おばあちゃん幽霊なんだなって、改めて思ったよ」

「あら、ちょっとわたし生きいきし過ぎだったかしら」



 死んでいるのに生きいきとか、それはそれでおかしな気がする。



「ただいま戻りました……」



 内心でハツエ、恐ろしい子。などと驚いていたミサトの耳に、レイジの帰宅を知らせる声が聞こえた。

 昨夜遅くに連絡があったらしく、ミサトがシラタマと名前を決める前に家を出たレイジ。すっかり朝帰りな帰宅時間だが、いやに力のない声に、もしかして寝ていないんじゃと、ミサトはそっと廊下を覗き見る。

 案の定、やたら眠そうな表情のレイジが、顔に手を当てながら歩いていた。



「お、お帰り、レイジさん」

「……ああ、おはようございます。ミサトさん。これから、出勤ですか?」

「う、うん。てか、大丈夫?」



 普段と違った緩慢な所作で居間に入ると、レイジはこっくりと頷く。



「眠いだけなので、大丈夫です。……すみません、ハツエさん。トマトジュースください」

「あらあら、お帰りなさいレイジくん。すぐ持ってくるわ」



 言うなりパッと消えたハツエを横目に、レイジは小物入れの中にいる、くすんだ灰色の丸い物体に視線を動かした。

 それが昨夜のケセランパサランであると、理解するのにたっぷり数十秒かかった。



「…………ああ、昨日のお土産」

「ものっそい間が開いてお土産って。ちょっとレイジさん眠いんだったら――」

「ハツエさん、お土産は食中りでも起しましたか?」



 目の前に現れたハツエから、トマトジュースを受け取るとレイジが言う。



「なんで分かったの!?」

「いやだって、明らかに体調悪い人の顔色と同じだったし」

「やっぱり同じこと思うんだ」



 眠気に目を瞬かせながら、レイジは何か思い出したらしい。こめかみを指で押しながら口を開いた。



「確かかどうか分かりませんけど、ヒフミ、と言う方がやっている店で売っている物なら、大丈夫かもしれません」

「ヒフミ? さんって人がやってるお店?」

「はい、店主の名前です。店の名前は……ええっと、久尾和物雑貨店だったはずです」

「和物雑貨のお店か。場所は?」

「場所ですか。細かい所は分からないんですが……」



 眠気と戦いながら、たどたどしい手つきでレイジはペンを動かす。

 紙に書かれた大雑把過ぎる地図と、大きな円で囲まれた『このあたり』の文字。

 隣からの「必要な人にはすぐに辿り着けるはず」と、なんとも頼りない一言に、思わず頭痛がしてきたミサトだった。



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