06・お土産

 


+++++



 交替で入った昼休みが終わり、身だしなみを確認してからミサトは表に出れば、ユウキがすばやく裏へと入った。どうぞお昼に行ってらっしゃい。店内を見ればお昼のピークを過ぎて人影もまばらだ。

 厨房ではアオイが、小袋のお菓子に詰めるクッキーを焼いている。ユウキが帰ってきたら、交替で袋詰の作業だ。



「あの、すみません」

「はい。いらっしゃいませ」



 厨房で作業をするアオイを見ていたミサトは、慌てて声の方へと向き直った。

 ショーケースの前にいたのは、ポスターやレジ脇のお菓子を指さす男の姿で……。まさにプラチナブロンド。見事な銀髪に、切れ長な青い瞳。長身で、すらりとした細身のシルエット。ザ・イケメンである! 外国の人ってなぜにこうも美形が多いのか? 明らかに何かを探している様子すら惚れぼれしてしまう。

 通り過ぎざまに向けられる他の客の、やや熱のこもった視線など物ともせず、男は困った表情で言った。かしげた首にそって、肩口で切りそろえられた銀髪が揺れる。



「こちらはクラウド・ガーデンと言うお店で、間違いないでしょうか?」

「はい。確かに当店です。なにかお探しでしょうか?」

「えーと、シュークリームがあると聞いたのですが……」

「あ……。大変申し訳ありません。シュークリームの販売は来月からとなっております」

「と言うことは、少し早かったみたいですね」

「はい。お手数をおかけしますが、販売開始になりましたら、こちらにお越しください」



 ミサトは深々と頭を下げる。ホームページの表示を見て来たのだろう男は、苦笑しながら頬を掻いた。



「妹から買ってきて欲しいと頼まれまして。ホームページにあったと言っていたのですが、細かい所は見ていなかったようですね。まったくあの子は」

「妹さんは、チーズがお好きなんですか?」

「ええ。後は限定と付くものが。良く騒いでいますよ」



 常連のお客さんの大半は混んでいる時間帯だ。人のまばらな時間帯だから出来る会話は、ずいぶんと久しぶりな気がする。



「それにしても、美味しそうな匂いがしますね」

「はい。先程、厨房で焼きあがったクッキーです。こちらは夜に販売しているものになります」

「夜だけなんですか?」

「通年で置いていますが、時間が決まっているので、ある意味限定です」

「それは、妹が喜びそうな単語ですね」



 笑顔で言ったミサトの言葉の意味が分かったらしく、男もまた笑みを浮かべて頷いた。



「ミサト君」



 振り向けば厨房の扉を開けて、アオイが手招きをしていた。男に一度頭を下げアオイの元へ向かうと、二つの小さな袋が渡された。かわいらしくラッピングされた袋は、夜に販売しているものと同じだ。まだ粗熱が取れた程度のクッキーは、ほんのりと温かかった。



「アオイさん、いいんですか?」

「話は聞こえていた。せっかく来たのにとんぼ返りにさせるわけだし、お詫びだ。分かったら戻れ、あまりお客様を待たせるな」

「はい!」



 待っている間ケースを見ていた男は、ミサトが差し出した袋を見て首を傾げる。



「これは?」

「販売前においでくださいました、お詫びの品です。先程話していた夜限定のクッキーになります」

「ああ、これが。これはお幾らですか?」

「いえ、今回はお代は要りません」

「……そう言われましても。時間外の販売ですから、払わないわけにはいきません」

「いえ、ですからこちらは――」



 要りません、払います。そんな押し問答の末、男は納得したようでようやく受け取っとってくれた。それともその代わりに、チーズケーキを購入することで相殺と決めたのか。

 ……後者な気がしてたまらない。ホールケーキの入った紙袋を男に渡しながら、ミサトは思った。



+++++



 帰宅する大多数の会社員をゲンナリさせた雨の中、同じようにミサトも帰って来た。せっかく目の保養になる、銀髪青目の外国人男性がお客さんに来てテンションが上がったのにこの雨でだだ下がりである。

 用意されていたハツエお手製のコロッケに舌鼓を打ち、さあ楽しみにしていたドラマを見ようとした時。

 夕食の途中で帰ってきたレイジが、お土産と称した小さな箱を出したのだ。



「お土産?」

「そう、お土産。依頼人が古物商でね、報酬の他にくれたんだ。僕には必要ないから」



 実際には報酬そのものなのだが、あえて黙っている。事実、レイジには必要のない物だから間違ってはいない。目の前に出された箱を受け取るか否かでミサトは悩んだが、なんだかやたら疲れたような表情のレイジがその手をパッと開こうとした為、反射的に受け取ってしまった。

 綺麗に漆の塗られた小箱は、予想よりもかなり軽い。気になるものの、夕食の途中である。小箱を少し離れた畳の上に置いて、食事を再開する。


 猫舌にはちょうどいい具合に冷めたコロッケを頬張りながら、ミサトはちらりとあの小箱を見た。やっぱり気になるが、箸を動かす手は止めない。ご飯は温かいうちに食べるに限るのだ。それでも多少は気になるもので、つい思考は働かせてしまう。

 けれど考えはしても、それがアンティークの何かとしか思いつかなかった。せいぜい小物の雑貨だろうと予想していたミサトは、風呂上がりのスポーツドリンクを飲みながら、木箱の蓋を開けて眉間に皺を寄せた。



「何これ?」



 蓋を開けた中には、真っ白な毛玉が一つあるだけだった。やたらモフモフとした、触り心地の良さそうな丸い物体。手のひらにすっぽり収まるサイズの、丸まったファーのようにも見えるそれ。

 水に濡れたら非常に残念な姿になりそうな予感がするそれは、箱の中に敷かれていた小さな座布団の上に鎮座していた。



「……何これ?」



 もう一度、誰に問うでもなくミサトは言った。

 これは一体何だろうか? 超高級素材で作った飾りか? いやまさか、古物商がそんなものを扱うだろうか?

 そもそも古物商が何を扱っているのか、漠然としたイメージしか持っていないミサトとしては、古めかしい壷や掛け軸と一緒に、この丸いのが置いてある気が欠片もしない。

 ちょっと突っついてみても大丈夫かしら? 恐るおそる指先をあの白い毛玉に近付けていくミサトは、突如現れた真っ黒な、瞳にも見える二つの点に、その動きを止めた。



「……へっ?」



 効果音で言うならばもきゅっとでもいいそうな感じで現れた点は、瞬きをするようにパチパチと動くと、見上げるようにミサトを見つめ、



「キュー」



 と、何処からどう聞いても鳴き声にしか聞こえない音を発した。

 ……え? まさかこれ、いきものデスカ?

 一拍の間、そして――



「……ぎやぁぁぁぁぁっ!?」



 近所迷惑などお構いなしに、ミサトはこの日一番の声を出した。




「ミサトちゃん何があったの!?」

「どうしたんですか!? ミサトさん!?」



 パッと現れたハツエに続き、レイジも慌てて居間へと駆けつける。

 声にならず口だけをパクパクと動かし、ミサトはテーブルの上を指さしながら二人を見て、



「っ、きゃあぁぁぁっ!?」

「ちょっ!? なんで僕見て叫ぶの!?」



 居間に来た二人の状態は、洗い物の途中だったのだろう、手に泡を付けたままのハツエ。水も滴るなんとやらで、腰にバスタオル一枚状態のレイジ。

 ミサトが叫んだのは、もちろん後者のレイジだ。ラッキースケベと言うなかれ。相手の捉え方と状況によってはただの変態と同じである。



「なんて格好してるの! レイジくん!」

「だっ、だって尋常じゃない叫び声が聞こえたからっ!」

「いいからなんか服着てこーいっ!」

「はっ、はいっ!!」



 慌てて駆けつけたのに、物でも投げられそうな勢いで追い出されるレイジ。不可抗力だと口の中で抗議しながら、大慌てで脱衣所へと戻っていった。

 本日は叫ぶ予定など全くなかったミサトは、大声を出した結果ゲホゲホと咳き込む。目じりに浮かぶ涙に、叫ぶんじゃなかったと後悔しつつ、テーブルの上の真っ白な物体に視線を戻す。


 当の白い物体はこちらの騒動などお構いナシといわんばかりに、よじよじと箱からその体を出していた。しばらくテーブルの上を調べるように動き回ると、やがてミサトをじっと見つめる。

 明らかに目にしか思えない、真っ黒なつぶらな瞳はミサトを映していた。じっとミサトを見つめる瞳が一瞬揺らめくと、なんだか水分のようなものが目じりに溜まってきている気がする。これはあれか? 泣くの? 泣くのか? まだ何もしてないのに!?



「ちょっ、待って! 泣かないで! ホント、マジで泣かないで! 何もしないから泣かないで! てか、泣きたいのこっちだから!」



 出てきた言葉はまさしく、ミサトの心からの叫びだ。

 よく分からない物体なだけに、このまま泣かせでもしたら何が起きるのか分からないのが恐ろしい。


 慌てふためきながらも、小さな子供をあやすように優しく優しく声をかけ、指先を動かして気を紛らわせながら、元凶となったレイジがさっさと戻って来るのを待った。

 指先でくすぐるようにその毛に触れる。洋裁で使う綿ともファーともいえないサラサラとした感触に、艶を感じさせるしっとりとした滑らかさ。人工のものとはいいがたいその手触りにミサトは、



「……やだ、めちゃくちゃさわり心地いいんだけど」



 と、あまりの手触りのよさに感動した。

 しばらくして、横からその毛玉を観察していたハツエが、もしかしてと小さく口を動かす。



「おばあちゃんこの毛玉が何か知ってるの?」

「んー、ちょっと自信がないんだけど……」



 毛玉と言われたのが不服だったのか、その白い物体はブワリと毛を膨らませ、プルプル体を震わせる。人の言葉を話すことは出来ないらしいが、一応理解はしているようにも思える。

 ミサトからしてみれば、まさに未知の物体――UMAだ。



「わたしも本物を見たことはないから……もしかしたらだけど、この白いの、ケセランパサランじゃないのかしら?」

「ケセランパサラン? ってあのケセランパサラン? 確か持っていると幸運に恵まれるとか、家を栄えさせる、とか言うあの?」

「たぶん。レイジくんに聞くのが一番なんだけど」



 一回りほど大きくなったケセランパサランらしき毛玉をなだめながら待つこと数分、Tシャツとジャージのズボンに着替え、頭に湿ったタオルを巻いたレイジが戻ってきた。



「そう、それケセランパサラン。ハツエさんがいるから分かるかなと思って」

「おい。とりあえず、私が分かるように五十文字以内で説明しろや」

「ちょっ、ミサトさんキャラ変わってる」



 背後に般若でもいるんじゃないのかと思えるような雰囲気のミサトに、レイジは若干引きつつも、事の次第を話し始めた。と言っても、話す内容は箱を渡す前と大差なかったが。



「ただまあ、中身については説明しておくべきだった。ごめん」

「本当だよ。どこの世界に、中身が都市伝説レベルの未確認生物が入ってる箱があるのよ」

「あら、ここにあるじゃない」

「おばーちゃん」

「はぁい。黙ってます」



 ジロリとハツエを睨むミサト。慌てふためくミサトの姿を思い出し密かに笑うと、そそくさとハツエは台所へ向かった。ある意味逃げたともいえる。



「まあ、害のあるものじゃないみたいだし。謝ったからよしとするけど……」

「いくらなんでも、僕が害のあるモノをこの家に持ち込まないよ。それにそれなら、ハツエさんが気付かないわけがない」

「何のそのセキュリティーシステム」



 物凄い高性能な気がする。本人が聞いたら激しく怒りそうなセリフだが、納得してしまう自分がここにいる。

 その間もケセランパサランを触る手が止まらないのは何故だ。……だって感触いいんだもん。



「とりあえず、ご飯は白粉おしろいだっけ? 後で調べておくかな」

「基本的にそれで間違いないはず。環境がいいと増殖するんじゃなかったっけ?」

「えっ!?」



 サラサラな毛を堪能していたミサトの指先が、一瞬止まる。



「これ、増えるの?」

「確かそう聞いているけど……」



 にわかには信じがたい情報を耳にして、鈍い動きでケセランパサランを見る。

 すっかり機嫌が直ったらしいケセランパサランは、元の大きさに戻って、ミサトの指先に擦り寄っていた。

 ……これが、増殖する。ごくりと唾を飲み込むミサト。


 ずいぶん昔の映画にあった、奇妙な生物のような条件が付いていたりはしないだろうか。

 確かあれは、夜十二時以降にエサをあげない、水をかけない、光をあてない、だったか。あれは子供心に結構くる映像だった、特に背中がボコボコし始めるシーンは。



「これ、水かけたら増殖したりしないよね?」

「水かけたら溶けると思う」

「溶けるの!?」



 キュッ! と小さく鳴くと、何故かミサトの指先から慌てて離れた。テーブルの上に置きっぱなしだった小箱の影に隠れると、恐るおそるといった感じで、ミサトの方を覗き見る。ぷるぷる震える姿に、反射的にごめんと謝ってしまった。



「水かけられると思って逃げたんだね」

「……なんだろう、罪悪感を持ってしまう」

「ま、普通にしてれば問題ないだろうし。ミサトさん、くれぐれも、くれぐれも仲良くしてね?」

「なぜ二回、しかも強調して言うのかな? レイジさん」

「いや、ミサトさんがうっかり鞄に入れちゃったら大変だなと思って」

「いくら私でもコレを鞄に入れるほどうっかり出来んわ!」



■□■□■



 いつものように定時で帰ることができなかった男は、終電間近のホームを歩いていた。ホームには他にも、男と同じように疲れた姿で立つサラリーマンが何人かいる。

 そんな彼らにチラリと目を向ける。きっと彼らも同じなのだろう。アパートに帰るのは、もはや寝に行くようなものだ。思わずため息が漏れる。


 きっちりと締めていたネクタイを緩めて、メール着信のアイコンが表示されている携帯を見た。

 まだ時間もあるのだからとメールを開く。画面に表示された文字を追っていたとき、ホームに電車が入ってきた。男が携帯の画面から目を離す。開いたドアから、数人の客が降りた。男の立っていた、目の前のドアから最後の客が降りてくる。


 自然と、目が引き寄せられた。

 降りてきた客は、肉感的な唇を持つ派手な女だった。ことさら目を引いたのはその真っ赤な髪だ。緩いウエーブの髪、金色の瞳。日本人離れした面立ち。

 乗車を促すアナウンスと鳴り響くベルの音。飛び込むように抱きつく女に、勢いで男は後ろにたたらを踏む。女は素早く、その細い腕を首に絡めた。


 この場を見た人からは、帰りの遅い恋人を迎えに来たようにしか見えないだろう。だが男はそれどころではない、見知らぬ女に抱きつかれる覚えはないのだから。

 異常なほど赤い色の唇に目が行く。女が笑った。それも色気も何もない、獲物を見つけたかのような獰猛な笑みで。

 吊り上がった唇の隙間から、女に不釣合いな鋭い犬歯が現れた。そして女はその牙で、男の首筋を噛み千切った。


 男の悲鳴は小さくくぐもっただけで、誰の耳にも入らない。唯一聞き取ることができたのは、噛み千切った首筋から溢れ出る血を、返り血を浴びながら貪るように飲む女。

 恐ろしい勢いで感覚がなくなっていく四肢。霞んでくる視界と、遠くなる意識。手に持っていた携帯が落下した音を聞く前に、男は意識を失った。



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