05・意味の違う店
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夜半から降り始めた雨は、一部地域に大雨警戒情報を流すほどだったが、これといった被害を起こさず明け方にようやく止んだ。翌日はさすがに晴天とはいかず、どんよりとした曇り空が広がる。
最近は見かけることが減った紙パックの自販機の前で、レイジはトマトジュースを飲んでいた。朝一番でないにしろ、日に一度は飲まないと落ち着かないのは困りものだ。
ミサトからは塩分過剰摂取が気になると、引き気味に言われているが、こればかりはどうしようもない。
腕時計を見て、約束の時間を確認する。昨夜連絡のあった依頼人は、古くから付き合いのある人物だった。歯切れの悪い話しぶりに込み入った事情を察し、もともと空白の方が多い手帳に予定を入れた。
一度大きく伸びをして、ご丁寧に自販機の隣に設置してあるゴミ箱に空になったパックを入れる。
そして、すぐ目の前にある古物商へ入っていった。
「お前なぁ、目の前にいるんだったらさっさと入れよ」
店名が入ったガラス戸を開ければ、聞こえてくる呆れ混じりの声。店の奥にある戸棚で、品目リストを確認している初老の男は、紙を捲る手を休めずに視線だけでレイジに椅子を勧めた。
年季を感じる足の細いテーブルには、小さな漆の小箱とふせられた手鏡が置いてあった。そのテーブルの側の椅子に、レイジは座る。
「店主、僕は時間をきっちり守るほうなので」
「店の目の前にある自販機で、トマトジュース飲んでる奴が言うセリフじゃねえよ」
「だったらあの自販機撤去してください」
「バカ。あれ結構いい収入になってんだぞ、撤去なんざ出来るか」
珍しいと言って買っていく通行人が多いんだ。と、帳面を閉じながら店主は言った。
古い机の上にあった茶器に茶を注ぐと、店主はレイジの向かいに座る。むろん持ってきたのは自分の分だけだが、レイジがそれを指摘することはない。
「売り上げに貢献した人物に対するセリフじゃないですね」
「お前はいいんだよ」
ぐっと一口お茶を飲むと、店主はテーブルの上にある小物を指さした。
「これ、何だと思う」
「年季の入った漆の小箱と、丁寧に扱っていたと思われる手鏡」
「概ね正解だ。鏡は無理だが、そっちの小箱は依頼料になるか?」
一言断りを入れて、レイジはハンカチで小箱を持ち上げる。それほど力を入れることなく開いた箱の中身を見ると一瞬目を見開いて、そっとその蓋を閉じた。
「これ、久尾さんの所に持って行ったらいいじゃないですか。かなりの高値になるでしょう」
「生憎、俺には“必要”ないんでね」
「訳ありですか?」
「どっちだ? 依頼内容か、その箱の中身か?」
「どっちもです」
箱をテーブルの上に置くと、レイジは店主を見る。
店内に整然と並べられている古美術品。その中心にいる店主は、どこか気まずげに口を開いた。
「去年死んだ俺の弟の娘、俺から見れば姪なんだが……」
そこで一旦言葉を切って、店主は小箱を布で包み始める。
「片付けられないんだよ、家ん中が」
「……はい?」
深刻な顔で告げられた言葉がレイジにはすぐに理解できず、思わず間の抜けた声が出た。
片付けられない、家の中が。つまり――
「最近話題の片付けられない人たち、ですか?」
「ま、そう言うこった」
「ストーカーが現れたとか、詐欺にあったとか、憑き物ついたとかじゃないんですか!?」
「んな物騒なことあるわけねーだろ! 俺の姪だぞ! 顔考えろ!」
「それはそれである意味失礼じゃないですか!」
「うっせえ! 顔付き似るのは家系だから仕方ねーだろ!」
二人共殴りそうな勢いで言い返し、それから浮かせた腰を下ろした。
仕切り直すように店主が咳払いをする。
「本当に片付けられないんだよ、昔は違ったんだがな」
「弟さんが亡くなられたのが原因ですか?」
レイジの問いかけに、店主は頷く。
「遺品整理はとうの昔に終わってる。それ以来、日常のゴミとか、買ってきたものとか、とにかく溜めるようになってきてな。看護士の仕事をしてるから、仕事じゃ神経使うだろ? だから最初のうちは、葬儀だなんだで色々あったから、疲れて家の中じゃ何もしたくないんじゃねえのか、って思ってた訳よ。それが一年経っても改善される兆しがねえの。足の踏み場も無い状態で、あんまり酷くなってきたんで本人に訊いたら――」
「『大事なものがあるかもしれないから、捨てられない』……ですか」
「どーも遺品整理で俺たち身内の誰かが、知らないうちにアイツの大事なもん、捨てちまったらしくてな。母親は早くに病気で逝っちまったし、父親は事故だ。支えになるもんが自分の知らぬ間に、処分されたのが堪えたらしい」
「その大事なもの、何か分からないんですか?」
「言えばお前が探すのか? やめとけやめとけ、まず見つからん」
鞄から手帳を取り出したレイジを、店主は制した。
「一年近く前の話だ、もう燃えちまってるだろう。だから探す労力を片付ける方に回してくれ。出来ることなら、アイツの話を訊いてやってくれないか? 俺たちじゃ話せないこともあるだろうし」
「僕だと余計話さないと思うんですけど……」
「そこはほら、何でも屋の腕の見せ所だろ?」
そう言いながら、不器用に店主は片目を閉じた。どうやらウインクをしたかったらしい。
「店主、素直に気持ち悪いです」
「ギャラ払わねーぞ」
「なかなかに個性的な表情でした」
「……遠まわしに貶されてる気がするのは俺の気のせいか?」
「そう思わなければいいんですよ」
「たく。とにかく頼む。どの道に前に進ませるには、いつまでも過去にしがみつかせる訳にはいかねえ」
言い切ると店主は立ち上がり戸締りを始める。姪の家まで案内すると言い、簡素な鍵を片手に店の中を動き回った。
「店主、僕まだ引き受けるって言ってないんですけど……」
歳の割にはキビキビと動く店主を見ながら、レイジはポツリと呟いた。
■□■□■
百貨店の地下、いわゆるデパ地下にテナントを構えている店舗の一つ。和菓子と洋菓子を扱う店が集められた一角に、ミサトが勤める店はあった。
チーズケーキを専門に置いている『クラウド・ガーデン』。メインはチーズケーキだが、最近はクッキーやパウンドケーキなども取り扱うようになった。
ほのかに甘酸っぱい香りを漂わせたチーズケーキを、ミサトはショーケースへと並べていく。空調が整っているとはいえ、エアコンで少し空気は乾燥している。調理作業が終わったにもかかわらず、ミサトはマスクをつけたままだ。
「それにしてもミサトが風邪とはねぇ」
「何その顔」
「いや。よく言うじゃん、バカは風邪引かないって」
レジ脇の書類の中で、納品書の確認をしていた同僚が言った。大きな瞳が、ミサトを見つめる。栗色の髪をきっちりまとめて後ろで丸め、ミサトと同じ真っ白なエプロンを身につけたユウキは、持ち前の明るさが目に見えて判る笑顔が評判だった。
……ただし、笑顔で毒を吐くと言う特性を持っているが。天は二物を与えなかった典型的な例であるとミサトは思っている。
「さり気に結構毒舌だよね、ユウキって」
「あれ? 今頃気がついた?」
「ごめん、前から知ってたわ」
テンポのいい会話に、さらりとトゲのある言葉が入る。そこに険悪な空気はなく、二人にとっては良くある会話でしかない。この店がここに店舗を構えたときの、初期からいるスタッフだ。他の店員より付き合いが長い分、ミサトも彼女には遠慮がない。
ただ、応援スタッフがいる時はこう言った会話はしない。さすがに引かれるだろう事は簡単に想像できる。唯一、この会話についていける……もとい、気にしないのはマネージャーのアオイぐらいだ。ちなみに彼も初期スタッフの一人だ。
「てかさ、やっぱりあの事故物件に引っ越ししたのが問題なんじゃない?」
「ねえユウキ。私言ったよね? あそこは事故物件じゃないって」
「ちゃんと聞いたよー。だけどさ、ほら、良くない噂のお蔭で悪霊が溜まることもあるって言うじゃん?」
わざわざ両手で幽霊の真似事までするユウキに、家にいる家政婦モドキな幽霊とは似ても似つかないなあと、ぼんやり思う。何しろハツエは細かいし、それに家事に抜かりがない。
寝坊しそうになれば起しに来るし――それが尋常じゃないほどの寒気を伴うとしても。
朝には温かいお味噌汁のある朝食が並んでいるし――料理の本を大量に買いに行かされたが。
帰宅すればおかずが三品もある夕飯と、お風呂の準備すら整っている――どうやって買出しに行っているのか謎だが。
家の中はいつも綺麗に掃除をしてある――床掃除に便利なクイックルなアレを買ってきたらたいそう喜んでいた。
注釈は付くがそれこそ第二の母である。……自分の母より家事は完璧かも知れないと思ったことがちらほらと。ごめんなさい、お母さん。
「今度引っ越す時は事故物件にしようかな。家賃安そうだし」
「だからあそこは事故物件じゃ――」
「止めとけ。ロクなことにならん」
羨ましいを隠すことなく言ったユウキにピシャリと釘を刺したのは、マネージャーのアオイだった。作業用エプロンを来た姿で、奥の厨房から出てくる。他店の迷惑にはならないよう、それなりに控えめな声で話していたがやはり小さい店舗だ、厨房にはバッチリ届いていたらしい。
「アオイさんは住んだことあるんですか? 事故物件」
何となく苦い表情のアオイに思う所がありミサトは訊ねたが、その質問に帰ってきたのは、なんとも嫌そうな表情で。ここで言えというのか? と無言の圧力がミサトにかかる。
「イエ、ナンデモナイデス」
「長生きはともかくとして、自宅で落ち着きたいなら避けるべきだ。家に帰ってから一層疲れるのはご免被る」
「……アオイさん。なんか苦労したんですね」
「若い時は収入に余裕はなかったからな、背に腹は変えられん。それに探した時期が悪かった。ちょうど今の時期で、四月の新生活の引越しシーズン後期だった。疑う余裕すら時間的になかった」
「お疲れ様でした」
ユウキは南無南無と言いながら、アオイに向かって両手を合わせて頭を下げた。あからさまな行動に、アオイの眉間に一気に皺が寄った。
そして他のスタッフならば逃げ出すような冷たい視線をユウキに向けるが、残念なことに当の本人は気付いていない。しばらく手を合わせてから、ユウキがミサトに顔を向けた。
「そうそう。ミサトが休みの時に本店から連絡あって、今年も期間限定のシュークリームやるって」
「やっぱり今年もやるんだ。あれ、凄い人気あったもんね」
「だよねぇ。詳細はマネのアオイさんよろしくプリーズで」
「お前たちは……本当に私には遠慮がないな」
苦笑というよりは仕方がないといった表情で、アオイはレジの下にある低い棚からファイルを取り出す。
「ミサト君が言っていたように、去年の企画は大当たりだった。『今年もやるのか?』と言った問い合わせも多数きている。本店も評判がよければまたやりたいと、定例会議で話していたしな。今年もやるのが妥当だろう。もともと通年で置くのは無理だと言うことで、期間限定になった経緯もあるしな」
「そんな経緯があったんだ」とはミサトの言葉で、次いで「それは知らなかったわー」とユウキが言った。
「自分の勤めている会社の商品ぐらい把握していろ」
「すみません、把握していませんでした」
「ごめんなさい、美味しいとしか覚えていませんでした」
ある意味正直すぎる謝罪に、アオイは呆れつつ二人の頭をファイルで叩いた。
「まあ、その場でクリームを詰める手間がある分、その時期は本店から応援が来る。シフトも少し変わるから、今のうちに休みを取っておくように。それとミサト君は体調を整えておくこと」
「はい、わかりました。それとアオイさん、今回も全店舗ですか?」
控えめに手を上げて、ミサトが言った。全店舗、と言っても大規模に展開していないので、本社も兼ねている本店とこの店を含めた直営店が三店舗あるだけだ。
余談だが、他店には店長とマネージャーがいるのだが、この店舗だけは店長にしか思えないマネージャーが一人いるのみ。明らかにおかしい気がするのだが、誰も何も言わないのはクラウド・ガーデンの七不思議の一つだ。
「ああ、本店と同時で一斉だ」
「わかりました」
「他のスタッフには詳細の紙を渡してあるから、ミサト君も持って帰るように」
「はい」
普段なら開店前のミーティングで話す内容なのだが、マネージャーであるアオイが直前まで他店舗へ出向していたのが原因で、こういった状態で話すことになってしまった。
「スタッフに試食出るのかな?」
「ユウキ……」
己の本能に忠実な一言を発する同僚を、思わずジト目で見てしまう。
「安心しろ食欲魔人。今年も出る」
「やった、さすが本社! 太っ腹」
「そのままお腹が出ないといいね」
「おのれミサト! 人が気にしていることを!」
「ほう。食欲魔人と名高いユウキ君でも気にするものがあったのだな」
「マネージャー! 人をなんだとお思いで!」
「色気より食い気」
「確かに」
一瞬の間の後、三人とも笑い出す。大きな声を出さないように、口とお腹を押えながら必死でミサトは我慢するも、肩は大きく震えてくる。
「追加の連絡事項が来たらまた話す事になる。ほらお前たち、もう店は開いているんだからさっさと持ち場につけ」
アオイは手を叩きながらミサトたちに指示を出す。その口元が、まだ少し笑みを見せているのを、ミサトとユウキは気が付いた。
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