03・住人

 


 今頃せっせと大量のアイスを冷凍庫にしまっているであろうハツエは、人間と何ら変わらないように見えるが、実は立派(?)な幽霊だったりする。

 普段から腕を掴んだり、体を触ることすらできるハツエが、まさか幽霊だとは思わないはずだ。時として、わずかに体温すら感じる時まであるのだ。これで実は幽霊でしたと言って、いったい誰が信じるか。


 ハツエはミサトが入居した三日目に遭遇した幽霊で、別段枕元に立ったり風呂上がりに鏡に映り込んだりするわけでもなく、ごくごく普通に居間でお茶を飲んでいたのだ。

 襖を開けた瞬間、見知らぬ老婆がテレビを見ながら寛いでいるのだ。

 一瞬、あれ? このお婆ちゃん徘徊して家に上がっちゃった? と、大変失礼なことをミサトが思ったのも無理のないことで。その後誰か迎えに来るだろうと、ミサトもミサトでハツエと一緒になってお茶を飲んでいたのだから、肝がすわっているとしか言いようがない。


 それから暫らくして、目の前で文字通り消えたハツエにミサトは唖然とし、数時間ほど気を失っていたのは今ではいい思い出……のハズ。

 誰だ! 幽霊には足が無い、影が無い、そうのたまっていたのは!

 名も知らぬ先人達にミサトが怒鳴ったのは、随分と前の話になる。



「そうなんだよね。自縛霊にでもなるつもりなのかな?」

「う~ん。もう軽くなりかけてる気もするけど……」

「それはそれで怖そう。おばあちゃん最“凶”だし」

「まあ、ハツエさん面倒見がいいから、きっと墓に入るまで憑いて来てくれるんじゃない?」

「微妙に否定出来ないのが嫌だ」



 見たでもなく、ミタでもなく、今ではすっかり家政婦は幽霊な状態になっているハツエに、ミサトは顔を引き攣らせながら言う。三途の川まで道案内されたらどうしようと、こっそり思った。


 ハツエがいるであろう台所の方をレイジは見ながら、ナポリタン味と称した赤味の強いオレンジ色のアイスを口に入れた。何の躊躇いもなく、美味しそうに頬張るレイジの姿にミサトは軽く引く。ネタとして食すなら分かるが、心底美味しという表情に、「やっぱりこの人の味覚は理解できない」と実感した。

 この同居人、偏食とまでは行かないがかなり偏った――否、奇妙な味覚の持ち主だ。とにかくトマト味至上主義といっても過言ではないその味覚に、他の食べ物の美味しさというものを一度感じてほしいと、ミサトは常々思っている。口に出したりはしないが。まあ、ハツエの手料理を普通に食べているので、偏食ではないのだろうが……。



「それ、美味しいですか? レイジくん」

「美味しいですよ。いくつか買ってあるので気になるようでしたらどうぞ」

「ええ。しまう時に見ましたから知っていますよ。ですが、わたしは遠慮しておきます。やはり野菜は、ちゃんとした調理方法で食べるに限ります」



 ナポリタン味の空き袋を見ながら、しかしレイジのすすめをきっぱりと断る。さすがに幽霊でも、この味は遠慮したいらしい。



「そうですか。美味しいのに……」



 普段の食生活に“ある意味”で難のあるレイジが、眉尻を下げながら残念そうに言った。


 この家のもう一人の住人でもある、レイジとの出会いを簡潔に言うと、行き倒れ一歩手前の人と、それを発見した通行人A、である。

 そして通行人Aがミサトで、行き倒れ一歩手前がレイジだ。

 帰宅途中に何て事態に遭遇してしまったんだと、かなり動揺していたのは仕方がない。そしてこの飽食の時代に行き倒れとかどんな冗談だ! と頭を抱えたくなったミサトだが、そのまま放置する訳にもいかず声をかけたのがきっかけだった。


 なにしろ放置して翌日通ってみれば、やじ馬わんさかにパトカー数台、それとブルーシートと黄色いテープが張られていました。なんて光景は見たくなかった。

 レイジを見つけた場所がミサトの通勤路で、もし放置した場合の、最悪の結果が嫌でも目に入ってしまう。

 自分の平穏な明日のために一肌脱いだだけです。とは口が裂けても本人には言えないが。


 もっともレイジ自身は、ミサトの鞄に入っていた総菜の匂いを目敏く嗅ぎつけ、『美味しそうな匂いがする。』とのたまっていたが。

 レイジに会った当初聞いた話では、住んでいたアパートが住人達の暴走で半壊し、修繕工事のため住人全員が一時退去したこと。収入が安定しない職なため、なかなか新しい住まいが見つからないなど……。

 それで行き倒れ一歩手前である。なんというか、ミサトが不憫に感じてしまったのは不可抗力だと思いたい。



「期間限定品だからって、よく変わった味に手をだすよね。レイジさんて」

「そうかな? なにごともチャレンジだと思うよ。なんだったらミ――」

「遠慮します」

「即答しなくてもいいじゃん……」



 情け容赦の遠慮なくミサトは一刀両断した。目の前でショックだと言わんばかりの顔のレイジに少々胸は痛むが、食べなくても人生に全く問題のない代物に、あえて挑戦する気はない。



「やっぱりゆずが一番だわ。通年で置いて欲しいぐらい」

「今回みたいに春のリニューアル記念で発売されたりするけど、基本冬場しか出ないもんね、ゆず」



 まあ、ゆず味といい梨味といい、期間外の味をレイジはどこで見つけてきたのか? 相変わらずミサトには知りえない、不可思議な伝手を持っている人である。

 さらりとレイジをスルーして、ハツエは話の流れを変えていく。サクリと音を立てながらゆず味を美味しそうに食べるハツエは、実は大家の祖母にあたる。

 レイジが一時的に間借りという名の同居をすることになったとき、己の娘につく虫を払うが如く大家は猛烈に反対した。その時に一肌脱いだのがハツエであるが、詳細は割愛する。誰しも自分の身は可愛い。文字通り墓の中まで憑いてこられては困るのだ。



「ああ、そうだったわ。午前中ミサトちゃんが寝ているとき、お店のマネージャーさんから、明日は出勤できるのか? って電話がきたわよ」

「マネのアオイさんか。起こしてくれてもよかったのに」

「起こそうと思ったけど、こっちが呆れるくらいアホな顔してぐっすりだったから」



 困ったように眉を八の字にしてハツエは言うが、内容は結構辛辣だ。



「ハツエさん。表情とセリフがあってないです」

「アホって言うなアホって」

「起きたらこちらから折り返し電話します。って言っておいたから、ちゃんとお店に電話するのよ」

「……はーい」



 のれんに腕押しぬかに釘。ハツエのナチュラルな毒をいちいち気にしていたら胃に穴が開く。

 ミサトは素早く頭を切り替え、自分の体調を改めて確認してみる。少し喉の痛みはあるが、それほど声は掠れていない。さっきのように叫びさえしなければ、咳は出ない気がする。

 実際、ミサトの症状は風邪ととても似ているが実情は全く違う。レイジの話によると、数日前の屋上にいた、詩織の霊に触れたことによる霊障の一種らしい。


 原因は、死者の穢れに触れたこと――。

 身体がその穢れを落とそうとしていることで起きる、言わば防衛反応といった所だそうだ。だから風邪のように他者に移ることもなければ、必要以上に悪化することもない。

 その後ミサトは寝込んだが、結果として詩織は悪霊と呼ばれるものの類へと変わることなく逝けたのだから、この程度の症状には目を瞑ろう。そう無理やり納得させるように何度も頷く。もう自分の常識の範疇外の症状だ、致し方なし。



「念の為、もう一日ぐらい休んでもいいんじゃない?」



 ミサトの表情を伺うように、レイジが静かに言う。



「だいぶ体調もいいし、明日は行くよ。心配してくれてありがと、レイジさん」

「いや、僕にも連れて行った責任があるし……」

「あー、触ったのは自業自得だから。レイジさんは事前にちゃんと注意事項を伝えたんだし、そんな責任感じなくても大丈夫だよ」

「それでも……」



 所在なさげに言いながら、レイジはミサトから目を逸らした。



「ま、死ぬような事態じゃなかったんだし。ね?」

「確かにそうなんだけど……。何と言いますか、本来なら真っ先に護らなきゃいけない対象なのに、こんな状況にさせちゃったし。自分の未熟さ露呈しちゃったなぁとか、いろいろ思う所がありまして。ほら、普段は単独行動だから」

「なんつーか、レイジさんって真面目と言うか、ネガティブと言うか。面倒くさい性格してるよね」

「面と向かって本人に言えるミサトさんがある意味凄いよ」

「いやー、それほどでもー」

「褒めるよりも先に呆れが来た」



 ケロリとした顔でアイスを食べ続けるミサトに、レイジはふっと肩の力を抜いた。

 鞄の中に入っていたレイジの携帯が、音を立てたのはこの時だ。携帯を取り出し液晶画面を見て、レイジはミサトに目配せをすると手帳を持って居間を出る。



「大変お待たせしました――」



 廊下から漏れ聞こえてくる声と、手帳を持っていった姿を見るに、どうやら仕事の電話らしい。詩織の鞄の一件も含め、どう言う訳だか警察関係者にも知り合いがいるレイジは、一般人からの依頼の他にもそう言った方面の仕事を受けることもあるらしい。

 具体的に何をしているのかは知らないし、ごくごく普通の人でしかないミサトには皆目見当もつかない。

 まあ、幽霊付き物件に平然と住んでいる段階で、普通とは言いがたいのかも知れないが……。


 そもそも何でも屋って、何してるんだろ? と言うのが、ミサトの最近の疑問でもある。やはり定番の飼い猫探しや、不倫調査なのだろうか。テレビドラマや漫画などでも良くある話だし。その割に先日は除霊まがいのこともしていたけど。

 便利屋と同じなのだろうか? アイスの棒だけを咥えて首を傾げつつ思う。口から出した棒をミサトはしげしげと眺める。

 そこには『残念ハズレ』の文字が書いてあった。



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