02・曰く付き

 


 その場所は郊外であるものの駅から近く、小さいながら商店街もあった。都心へのアクセスに便利な路線で、商店街もシャッター通りという寂しいものではなく、規模は小さいながらも活気がある。

 つまるところ、そこそこ利便性のいい住宅街ということだ。そんな住宅街の片隅に、その家はひっそりとあった。


 庭付き一戸建て。この立地条件ならばすぐにでも借り手がつきそうな物件だが、何故か大家の意に反して、なかなか借り手は見つからなかった。

 何故なら、その築年数の経った平屋の日本家屋は、普通とは違う意味で一部には有名だったからだ。


 曰く、夜中に呻き声が聞こえる。

 曰く、一家惨殺事件があった。

 曰く、孤独死した老人が夜な夜な現れる。


 などなど、上げればキリがない程だ。そのどれもが、根も葉もない噂話であることを近所の住人は知っている。

 事実、夜中の呻き声は庭に忍び込んだ若者達が騒いだ声が風に乗っただけ。一家殺人事件などある訳もなく、孤独死した老人に至っては、そもそも老人に家を貸したことすらない。あの家では誰一人として、噂のような不幸な死を遂げてはいないのだ。


 だと言うのに子供達やオカルトマニアには、心霊スポットや幽霊屋敷といった扱いを受ける。大家にとってははなはだ遺憾な、噂で出来た事故物件となってしまったのだ。

 故にあの家の噂を話しても、平気な顔をして賃貸契約を結んだ今の住人は、大家にとってはとてもありがたい存在だった。もういっそ自分の娘のような扱いをしてしまいたいぐらいに思われているのだが、当人はそんなことを欠片も知らない。


 そんな他称曰くつき物件に引っ越してきたミサトは、現在庭を一望できる居間で長座布団を敷いて寝込んでいた。ごろりと寝返れば、ずり落ちるタオルケット。その下から出てきたラフな部屋着は、今日は寝間着と化している。やたら肌触りのいい、マシュマロタオルの生地がいけないんだ。

 顔の前に垂れてきた茶色の髪を無造作に掻き上げると、ミサトは水分過多になっている目を擦った。発熱に咳き込むといった、典型的な風邪の症状が出て早三日。熱も下がったことだし、これでようやく治まるか――



「ふえっくしょい! こんちくしょー」



 などと思っていたのも束の間。くしゃみの後に続く言葉はおっさんである。内心で悪態を付きながらごろりと体を反転させれば、頭の下でカラリと音を立てる氷嚢。さらに額にアイスノンを貼り付けたミサトは、だらけた格好でリモコンに手を伸ばす。

 何の気なしに回したチャンネルで出てきた、見覚えのある女性の写真に目を細めた。テレビに体を向き直し、最低限のボリュームにまで落とした音を上げる。


『いやー、二十件以上もの結婚詐欺とは。さらに他にも余罪があるとか』

『ええ。養子縁組の斡旋と偽って、人身売買とは……考えただけで恐ろしい』

『はい。警察は養子縁組の詐欺も含めた捜査をしているそうです。特に死亡した片岡詩織さんです。先日、不明となっていた彼女の鞄が発見され、その中に重要な物証となる物が見つかったそうです。これにより、警察は中尾容疑者が片岡さんの死亡に何らかの関係があるとし、捜査を進め――』


 神妙な顔付きでコメンテーターは話を続けるが、ミサトはその先を見ることなくテレビを切った。

 テレビ画面の中の、友人達と撮ったであろう写真の彼女は、素敵な笑顔だった。

 つい先日会った女性は、やはり間違いようのない被害者で。自殺として処理されていた案件は、今は殺人事件に様変わりしていた。見向きもされなかった彼女の死は、鞄が発見されたことで注目されることとなり、今頃はきっと、家族や友人達にマスコミが押しかけているのだろう。



「ちゃんと、家族に最期の挨拶、したのかな……」



 掠れた声でミサトは呟く。自分は彼女の死に至るまでの経緯は全く知らされていなかった。ただ見学を申し入れただけで、まさか殺人事件の被害者だとは思わなかった。

 彼が何処となく苦い表情で了承したのは、こういった結果になる場合があったからだろう。

 あの鞄を探してほしいと依頼に来た両親は、どんな気持ちだったのか……。深く息を吐いてパタリと横になると、言いようのない苛立ちから乱雑に髪をかく。首筋にあたる毛先が、今はうっとおしくて仕方がない。



「あ~。喉痛い、最悪。おばあちゃ~ん」



 出てきた言葉に、隠すことのない甘えが入ったのは、きっとあのニュースを見たからだ。

 初めての一人暮らしで、家に帰った瞬間の言いようのない寂しさ。長い夜を過す不安の長さ。けしてミサトと交わることのない感覚だったとしても、彼女と彼女の両親の、喪失感がまるで分からない訳じゃない。


 そんな甘えたミサトの呼びかけに、すぅっと目の前に現れたのは、濃い松葉色の着物を纏った老婆だった。灰色がかった髪を綺麗に纏め、きりりと締めた帯に、ピンと伸ばした背筋。小柄な老婆には、いささか割烹着の丈が長いような気もする。

 歳を重ねたことで穏やかになった表情の老婆は、ミサトを見て眉尻を下げた。



「ちゃんと布団に横になってなさいって言ったでしょう?」



 苦笑しながらミサトの側に来ると、ハツエは軽くミサトの頭をはたいた。まったく仕方のないだこと、とでも言うように。額に貼られたアイスノンが温くなってきたのを確認すると、空気に溶けるようにハツエは『消える』。



「言ったけどさぁ……」



 新品なのが一目瞭然な青いパッケージの箱と、新しく氷を入れた氷嚢を両手に持ち、ハツエは『奥』から出てきた。

 年齢を感じさせるが張りのあるハツエの声に、唇を尖らせながら「だって寝てるだけって退屈じゃん」とミサトは呟く。



「はいはい、分かりました。貼りかえるわよ」



 そんなミサトを軽くいなす様は、手のかかる子供をあやす光景だ。手慣れた様子で額のアイスノンを貼りかえ氷嚢を交換すると、ハツエはタオルケットを肩までかけ直した。



「まったくあなたって子は……。だいたいですね、女の子が雨の日に出歩くんじゃありません。雨合羽を着ているからと言って、無闇矢鱈に体を冷やしたら良くないことぐらいわかるでしょうが」

「あれはレインコートで雨合っ――」

「だまらっしゃい!」

「はいっ!」



 まさに一喝。ぴしゃりと言われて、ミサトは思わず反射的に返事をした。横になっているのに、なんだかタオルケットの中でも姿勢を正しくしなければならない気がしてくるのは何故だろう?



「それにね、わたし何度も言っているでしょ。そういった危ない所には着いて行ってはいけませんって。何処で何を“引っ憑ける”か分からないんですから。好奇心猫を殺すって、有名な言葉があるでしょう。わたし、ミサトちゃんに何かあったら……化けて出てしまいそうだわ」



 あっさりと姿を出したり消したりできる御仁が、両手で顔を覆いながらそんなことを言う。

 背後に悲壮感全開のオーラを漂わせる姿に、ミサトは思わず「あんたが言うか!?」と突っ込みを入れたくなる。



「いや、おばあちゃんもう――」

「ただいま戻りました」



 カラカラと軽い音に続いて響く男の声に、ミサトは開きかけた口を閉じた。足音が止まったと思えば、居間を覗くように、見事なキューティクルの黒髪を持つ男が顔を出す。ミサトがあの屋上の見学を申し入れたとき、悩みながらも了承してくれた何でも屋を営む男だ。

 この他称曰くつき物件にはミサトの他に、もう一人の住人がいる。間借りと言う、今では稀な方法で住まう人物は、コンビニの袋を片手に柔和な笑みを浮かべた。グレイのジャケットにズボン、白いシャツと黒のセーター。『きちんと見れば』爽やかな好青年に見えるのに、何故かいつも地味だった。



「起きてたんだ。お昼過ぎてるけど、おはよう」

「あら、お帰りなさいレイジくん」

「はい。ただいま戻りました、ハツエさん、ミサトさん」

「お帰り、レイジさん。そしておはようございます」



 お昼というよりはすでにおやつの時間な訳だが、まったく気にせずミサトは言う。本調子ではないらしいミサトの姿に苦笑しながら、手に持っていたコンビニの袋から何かを取り出すと、レイジはミサトの頬に当てる。

 とたん伝わる冷たい感覚。長く当てられれば間違いなく痛みに変わるだろうそれを、ミサトは慌ててレイジの手から奪い取った。

 目に入る黄色い袋は、やたら爽やかなイケメンのイラストが描かれているパッケージのアイスで、



「やったー! バリバリくん梨あっげほっ! げほっ!」

「ほら、急に叫ぶから咳込む」



 ミサトの背中をさすりながら、あきれたようにレイジは言った。

 咳き込みはしたものの、ミサトの気分が浮上する。梨味は今の時期は売っていないのだ。どこで見つけて来たのか、レイジに無茶振りを頼んだ自覚があるだけに、ミサトは少々申し訳なくなった。



「ハツエさんご所望のゆず味も買ってありますので、残りは冷凍庫へ」

「あら、ありがとう。レイジくんは何味を食べる?」

「えと、新作のナポリタン味で」

「ナポリタンね……え? ナポリタン?」



 アイスにしてはおかしな料理名が出てきて、思わずハツエは聞き返した。そして奇妙な生き物を見るかのごとく、まじまじとレイジを見る。

 この人、少し前にコーンクリームスープ味なるアイスを食べていやしなかったか? と。ハツエのその視線に居心地の悪い思いをしつつ、レイジは頬を掻いた。



「相変わらず変わったものを率先して食べるのねぇ。テーブルの上に置いておきますから」



 感心と呆れが半々のため息をつきながらハツエは言うと、コンビニの袋と共に姿がパッと消えた。すでに見慣れた光景とはいえ、やはり驚きはある。



「さっきおばあちゃんがさ、私に何かあったら化けて出てしまいそうだって、嘆いていたよ」

「化けるも何も、すでにハツエさん『幽霊』だからねぇ」



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