第24話
「アシス、アシスっ、ねえ起きて、声を聞かせて! やだ、いなくなっちゃやだぁっ!」
見えぬ目では何も分からない。けれどこの腕に倒れこんできている彼は現実だ。
シェーナは必死でアシスの体に治癒の力をかける。
消えていく体温はこの雨のせいだ。決して彼の命が奪われていくせいではない。そう思いたい。
このぬるりとした感触が嫌だ。動かない彼が嫌だ。何も言わない彼が嫌だ。こんなアシスなど知りたくはない。
失礼で、厳しくて、意地悪で、でも時々優しい。それがシェーナの知っているアシスだ。こんな彼はいらない。
「無駄だ。急所を貫いた。いかに魔王様のお力を持っていれど、体は脆弱な人間。一箇所でも傷つけられれば死にいたることもある。魔王様のお力が顕在するまで時間の問題だ」
ギッと声の方を睨みつけた。あいつだ。あの魔族だ。町の人の笑顔を、アシスを奪っていくあの魔族だ。
「心地良いな、その憎しみ。しかし本当に無様だ。お前を想い、助け、守ろうとしてその様だ。他人のための行為など、損しか被らんというのに」
嘲笑う声に、シェーナはぐっと唇を噛んだ。こんな奴に、彼を否定されたくない。
「何だその顔は? 結果から出た答えだろう。これが!」
「誰かのために、そう思うことの何が悪いというの? 誰かを助けようと、守ろうという気持ちはとても尊いわ。そうやって、命と命は繋がるの。誰かと一緒に生きていけるのっ」
「はっ、独りで生きていけば良いだけだ。そいつも、お前のためにと言って死ぬのだ! 馬鹿な自己満足で命を縮めたのだろうがっ」
「自己満足だなんて言わせいない。アシスの想いは私に伝わってるもの! 彼の温かくて、優しくて、かけがえのない想いを貰ったもの! それが私に生きる意志や意味をくれた。それができない貴方に、アシスの想いを、否定も、侮辱も、穢す権利もないわ!」
見えぬまましっかりと魔族を睨む目。凛と透き通る声。
もう逃げない。怯えたりなどしない。守られているだけなど嫌だ。たとえ歯向かう力がなくても、これだけは譲らない。
アシスはシェーナが傍に在ることで、生きる意志と意味を持ってくれた。シェーナはアシスのその想いを受けて、生きる意志と意味を取り戻した。あの想いが自分を救ってくれた。だから、アシスを否定することは許さない。
「小生意気な娘よ。ならば、そいつのために、と言ったことに満足しながら死ぬが良い! お前が魔王様への最初の生贄だ!」
この体がどんなことになろうと、さっきの気持ちは偽らない。シェーナはその思いをこめて、両眼をしっかりと見開いたままにする。
飛来するバズの気配。来るだろう痛みに歯を食いしばったその時、シェーナの周りに凄まじい魔力が広がった。
※ ※ ※ ※ ※
謁見の間で、ラドバーとペッグが同時に窓の外を見た。
「こ、この魔力は……っ」
二人の顔色が一瞬で青くなる。握る拳が、小さく震えていた。
その二人の間で、シェルニードが勢いよく玉座から立ち上がる。彼も黒魔道大国の王。これ程に凄まじい魔力を逃すはずがない。
「アシス……っ!」
掠れた声が、切実な響きを持って魔力の中心人物の名を呼んだ。
※ ※ ※ ※ ※
同時刻、攻防中だったアラン、ナフィス、そしてザンデルが空を振り仰いだ。周りの魔族達もが、その強大さに慄き動きを止めている。
「アシス、まさかっ、こんな!」
「あの馬鹿がっ」
感じる魔力は、あきらかに彼の制御範囲を超えている。それはつまり――
ザンデルは苦々しい表情で遥か上空にいる者を見上げた。彼なら止められる。だが、介入すれば魔族と神族で戦争が起こる。
「どこまで他人に迷惑をかければ気が済むんだ。あのクソ親父はっ」
未だ見たこともない己の血縁者。たった一人の、父。
その強大な紅の魔力と、消え行くアシスの魔力を感じて、ザンデルは唇の端を噛み切った。
※ ※ ※ ※ ※
上空で結界を強化していたアースは、爪が皮膚を破るほど拳を握った。赤い雫が地上へと落ちて行く。
「アウリュ……」
正反対の、けれど兄弟の名を呼ぶ。懐かしくもあり、今は決して感じたくなかった魔力。
「ダメですアシス。貴方が彼女を傷つけることだけは……っ!」
自分が介入すれば終わる。だがそれはできない。たとえ今を何とかしても、この後に起こるのは世界を破滅させる戦争だ。それを、彼らはきっと望まない。
王といいながらまた何もできない自分に、アースは歯噛みした。
※ ※ ※ ※ ※
その時の様子を、デュノはハッキリと見ていた。だが、理解できなかった。
シェーナとバズの言い争い。襲い来るバズからシェーナを守ろうと、痛む羽根を必死に動かした。それでも間に合わない。絶望に叫ぼうとした。
だが、その声を遮るように、紅い魔力が波紋となって辺りに広がった。
「……っが!?」
バズが発することができたのは、それだけだった。デュノが一度瞬いたその時に、彼の姿はもうどこにもなかった。
残ったのは、呆然とするシェーナとデュノ。そして、どんなに遠くからでも視認できるだろう、強烈な紅い魔力を纏い佇むアシス。雨すら彼の周りには降っていない。
デュノは全身に鳥肌が立つのを感じた。この魔力を自分は知っている。かつて、首都で一度感じたことがある。遠く離れたこの地で起こった、この魔力を。
「……ア、シス?」
彼が立ち上がったことに気づき、シェーナが名を呼んだ。確認するように、縋る様に。
だが、アシスは振り向きも、目も向けなかった。ただ、すっと一本立てた人差し指をシェーナにむけ――
「シェーナさん、危ない!」
デュノがシェーナに飛びかかるが早いか、先程までシェーナがいた空間が裂けた。文字通り裂けたのだ。
空気が切れ、景色が切れた。掠めたシェーナの服は、破れるでもなく、その一部分だけがなくなっている。
「デュノさん!? アシス、ど、どうしたの?」
「無駄です。今のアシスに声なんて聞こえません」
前に出ようとするシェーナを押しとどめ、彼は、アシスを、主だった青年を見やった。
ゆっくりとこちらを向く体。今まで以上に深紅に染まった瞳は、デュノ達を認識しているのに見てはいなかった。のっぺりとした表情が顔に張り付いている。本当に、綺麗な人形のようだ、とデュノは思った。
「こ、これ一体、この魔力は何なんですか! アシスはっ」
「魔王の力が、暴走したんです」
「っ!」
シェーナが息を呑む。それを聞きながらデュノはアシスから視線をはずさない。
「今のアシスはアシスであってアシスじゃないんです。声が届くこともなければ、敵や味方の認識もしていない。ただ、目の前にあるものを破壊するという意識しかないんです」
「そんなっ」
アシスの体が死に瀕し、魂までもが傷ついたのかもしれない。制御する者がなくなり、発動させていた魔王の力が暴走した。今のアシスは、力の制御を忘れた魔王なのだ。
突然、今までこちらを見ていたアシスが掌を向けた。デュノはそれより一瞬早く息を吸い込み、吐き出すと同時に最大熱量の炎を彼にぶつける。振り落ちる雨が蒸発する。
「デュノさん!」
気づいたシェーナが非難の声をあげるが、息を吐き続けているため答えられない。答えられたとしても、制止は聞き入れられない。今ここで彼を野放しにすれば世界が滅ぶ。
(それに何よりっ)
目の前で轟々と燃える青い炎。と、その炎の中からいきなり手が飛び出してくる。しまったと思う間もなく、デュノはその手に捕らえられ放り投げられた。
「ぐあぁぁぁっ!」
いつもなら回転して戻ってくるような他愛もないじゃれあい。だが、今回は違う。握られた瞬間に羽の骨が嫌な音をたてた。
同時に、体に送り込まれた圧縮された魔力が内部を暴れ馬のごとく駆け巡り破裂する。
吹き出す血の向こう側に、シェーナの首を掴み、木に押しつけるアシスの姿があった。
(ダメ……で、すアシス……貴方が、彼女を傷つけては……っ)
かけがえのない存在を。大切なあの少女の命を自ら手折ってしまったら、アシスはもう――
なぜ彼ばかりを絶望に落とそうとする。なぜ彼から大切な者を奪う。
動かぬ足を必死に伸ばして、デュノはアシスを苦しめる何者かを呪ってやりたかった。
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