第23話
「さすがに、魔王様の力は素晴らしいな」
「僕の制御が天才的なんだよ」
ぽつぽつと地面をうがつ雨は、体の熱を奪い、体ににじむ傷に痛みを与える。
「我らが王ながら嘆かわしいことだ。貴様のような人間に扱われるなど」
「文句は魔王本人に言いなよ。彼が勝手にこの体に入ったんだ」
ずきりと、鈍い痛みが体のあちこちでうずいている。ある程度は制御できるといっても、この力は人間にはできすぎた力。長時間使用すれば体に影響が出る。
(限界も近いね。そろそろ決めないと)
相手にも相応のダメージは負わしている。お互い、小競り合いはやめにしたいところだ。
アシスは杖を構え、ゆっくりと魔力を発動させた。細胞の一つ一つから限界まで搾り出し、体内を巡る間に融合させて行く。
このあと倒れこもうが、どうなろうが知ったことではない。死ななければ良い。
「ふっ、確かに貴様は天才だ。それは、認めよう。魔王様がお選びになった体だけはある」
「それはどーも」
「だが……」
バズがアシスを見て笑った。いや、違う。アシスではなく。アシスの後ろ。
「っ!」
その意味にアシスが気づいた瞬間、バズが横を駆け抜けた。向かう先は、シェーナ。
「くそっ、シェーナ逃げろ!」
「えっ?」
「がぁっ!」
一瞬のことだった。アシスが警告を発し、シェーナが気づき、デュノが吹き飛ばされる。その全てが、本当に一瞬のことだった。バズの手が、ぎらついた爪がシェーナに向かう。そのバズの後ろに、駆けつけたアシスの杖が光る。
キィンッと澄んだ音が響いた。爪を後ろから突き出した杖で受け止める。アシスの目に、シェーナの無事な姿が映った。
これで終わる。その思いと共に、アシスは構成を編んだ。
「我が言の葉にて誘わ……っ?」
突然、声が消えた。なぜだろう? 続きが言えない。喉が詰まる間隔に、アシスは咳き込む。だが出されたのは声ではなく、赤い血の塊だった。
「……ぅっ」
視線を下げる。自分の胸から、何かが突き出ていた。いや、何かが突き刺さっていた。バズの背中から伸びた、硬質化した腕のような物質。それが、みるみる自分の胸から流れ出る赤に染まっていく。
「貴様は天才だ。だが……人間は愚かだ。弱く、脆いからな」
ぐらりと、視界が揺れる。遠ざかる声の中に、彼女の声を、聞いた気がした。
※ ※ ※ ※ ※
シェーナには、何が起こったのか分からなかった。
アシスが『逃げろ』と叫んだ。次の瞬間、突然生まれた気配にデュノが呻き声をあげて消えた。嫌な予感だけが胸を駆け抜けた。
そして、高い金属音とアシスの呪文。この時、目の前に敵がいるのだとようやく悟った。
だが、何とかするとか、逃げるとか、そんな選択肢は浮かんでこなかった。浮かぶ前に、アシスの声が不自然に途切れる。そして――
「……アシス?」
どっと、重い何かが自分の方に倒れこんできた。優しい髪の感触、触れた腕が、彼だと伝えてくれる。だが、アシスは何も言わない。
どうしたのだろう。魔族は? 戦いはどうなった? 嫌な予感は、鼓動を早める。
「アシス……? アシスッ! アシス、ねえ!」
答えが欲しくて必死に揺さぶる。だが、聞こえたのはベチャリという嫌な水音。
(これは何? このぬるりとした物は何? この鉄の臭いは? なぜアシスの体からそんな物が出ているの?)
ぐるぐる回る問い。物言わぬアシスが、導きたくない答えを突きつける。
「い、いやぁぁぁぁぁぁっ!」
※ ※ ※ ※ ※
――その程度か? お前の力は。弱くなったな――
どこからか、声がする。聞いたことがあるようでないような、懐かしい淡々とした声。
(うるさい。なんでそんなことを言われなくちゃならないんだ)
――お前がふがいないから、俺が借り出される。まだ、外に出るには早いというのに――
朦朧とする意識の中に、黒い影が浮かび上がる。黒い髪、黒い服、白い肌に紅の瞳。それは、自分のよく知る魔族に似ていた。
違うのは、額とこめかみから三本の角が出ていること。左手の甲に黄金の目があること。そしてその背から生えるのが、蝙蝠の濡れ羽ではなく、神王の羽根を黒くしたものであることだ。
いつも身近に感じていて、けれど、どこか懐かしい存在。
――俺の復活はまだ先だ。今は無理だ。だから俺の意志は外に出られない。だがお前の意識ももうすぐ沈む。俺の力だけが外に出る。俺も、どうにもできんぞ――
(役立たず……)
意識に少しずつ霧がかかってゆく。考えることが辛い。苦しい。このまま目を閉じれば、楽になれるだろうか。
――役立たずか……そんなこと、もう知っているだろう? 遥か遠い、あの時に――
なぜだ? 意識に霧がかかってゆくに比例して、視界が真っ赤に染まってゆく。薄れていく理性に反して力だけが沸き起こる。
――だから、自分で何とかしろ――
(っの、無、せ……き任……)
――あの悲鳴が、最後に聞く声で良いのか?――
消え行く意識にはっきりと聞こえるあの少女の声。咄嗟に、ダメだという意識が浮上する。
だが、その意識すら、紅く巨大な力が飲み込んだ。
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