第22話

「シェーナ、裏切ったか」


 上空に現れた深紅の瞳を持つ魔導士は、近くにいるシェーナに低い声を投げつけた。ビクリとすくむ彼女の前にデュノが立ちはだかる。


「そこの君、えっと、名前は一応バズで良いんだっけ? 訂正させてもらうと、シェーナはもともと君の仲間になったわけじゃない。『裏切った』なんて言葉は不適合だよ」


 肩をすくめるアシスを睨みながら、バズはすっと地上に降りてくる。相変わらず平凡な顔つき。それでも、その奥からにじみ出ている殺気はアシスにも感じ取れた。


「ブレアシュの者を裏切ったか、という意味で言ったんですけどね。五賢者殿。今頃、私の意志を把握した魔族が次々と町の者達を殺してまわっている。明日の朝には全て消え失せているでしょうね」

「そうだね。消えてるのは君の部下だけど、ね」


 わざとらしく祈りを捧げるバズを、アシスはつまらなそうに見つめた。


「馬鹿なことをおっしゃる。セルドゥガルロ軍が出撃したことは知っていますよ。ですが、首都からブレアシュまでどれほどかかると思って…………」

「呪文詠唱を含めれば、およそ八分ってとこかな」


 バズの言葉を遮り、アシスはニィッと唇を釣り上げた。


「構成が難しくてね、魔導士達の意志を合わせるのに時間がかかるんだ。呪文も普通より長いしね、あの転移魔法は」

「ははっ、何を言うかと思えば転移魔法ですか。あれは転移する場所に魔法陣がないと人間にはできない魔法でしょう。しかも、軍などという大人数は成功例がない」

「今まではね。でも、工夫しだいで魔法は発展する。例えば、転移魔法の構成と呪文を込めた魔石を、転移する場所に魔法陣の代わりとして埋める。そして、転移する方は人数に合わせ魔力を調節。あとは魔石の中にある構成と呪文を同じように唱えれば終わりさ」


 セルドゥガルロの魔導士隊ならば、軍を転移させるだけの魔力を持ち合わせている。構成の難しさから、若干場所はずれるかもしれないが、一瞬でブレアシュの付近に軍を進められるのは確かだ。


「そうか……あの両刃の魔女か……」


 憎々しげに吐き出す彼に、アシスは冷笑して見せた。


「そう。この魔法の欠点は、魔石を埋める危険な準備が必要なことだ。他国の場合は入国審査や、手練の魔導士がいてかなり難しいが、自国の町ならすり抜けることも可能だ。噂を大きくしないために、下級魔族しか表に出してなかったのが仇になったね」


 嘲笑うように言った瞬間、バズから魔力オーラが立ち上る。髪は伸び、顔には毒々しい文様が表れ、その体は硬質化してゆく。そして、メキメキと気味の悪い音をさせて、両のこめかみから角が生えた。

 だが、神王アースのような威厳ある物ではない。螺旋模様が入り、醜く歪んだ角だ。


「しかし、転移できたとしても魔族の方が町に近い。軍が攻撃を仕掛ける前に町民は殺せる」

「それも問題ない。エララに渡した魔石は二種類。転移用と結界用。軍が転移した瞬間発動するようにした。しかも、それは五賢者が力を込めた物だ。首都に張られたものと同じ設定の結界を、簡単に越えられるかい?」

「貴様ぁっ!」


 バズが身をかがめたと思った瞬間、その姿が掻き消える。人には見えぬその動きを、アシスの両眼はしっかり捉えていた。迫り来る腕を、杖でがっちりと受け止める。

 互いの紅の瞳が、交差した。


「後は僕が君を倒せば終わりだ。我が言の葉にて誘わん! 煉獄の炎よ、舞え!」

「があぁぁぁぁぁっ!」


 杖に巻きついた炎が、バズの腕を伝い身を焼き焦がす。その炎の塊を、アシスは思い切り蹴り飛ばした。人間の力からは考えられぬほどバズは吹き飛ぶ。


「ぐっ、う……なるほど、魔王様の力を使えば、呪文も短く、身体能力も上るということか」

「これでもかなり苦しい訓練を受けてたんだ。少々の力を使うぐらいでは暴走しないよ」


 魔王の力を御す訓練は何よりも優先して教えられた。少しでも暴走すれば、五賢者であった師の魔法が容赦なく飛んでくる。師とて魔王を出現させるわけにはいかない。撃ってくる魔法は一歩間違えばアシスが死ぬものだった。

 その中で得た制御能力だ。そう簡単に暴走するわけがない。


 小馬鹿にしたようなアシスの態度に、バズは体を持ち上げた。炎で内部にダメージは与えたが、外部は硬質化されているためほぼ無傷だ。


「ならば、貴様を殺して魔王様の魂を解放するまでだっ!」


 曇天から冷たい雫がいくつも落ち始める。それを蒸発させる魔力をバズは放つ。その魔力に呼応しそうになる鼓動を抑えつけ、アシスは杖を構え直した。




   ※ ※ ※ ※ ※




 ブレアシュの周りでは、眠りにつく者全てを起こすような轟きが渦巻いていた。爆音、金属が弾きあう音、木々が悲鳴を上げて折れて行く音。もうもうと立ち込める土煙と血飛沫の中、いくつもの命がぶつかり合う。


「ナフィス、道を開けてくれ! 私は町中に入り込んでいる魔族を消しにいく!」


 アランの声に、ナフィスは斬り結んでいた魔族を一閃し、杖を構えた。


「整然たる論理を我が前に! 汝明るきもの、汝熱きもの、示されし理に従い全てを塵に帰せ!」


 膨大な炎が球体となって杖の先に現れる。ナフィスはそれを眼前にいた魔族に向かって放った。立ちはだかる者を焼き尽くし、炎の球が過ぎる道に灰のみが残っていく。アランはそれを追うように馬を走らせた。


「一個大隊、続け!」


 アランと兵士達が結界を越えて町中に入る。


「歩兵一個小隊は、町の者を領主の館へ集めろ! 他の者は町の魔族を掃討せ……っ」


 言葉が終わる前にアランは馬を飛び降りた。その刹那、馬の胴を巨大な手が突き抜ける。


「魔導士、邪魔者、見ツケタ。排除、スル」


 およそ人間には見えない、人間の影を象ったような巨大な魔族。中級より少し下か。それが、アランを囲むように数十匹現れた。


「黒黒黒黒黒っ! 黒いのは黒魔道大国の正装とアシスの腹の中だけで良いんだよ! ここは私が抑える。君達は先に行け!」


 部下を町に向かわせ、アランは大きく息を吸った。


「我が命に逆らう術なし! 天を多いし命の息吹よ、汝を妨げし愚か者に、粛清の牙を打ち下ろせ!」


 アランは広範囲の風の魔法で切り裂くが、核を仕損じた者は切られた体のまま動き回る。このまま町に広がられても迷惑だ。再び魔法を構築しようとしたその時――


「セルドゥガルロの魔導士、目を閉じろ」


 淡々とした声が響いたと思いきや、閉じた瞼の裏で光がスパークした。続いて落雷の音。

 その余韻が消えると、アランは目を開けた。そこには影の魔族ではなく、魔族が地面に焼きつけられた痕が残っているだけだった。


「これは……今の、君がやったのか?」


 目の前にいるのは、黒い濡れ羽を広げた魔族。白い肌と全身の黒。そして目の紅の組み合わせが、妙に綺麗に当てはまる男だった。


「同胞? 裏切リ者ッ!」


 突如、男の後ろから先と同じ魔族が飛び出す。杖を構えるアランとは裏腹に、男はさっと手を挙げただけだった。その指先に光が灯ったかと思うと、強烈な稲妻が魔族を裂く。


「名はザンデル。契約者アシス・カーリア・クラバルトの頼みにより来た」

「ザンデル。なるほど、君が。しかし急がないと。結界が強力とはいえ、騒ぎを聞きつけた上級魔族が何人も出てきたら困る」

「それも問題ない。俺達よりよっぽど結界に精通した者が強化している」

「え?」


 意味を請う表情のアランを置いて、ザンデルは背を向けるとスタスタと歩き出した。


「だが内部の魔族排除は関われんらしい。バレるからな。急ぐんだろう?」

「あ、ああ。そうだな。っと、さっきは助かった。ありがとう」


 どんな事情があるとはいえ、助けてもらったのに変わりはない。素直にそう言うと、ザンデルは子供のように目を丸くした。


「どうしたの? もしかして魔族での礼の言葉は『君って最低』とかじゃないよね」

「お前もアシス属性だな。ただ、たまには礼を言われるのも悪くないと思っただけだ」


 緊急事態だと分かってはいるが、どうにも前半の言葉が腑に落ちないアランだった。




   ※ ※ ※ ※ ※




「我が言の葉にて導かん! 天空の覇者よ、刃を纏いて踊れ!」

「しゃらくさいわぁ!」


 一対一の攻防。それが人間と人間であったなら止めに入ることもできただろう。だが、目の前で行われているのは人間と魔族の、いや、魔族と魔族の戦いと言える。

 強力な魔法を使うアシスに対して、バズは一切魔法を使わない。軽い衝撃波や炎なら使うが、それ以外は使わない。いや――使えないのだ。


 それは、いつしか暗黙の了解になった魔族と神族に課せられた律の一つ。

 『両種族は、この地においてたやすく魔法を使ってはならない』

 なぜなら、両者とも絶大すぎる魔力を持ち合わせているため。


 たとえ魔法の構成を、魔族が人間と同じように考え編み出したとしても、その規模は有に人間の数十倍から数百倍。そんなものを発動させてみろ。この世界は数時間で破滅する。

 そのため、彼らは実力の大半をセーブしなければならない。この世界で生きるために。


 それがこの世界が作られた時から存在する理。その理を破れば、魔族と言えども世界から否定され消滅するという。

 だが、魔法が使えないと言っても魔族は強い。戦いに割って入るどころか、手助けすらできない自分が、デュノは歯がゆかった。それは隣のシェーナも同じなのだろう。


 あたりに蔓延する殺気を感じて体は震えている。それでも彼女はしっかりと目を開け、見えぬ目でアシスを見守っていた。自らが犯そうとした罪に、正面から立ち向かうように。


(アシス、頑張ってください)


 月並みの言葉しか浮かんでこない。だが、それでもデュノは心からそう思った。 

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