第21話

 街道から少し離れた道を、規則正しい馬の足音が進んでいく。


「もう少しで着くから。大丈夫かいシェーナ?」

「はい、あ、じゃなかった。うん、ちょっとお尻が痛い……けど、平気で、平気!」


 首都からほぼ半日。アシスはシェーナを前に乗せ走り続けていた。決戦の場にしようと思い、そして、始まりの場所でもあるあの場所へ向かうためだ。


「まだ慣れない?」

「う、ずっと敬語でした……だったし、年上の人にこんな風に話すの初めてで」


 危ないから、と。かなり危険な戦いだからと、当初シェーナはラドバーに預ける予定だった。だが彼女はしつこく食い下がり、頑として言うことを聞きそうにない。

 抜け出されても困るし、シェーナが一歩踏む出すためにも必要かもしれない。そう考え、また、ちょっとお近づきになろうかと、アシスは『さん』づけと敬語をやめることを条件にしてみた。これが意外に苦戦するらしい。


「練習のために、私にも敬語で話すのをやめませんか?」

「そ、それは無理です。絶対デュノさん、もっと年上の方でしょう?」

「正解。もうすぐ四十歳だよね」

「年をとっていないので二十八歳のままです!」


 傍らを飛ぶデュノも加わり、道中はとても和やかだった。たわいない会話をして、アシスもシェーナも、お互い普段の姿が出せた気がした。


「はい、到着。少しは晴れてて欲しかったね。せっかく帰って来たんだから」


 そろそろ夕暮れだが、空には厚い雲がかかっていた。近くに村もないため辺りは酷く薄暗い。馬からシェーナを下ろし、アシスは手を引いて歩き出した。デュノも後を追う。


「ここは?」

「僕の生家があった場所だよ。もう、この木と、これしか残ってないけど」


 シェーナの手をとって、それらに触れさせてやる。

 一本の大きな木と、その傍らに立つ綺麗に形を整えられた石。その形を手で確かめ、シェーナはアシスを振り返った。


「これ、お墓……?」

「うん。僕の父と母のね。僕の師が、建ててくれたんだ」


 しばしアシスを見つめたかと思うと、シェーナは何も言わず墓に向かって祈りを捧げた。アシスも胸に手をあて、そっと目を閉じる。


 いつも、ここに来ても何を思えば良いのか分からなかった。冥福を祈るべきなのか、それとも、謝罪するべきなのか。

 でも、今日は違う。伝えたいことがあった。だから来た。

 少し肌寒い風が吹き抜けて行く。二人は木の根元に座った。デュノは持ってきた魔石を設置しに行っている。気を使ってくれたのもあるだろうが。


「どうして、ここに? ここであの魔族を待つんだよね」

「うん、この辺は人が住んでないし、戦いにはちょうど良いかな、って。でも、そうだな。両親に伝えたいことがあったのと……ここが、始まりの場所だったから」

「始まりの、場所……?」


 アシスは辺りを見渡した。二十年近く前は、この辺りにもまだいくつもの家庭があった。それが、あの日を境に皆去ってしまった。

 『魔王の生まれた場所』そう、蔑んで。


「僕の両親は二人とも魔導士で。僕も生まれながらに魔力を持ってた。それがかなり強いものでね。天才だとか奇跡の子だとか周りから褒められて……嬉しかった」


 幼いながらもぐんぐん魔道の知識を吸収した。周りからの扱いはとても良く、自分が褒められると喜ぶ両親の顔が好きでさらに勉強した。

 当時の五賢者が首都から見に来るほど、アシスの名は広がっていた。

 それが一変したのは、六歳になろうとしたある日。


「結局この大きな魔力は、魔王の魂が僕の体に入り込んでできあがったものだったんだ」


 体に入り込んでいるだけか、それとも魂と同化しているのかは分からない。それでも、彼の魂がこの内にあるのは確かだ。


「あの日、上級魔族が僕の家に来た。たぶん、噂を聞いた奴らだろうね。魔族は僕を攫おうとして、両親は僕を守ろうとして、お互いに高度な魔法を使った。それが引き金だった」


 強力な魔力と魔力のぶつかり合い。それに引きずられて、自分の内に眠っていた彼の魔力が解放された。まだ幼い体で、何の訓練も受けていないアシスでは抑えられなかった。


「正気に戻った時には、家の中が真っ赤だったよ」


 見知った家は、まるでペンキを塗りたくったようにどこも真っ赤で、酷い鉄の匂いが漂っていた。

 襲ってきた魔族には核に当たるまでひたすら攻撃したのだろう。原型も何も分からず、ただの肉片になっていた。


 そして、その真っ赤な世界で見知った顔を二つ見つけた時。唯一生きている自分の体が、同じ赤に濡れていると気づいた時。アシスは、ただ叫ぶことしかできなかった。


「僕が……両親を殺したんだ」


 あの頃より大きくなった手を見る。この手が、大切な人の血で染まっていたのだ。この手が、何よりも大切だった人達を殺したのだ。


「でもそれはっ……」

「魔王の魂のせい……うん、そう言えたら楽だった。でも、どうしてかな? その時のことは覚えていないのに、声だけは思い出せるんだ。『アシス』って叫んでた母さん達の声」


 必死に息子を取り戻そうとしていた父母。その息子の手にかけられた父母。

 名を叫んでくれた時、何を思った? 恐怖? 悲しみ? 絶望? それとも、最後まで自分を想ってくれていたのだろうか。大事な息子として。


「アシス……」


 かける言葉に迷うようにシェーナは彼の名を呼んだ。我がことのように涙を流す彼女の頭を、アシスは苦笑してなでる。

 そう言えば、これは母の癖だったと思う。何かあるとこうやってアシスの頭をなでてくれていた。


「その後、鏡を見て目が赤紫になってるのに気づいたんだ。最初は分からなかったけど、首都から駆けつけた五賢者の話を聞いて理解したよ。自分が魔族の仲間入りをしたんだって」


 絶大な魔力の変わりに、アシスは一部分、人間ではなくなった。


「封印をかけられ、投獄されて、二年ぐらい経った頃かな。一人の五賢者が僕の所に来たんだ。前№1。ラドバーと、僕の師となった人物だ」


 国の決定はアシスの力を利用することだった。生かす代わりに力を貸せと。そのための訓練に、№1が師匠として選ばれた。この計画の発案も彼だという。


「今思っても変な人だったよ。僕は最初に自分を憎み、後々、国を恨み始めた。『好きで父さん達を殺したんじゃない。何で僕がこんな目に』ってね。だから、僕が力をつければ、国に復讐することだって考えたはずなんだ。なのに、彼は押し切った」


 悲嘆と怒りにくれていた自分に、彼はこう言った。

 『憎い、と泣き叫ぶ前にこの国を掌握するぐらいの足掻きを見せろ』『憎いというならその魔王の力を御せ』と。

 だから、ついていった。復讐のための力を手に入れるために。


「でも、アシスは復讐なんてしなかった。今も、五賢者として支えてるでしょう?」

「最初はするつもりだったよ。でもね、その内馬鹿らしくなったんだ。大きな力を扱えるようになって、魔道の知識も吸収した時、周りにはもう、僕に勝てる奴がいなかった」


 訓練し、魔道学校に通うようになったアシスを周りは化け物と罵った。小さい時は殴られもしたし、取っ組み合いなど日常茶飯事だった。けれど、学校を卒業するぐらいになると、アシスに敵う者がいなくなっていた。


「残ったのは、僕の力を認める人か、ただ陰で吠える者ばかりで。呆れたと言うか、気分が萎えたというか、そんな奴らに復讐するのが馬鹿らしくなってね」


 師は、最初からそれが目的だったのかもしれない。

 アシスが五賢者見習いになって数年後、自分を五賢者に推薦し自らは旅に出た。師と仲の良かった王もアシスの本質を見極めていたのか、息子の教師とし、あっさり五賢者に据えた。


「何て言うか、ずいぶん平和ボケした国じゃないかと思ったよ」


 仮にも魔王の魂を保有している人間を、国の中心に置くなど。


「でも、そのおかげで最近は近隣諸国との諍いもないよね」

「そうなんだよね。僕としては攻め込まれても五賢者として動くつもりで、魔王の力を出すつもりなんてないんだけど。あ、でも死にそうになったら暴走するか」


 もともと力の強いセルドゥガルロ。加えて魔王の力。それに恐れをなしてか、小さな少年が王位につく時さえ、諸国は動かなかった。

 軽く、まるで国の安否など気遣わないアシスに、シェーナは戸惑いの表情をする。そして、恐る恐る問いかけた。


「復讐をするつもりもなくて、守ることもそんなに一生懸命じゃなくて……じゃあ、アシスは何のために五賢者をしているの?」

「……父さん達が、僕が五賢者になることを望んでた。あとは特に目的はないかな。ただあの日から僕は、自分が怖くて憎くて、自分が生きていることが間違いなような気がして。でも、両親が守ってくれた命だから勝手に捨てることもできなくて……」


 生きる意志も意味もなくなって。けれど簡単に死ぬわけにはいかない。だから、生きてきた。何の目的も持たずに、ただ、生きてきた。

 こんな自分に失望したかな、とシェーナを伺う。彼女は俯いていたかと思うと、探り当てたアシスの手を握ってきた。少し驚く彼に、シェーナは微笑む。


「でも、アシスがそうであったとしても。私は今、アシスが生きてくれていて嬉しいよ」


 目を見開くアシスの前で、彼女は握る手に力をこめる。


「アシスに出会えて良かった。そうじゃなきゃ私、間違った道に行って、泣き続けてた。私も、生きる意志と意味をなくしていたと思う……それに……」


 シェーナはほんのり頬を染めると、少し言いよどんだ。意を決したように口を開いてはまた閉じるの繰り返し。

 様子を見ていたアシスは、胸のどこかが温かくなるのを感じた。それに突き動かされるように、シェーナをやんわりと抱きしめる。


「ア、アシスッ あの!」

「僕も、シェーナに会えて良かった。ずっと、もう、大切な者なんて作らないって決めてたんだ。失くすのが……また、この手で奪ってしまうことが嫌で……」


 だから、何も内側に入れないようにした。誰からも一線を引いて、昔持っていた気持ちさえ捨てて。同じ苦しみを味わいたくないと、臆病になって逃げていた。


「でも、そうやって大切なものを否定し続けたら、それは、両親との思い出も否定することになるんだよね。シェーナに叩かれた時、二人のこと思い出して、気づいた」

「え……私が叩いた時に?」

「『誰よりも私のことを想い、誰よりも愛してくれた人』って言ったよね。最後はどう思っていたか分からないけど、僕の中の両親もそうだったから。そうだよね、そんな人達を何も知らない奴に貶されて、怒らない方がおかしいよね」


 ギュッとさらに力を込め、アシスは彼女の耳元で言った。ずっと言いそびれていたことを。


「ごめん……」


 今、顔を見られていたら、非常に情けない表情だったと思う。そんなアシスを気配で悟ったのか、シェーナは彼の頭をなでた。先程アシスが彼女にしたように。それが許しの合図だと分かって、アシスはホッと息をつく。


「どうしてかな。シェーナといると、大切なものがあるのも悪くないって思えるんだ。失くすのが怖いはずなのに、欲しいと思ってしまうんだ」


 彼女が見せてくれる素直さや純粋さ。与えてくれる温もり。その全てを傍に置いておきたいと、いつでも手の届く所にあって欲しいと、そう願ってしまった。

 体を離し、彼女の両頬を手で包む。それでも、シェーナの目は彼を探すように不安定に揺れる。この白濁の目が、しっかりと自分を捕らえてくれれば嬉しい。


「今の僕にとって、シェーナが傍に在ることが、生きる意味で、生きる意志になるんだ。だから……」


 失うのは嫌だ。けれど、欲しいと思う気持ちも止められない。なら失わないようにすれば良い。


「守らせて」


 つっと、滴り落ちてきた彼女の涙にアシスは苦笑する。


「僕は君を泣かせてばかりな気がするよ」

「こ、れはっ、うれし涙だから良いのぉ」


 慌てて目をこする彼女は、見られないようにアシスの胸に顔を埋めた。そして、強く彼の服を握り締める。


「そんな風に言ってもらえて、凄く嬉しい。私でも、誰かの役に立てるんだって、そう思えるから……私もアシスに大切なこと、いっぱい貰ったから。だから……ありがとう」


 嬉し涙と、精一杯のありがとうはきっと、受け入れてくれたということ。


「そっか、なら僕も嬉しいよ。あとは、そうだな。シェーナの顔、ちゃんと見たい」

「え?」

「君はファルゲーニスの守護を受けているから、その目、本当は綺麗な青なんでしょう? 全部終わったら、ちゃんと見られるよね」


 目が見えないのはあの魔族のせい。ならば、今日かたをつければ、彼女の視力は元に戻るはずだ。


「私も、アシスの顔、見ることができるかな? 見たいなって、思ってたの」

「期待しててくれて良いよ。僕は凄い美形だから」


 調子に乗った言いように、二人は噴出して笑った。

 全てを終わらして、お互いが本当の姿で会うために。ここから新しい始まりを。そのためには――


「そろそろだね」


 雲の向こうで太陽が沈んだのだろう。辺りは闇に包まれていた。

 魔法で明かりを灯し、アシスは戻ってきたデュノに目を向ける。


「シェーナを頼むよ、デュノ」

「はい」


 不安げに見上げるシェーナを、安心させるように再度なで、アシスは少し離れる。手にとった杖をだらりと構えもせず、彼は瞳を閉じた。


(さあ、出といでよ。君の望む彼は、ここにいるっ)


 アシスは体内を巡る魔力を一気に放出した。圧迫された空気が強烈な風となってシェーナ達に吹きつける。その中心に、アシスは紅い魔力オーラを纏いながら佇んでいた。


 ふと、アシスは上空を見上げ、ニッと笑みを浮かべた。


「こんばんは」


 見開かれた紅色の両眼が、同じ目で睨みつける魔族を捉えた。




   ※ ※ ※ ※ ※




「さて、そろそろこっちも動こうか、ナフィス」

「そうね。魔導士隊、詠唱を開始しなさい!」


 広い野原に整然と並ぶ兵士。その周りをぐるりと囲んだ魔導士隊が一斉に呪文の詠唱を開始した。

 よどみなく唱えられる言葉に、草が波打ち、空気が帯電する。それを身に感じながら、アランは剣を引き抜いた。


 この呪文は、このような戦を想定して五賢者が作ったもの。危険な下準備が必要なことと、予想を遥かに上回る魔力が必要なため、今まで使われたことがなかった。


 詠唱が佳境に入る。淡い光がアランを含め兵士達を包み込む。周りの景色が、ぐにゃりと歪む。次いで、彼らの立つ地面に巨大な五芒星が描かれた。

 その瞬間、傍らに突然生まれた気配にアランは剣を振り下ろす。耳障りな音と声を残して、一匹の魔族が息絶えた。


 ゆっくりと収まる光の中、すでに見えるのは野原ではない。いや、野原に近いが間違いなく先程いた場所とは違う。眼前には森と思しき闇と、町と思しき光が点っている。


「セルドゥガルロの民に害なす魔族を淘汰せよっ、ブレアシュを守れ!」


 同じように剣を引き抜いたナフィスが、声を張り上げ町に向かって振り下ろす。


「全軍、かかれっ!」


 アランの声を合図に、セルドゥガルロ軍が進撃を開始した。

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