第19話

 シェーナがとるであろう行動は、何となく分かっていた。

 彼女に腕力はない。体術や戦闘に関してもアシスの方が上。不意打ちも確率が少ない。まして召喚の力はコントロールできていない。ならばアシスを殺す方法は限られてくる。


 最初は王であるシェルニードが狙いかとも思った。だが、屋敷に来てから敷地を出て行く気配もなく、その後の彼女の言動を聞いて、狙いも自分だと分かった。

 なぜアシスか、という理由はおそらく魔族にも教えてもらっていないのだろう。神王との会話の時に驚いていた。


 動くタイミングは、昨日の襲撃で確定した。だからアシスは陳腐な演技をしたのである。目の見えない彼女だからこそ通じる技だったが。


 アシスは今まさに毒を飲もうとしていたシェーナの腕を掴んだ。きっと昼までに何度も泣いたのだろう。瞼が赤く腫れている。そして、今も涙が流れている。


(やっぱり、こういう顔はさせたくないな)


 別に泣き顔が嫌いなわけではない。こういう時でなければ綺麗だと思ったかもしれない。だが、彼女が苦しんで泣く姿は嫌だった。


「ア、シスさ……どう、して?」

「ん? だから言ったでしょう。君に死なれる方が嫌なんだ。だから、止めたんだけど」


 本音である。

 いつの間にか、かけがえのない存在になった彼女に目の前で死なれてみろ。発狂するどころか、暴走して数ヶ国ぐらい滅ぼしてしまうかもしれない。


「そうじゃない! そうじゃなくて、何で、だって、だって確かに私は毒をっ」

「飲んでないからね。飲まないと毒が入っていても死なないでしょ」


 迫真の演技だったかな、と笑うアシスに、シェーナは勢いよく手を振りほどき離れた。


「シェーナ」

「あ、私、わ、ったしっ」


 彼女は酷く怯えていた。責められることにだろうか。それとも、失敗したことにだろうか。


「シェーナ、君を責めるつもりはないよ。やったことは許されることじゃない。でも、そうしないと、ブレアシュの人達が……」

「殺すって、私が貴方を殺さないと皆を殺すって! 大切な人達なの、大切な場所だったの! 守りたかった。いけないことだって知ってたけどっ、守りたかったっ!」

「それで、僕を殺そうとしたんだね」

「貴方が主を封じてるって、だから死んでもらわなくちゃならないってっ。あの時は何のことか分からなかったけど、それでもっ!」

「確かに、彼らの主、魔王は僕の中にいる。僕を殺せば彼の魂がこの体をのっとって復活する可能性はあるね。そしてそうすれば、合わない器に力は暴走し、三大大国の一つセルドゥガルロは滅ぶ。世界は恐怖と不安で埋め尽くされ、魔族の栄養源もたくさん手に入る。一石二鳥というわけだ」


 結局、領主の反乱というもの以外、大体予想通りの目的だったわけだ。


「そして、僕を殺して、自分も死ぬつもりだった」

「死んで償えるわけじゃないって分かってた! でもっ、貴方を殺して、私が生きてるなんてそんなの……そんなの、耐えられなかったっ……」


 涙を流しながらそう言う彼女に、少しは自惚れても大丈夫かな、などと不謹慎なことをアシスは考えた。

 小瓶は落ち、液体も絨毯に吸い込まれている。彼女も自分も死んでいない。その事実を、シェーナはどう受け止めているだろうか。


「僕に全てを話そうとは思わなかったのか? まあ、あんな態度だったし信頼されているとは思わないけど、失敗したこの状況に魔族が来てないことを見ても、監視はされてなかっただろう? その目も、君の動きを制限するためのものだ」

「でもっ、バレたら町の皆がっ!」

「ただの口約束だったんだろう。契約でもなんでもない。そんなものを魔族が守るとでも思ってたのか!?」

「っ! ……ふっ」


 恫喝したアシスの声に、シェーナはビクリと跳ね上がった。そしてその場に崩れ落ちて行く。

 大切な人達を人質に取られ、心も体もいっぱいいっぱいだったのだろう。こんな簡単なことにさえ、気づけないほど。


「約束を守っても、魔王として暴走する僕が、いつか君の町も滅ぼしただろうね」

「っく、ふっ、ぅ……」

「それでも、その約束が守られると信じているなら……」


 アシスは近くにあった果物ナイフを手に取り、それをシェーナに握らせた。


「ここが心臓だ。少し押せば僕は死ぬ。君と魔族の約束は果たされる」


 震える手にナイフを握りながら、シェーナはアシスの顔を見上げた。未だ涙の途切れぬ彼女の頬を拭いながら、アシスは『でも』、と続ける。


「同じ口約束なら、今、目の前にいる僕の言葉を信じてくれないかな?」

「…………え?」


 泣きながら震えるシェーナは、まるで寂しくて死にそうな兎みたいだ、と思った。この小さな兎に笑顔を取り戻せるなら、誰かのために動くのも、悪くないと思える。


「僕は、リーファのようにはならない」


 真っ直ぐ自分を見上げる白い瞳。だが、リーファの書の通りなら、シェーナの目はとても綺麗な青のはずだ。その色を、見たい。


「シェーナも、シェーナの望むものも、必ず守ってみせる。だから、僕を信じてくれないか」


 アシスが彼女の頭をなでるのと、彼女の手からナイフが落ちるのは同時だった。そのままシェーナはアシスの腕に飛び込み大声で泣き始める。

 封じ込めていたものを全て吐き出すように、彼女は泣き続けた。


「よく、頑張ったね」


 泣きじゃくるシェーナを腕に抱き、アシスは一言そう言って、優しく笑った。

 空の色が移り変わる。

 窓の外では、美しくも禍々しい紅い夕焼けが、世界を包もうとしていた。

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