第四章

第16話

「この失態は何たることですか! 五賢者ともあろう方々がみすみす魔族に首都に入り込まれたどころか、送り込んだ隠密員によってこちらの動きもばれるなど!」


 不快な怒号が会議室の中に響き渡った。

 少年王シェルニード、呼び戻されそろった五賢者。そして、各大臣や執政官達が集められたのは、アシス邸での騒動が明けた次の早朝だった。


 昨夜、創世神の一人と謳われる、命注ぎし原始の王ファルゲーニスの力によって体力を奪われたアシスの元に、すぐさまラドバーとアランが駆けつけた。二人共アシスのあの魔力を感知したらしい。


 竜型に戻ったデュノと、驚異的な回復力を持つアシスは、朝方までに何とか動けるようになった。術者であるシェーナも大したことはない。目が覚めた後、エララの傷を癒しもしてくれた。

 そして、正気に戻ったエララは動けないまでも、任務でのことを全て報告した。


 ブレアシュの周りにはびこる魔族。怯えるが何も語ろうとしない民。隠密員二人の欠落。首都にシェーナを連れて来た魔導士が魔族であること。彼と戦闘をしたこと。操られる寸前のこと。

 そして、《例の物》の設置は完了していること。


「ここまで来れば、あのシェーナという少女が魔族方についていることは間違いないのですぞ。こうなれば拷問をかけるでも何でもして、目的を吐かせるべきです! 脅威は首都にまで及んでいるのですよ! このままでは我々がどうなるか!」


 大臣を勤める貴族の一人が声を上げた。

 それを言うなら『我々』ではなく『民』か『国』だろう。と、アシスは口には出さずに毒づいた。

 だが実際、アシス邸のみだが被害は出ている。民衆も最近の騒動続きに不安を持っているようだ。このような意見が出てくるのも、仕方がないといえば仕方がない。


「陛下、ご決断を! 少女一人の命と民の命。迷う必要はないはずです!」


 眉間に皺を寄せ、シェルニードは黙り込む。彼がここでするべき決断は決まっている。シェーナを犠牲にするのだ。それが『王』としてしなければならない決断だ。

 最小の犠牲において最終的に国を守る。それが王たる者に求められることだ。たとえ、犠牲にされた者達にどれほど恨まれようが。


「その決断、お待ちいただけませんか?」


 口を開こうとした王を遮ったのは、アシスだった。

 いつものようにふざけた顔ではなく、国の要である五賢者の顔と声で彼は全員を見渡す。


「待て、だと? これはクラバルと殿、貴方ともあろうお人が情でも移られたか?」

「陛下、いかに彼女が魔族と繋がりがあるとはいえ、追い詰めることは得策ではありません」


 突っかかってきた男を無視し、アシスは王に言葉を放つ。それが癪に障ったか、男が声を荒げ立ち上がった。


「何を言っておられる! 確かに癒しの力は貴重かもしれんが、それとこれとはっ」

「昨夜の内に五賢者には話しましたが、彼女、シェーナ・ミルレリアは原初の一族、しかも王族の末裔と思われます。原始の王、ファルゲーニスの守護も受けています」


 その言葉に、すでに聞いていた五賢者は神妙な顔をし、寝耳に水の他の者達は、ただ唖然と口を開けた。少年王もまた、目線だけでアシスに続きを請うている。


「馬鹿な、あれは遥か昔に滅びた一族。その存在すら伝説に近いのだぞ。ま、まして、原始の王など実在するかどうかさえっ」


 シェーナがそうであるというのなら、それはセルドゥガルロにとって利益になる。その存在はセルドゥガルロの名をさらに上げるだろう。

 研究は他国と合同で行ったにしても最大権力を行使できる。三大大国の中でさらに優位な地位になる。

 だが、一歩間違えば国をも滅ぼす脅威。その二つの感情が混じった声に答えたのは、五賢者の筆頭であるラドバーだった。


「魔導士リーファ・エルリストの著書が解読され始め、その中に原初の一族のことがありました。まだ全てが分かったわけではありませんが、昨夜、力の一端を見せたことといい、可能性は高いと思われます」


 ざわりと揺れる会議室。その中で比較的落ち着いた者が言葉を発した。


「しかし、なぜ彼女がそうだと? 確かに不思議な力は持っていますが、魔導士の進化、変異した者とは考えられないのですか?」

「彼女の身に着けているブレスレットが、リーファの著書に描いてあった原初の一族の物に酷似しています。そして、治癒能力も、王族が原始の王ファルゲーニスの守護を受けた証であると同じ著書に。そして昨夜、私は彼女の力をこの身で体感しました。凄まじかったですよ。私の《あの魔力》を使っても抑えきれないほどに。そんな力が、ただの魔導士の変異や進化だと?」


 ここにいる者達は、アシスの魔力が何たるかを知っている。それでも抑えられなかった事実に、不穏な空気が漂い始めた。他の五賢者もシェーナを扱いかねている。

 国のために少女を拷問にかけるか? だがそれで彼女の力が顕在すれば? 滅ぶのはこの国である。しかし特別な一族と保護していれば、その分、今迫りくる魔族の脅威が防げない。


 アシスは辺りを見渡し、一度胸の上に手を置いた。忌々しいと思っていた鼓動が、規則正しくリズムを刻んでいる。

 胸から手を離し、アシスは意を決して立ち上がった。そして、王であるシェルニードの前に跪く。


「アシス?」


 不思議そうに声をかけるシェルニード。公式の儀式や式典でない限り、彼が頭を下げることなど今までなかった。周りの視線も、アシスに集中する。

 アシスはその視線も気にせず、顔を上げ、赤紫の瞳でシェルニードを射抜いた。


「陛下、僭越ながら申し上げます。シェーナ・ミルレリアの件。私に一任していただけないでしょうか?」

「な、何を……」

「でしゃばりすぎですぞ、クラバルト殿! いくら貴殿に実力があるとはいえ、すでに近づいている脅威をそなた一人に任すなど。できるわけがない!」


 戸惑うシェルニードの代わりに、後ろから次々と声が上る。五賢者達も、彼の行動に目を剥いていた。


「アシス、何を考えている。いくらなんでもそれは無茶だ。第一、今までのことを考えれば、相手の狙いはお前という可能性が有力なんだぞ」


 会議室に正午を告げる音が響く。それを聞きながら、アシスは同僚達を見上げた。


「分かっているよ、ラドバー。だから、僕が止めたいんだ」


 フッ、と優しく笑うアシスを、きっとラドバーは見たことがなかっただろう。


「陛下、彼女は敵です。それに間違いはありません。ですが、数日とはいえ、彼女と共に時間を過ごした上で私は申し上げます。シェーナ・ミルレリア自身は、このような事を望んでいません。止められるはずです」


 身を呈して神王からアシスを庇おうとした彼女。『ごめんなさい』と言いながら苦しむ彼女。

 そして、時折花の様に笑う彼女。それを見て、彼女に接して、それでも敵だからと、仕方ないのだと割り切って犠牲にしたくはなかった。

 きっと、シェーナに会う前の自分が今の自分を見たなら『馬鹿だ』と冷笑されただろう。


「どうして、そこまで彼女を庇う?」


 五賢者として進言したアシスに、シェルニードは王として問う。見下ろしてくる彼の目には、堂々たる王の風格が見て取れた。


「彼女が、私にないものを持っているからです。それは私だけでなく、他の……命ある者達にとっても、価値のあるものでしょう」


 以前、ザンデルに言われた言葉。おそらく原初の一族であることを言っていたのだろう。だが、今のアシスはそれとは別に彼女の存在が大切に思える。あの時は必要ないと言っていたのに。


「彼女が魔族の狙い通りに行動を起こせば、その価値あるものは消えてしまうでしょう。それが、惜しいと思いました」


 何かを犠牲にして何かを救う。それを仕方のないことだと多くの者は思うが、きっとシェーナは割り切れない。

 あの純粋な少女は、自分が犠牲にした者に、ただひたすら後悔するだろう。そして、苦しみ、泣き続けるのだろう。その時、彼女の素直さや純粋さも穢される。

 だがそんなシェーナをアシスは見たくない。そうなる前に、彼女を止めたい。


 頭を垂れたアシスの上に、安堵した息が吐き出される。反射的に見上げると、シェルニードは嬉しそうに笑っていた。だが、すぐに顔を引き締める。


「一日だけ猶予を与える。その間に彼女を懐柔しろ。だが一日だけだ。明日の朝までに彼女が改心していない場合、反逆者として拷問にかける。良いな」

「陛下!」


 一日とはいえ、猶予を与えた彼に周りから非難が飛ぶ。だが、シェルニードは毅然と立ち上がり声を張り上げた。


「原初の一族がこちらについてくれれば力となる。それに《例の物》の設置は隠密員から成功の報告を受けている。緊急時の準備ができているなら若干の猶予も良かろう」

「しかしっ!」

「これは決定である。これよりは対魔族の準備を進める。五賢者は結界と転移魔法の準備を。大臣、執政達は軍出撃の準備を明朝までに整えろ。出撃に際する総合指揮は五賢者№2ナフィス・ミル・ナーラ。№5アラン・テーディ・マグスエルとする! 以上だ」


 反論などさせる隙を見せず、小さな王は命令を下した。未だ納得できぬ者を置き去りに、五賢者達は腰を折る。

 王令は絶対。他の者も、ゆっくりと頭を下げた。


「かしこまりました」


 それぞれが任につき始める中、アシスもまた歩き始めた。

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