第15話

「エララさん!」


 外を見た瞬間、デュノが叫んで駆け出した。アシスもシェーナを連れ彼の後を追う。

 草の上に倒れていたのは、赤いジャケットを羽織り、それと同じ色を体中にこびり付かせたエララだった。

 全ての傷が、致命傷ではないが痛めつけるためにつけられている。


「これは、酷い……エララさん、大丈夫ですか? 私の声が聞こえますか?」


 ぐったりとしたエララを揺さぶるデュノ。意識はないが、呼吸はしているようだ。


「あの、誰か怪我をしてるんですか? これ血の臭い……ですよね?」

「ああ、エララっていって城の人間なんだけど……調査に行っていたはずなのに」


 最後のアシスの言葉は小さかったが、隣にいたシェーナに聞こえたらしい。


「調査? 調査ってまさかブレアシュじゃっ……」

「シェーナさん、すみませんが手当てをお願いできませんか? これは酷すぎる」

「え、あ、は、はいっ もちろんです!」


 シェーナは慌ててエララの元に行こうとする。だが、その時デュノの腕の中で、エララが突然目を開けた。


「エララさん? 良かった、気がつい……」

「シェー……ナ?」

「エララさん?」


 焦点の合わない瞳で、彼女はぼんやりとシェーナの名を呟く。デュノが覗き込もうとしたその刹那、


「シェーナ……裏切り者……殺すっ!」


 デュノの腕を跳ね除け、怪我など感じさせぬ動きでエララはシェーナに襲いかかる。両手にはもちろんあの鉈のような剣。


「エララさん!」


 静止をかけるデュノの言葉と同時に、剣が振り下ろされる。シェーナの首が飛ぶか、と思われた一瞬、二人の間にアシスが滑り込んだ。キンッと澄んだ金属音が夜闇に響く。


「何をやってるのさ、エララ。いくら僕より年上でも、ボケるには早いんじゃない?」


 アシスが力任せに押しやると、エララは軽く数歩下がる。だがすぐに構え直した。


「アシス、エララさんは一体……?」

「操られてる。魔族本体じゃないから、結界にも引っかからなかったんだろうけど。この魔力は魔族のものだ」


 エララは魔力を持っていない。しかし、彼女からうっすらと立ち上るのは魔力の気配だ。そして感じる禍々しさは、確かに人間のそれと少し異なる。


「狙いは、シェーナさんですか」

「みたいだね。来るよ!」


 アシスの言葉と同時にエララはすでに目の前まで迫っていた。デュノがその攻撃を何とか受け止め弾き飛ばす。その間に、アシスは素早く魔法を組み立てた。


「我が言の葉にて誘わん! 空の覇者よ、戦人よ、その清浄なる息吹を持って薙ぎ払え!」


 場の空気が変わる。巨大な風の塊となったものが、再びデュノに向かおうとしたエララを大きく吹き飛ばした。


「アシス!」

「体術で僕達は到底エララに敵わないんだ。少しぐらい荒っぽくても、気絶させないと解呪もできな……っ!」


 言い終わる前に、アシスにエララが体当たりをかます。倒れるアシスに目もくれず、彼女は真っ直ぐシェーナに向かった。デュノでも彼女のスピードには追いつけない。


「ちっ、シェーナを守れ!」


 結界魔法の呪文を言う時間がない。アシスは咄嗟に簡易的な言葉で風の壁をシェーナの周りに張り巡らせる。刃が弾かれたエララを、デュノが後ろから羽交い絞めにした。


「エララさん、しっかりして下さい!」

「裏切り者め! お前は、お前が動かぬからっ!」


 デュノなど気にも留めず、エララの見開かれた両眼と言葉はシェーナに向かっていた。それに気づいているのか、シェーナの顔は血が全てなくなった様に白い。


「お前だ、お前のせいだ、シェーナ! お前のせいで町の者はっ」

「町……? ブレアシュのこと? そうなの? 皆がどうなったの!?」

「シェーナ落ち着くんだ!」


 エララの言葉に彼女が反応した。暴れるエララに近づこうとするのを、アシスが押さえる。そんな彼女を見て、エララは嘲るように笑った。


「お前が動かない、目的を果たさない、約束を破る、結末は決まっているであろう!」

「あ……ああ……ちが、私、わたしはっ!」

「ははっ、分かっていただろう? 知っていただろう? どうして欲しい? 全員串刺しにするか? それとも炎の壁に閉じ込めるか?」

「やめ、やめて……やめて……」


 崩れ落ちて行くシェーナをアシスが支える。だが、彼女にはそれも分からないようだった。耳をふさぎ、必死に首を振る。

 その時、アシスは不思議な気配を感じた。穏やかな、だが、全てをひれ伏せさせるような大きく重い力の気配。

 導かれるようにに目を動かせば、シェーナのブレスレットが淡く光っている。


「ははははははっ! そうだ、どうせならお前の目の前で一人ずつ嬲り殺してくれる!」

「や、め……」


 シェーナが全てを拒絶するように蹲る。それに比例するように、光はさらに増す。一抹の不安が、アシスの脳裏を駆け抜けた。


「お前が動かぬからだ! お前が殺すようなものだろうが!」

「やめてーーっ!」

「シェーナ、ダメだ!」


 シェーナの絶叫とアシスの制止は同時だった。だが、彼女の叫びがアシスの言葉を消す。

 瞬く間もなく、彼女を中心に巻き起こった力に三人は弾き飛ばされた。


「がっ!」


 背を打ち付けるが、アシスは即座に身を起こしシェーナに駆け寄ろうとした。だが、立ち上がる前にガクンと膝から力が抜ける。そのまま上体すら糸が切れた様に地面に落ちた。


「なっ……」


 指先を動かすだけでも辛い。見ればデュノとエララも同じ状態で倒れている。


「こ、れは……力が……っ」


 上から圧力がかかっているわけではない。それなのに、まるで全ての力を吸い取られたように、その場から動くことができない。アシスは必死の思いでシェーナを見た。


「ごめ、んなさい、ごめ……なさ。ごめんなさっ、私、わ、たし、がっ!」


 蹲りながら謝罪をくりかえす彼女は、青い光に包まれていた。穏やかな力だと感じるのに、たったこれだけの力なのに、動けない。


「シェーナ落ち着いて、力を止めるんだ! このままじゃっ」


 最大限に魔力を放出しシェーナの力の進行を阻むが、ものの役にも立たない。微かに身を起こしても、片膝と杖をついた状態からまた動けなくなる。

 アシスの魔力の許容量は、この大陸内で最大だというのに。


(くそっ、どうすれば……)


 今のシェーナは発狂する一歩手前だ。彼女はあの力を扱えていない。完璧に暴走してしまえば、彼女を守るために守護王の力が振るわれるだろう。

 命を注ぎし王・ファルゲーニスの力が。

 しかも、術者であるシェーナも、力の余波に巻き込まれ血を流している。

 このままでは、おそらく彼女の体もそう長くは持たない。


 アシスはシェーナを見つめ、胸の辺りをぎゅっと握った。

 これしか、方法はないと直感した。


「神王が言ってたよね。君も、僕が彼女を手放さないのを望んでるって。なら、力を貸しなよ。このままじゃシェーナが壊れる。苦しんでる彼女なんて見たくないんだ、僕は!」


 胸の内、この体にいるもう一人の存在にアシスは叫んだ。瞬間、一つ大きな鼓動がなり、すぐさま膨大な魔力が体を駆け巡る。その強力さに、身が焼かれるような感覚を覚えた。


「アシスッ!」


 こちらの行動にデュノが気づいた。だがもう止められるわけがない。


「暴走しないでよ。今度は殺すんじゃない、失うんじゃない。守るためなんだから!」


 言うと同時にアシスは体にある魔力を全放出させた。自分の魔力も、もう一人が保有している魔力も。

 その爆発にも似た放出に、アシスの動きを縛っていた力が消えた。たった一瞬の間。だが、その間に彼は一気にシェーナへと詰めより、腕を力任せに掴んだ。


「シェーナ落ち着くんだ。僕だ、アシスだ。こっちを見ろ!」

「いやっ、ごめんなさい! 私が悪いの、全部、私の、私のせい! 私のせいで皆がっ」


 少女とは思えない力で暴れアシスの腕を解く。彼女の力がまた膨れ上がった。


「っの!」


 崩れ落ちる体を支え、アシスは再びシェーナの腕を掴む。そして、思いきり引き寄せ、彼女の唇を自らのものでふさいだ。

 突然の感触に、シェーナが目を見開く。

 しかし、その突飛な行動が功を奏したのか、シェーナの心情と驚きを表すように、次第にブレスレットの光がすっと引いていった。

 それを認めて、アシスもゆっくりと唇を離す。呆然としたまま、彼女がこちらを見た。


「アシ……ス、さん?」

「眠れ」


 アシスの言葉にシェーナの体が揺らぎ、腕の中に倒れこんだ。簡易的な眠りの魔法だ。

 安らかな寝息をたてるシェーナに、アシスもホッと息を吐く。

 そのまま、彼女と一緒に草の上に倒れこんだ。


「アシス!」

「大丈夫……少し、疲れただけだよ。大丈夫、体に、変わりは、ないっ、から」


 目を腕で押さえ、アシスは荒い息を繰り返した。デュノも少しずつこちらに向かってくる。エララは気を失っているようだ。


「今の力は、シェーナさんの?」

「召喚したんだ。彼女の守護王、ファルゲーニスの力の一端をね。彼の王は命を注ぎし王。命の流れを司る者だ。与えることもあれば、逆に奪うこともする。僕達は体力を奪われてたんだよ。もしシェーナが暴走していたら、一気に命を奪われていただろうけど」


 末端の力だけであの威力。もし彼らがこの現世に召喚されれば、一体どうなるのか。


「それにしても……これで、シェーナさんと魔族に繋がりがあるとハッキリしましたね」

「うん」

「何かしら目的があって首都に、アシスの傍にいる」

「……うん」

「どうするんですか? これから」


 アシスがあの魔力を使ったことは、五賢者ならばすぐに気づく。もう数分もすれば彼らはここに来るだろう。のらりくらりと言い分けも嘘も続かない。


 アシスは目から腕をどけ、もう片方の腕の中で眠るシェーナを見つめた。

 もう、敵だと分かっているのに、なぜ自分はまだこの少女を心配しているのだろうか。


 抱く腕にさらに力をこめ、アシスは、月のない夜空を眺めた。

 人間にはあるはずのない、深紅の瞳で。

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