第10話

 研究区に着いてみれば、先程までいた商業区とは違い、ずいぶんと静観とした場所だ、とシェーナは思った。生活の音がほとんど聞こえない。アシス曰く、住人は研究所に閉じこもり、訪れる人もほとんど稀な場所らしい。


 今度はそう歩かない内にアシスは立ち止まった。目の前にはあまり大きくない研究所。その呼び鈴を鳴らし、住人が現れるのを待つ。


「うわお! アシスの旦那じゃねぇですか。今日は来ないのかと」

「ちょっと色々あってね。遅くなったけど、例の本、受け取りに来たよ」

「はいはい、そっちの方でも見て待っててくださいよ」

「君はこの辺にいて」


 そう言って、アシスはシェーナを入り口付近において、何かを品定めしに行く。魔道関係についてほとんど知識がないシェーナは、ただ待つしかなかった。


「そのお嬢さん。例のブレアシュから来たって言う?」

「そうだよ。相変わらず情報早いね」

「へぇ~……この娘がねぇ」


 そう聞こえて、シェーナは自分を見る視線に気づいた。ずいぶん、執拗に見られているようだ。


「あの……」

「ああ、ごめんよ。お嬢さん治癒能力持ってんだろう? ちょっと見してくんねぇかな」

「え? あ、ああ、はい。でも、ナイフとかで傷を作らないと……」

「ナイフね。ちょっと待ってくれ。ああ、これ、はい」


 ナイフを慎重に受け取ろうしたシェーナ。だがそれを、別方向から伸びた手が止めた。


「女の子に自分の肌を傷つけさせる気?」

「い、いやぁ……あの、なんてか、研究者の好奇心、て言うか……」

「研究区でして良い研究は、五賢者が定めたものだけのはずだよ。彼女についてはまだ誰も許可を出していないけれど?」


 アシスの圧倒的な威圧と冷気が、研究者をすくませる。


「あ、や、その……すんません。これ、本です」

「どーも。帰るよ」


 またごひいきに~、という引きつった男の声を無視し、アシスは勢いよく扉を閉めた。同じようにシェーナの腕を掴み歩き始める。しかし、今度は彼女が顔をしかめた。


「あ、あの、その、い、痛いです」


 初めて、シェーナは掴まれる腕に痛みを感じた。強さで掴まれている。だがアシスは力を緩めない。 それは、商業区に着いても、屋敷の敷地に着いてもだ。

 目が見えない分感じる。アシスは体全体で怒りを表している。あの研究者の男にではない。シェーナにだ。

 それがどうしてか分からず、シェーナはただ混乱しながらついていくしかなかった。



   ※ ※ ※ ※ ※




 屋敷の扉を壊すように開け、アシスはシェーナを中に押し込んだ。


「アシス!?」


 シェーナがようやく離れた手をさすっていると、デュノが驚いてやってくる。しかし、アシスはそれもおかまいなしで、シェーナに冷たい声を浴びせかけた。


「君はとことん馬鹿みたいだね」

「え……?」


 分かってない顔をする彼女に、アシスは目を細める。その表情に、デュノが驚いた顔をしていた。

 眉を吊り上げるとか、眉間に皺を寄せるわけでもない。一切の感情を廃棄したようなこの表情は、アシスが本気で怒りを覚えている時だからだろう。


「ア、アシス……あの……」

「あんな赤の他人の研究者に頼まれたぐらいで、自分を傷つけようとするなんて。君が自虐的趣味をお持ちとは知らなかったよ」


 割り込もうとするデュノを押しのけて、アシスはシェーナの真正面に立った。その気配に気づいたのか、彼女は怯えたように俯き、ギュッと服を握る。


「そ、そんなつもりは……それに、ちょっとだけなら大して……」

「大して? 君は自分の能力の特異性を分かってるんだろう? 魔族にも狙われているぐらいだしね。なのに、あの研究者が何をするかとか考えなかったの? 悪くすれば人体実験される可能性だってありえたんだよ?」

「それは……っ、でも、でも……クラバルトさんのお知り合いの方でしたし……」


 そう言われた瞬間、アシスはハッと嘲るように笑った。そして、グイッとシェーナの顎を持ち上げ、見えない目と視線を合わせる。


「僕はずいぶんと信用されているみたいだね。昨日会ったばかりの人間だっていうのに」

「だ、だって……私を保護してくださったり……今日だって付き合って……」

「仕事だからだよ。そうじゃなきゃ、どうして赤の他人を助けるためにここまでする?」


 アシスは突き放すようにシェーナを開放する。彼女は、何も言えないまま俯いているだけだ。微かに体が震えているかもしれない。


「そんな力を持ってるのに、君のご両親は何も教えてないんだね」


 ビクリと、シェーナの体がひときわ大きく震えた。


「娘がどんな目にあうか考えてなかったの? それとも、聖女としてもてはやされるとでも思ってたのかな? どちらにしろ滑稽だね。人と違う力を持ってしまえば、畏怖と脅威の目に晒されるだけだ」

「アシス……」


 吐き捨てられる彼の言葉に、デュノが重い息をついた。

 言っているのはシェーナのことであり、また、アシス自身のことでもあると気づいたのだろう。長い付き合いだからこそ、デュノはアシスが自分を忌み嫌っていることを知っている。


「そんなことも分かっていないなんて、随分と思慮が足りなくて酷いご両親……」


 ふいに、アシスは言葉を止めた。シェーナがアシスの服を掴んでいるのだ。そのまま、何かを探るようにこちらの体を上り、両手が、そっと頬に添えられた。シェーナの顔は、俯いたままで分からない。

 わけの分からない彼女の行動に、口を開こうとしたその刹那。


「っ!」


 パァンッと、乾いた音が玄関ホールに響いた。

 そばにいた使用人が固まり、デュノが目を丸くし、叩かれたアシスもまた呆然とする。

 ただシェーナだけが、叩いた右手を握り、白濁の目に涙を溜めてアシスを見上げていた。


「私が……私自身が貴方になんと言われようと構いません。思慮が足りなかったとも、考えが甘かったとも思う。それでどう思われようと良い。私の行動が招いた結果だから。貴方に好かれようとも思ってないし、どんなに酷いこと言われてもかまわない! でもっ!」


 アシスから目を離さず、凛とした声。

 零れ落ちる涙が、綺麗だ、と不意にアシスは思った。


「でもっ、父や母のことを悪く言わないで! あの二人のことを何も知らない貴方が、勝手なことを言わないでっ! 誰よりも私のことを想い、誰よりも愛してくれた人なのっ。その二人を何も知らずに侮辱するなんて……絶対に許さないっ!」


 そう叫ぶと、彼女は身を翻し、何度も躓きながら去っていく。おそらく部屋に帰るのだろう。危ない足取りに見かねたメイドが、そっとシェーナの肩を抱いて連れて行った。


「アシス、いくらなんでも言いすぎです。あそこまで傷つける必要はなかったでしょう? どうして彼女にそんな辛く当たるんですか!」


 いまだ呆然としたままのアシスに、デュノも珍しく強く詰め寄ってきた。

 シェーナは両親に対する部分だけ怒っていたが、それ以外の部分も酷すぎる言葉だ。主であろうがなんだろうが許せないことはある。

 だが、アシスはシェーナの去った方向を見ながら、ポツリと呟いた。


「……分からないよ」

「は?」

「彼女を見てると……イライラするんだ」


 そんな子供みたいな理屈があるか! と怒鳴りそうになっていたデュノだが、それより先にアシスは振り向いた。いつものように、皮肉げな笑みを浮かべて。


「それにしてもあの娘、僕の顔が見えてたら叩かなかったかな?」


 僕美形だしね。なんていけしゃあしゃあとのたまう彼に、デュノは前触れなく火を吐きかけてきた。最高温度の青い炎を。


「うわ! デュノ!」

「もう貴方なんて知りません! とにかく、シェーナさんに謝るんですよ! それまでは私、仕事を手伝いませんからね! 良いですね!」


 怒りを爆発させて、彼もまた去っていく。


「真面目な従者殿だ」


 アシスは小さく呟く。デュノは、きっとシェーナを慰めに行くんだろう。そして、主より一足先に謝るのだろう。


 いつのまにか、シェーナの服もなくなっている。使用人達も消えていた。

 玄関ホールには、一人、アシスだけが立っている。

 アシスはそっと、叩かれた方の頬に手を添えた。冷えた手が、熱くなった頬の熱を奪う。そう言えば、叩かれたのなんて何年ぶりだろうか。


「あんな風に責められたのも……久しぶりだよね」


 しかも、言われた張本人のことではなく、別の人間のために責められるなど、初めてだ。


「……痛い」


 小さく、そう言ったアシスの顔は、どこか迷子の子供のような顔だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る