第9話

 夕暮れが首都を包み始める中、アシス邸はにわかに夕食の準備で騒がしくなっていた。だが、その中で一人、あまりにも静かな人物がいる。シェーナだ。


 ソファに座ったまま俯き、一言も話そうとはしない。

 デュノは傍らに鎮座し、心配そうに彼女を見上げていた。

 朝の会話の時はまだ明るかった。一度自分が席をはずし、戻ってきた時には彼女の様子は一変していた。まるで、何かに怯えるように顔が青かった。


(ほんの少しでも、離れてはいけませんでしたね)


 彼女が敵であろうがなかろうが、こんな顔は似合わない。デュノはそう、思った。


「ただいま~」

「おやアシス。お帰りなさい」


 扉が開き、妙に間延びした声が響いた。入ってきたのはこの屋敷の主。その瞬間、シェーナの体がビクリと跳ね、声の方に向かって勢いよく振り向く。


「……何?」

「あ! いえ……あの、お帰りなさい……」


 冷たいアシスの問いかけに、シェーナは顔をそらし小さく告げた。

 そんな二人の様子に、デュノはできないが頭を抱えたくなった。

 少しは仲良くなると思ったが大はずれだ。シェーナはアシスのことを知ろうとしてくれていたし、アシスはアシスでいつもより気にかけていると思ったのに。


(普段は女性なんか仮面の笑顔であしらうくせに……気にしたんじゃないんですか?)


 嫌な沈黙が続く中、冷や汗を流しながらどうしようか考えるデュノ。しかしその苦悩を打破するように、救世主は意外な所から訪れた。


「アシス様、お帰りなさいませ。ちょうど良かった。あ、マントは脱がないで、そのままこっちに来てください。シェーナ様も。さあ急いで下さい。時間がないんです!」

「え、ちょっと」

「あ、あの!」


 突然、メイドの一人が飛び込んできたかと思うと、他にも数名現れ二人を引っ張っていく。そして、何事かと思う間もなく、アシスはペイッと外に放り出された。


「な……ちょっと、何なのさ! って、わっ」

「きゃっ」


 彼が振り向いて文句を言おうとした途端、今度はシェーナがぶつかるように放り出される。


「では、いってらっしゃいませ」


 朝の見送りと同じ言葉と礼をして、メイド達は二人の前で扉を閉める。それはもう、もの凄く自然に閉めた。

 呆然としているシェーナを引き剥がし、アシスは扉越しに引きつった声で問いかける。


「ちょっとそこのメイド君達。これはどういうことなのかな?」


 その答えも極自然に返された。


「実は忙しくて、シェーナ様のお着替えを買いに行けなかったんです。シェーナ様は女性ですし、ないと困りますでしょう? だからアシス様、行ってきてください」


 ついでに、趣味が合わないと可哀想だからシェーナも連れて行け。ということだった。


「あのねぇ……それは君達の仕事でしょう! 君達が行けば良いでしょう!」

「皆夕食の準備などで手が空いてないんです」

「だからって僕を使う? 僕はこの屋敷の主だよ? 君達を雇ってるんだよ?」

「立ってるものは主でも使え、です」

「――っの! そうだ、デュノ、デュノは?」


 アシスが近くに浮いていたこちらを見てくる。


「あら、竜のデュノ様にはお荷物が持てないでしょう?」

「最後は荷物持ちになれと!」


 そのどちらが主か分からない応酬に、シェーナがハッと我に返った。だが次の瞬間にはアシスが手を引いて歩き出している。彼の早足にこけそうになりながら彼女は歩いていた。


「あ、あの、」

「さっさと行くよ。買ってこないかぎり、意地でも開けない気なんだから、あの連中は」

「あ……あの~っ!」


 いきなりのことだったので彼女は杖を持っていない。アシスの速いスピードに引っ張られながら、シェーナのか細い悲鳴が空に響いて遠ざかっていく。

 それから数秒後、呆然としていたデュノの後ろで扉が開いた。


「よし、行きましたね」

「……良いんですか? アシスなんかに任せて。シェーナさん傷ついて帰ってこないとかなったら」

「良いんです。シェーナ様みたいな人は、気を使われるとその分遠慮をしてしまうんです。それなら、強引で傍若無人なアシス様の方が良いです」

「ずいぶんシェーナさんを気に入ってるんですね。もしかしたら、アシスの命を狙っているかもしれないんですよ?」

「アシス様は殺しても死にませんよ。それに……私達はアシス様が好きです。だから、あの方がいつもと違う扱いをするシェーナ様は、良い傾向になると思うんです」


 前半部分はどうかと思うが、後半はデュノも同じ意見だった。

 アシスのシェーナに対する態度は、いつも彼が女性にしているものと違う。どこかイラついて、どこか許容できない感情を見せる。一見、悪いことに思うが、誰にも、何事にも無関心の彼には珍しいことだ。

 そう、自らの生にまで無関心な彼にしては。


「良い傾向ですか。そうですね。そうなると良い」

「はい」

「……でも確か、あの二人は七歳差なんですけど」

「それはそれで、我々メイドが楽しみですわ!」


 やはり、どうにも不安を拭えないデュノだった。




   ※ ※ ※ ※ ※




 とんでもない方法で追い出された二人は、黙々と街中を歩いてた。一切話さず、シェーナはただアシスに引っ張られるがまま。

 何を話せば良いのか、またどう切り出せば良いのかも分からない。その間にもアシスは住民達に声をかけられている。


「ああ、五賢者様だ! こんにちは!」

「あらアシス様~。ねぇ、ちょっと寄ってってくれない?」

「やぁだ、どうして今日は女連れなの~」


 元気よく挨拶する子供がいれば、しなだれかかってくる女性もいる。どうやら彼はかなり女性に人気があるらしい。しかし、そのどれもを冷たくあしらってアシスは進む。


「ちっ、やっぱり正装じゃ目立つな」


 そんな呟きが、シェーナの耳に届いた。機嫌は悪いらしい。仕方がないことだが。


「で、どんな服が良いの?」

「え?」


 アシスの言葉にバッ、と顔上げると、彼は呆れたように溜息をつく。


「どんな服が良いか言ってくれないと、店が選べないんですけど」

「あ……えっと、ほんとに、ど、どんなのでも……古着とかで良いんです」

「五賢者が古着屋なんか入れません。なら、ここで適当に選んで」


 そう言うが早いか、アシスは一つの店に入った。


「あら、アシスじゃない。いらっしゃい……って珍しい種類の娘、連れてるわね」

「仕事で世話してる娘だよ。服、いくつか適当に見繕って」

「仕事……ああ、エララが受けたやつね。良いわ。貴女、こっちいらっしゃい」


 どうやら彼と店主は知り合いらしい。シェーナはその店主に手を引かれ奥へと連れて行かれる。香水の良い匂いが鼻を掠めた。


「さぁて、どんなのが良いかしら? 目、見えないみたいだし。趣味言ってくれる?」

「あの……できれば安い物で……」


 何よりも気になっていたことなので、そう店主に頼むと、彼女は思い切り噴出した。


「あははっ、ヤダ遠慮なんかしちゃだめよ。あいつアレですんごい金持ちなんだから。あとで金返せ、なんて言わないし。どんどん好きなの買っちゃいな!」


 そう言うと店、主は楽しそうにいくつもの服を持ってくる。シェーナはそれに苦笑しながら、先程まで握られていた手をそっとなでた。

 痛くはなかった。力加減も考えていてくれたのだろう。


(関わりたくない。これ以上、知りたくない……)


 取り入ることが必要でも、これ以上アシスという人物に関わりたくない。関われば見えてしまうかもしれない。デュノの言う『素直じゃない』部分が。そんなことになれば、


(私……きっと役目を果たせなくなる……)


 シェーナはアシスに関わることが――ただ、怖かった。




   ※ ※ ※ ※ ※




 シェーナを店主に渡して、アシスは手近な椅子に座る。我知らず体に入っていた力を抜いたことに気づいて、自嘲した。


(緊張してた? この僕が? ザンデルに言われたことを気にしてるとでも?)


 金糸の髪をぐしゃりと掴み、アシスはシェーナが消えた方を見つめる。

 ザンデルは言った。『お前にとって最も大切な存在になる』と。だが実際はどうだろう。

 確かに、今まで会った女性と違うのは認めよう。嫌悪してくるわけでも、媚びてくるわけでもない。エララ達のように見守るという感じでもない。しかし、気に入っているなど言語道断だ。それどころか、どちらかと言えば、


「イライラする」


 一言だけ言い放って、アシスは顔をしかめた。

 あの一歩引いた態度も、遠慮する口ぶりも。何より、ブレアシュが助かれば自分はどうでも良い、というあの自虐的思考。シェーナという少女を構成するそれらが、妙にアシスの癇に障って仕方なかった。


「他人のために何かして……どうなるって言うんだ」


 シェーナにはこれ以上関わりたくないと思う。関われば関わる程、イライラやストレスが溜まっていく一方だ。と、終わったのか奥から店主が出てきた。


「お待たせ~。もう可愛かったから着替えさせてみちゃった。こっち持ち帰りようね」


 ドスンと置かれたのは限界まで入れられた紙袋二つ。それを見てアシスはげんなりする。


「……多いね」

「女の子には普通よ。ほら、出てらっしゃい」


 店主に言われ、奥からおずおずとシェーナが顔を出した。そして、ゆっくりと出てくる。

 薄い黄色のふんわりとした服に、橙色のベスト状の上着。先程まで着ていた物が黒系統だったからだろうか。今の服は、彼女の少女らしい可愛らしさを出している。


「どう? 目の肥えた五賢者様から見て」

「……悪くないんじゃない?」

「あんたにしたら、最上級の褒め言葉ね。んじゃ、毎度あり~。またどうぞ」


 高収入にホクホクの店主を半眼で見つめ、アシスは荷物を持つとシェーナの手を引いた。


「行くよ」

「あ、あの、荷物、私が持ちま……」

「つまずいて破いて拾う、なんて二度手間にしたくない」


 あっさり拒否され、シェーナは眉を下げながらアシスのスピードについて行く。そんな彼女を見て、なぜかまたイラつきがつのった。

 そして、再び二人は黙々と歩き続ける。

 屋敷に着けば、この気まずい雰囲気からも開放される。そう思い、アシスはシェーナを構うことなく早足になる。しかし、その途中で気づいた。


「あ……しまった、忘れてた」

「え?」

「ちょっと寄り道するよ。研究区に行かなきゃならないんだ」

「あ、じゃあ、私先に帰って……」

「君を送ってからより、先に研究区に行った方が早いんだ。ほらこっち」


 これまたあっさり却下して、アシスは首都内を循環している乗り物に乗る。断る選択肢など与えず、結局二人で研究区を訪れるはめになった。

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