第8話

「それじゃシーツはこれで全部ね!」

「夕食の買い出し、終ってるの? それと、今日は週に一度の中庭の手入れよ!」


 バタバタと、自分の周りを走る複数のメイドさんらしき人物。男の使用人も何か重い物を運んだりしているようだ。

 シェーナはその様子にあっけに取られていた。昨日、城からこの屋敷に連れてこられた時も驚いた。

 最初は乗り心地の良い馬車。着いてみれば大勢の使用人と、自分にはもったいなすぎる広大な部屋。食事の時など移動はしてみたが、予想以上に大きい屋敷だ。


(五賢者って、ほんとに凄い人なんだ……)


 ブレアシュでは領主の家にいたため、少しは裕福な暮らしを経験している。だから、さほど差はないと思っていたが――大違いだ。

 この凄まじい屋敷の主である青年は、今いない。自分が起きてくるよりも前に仕事に出たという。

 ずいぶん失礼で、初対面の偉い人であるにもかかわらず、暴言を吐いてしまった。そんな彼でも仕事はきちんとしているらしい。


「すみません。目の前でバタバタしてしまって、うるさいでしょう?」

「え? あ、デュノさん。いえ、気にしないでください。領主様の家はもっと人が少なかったので、ちょっとビックリしているだけです」


 いきなり声をかけられ心臓がはねる。こういう時、やはり目が見えないのは不自由だ。


「敬語なんて使わなくても良いんですよ。あ、私のは地ですから。それより、何か欲しい物や、したいことがあったら言ってくださいね」


 シェーナは苦笑した。いくら彼が竜だといっても、言い回しなどからおそらく年上だということが分かる。そう簡単にタメ口では話せない。


「あの、それじゃあ、何かお手伝いさせてもらえませんか?」

「え?」

「その、領主様の所でもやってましたし。お世話になるのに、何もしないなんて」


 忍びないです。と言う。しかし答えはなく、妙な沈黙だけが続いた。やはりずうずうしかっただろうか? そう思って謝罪しようとした時、ようやくデュノが答えた。


「働いてたんですか? 見えないのに?」


 一瞬、体が固まった。一気に頭から血がなくなっていく気がする。


「あ……あの、か、簡単な仕事です! ほんとに、凄く簡単な……」

「……そうですか。でも、貴女はお客様なんですから、ここではしなくて良いんですよ」


 何とか納得してくれたデュノの様子に、シェーナはこっそり安堵の息をついた。


「あ、の……それじゃあ、外に出ても良いですか? 邪魔をしたくないので」

「外ですか? そうですね、敷地内なら良いですよ。ただ、この建物からあまり離れないでください。他の建物には魔道具なんかがあって危険ですから」

「はい、少し外の空気を吸いたいだけですから」


 了承を得、デュノの先導でシェーナは外へと出る。邪魔にならない物影について、彼女は腰を下ろした。風と、小鳥のさえずりが通り抜ける。


「デュノさん。聞いても良いですか?」

「私に答えられることなら」


 何でもどうぞ、と言われて、シェーナはかねてより気になっていたことを切り出した。


「ここのご主人の本名は、何ていうんですか?」

「は?」

「あの、私まだ、お名前ちゃんと聞いていなくて。アシスさん……でしたっけ?」


 出会って一日。自己紹介した自分の名を彼は知っているが、こちらは会話で出てきた名を聞きかじっただけで、正式な名称を知らない。何でもないことだが、気になったのだ。

 デュノはしばし沈黙したかと思うと、小声で、あの無精者、と呟いた。


「デュノさん?」

「あ、すみません。彼は自己紹介をしてなかったんですね。名前はアシス・カーリア・クラバルト、といいます。分かると思いますが、男性で二十二歳。黒魔道五賢者№3の位を持っています。黒魔道五賢者については知ってますか?」

「はい、一般的なことは。国王に次いで権力を持ってる方達だと。声を聞いてお若いとは思ってたんですけど……凄いですね、そのお歳でつかれるのは珍しいんでしょう?」

「ええ。アシスが五賢者になったのは十六の時で、異例であり、史上初でしたよ」


 シェーナはさらに驚いた。自分と変わらない年齢の時に、一国の要になったなど。


(どんな……人なんだろう)


 目が見えないから、彼がどのような容姿をしているか分からない。話もほとんどしていないから、どのような人柄かも分からない。ちょっと酷い人だとは思ったが。

 自分とはまったく違うアシスと言う人物が、少し、気になった。


「あの……デュノさんは従者なんですよね。デュノさんから見て、どういう人ですか?」


 五賢者の従者は、仕事を言い渡されない限り常に付き従う。アシスの一番傍にいるデュノからは、どういった人に見えるのか聞いてみたくなった。

 デュノはちょっと考えると、ハッキリした声でこう言い放った。


「冷酷無情鬼畜で非道。狡賢くてサボり魔です」

「……………………え~っと。デュノさん冗談がうまいんですね」

「まごうことなき本音ですよ」

「……………………」


 またまた~、とか言って否定したかったが、迎えにこられた時の状況が頭を掠め、言葉にならなかった。デュノの言葉が、ぴったり当てはまる気がする。


「嫌な人……なんですね」


 総じてできあがったアシスの像。表すならこの言葉だと思った。しかし、


「いいえ。そんなことありませんよ」

「え、でも……」

「確かに、性格は決っして良くないです」


 力いっぱい言われ、シェーナは思わず頷いた。だが、目が見えないからこそ分かることがある。デュノの声は、とても温かだ。


「自分勝手に行動して、我侭で、酷いことも言います。けれど、それは案外、相手のことを考えたものだったりするんですよ。昨日、貴女を無理やり担いで帰ったのも、人目の多い城で、貴女を見世物にしないためだと思います。素直じゃないんですよ」


 まあ、早く帰りたかったと言うのもあるでしょうが。そう、優しく言うと、デュノはメイドに呼ばれ場を後にした。

 動かないように、と言われたシェーナは、見えない目で空を見上げる。青空か、曇り空かも分からない。


(あの時はビックリしたけど、落ちないようにしっかり支えてくれてたし、人気のない所を歩いてくれてた……扱いは……乱暴じゃなかったし)


 確かに、盲目の自分が何度もこけながら歩いていたら目立つだろう。それでなくても噂になっているブレアシュから来ているのだ。好奇の視線にさらされていたはずである。

 シェーナは、服からそっと小瓶を取り出した。中には無味無臭の透明な液体が入っているらしい。あの男がそう言っていた。それをぎゅっと握り、シェーナは微かに震える。


「嫌な人なら……良かったのに」


 そうだったなら、きっと迷わずこれを――そう考えた瞬間。


「っ!」


 両目に走る激痛。あまりの痛みに、シェーナは瓶を落とし、目を覆った。目の内側から脳にまで届くひどい痛み。だが彼女は気丈にもその痛みに耐え、祈るように手を組んだ。

 これは合図だ。あの男からの合図。呼びだせとの命令。ほんの少しの間があったかと思うと、シェーナを中心に辺り一帯の景色がぐにゃり、と歪んだ。

 風と鳥の声が消える。そして聞き覚えのある声が彼女の上に降ってきた。


「やはり、お前の力は素晴らしいな。まったく結界に触れずに入ってこられた」


 見えないが分かる。この声と、そして放たれる禍々しい魔力の気配。自分にこの力の使い方を教え、ここに連れてきたあの男だ。


「うまく屋敷に入ったようだな。だが当面は取り入るだけにしろ。これを使うのは、相手がお前を内側に入れてからだ。ぬかるなよ」


 そう言いながら、彼は落ちた小瓶をシェーナに握らせる。冷たい感触を握り締めながら、シェーナはそれでも顔を上げ問うた。


「あの人は……いったい貴方達の何なの? 確かに凄い魔導士かもしれないけれど、でも、でも殺す必要はな……あぅっ!」


 再び痛みが彼女を襲った。今度は耐えられるものではない。あまりの痛みに、シェーナは芝生に身を屈めた。その頭を男は手でわし掴み、無理やり引き起こす。


「身の程をわきまえろ。いくらお前があの一族の末裔だろうが、裏切れば、町の者がどうなるかは分かっているだろう?」

「っ、皆は? 皆には手を出してないでしょうね!」

「今は、な。だが、これから先はお前の行動しだいだ」


 どさっと芝生に放り投げられ、それでもシェーナは男のいる方向を睨みつける。


「あいつは、我らの主を閉じ込めているのだよ。だからこそ、死んでもらわねばならぬのだ。アシス・カーリア・クラバルトという人間には、な」


 男の声が遠ざかる。きっと、まだ歪んでいるあの空間に入っていくのだろう。


「一人の命と、大勢の命。選ぶのは……簡単だろう?」


 そんな言葉が、最後に聞こえた。

 風の音と、鳥の鳴き声が再び耳に届き始める。シェーナは、まだ痛みの残る目を膝に押しつけた。手には小瓶を握ったまま、小さく、小さく蹲る。


「……助けて」


 震えた声は、穏やかな風が吹き消した。

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