第二章

第7話

「あれ? アシスじゃないか。どうしたんだいこんな早い時間に」

「普通の出勤時間だと思うんだけど?」

「遅刻常習犯の君がそれを言うの?」


 朝独特の冷たい空気が頬をなでる。まだ日が出たばかりの早い時間に登城していたアシスを見て、アランが声をかけてきた。


「お、今日、デュノはいないのかい?」

「仕事だよ。監視を頼んである。僕はこれからシェルに報告」

「ああ、あの奇跡のお嬢さんか。悪い子には見えなかったけどね~」

「見た目だけじゃ分からないさ」


 ふいっと目線をそらし、アシスはアランを置いて歩き出した。それを面白そうにニコニコしながらついてくるアラン。こう見ると、もうすぐ三十路の男とは思えない。


「そうカリカリしないで。っていうか、目の下にクマができてるよ。寝てないの?」

「ちょっとね……考え事をしてたから」


 本当は考え事などない。ただ、二つの言葉がぐるぐる頭を回り、それを追い払うために悶々としていたら朝が来ていただけ。しかも、シェーナと顔を合わせないよう早く出てきた。

 彼女と会えば、嫌がおうにもあの言葉を思い出してしまいそうだったから。


 はぁっ、と昨日とは違う種類の溜息をついて、アシスは頭を振る。と、いきなりポンと肩に手を置かれた。見れば、ひどく神妙な顔をしたアランがいる。


「分かるよアシス。そりゃあ考えるよね」

「僕の思考は君に分かるほど単純じゃない」


 失礼だが彼に自分の考えが読めるとは思ってない。一体なんのことを言っているのか。そう思うが早いかアランはアシスの両肩をグワシッと掴んだ。


「七歳差って厳しいよね! 二十七と二十ならまだしも、二十二と十五じゃね」

「……アラン」


 どうやら彼は、はた迷惑な勘違いをしてくれているようだ。


「ご両親いないしそれは楽だけど、でもやっぱ十五歳は……我慢するのが大人だよね」

「…………だから」

「良いかアシス、ゆめゆめ、間違っても手を出すんじゃ……」


 ドウッと鈍い音がして、素早いアシスの腕がアランの鳩尾に入った。


「……――――っ!」

「妄想はどっか別の世界でやってね」


 沈黙したアランを見捨てて、アシスはさっさと歩き出す。無駄な時間を使った。寝ていないせいもあり機嫌は悪いのだ。これ以上くだらないことに捕まりたくない。

 アシスは決して振り返ろうとはせず、城の奥深くに入っていく。


 元来、城という物は内部構造が複雑だ。敵が侵入してきた時に対応するためだが、慣れない女官達が迷ってしまうのも困りものである。もちろん重要人物の部屋は城の最深部に構えてある。

 アシスが今立っているのもその重要人物の一人。国王シェルニードの部屋の前だ。


「陛下、五賢者クラバルト殿がお見えです」

「お入りください」


 見張りの兵の声に、しばらくして女官の答えが返ってきた。扉を開けば、また見張りの兵士と、続いて女官の控えの間が顔を見せる。


「おはようございます、アシス様。ラドバー様もお見えですよ」

「おはよう。まったく、あの二人は早いね。今日は僕も早目に来たつもりなんだけど」


 シェルニードの乳母を経て、今は女官長を勤めている女性に軽く挨拶すると、アシスは王の私室へと足を進めた。既にシェルニードとラドバーの二人は、地図を広げて何事かを相談している。


「アシス、待ってたよ。あれ? アランは?」

「きっとその辺で、しても遅い後悔をしてるんじゃないかな」


 首を傾げるシェルニードを流して、アシスも席に着く。同時に女官がアシスのお茶を運んで退室した。口をつけながらちらりと横を見る。


「ずいぶん深刻な顔をしているね、ラドバー。別に君のせいじゃないだろう」

「だが、あの魔族を取り逃がしたのは痛い」


 昨夜、デュノからの報告を受けた彼は、すぐにバズを拘束するよう手配した。だが、彼自身も向かったその場に、バズの姿はすでになかったのだ。

 その後、首都中を徹夜で捜索させたが、今も影すら見つけることはできない。


 気づくのが遅かったのはアシスもだし、怪しい気配があったのに野放しにしたのは上層部全員の判断ミスだ。しかし、この真面目な五賢者は自らの失態と考えたらしい。


「まだこちらには鍵があるんだから、良いんじゃない?」

「……あの少女か。様子はどうなんだ?」


 問われて、今朝は会っていないから昨日までの様子を思い浮かべる。目が見えていないからか、アシスの顔に頬を染めることもなく、それどころか反論までしてくる変わった娘。


「……思ったよりも強情だったかな……って、何さその反応」


 言った途端ラドバーは一瞬で固まり、シェルニードは頬を染めて顔をそらしてしまった。

 二人の反応にアシスは半眼で睨む。その冷気に気づいたのは、少年王が先だった。


「い、いや、その……恋愛は自由だと思うし、僕も口出ししないけど……その、やっぱり昨日の今日って言うのは……」

「国王だろうが問答無用で殴るよ、シェル」


 にっこり笑いつつも、こめかみの青筋に気づいた彼は、慌てて冗談だとのたまった。


「ほら、ラドバーもいつまで固まってるのさ」


 ちょっと怒気を含んだ声と軽い衝撃に、五賢者トップも正気に戻る。


「お、お前、いきなり手を……」

「出してない! この国はそろいもそろって……」


 イラつきが最高潮に達した。珍しく声を荒げるアシスに二人ともようやく黙る。アランも少年王も、ましてや五賢者トップもそんな話題になるとは。

 アシスは柄にもなく、この国の行く末を不安に思ってしまった。


「とにかく、僕が知ってる女の子よりは度胸もあるし、イイ性格してるよ。目から感じる妙な力も気になるけど……ザンデルからの情報にも、気になる点があるしね……」


 アシスのいつになく真剣な表情に、二人は少し身を乗り出した。


「彼女は、魔族、神族、世界に存在する全ての種族にとって貴重な存在だ、ってさ」


 それを聞いた二人の表情は、アシスの予想通りポカンとしたものだった。ラドバーにいたっては、重い溜息をついている。


「ザンデル殿の情報は、以前も役に立ったので期待していたが……ずいぶん事が大きいな」

「だろう? いささか大きすぎて実感がわかない」


 もう一つザンデルから言われたことがある。それは、アシスを眠れなくする程の言葉だったが――


(僕個人に関することだしね……)


 そこまで言う必要はないし、言って干渉されたくもない。そう考えて、アシスは口を開かなかった。その一瞬の表情の変化を、シェルニードが見ているとも気づかずに。


「アシスはどう考えているの? 彼女の正体って言うか……」


 本日も、長ったらしい衣装から小さな手を出してお茶を飲むシェルニード。その微笑ましい様子に僅かに苦笑し、だがすぐにアシスは顔を引き締めた。


「いきなり僕をどうこう、ってことはないだろうね。腕力は普通の少女だし、あの妙な力も僕の魔力なら抑えられないこともない。ただ……少し引っかかってることがあってね。それはまだ本当に曖昧だから、報告はもう少し待って欲しいんだけど」

「アシス、何か気になることがあるなら、我らにも話せ」

「確証がないんだ。話したところで無駄足になるかもしれない」

「ならないかもしれないだろう」

「今回の事件に関わりがないとは言えないけど、大きくは僕の研究として、気になる部分が多いんだ。個人的なことにまで口を出さないでくれ」

「アシス!」

「ラドバー、よせ」


 飄々と反論するアシスに、ラドバーが立ち上がりかける。それを、横手から小さな手が止めた。


「陛下……」

「何かあれば、アシスは五賢者としての責任は果たすさ。そうだよね?」


 上目づかいで、けれど真摯なその目に、アシスは肩をすくめた。


「五賢者としての責任は、ね」

「なら良いんだ。少女だからって気を抜かないよう監視を続けてくれ。ラドバーはあの魔族の行方の捜索と隠密捜査隊の報告を。アランには首都周辺の警備の指揮をまかせる」

「陛下!」

「ラドバーも、アシスがこうだって知っていて、五賢者になることを認めたんでしょう?」


 納得がいっていないラドバーを、彼はやんわりと笑顔で宥める。無垢な少年王の微笑に、ラドバーは渋々ながら、承知しました、と告げて部屋を退室した。

 扉が閉まるのを待って、シェルニードは空気が抜けたように椅子にへたり込む。


「ご苦労様。さすがは聡明な国王陛下。家臣の扱いもお見事だ」

「やめてよ。ラドバーの眼光は怖いんだから」


 ふにゃり、とへたり込んだ彼の頭をなでて、アシスもまた椅子から立ち上がった。


「僕も仕事を片付けるよ。彼女の監視もしなきゃいけないしね」


 去っていく気配にシェルニードは顔も上げない。だが、アシスの手がドアにかかった時――


「アシスが、興味のないことや、自身に関係ないことには無関心だって知ってる。五賢者の仕事だって、なったからやってるだけで……今回のことも、ほんとはやる気なんて全然ないよね」


 うつぶせたまま言われた言葉。アシスは肩越しに振り返った。


「普段よりはやってるつもりだよ。まあ……どの道いつものことでしょう?」

「…………どうして?」


 ぽつりと呟くシェルニード。言葉の意味が分からず、アシスは視線で問い返した。シェルニードは顔だけを上げ、ほんの少し、悲しげな目で見つめてくる。


「昔何があったのか、聞いただけだけど……知ってる。でも、セルドゥガルロはアシスの故郷で、今も生きてる場所でしょう? なのに、どうしてやる気が起きないの?」


 もしかしたら、魔族の手にかかって、とんでもないことになるかもしれないのに。

 シェルニードの目はそう言っていた。


「どうでも良いからだよ」


 問われて、アシスは即答した。言われた途端、今度こそシェルニードは泣きそうに顔を歪める。しかし、アシスは慌てるでもなく、宥めるでもなく、淡々と続けた。


「故郷だけど、それよりも憎しみが勝った。そして今は憎しみよりも、興味をなくした感情が勝ってるんだ。だから……どうでも良いんだよ」


 苦笑してそう言うと、アシスは今度こそ扉を開けた。背中に、小さく悲しい声が届く。


「アシスの中に、どうでも良くないことなんてあるの?」


 少年の泣きそうな声。だがアシスの顔には、クスリと笑みが漏れる。冷たい、笑みが。


「やっぱり、君は聡明な国王陛下だよ」


 部屋に、扉の閉まる小さな音が響いた。

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