第6話

 闇のカーテンが世界を覆い、空を月と星が彩る時間になった。

 アシスはシェーナを連れ帰り、有無を言わさず屋敷の部屋を割り当て放り込んだ。

 ちょっと強引だったか、と気づいたのは食事の時だ。彼女が一言も話さなかったから。

 反省しているわけでもなく、気にしてもいないが。


(疲れた……何か今日は精神的に……)


 若干残っていた雑務を終え、アシスはようやく風呂に入れた。あとは寝るだけ、と部屋のドアを開け――


「よ、お久。お邪魔してるよ」


 寝ることを諦めた。


「邪魔するなら帰ってよ……」


 今日、何度目の溜息だろう。休まる時はないのか、と少し悲しくなる。

 一般市民の家庭なら丸々入りそうな巨大な部屋。その中に鎮座している応接セットのソファに、どっかり寝そべった女性がいた。しかもワインを飲んでいる。


「勝手に人のを飲まないでよ。それ、結構高いんだよ」

「良いじゃん、少しぐらいさ」


 ぱちりとウィンクされ。もう言い返す気力も萎えた。

 波がかったこげ茶の髪を肩で切りそろえ、ちょっときつめの顔をした女性。ふざけてはいるがアシスより年上だ。

 ただ普通の女性と違うのはその服装。黒のぴっちりした上下に、膝上まである真っ赤なジャケット。ソファには上から羽織る保護色のマントがかかっている。


 そして、傍らに置かれた巨大な二本の剣。柄の部分が刃の三分の一近くあり、握るための穴が開いている。刃にも丸いくぼみが二つ。剣と言うよりは鉈だ。


「で、今日はどこから入ってきたの? 客が来たなんて聞いてないよ、エララ」


 エララと呼ばれた彼女は、ニカッと笑って後ろの窓を指す。微かな隙間から吹き込む風が、カーテンをそっと揺らしていた。


「今日が窓で、前は屋根裏。正攻法で玄関から来ようとは思わないの?」

「力試ししてるのよ。あんたんとこの奴に気づかれるようじゃ、この仕事できないしね」


 アシスを含め、五賢者の屋敷に勤めている人間は皆手練である。一般兵士・魔導士よりは強く、騎士・上級魔導士よりは弱いか? という者ばかりだ。よっぽど強くなければ、一歩侵入した途端に袋叩きである。

 それを『力試し』とするエララの実力は相当なものだ。このふてぶてしさもだが。

 と、その時、軽くノックがされた。


「失礼します。アシス、私はそろそろ自分の工房に戻ろうと……おや、エララさん」

「デュノ~っ。や~ん、おっひさしぶり~!」


 扉の隙間からひょっこり首を出したデュノが、彼女の存在に気づく。その瞬間、エララは猫なで声を出しながら彼に飛びついた。小さく呻きながらもデュノは彼女を受け入れる。


「お……お久しぶりです。今日はどうなさったんですか?」

「んふふ、今から長期任務でしばらく帰ってこないからさ。挨拶しとこうと思って」

「長期任務? ああ……ブレアシュ、君の担当になったんだ」


 自分のグラスにワインを注いだアシスが、肩越しにエララを見た。

 振り返る彼女に、先ほどまでの明るさはない。あるのは冷たい笑み。こげ茶の髪が揺れ、一瞬だけ耳が覗く。赤い魔石がはめ込まれた黒いカフスが一つついていた。隠密員の証である。

 ブレアシュの件は、シェーナの保護以外に、隠密員を派遣しての調査が決定されていた。その任務を当てられたのが彼女なのだろう。


「あたしと、あと二人。親父が行けたら良かったんだけど、違う任務で出ててさ」

「そうなんだ。じゃあしばらく店は閉めるんだね」


 エララは父子家庭で、父親は隠密員の隊長だ。しかし、彼らには表の生活もある。普段は商業区と居住区の間の平民街で、喫茶店を営んでいたりするから笑える。


「そゆこと。んでさ、ブレアシュ遠いし、この任務も無期限だから、今月は新月の日にここにいないと思うのよ。だから、このあたしの武器、メイデンのメンテ一回サボるけど、良い? デュノ」


 新月、と言われた瞬間、ほんの少し、デュノの顔が歪んだように見えた。アシスは大きな窓から空を見る。今日は満月。新月まで、あと約二週間ほどだ。


「ええ……良いですよ。では、予備の魔石だけ渡しておきましょう。取ってきますよ」

「ありがと! あ、できれば炎系はやめてくんないかな。ブレアシュって蜂蜜が名産でしょ? 戦闘で花とか焼きたくないし」

「分かりました」


 そう言って、再び姿を消すデュノ。その後姿を見送りながら、エララは小さく落胆した。


「やっぱ、まだ『新月の日』はダメ?」

「彼にとっては、罪の証が消えてしまう日だからね」

「唯一、本当のあの人と話せる日なのに……」


 ぷくぅっと頬を膨らませて拗ねた彼女は、アシスより年上には見えなかった。そんな彼女を、アシスはどこか冷めた目で見やる。


「何よ」

「……分からないね。君が待ち焦がれる日は、デュノの一番嫌いな日だ。それはどこまで行っても平行線。何も返ってこないのに、どうしてそこまで想い続けるの?」

「……好きだからよ」


 皮肉ったアシスに、エララは優しい顔で言い返した。ただ一言、偽りない言葉を。それ以外は言うつもりがないのか、彼女はワインに口をつける。


「話し変わるけど、正直あんたはブレアシュのこと、どう読んでる?」


 突然の話題変換は気分の良いものではないが、自分も聞かれて嫌なことは話さないので、アシスは彼女の意に従うことにした。


「領主の反乱? 魔族の暴走? それとも……魔王復活のための手始め?」

「僕に聞くの? 調べるのは君の仕事じゃないか」

「曖昧な情報と資料だけじゃ心もとないのよ。あんたのその小生意気な性格は大っ嫌いだけど、力や状況判断は頼りにしてるの」


 性格については君に言われたくない、と思いつつも、アシスは軽く身を沈めた。


「色々考えられるさ。ま、一番可能性があるのは領主の反乱かな?」

「良い領主だって聞いてるわよ」

「魔族に操られて、なら分からないでしょ。でも結局、どの目的でも最後に落ちる場所は一緒さ。領主の反乱でも、魔族の暴走でも危害は人間に及び、そして恐怖と不安で世界は一杯になる。その後に起こることといえば……」

「……魔王復活……か」

「別に、今、何か起こらなくても、彼はいずれ復活するだろうけどね。僕の死と共に」


 グッと、胸の前で拳を握りながら、彼は自嘲気味に笑った。奇妙な沈黙が部屋に満ちる。

 そのすぐ後、デュノが魔石を携えて戻ってきた。エララはそれを受け取るとまた窓から去っていく。ワインを三本も空けているのに、まったく酔ってないのはさすがだろう。


「エララ」

「何? 何か餞別にくれんの?」

「いや、キレて辺り一帯焦土にしたりしないでね。後始末面倒だから」

「しないわよ! 情報収集と、これ、ちゃんと設置するだけなんだからっ」


 そう言ってエララが掲げた袋が音をたてた。五賢者が念のためにと考えた計画に必要な物。


「前科者が言うもんじゃないよ」


 からかいに激怒しながら、彼女は保護色のマントを纏い闇に消えていった。見送った二人も、すぐに気配が分からなくなる。これならばうまく潜入するだろう。

 窓を閉めて外気を遮断すると、デュノはアシスの肩に降り立った。


「良かったのですか? エララさんなら頼みを聞いて、独自にアシスの知りたいことを調べてくれますよ。気になっているのでしょう? 魔族と、彼女……シェーナさんのこと」


 見事に考えを汲み取るデュノに苦笑すると、アシスはまたソファに座り直した。


「さすがデュノ。敵かもしれない彼女を中に引き入れてしまったからね。死ぬのが嫌というわけじゃないけど、簡単に殺されるのは嫌だし。ま、確かに知りたいよ。魔族のこともね」


 死ぬのが嫌なわけじゃない。そうアシスが言った瞬間、デュノはベシッと尻尾で頬を叩いてきた。アシスは訂正せず、さするだけだけれど。


「ではなぜ頼まなかったんです?」

「酒を買いに行くのは酒屋。では魔族のことを聞くのは誰が良いでしょう? ね、ザンデル」


 アシスは先程閉めたばかりの窓に向かって呼びかけた。すると、それに呼応するように窓が揺らめく。開いたわけではない。窓はぴったりと閉まったまま。だが、一部の景色が揺らめき、一度瞬きした刹那、


「魔族のことを聞くのは魔族だが、それに俺は当てはまらないだろう」


 窓の前に、一人の男がいた。中途半端な長さの黒髪、纏うように全身を覆う黒の衣装。その黒の中で紅い目と、首にぶら下がった同じ色の指輪が目立っていた。


「たとえ、半分人間の血が混じっていても、その紅い目は魔族の証さ。さて、今日も情報交換といこうか。聞きたいことがある」


 アシスは魔力を手に集中し、その甲をザンデルに見せた。浮かび上がる不思議な文様。そしてまた、同様にザンデルも手の甲に同じ文様を浮かび上がらせる。


 これは魔導士と魔族が互いに契約を交わした証。一人の人間が契約を交わせるのは一人の魔族のみ。そして、契約の証を持つ魔族だけが、無条件でこの首都の結界を通り抜けられる。

 アシスが契約を交わしたのは、魔族と人間の混血児、ザンデル。


「ブレアシュのことか?」

「へえ、もう知ってるんだ」

「あそこは何回か訪れたことがある」


 座りもせず、明後日の方向を向きながら彼は淡々と話し始めた。


「……魔族の溜まり場なわけ? それとも憩いの場とか?」

「………………」

「ま、言いたくないなら良いけどね。僕が聞きたいのは、そこにいる魔族の動向だ」


 ザンデルがこちらを向いた。紅い目と、赤紫の目が一直線に交わる。だが、ザンデルはすぐに視線を逸らした。


「下級魔族が大量に集まってきているのは確かだ。しかも、ある上級魔族の派閥だ」

「派閥……ね。つまり、魔族全体での行動ではなく、ある一派の発起か。誰、と聞いても?」

「……会ったのではないのか?」

「は?」


 少し間抜けな声を出したアシスに、ザンデルはすっと指を突きつけた。


「お前からその魔族の臭いが微かにする。同族でなければ分からんがな」

 くんくんとアシスもデュノも嗅いでみる。だが、どうやっても風呂上りの匂いしかしない。魔族には魔族特有の体臭でもあるのだろうか。


「最近は視察の仕事もなかったし、外に散歩にも行ったけど魔族には会ってないよ。魔獣にすらね。それで臭いがついてるって…………彼か?」

「アシス、まさか……あのバズという魔導士のことを言っているんですか?」

「それ以外に怪しい人物って言ってもね……彼に妙な気配を感じたのは事実だし」


 ラドバーにまったく怯まなかった様子。違和感を覚える普通すぎる容姿。彼の前でのシェーナの気の張り詰め方。そして、微細に感じた気配。


「そいつ、強い?」

「ブレアシュで一度会っただけだ。余計な面倒事も煩わしい。魔力を出すことすらしなかったが……」

「僕にもほとんど分からない程上手く化けているとしたら、かなり強いね……デュノ、彼は今夜どうしてるんだい?」

「はい、平民街のどこかに宿をとらせているはずですが」

「至急ラドバーに連絡して身柄を確保してくれ。上級魔導士を行かせて宿屋の周辺には結界を張らせるんだよ。家が壊れると始末書とか書かなきゃいけないから」

「……分かりました」


 最後の台詞に、呆れたように首を落としてデュノは部屋を出る。彼の翼を持ってすればラドバーにも迅速に伝わるだろう。


「ま、大人しく留まっているとも思えないけれど……」

「しかし、若干とはいえ、相手の気配に気づいていたのか。さすが、その内に魔王の魂を秘めているだけはあるな」

「……ザンデル。珍しくおしゃべりだね」


 すうっ、とアシスの目が細められた。それに比例して、体の周りを薄紅い魔力オーラが包んでいく。部屋の温度も若干下がった気がした。

 体を包むオーラは、炎というより、どこか血を連想させる紅色をしている。


「……禁句だったな」


 ザンデルが落ち着いた声音でそう言うと、アシスも魔力を止めた。それでもまだ、室内にはどこか凍るような空気が充満している。


「さて、それじゃあ、君が知りたい情報は何だい? 魔道研究の成果? 内乱の状況? あ、それとも僕が最近はじめようとしている研究の……」

「お前が言っている魔導士が、少女を連れてきただろう。名はシェーナ・ミルレリアか?」


 僅かに気まずい雰囲気の中、軽い声が淡々とした声で遮られた。しかも内容はアシスを止めるに値するもの。


「まあ、ブレアシュを訪れてるって言ってるし、知っていてもおかしくないけど……」

「それで、どうなんだ?」

「そうだよ。シェーナ・ミルレリアだ。同姓同名じゃない限り君の知ってる娘だろう。今、僕の屋敷にいる」


 今度はザンデルが止まる番だった。軽く目を開き、次いで、何もない中空を見る。


「なるほど、確かに彼女の魔力を感じるな」

「知り合い?」

「一方的に知っているだけだ」


 そのまま目線をあわさないことを考えると、どうやらこれ以上は教えてくれないらしい。


(まあ、元々ザンデルとの契約内容は『魔族について』だしね)


 契約した事柄以外のことを聞けば、契約解除、悪くて死が訪れることもある。かと言って、この中途半端な状況で引くのも我慢ならない。

 あの魔導士が魔族だったとして、彼に連れてこられたシェーナが本当に保護を必要としているのか怪しい。もしかしたら、そうやって五賢者の内部に入り込むことが役目だったのかもしれない。実際アシスの屋敷に来てしまっている。


(寝首をかかれるのは、趣味じゃないんでね)


「彼女、珍しい能力を持ってるね。構成と呪文なしに怪我を治して見せてくれたよ」

「…………」

「魔導士なの? それとも違うのかな? そう言えば面白いブレスレットを……」

「彼女は……」


 口を開いたザンデルに、アシスは微かに笑みを見せる。こちらがシェーナの力に興味を持っていると見せれば、どちらかというと彼女を気に入ってそうな彼は、話すと思った。

 少しでもシェーナの力が解明できれば良い。それだけでも防衛の仕方は見えてくる。

 だが、ザンデルの口から発せられた言葉は、アシスの期待を大きく裏切るものだった。


「彼女に決して危害を加えるな」

「はっ、ずいぶんとご執心だね。あんな子に何の価値があるのかな?」

「彼女は、魔族にとっても神族にとっても……いや、この世に存在する全ての種族にとって貴重な存在だろう」


 真面目くさった顔をして話す彼に、アシスは苛立ちを覚えた。聞きたいのはそういうことではない。シェーナ自身のことが聞きたいわけではない。


「だから、確かに彼女の力は貴重だろうね。それで一体どういう……」

「お前にとっても、良い存在になるはずだ。お前が生きていく上で、最も大切な存在に」


 小さく、けれどその言葉は、まっすぐ瞳を射抜かれたまま告げられた。

 いつもなら鼻で笑っていただろう。茶かしていただろう。だが、この時は、なぜか言葉を発することができなかった。


「ザ……」

「これ以上、話す必要はない。契約外だ」


 そう言うと、来た時と同様、瞬き一度の間に彼は消えていた。

 残ったのは、ただ冷たい空気だけ。


 しばらくして、アシスは立ち上がり、窓に近寄る。空では月が雲に覆われていった。光を反射しなくなったガラスに、自分の姿が映る。忌々しい、赤紫の目が。

 それを振り払うように、アシスは窓に背を向けた。綺麗な眉間に、行く筋も皺を寄せる。その瞬間、ドクン、と心臓が大きく動いた。意識していないのに、体内の細胞がどんどんと魔力を高めていく。


「……勝手に……人の体で暴れないでよねっ」


 グッと胸を押さえ、呼吸を落ち着ける。本当に忌々しい。


 魔力が安定してくると、アシスは机に乗った一冊の本を手に取った。題名は『魔道研究 巻十三 召喚士一族Ⅰ』

 パラパラとページをめくり、ある場所で指を止めた。それは魔導士リーファが召喚士一族の女王の持ち物をスケッチしたページ。

 額にかける黒い宝玉のティアラ。赤い宝玉のついたネックレス。左手につける緑の宝玉のブレスレット。そして――


「右手につける青の宝玉のブレスレット……原始の王が一人、命を注ぎし王・ファルゲーニスを象る物、か」


 銀の鎖に美しい青の宝玉がついたそれは、シェーナが身につけていた物に酷似している。

 アシスは本を閉じると、どっとベッドに倒れこんだ。本当に、ひどく疲れている。


「僕には……必要ない……」


 頭の中を、リーファとザンデル、二人の言葉が駆け巡っていた。



『生きようと思う どんなに辛くとも、どんなに無情な世界でも』

『お前が生きていく上で、最も大切な存在に』



「生きようなんて思ってない……だから、大切な存在なんていらないよ……」


 顔を枕に押し付けて、ギュッとシーツを握り締めた。暖かいはずの布団が、まるで氷のように冷たく、体温を奪っていく。


「大切なものは作らないって決めたんだ……もう、二度と」


 だから、必要ない。

 その日、アシスは何度も何度も、その言葉を反芻した。まるで、自らに暗示をかけるかのように。

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