第5話

 デュノは困っていた。竜なのでそうは見えないかもしれないが、人間なら叫びたくなるほど困っていた。

 目の前を歩く、かなり不機嫌な主に。


(非常に……悪いですね)


 数時間前は普通だった。城門で訪問者に会った後は心なしか真剣だった。大臣も交えた会議で彼の温度は下がり始め、急速に機嫌が悪くなり、決定内容が下された時には周りを凍らせる笑顔を放った。

 そして現在、二人は客殿に向かっている。


「あの……アシス。私達がお世話するお嬢さんは……」

「シェーナ・ミルレリア。十五歳。治癒の能力を持つ盲目の少女」


 低い声で簡潔に答えてくれた。デュノはこっそりと落ち込む。こうなってしまったアシスを戻すのは至難の業だし、このアシスに仕事をさせるのはさらに困難だ。

 もちろん、そんな従者の悩みは露知らず、アシスはずんずん歩いていく。


(大臣達にも色々言われましたからねぇ。もう少し考えて彼にものを言って欲しいです)


 腹の内で悪態をつきながら、デュノはどうしたものかと考え、アシスから聞いた面倒事の内容を思い返した。事の始まりは数時間前だ。




※ ※ ※ ※ ※




「貴殿達がブレアシュから来たと言う?」


 ラドバーの問いかけに、魔導士はスイッと腰を折った。


「お初にお目にかかります五賢者様。黒魔導士、バズ・ドレアンと申します。こちらが」


 そう言って、バズは隣の少女を促す。少し長めの黒髪。それをゆるく二つに結った少女は、杖をついた危ない足取りで一歩前に進み出た。顔を上げてはいるが、目はアシスもラドバーも捉えていない。


「シェーナ・ミルレリア……と申します」

「お見苦しいかもしれませんが、彼女は生まれつき目が見えませんので」


 アシスを捉えないアシスの正面にある瞳。白く濁り、中空を彷徨っているそれに、彼は妙な違和感を覚えた。


(今の、波動は……? 気のせいか?)


 じいっと見続けるアシスの視線を感じたのか、シェーナの方もこちらに顔を向ける。白濁の目に微量な力を感じる。はっきりと感じるわけでも、気のせいとも言い切れない。


「それで、我ら五賢者に御用とは?」


 ラドバーの声にアシスは我に返った。シェーナから視線をはずし、今度はバズを見る。彼は薄い笑みをたたえ、細い目でラドバーを正面から見据えていた。

 ずいぶんと度胸のある魔導士だ。おおよその人間なら、ラドバーの威厳と圧迫感でひるむことが多いのだが。


「ええ。私は旅の魔導士だったのですが、実はブレアシュを訪れた際、その……魔族の気配が異様に多かったもので……」

「魔族の気配?」


 それは、報告書にあったものと同じ内容。僅かに姿勢を正すラドバーの一歩後ろで、アシスはバズを観察し続けた。手、足、目、顔の細部の動きまで見逃すことのないよう。

 嘘は、口だけではつけない。


「上級というわけではなく、姿形は動植物の下級魔族でしたが、町中で毎日魔族の気配を感じる、というのもおかしな状態で……町民も不安に思っているようでしたので、しばしは私が留まり、結界などを張っていたのですが……どうにもならず」

「だが、領主に聞いたところ、そのような事実は確認していないと聞く。なぜ領主からの援助の書状ではなく、貴殿が来る?」


 まだるっこしいことを聞いても意味はない。ブレアシュに大量の魔族が集まっている、というのなら早急にも手を打たねば、被害が拡大して行く可能性もあるのだ。


 バズはラドバーの質問に沈痛な表情を見せた。そしてそのまま隣にいたシェーナの肩を抱く。一瞬、びくりと彼女が揺れた。眉を下げ、顔を怯えたように俯ける。

 バズはそんな彼女の頭をそっとなでた。


「どうなさった?」

「領主がご報告をなさらなかったのは……この娘のためだと思われます」

「それはどういう……?」


 ラドバーと顔を見合わせ、シェーナを見やる。どこからどう見ても、盲目であること以外は普通の少女だ。


「シェーナ……」


 促されて、彼女は服の袖をめくった。そうして、バズから受け取ったナイフで少しだけ傷をつける。赤い血が、彼女の白い腕を伝って流れた。


「何を……」

「ご覧ください」


 止めようとするラドバーを遮って、シェーナは左手を傷にかざした。掌に発生するのは魔法の発動時に似た光り。そして、その光に触れ、みるみる傷が癒えていく。


「これは……っ!」


 驚愕に目を見開いたのはラドバーだけでなく、アシスもだ。こちらを振り向いたラドバーに、神妙な顔をして頭を振る。


 魔法は、黒・白、どちらの属性においても、魔力・術の構成・そして術に見合った呪文の三つを必要とする。

 魔力を体内で発動させ、術を構成し、見合った呪文で発動させる。軽い魔法なら呪文の代わりにただの音でも良いが、基本的にこの手順を踏まなければ魔法は発動しない。だが今、彼女が使ったのは――


(魔力の発動は感知できた。けど、構成も、呪文もなくこんなこと……)


 治癒の魔法は白魔法系統で、白魔道大国ラスラシースの十八番だが、このようなものはアシス達も知らない。

 ふと、アシスはシェーナの右手首にかかるブレスレットに気づいた。美しい、青い宝玉がついている。


「今のは……魔法ですか?」


 聞かれて、シェーナは力なく首を振った。心なしか不安げに後ずさる。


「わ、分かりません。物心がついた時には、できるようになっていました……」


「彼女は両親が二、三年前に亡くなり、それ以来、領主の所でお世話になっていたそうです。しかし、この力に目をつけてやってくる悪漢もいたらしく、今回も彼女はよく魔族に襲われていたようで……」

「つまり、魔族の目的はシェーナ殿だと?」

「自信はありませんが……かと言って国に助けを求めれば、彼女が何かしらの実験に使われたりするのでは、という危惧もあったようです。しかし、このままみすみす町が危険にさらされるのも放っておけず……」


 高名な五賢者を信じ、自分が護衛としてここまで連れてきたとバズは言う。

 これが、面倒事の内容だ。




   ※ ※ ※ ※ ※




「本当に面倒だね」


 アシスの言葉に、デュノは我に返った。


「しかし、大臣の言ったことも理にかなっているとは思いますが?」


 結局、一度彼らを客殿で待たせ、アシス達は大臣や将軍を交えた会議で詳細を決定することになった。その末、シェーナという少女をアシスの家で保護することになったのだ。


「魔族に狙われているかもしれない者を、城には置けない。危険回避と保護をするなら五賢者の邸宅が一番。そして、№2と4は出張中。ならばこの決定も頷けるのでは?」

「そこで自分達に危険が及ぶのが嫌だから、貴族区担当の№1に任せないのが貴族の浅ましさだね。いやいや、自分の身を守るためには最善を尽くす。良いね、その根性」

「……アシス」


 ひどい言葉だとは思うが、内心デュノも同じ気持ちなため否定することはできなかった。


「それで? まさか、彼らの言葉を信じているわけではないのでしょう?」

「まあね。それはラドバーも同じさ。ブレアシュはかなり遠いのに、彼らはまったくくたびれてなかった。それに少女も、助けてくれようとしている魔導士に好意的ではなさそうだったし……不自然きわまりないね」

「転移魔法で来たのでは?」

「首都付近にブレアシュからの転移を受ける魔法陣はないよ。それに、僕が一番気になっているのは、魔導士の妙な気配と少女の目さ」

「何か問題でも? 生まれつき見えないのでしょう?」

「会えば分かるよ」


 そう言い捨てて、アシスはおもむろに目の前の扉を開けた。バンッと響く音に中にいた少女が振り返る。一目見た瞬間、デュノは思った。


(良かった……アシスの嫌いなタイプではないですね)


 彼が嫌いなのは総じて『成長しそうにない馬鹿な奴』である。少女はそれに当てはまりそうになかった。まあ、アシスの九割を占める『どうでも良い奴』に当てはまりそうだが。


「やあ、待たせたね」

「……さっきの?」


 声を聞いて、彼女は少し肩から力を抜いた。アシスは不躾に近づき少女の前にしゃがむ。


「あれ? 君の保護者代理は?」

「保護者……? ああ……あの、あの人は事情聴取とかで出て行きました」

「ふぅん……まあ、後で伝言するし良いか。さて、突然だけど、今日から君には僕の屋敷で暮らしてもらうから」

「…………へ?」


 突然のことに目を見開くシェーナ。その白濁の目を端に捉えながら、アシスはこれでもかと大きな溜息をついた。


「非常に面倒で迷惑きわまりないけどね。君の保護は必要だし、仕事だし。ま、しょうがないから僕がお世話をしてあげようと……ね」


 ニコッと、シェーナには見えないだろうが嘘くさい笑顔で言い放つ。隣で聞いているデュノがムカッとくるのだから、直接言われたシェーナは相当なものだろう。 その証拠に、彼女は見開いていた目を細め、眉を吊り上げる。


「べ、別に頼んでません!」

「頼んでなくても、君に身を守る方法はないだろう?」

「身を守る方法がなくても、私は町から離れられればそれで……っ」

「町は安全になるから良い? で、次はこの首都がどうなるか考えてない、と」

「……っ!」


 アシスの指摘に、彼女は拳を握り締めて俯いた。


「他に迷惑をかける自己満足はやめてくれる? 首都に何かあったらまた仕事が増える」


 吐き出された言葉に、シェーナは何も言えない。握りこむ拳がどんどん白くなっていく。

 さすがにこれ以上はまずい、と判断したのか、デュノはシェーナの膝に降り立った。


「アシス、それぐらいにしておきなさい。彼女も不安なんですよ」

「はいはい」

「すみません、口が悪くて……生まれつきなんですよ、アレ」

「コラ、フォローになってないよ」

「するつもり、ありませんから」


 ふいっと顔を背けるデュノに、そっと白い手が触れた。形を確かめるようにシェーナは恐る恐るデュノをなで回す。


「ああ、驚かせてしまいましたね。私はデュノ。火竜なんです。どうぞよろしく」

「あ……すみません。初めまして……シェーナです。よろしく」


 ほのぼのっと握手らしきものをする二人を見て、アシスが呆れたように立ち上がった。


「それじゃ行くよ。僕は早く帰って休みたいんだ」


 さっさと歩き出した彼に、シェーナも慌てて立ち上がる。


「仕事をサボったくせに何言ってるんです」

「あのね、この一件で十分に疲れて……」


 るんです。と続けようとした彼の言葉は遮られた。ベシャッと、もの凄い音によって。デュノが恐々、アシスが嫌そうに振り返る。


「床がそんなに好き?」

「好きじゃありません!」


 大声で返しながらガバッ、と真っ赤になった鼻を押さえてシェーナは起き上がった。見事なこけ方だ。まったく支えもせずに床と『こんにちは』していた。

 恥ずかしさを隠すためか、シェーナは焦りながら杖を探し、こちらに向かってくる。足取りは――やはり非常に危なっかしい。


「アシス……手を貸してあげたらどう……アシス?」


 いつの間にか、彼は真剣な目でシェーナを見ている。つられてデュノもそちらを見て、先程アシスの言っていた気になることを理解した。

 ちらりと彼を盗み見れば、アシスは、『納得した?』とでも言うように肩をすくめる。


 不自然なのは、シェーナの杖のつき方。

 盲目の人間は、往々にして杖を前方に出し、左右に振りながら歩く。障害物の有無を確かめるためだ。だが、彼女の場合は――


「あれじゃあ、ただの老人だよね……」


 ポソリと呟かれた感想は的確だ。シェーナは体の横で支えるように杖を使っている。生まれつき盲目の彼女が杖をうまく使えていないのだ。

 これでは障害物を発見できないのだから、こけるのも当たり前。と、考えている内に、シェーナはまたこけている。

 手を貸そうにもデュノは竜だ。アシスはただ眺めているだけ。さてどうしようか、と思ったその時、驚いたことに、傍観していたアシスがすっと動いた。


「ねえ、日が暮れるんだけど」

「も、もともとこけやすいんです!」

「ああ、ドジなんだ。それともマヌケ? もしくは学習能力のない馬鹿?」

「……―――――っ!」


 容赦ない言葉に言い返せず、彼女はアシスを睨む。しかし、彼はまったく答えてないようで、フッと鼻で笑うと彼女に手を伸ばした。


「ほんっと面倒くさい……」

「ふぇ? ……き、きゃあ!」

「うるさい。耳元で叫ぶな。デュノ」


 放り投げられた杖を慌ててデュノがキャッチ。アシスの行動に彼も驚いた。シェーナを軽々と担ぎ上げたのだ。樽のように。


「お、下ろしてっ、下ろしてください!」

「却下。僕、早く帰って休みたいって言ったよね」

「早く歩きます!」

「五秒たたない内に二度こけた人間が何を言うの」


 ギャアギャアと言い合いながら、回廊を通り過ぎて行く男女二人。アシスに突っかかる人間も珍しいが、アシスがあれ程突っかかるのはさらに珍しい。

 いつもは、他者など存在などしていないように扱うのに。


「良い傾向……と言うのでしょうか?」


 小さな目をまん丸にして、しばしの間デュノは追いかけることができなかった。

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