第4話

 首都セルディアシティは五芒星を円で囲った形をしている。

 上部の三角形の部分を貴族区とし、管轄を五賢者№1が受け持つ。左上の三角形は研究区で№2が、という風に、順に右上の商業区を№3、左下の工業区を№4、そして右下の中流階級居住区を№5が管轄している。五芒星と円の間は平民区だ。


 そして中心の五角形部分。ここが城の立つ最高区画となる。もちろん城だけでなく、庭園、訓練所、交代で城に詰める者の居住地もあるので人が少ないわけではない。

 だからこそ、若き天才魔導士は歩いているだけでも騒ぎの中心だ。


「あら、アシス様だわ」

「あぁ……相変わらず素敵~」


 城の回廊を半ば早足で通り抜けて行くアシス。その格好は野原にいた時と違い、全てを黒で覆いつくした五賢者の正装だった。

 艶やかな光沢と嫌味でない銀の刺繍。そして五賢者のペンダントがよく栄えている。


 裾を翻し颯爽と過ぎる彼は、途中の女性達にうっとりと見つめられていた。

 気にすることもなければ、目も向けることもしないが。

 そして、その憧れとは違う別の視線がもう一つ。


(まったく、良いご身分だよな。魔力が強けりゃあの地位か)

(ほんとだぜ、ラドバー様も、陛下も何を考えておられるのか……化物だぞ?)


 甲高い声にまぎれる囁き。好意の視線に重なる侮蔑の視線。それらに反応を示したのは受けている当人ではなく、傍らにいたデュノだった。


「デュノ、構わなくて良い」

「しかし……っ!」

「どうせ何もできやしないんだ。相手をしても疲れるだけだよ」


 そう主に言われてしまえば、どうすることもできない。デュノは大人しくついて来る。それを見てアシスは軽く息を吐いた。真面目すぎるのも問題ありだ。

 あの程度の暴言は毎日ある。それこそ何年も前から。幼い頃は掴みかかられたり、暴力を振るわれたりすることもあった。


 しかし、どれ程アシスを嫌おうが、疎ましく思おうが、成長すれば立場も変わる。

 その内アシスは魔法で相手を追い払うようになり、力の差を思い知らされた者達はいつしか陰口だけを叩くようになった。


(つまらないね。まだ殴りかかってくる方がよっぽど興味を引かれるよ)


 そう思いつつも、実際、来たら来たで軽くあしらうだけだろうが。

 ふっ、と自嘲的な笑みを浮かべて、彼は足を進める。よくもまあここまで冷めた性格になったと自分でも思う。当初は自分を否定し、蔑ろにしたこの国への復讐が目的だったというのに。


「復讐する甲斐がないんだよね。ここって」

「何か言いましたか?」

「いいや。さて、呼び出しの理由は何かな?」


 豪華に飾られる城の中で、比較的落ち着いた雰囲気の大扉。見張りの兵に軽く挨拶し、アシスはゆっくりと押し開けた。


「やっと来たね」

「遅いぞ、アシス」


 無駄に広い部屋と大きな机を、たった三人の男が囲んでいた。いや、二人の男性と、一人の少年だ。

 男達はアシスと同じ格好をしていた。三十かそこらにさしかかった細身の男性と、老齢ながらがっしりとした体格の男性。もちろん、胸元には五芒星のペンダントがぶら下がっている。


 前者は面白そうに、後者は呆れたようにアシスに声をかけた。だがアシスはそれには答えず、残りの少年に目を向ける。


「やあ、シェル。今日はまたずいぶん、躓きやすい服を着てるね」

「ぼ、僕が選んだわけじゃない。侍女に言ってよ!」

「陛下、言葉遣いが……」


 老人の方に諌められ、少年はしまった、という風に眉間に皺寄せた。

 まだ十二、三歳ほどの幼い顔立ち。裾を床に引きずる長ったらしい衣装に、セルドゥガルロの紋章が入った角帽。

 彼の名前はシェルニード・ジル・ファ・ノード・セルドゥガルロ。この黒魔道大国の現国王である。


「んんっ。それにしても遅かったな、アシス」

「今は僕らしかいないんだから、無理に変えなくて良いよ。ちょっと外に行ってたからね」


 急に渋面を作る少年王に、アシスは笑いをこらえて答えた。一時期、彼の家庭教師をしたこともあるアシスにとって、シェルニードは王というより弟に近い。


「アシス、お前はまた仕事をサボったな!」

「怒鳴らないでよ、ラドバー。期日のある物は終わらせてる。それに、サボってるのは僕だけじゃないんじゃない? ペッグとナフィスがいないじゃないか」

「№2殿は郊外研究所の定期視察。№4殿は内乱被害の町の復興状態を調べに行ったよ。呼び出しはかけたんだけどね、キリがよくなるまで数日かかるらしい」

「ふうん。で、№1と3と5が暇だったと」

「ははは、そうとも言うね」

「いい加減にしろ、アシス、アラン……」


 緊張感のない会話に、五賢者№1であるラドバーは頭を抱えた。

 基本的に何事にも冷めた№3のアシス。真面目なのか不真面目なのか掴みどころのない№5のアラン。二人共、ラドバーにとっては息子のような年齢だが、立場は同じだ。

 噂だが、最近ラドバーは胃痛に悩まされているらしい。


 深々と溜息をつく彼をを少し哀れに思い、アシスは自ら話を切り出した。


「それで? 五賢者がそろわないことを分かってての召集。一体どういった内容なのさ」


 遅れてきたくせにふてぶてしい態度のアシス。それに眉をしかめながらも、ラドバーはシェルニードを促した。


「アシスもブレアシュという町は知っているだろう?」

「ブレアシュ……ああ、あの蜂蜜が名産の小さな町ね。それが?」

「最近、魔族が大量発生している、という報告を受けたんだ」

「……へぇ。蜂蜜でも狙ってるの?」

「アシス!」

「冗談だよ。けど、あの辺りは魔族の興味を引く物も、住みやすい場所もないはずだ」


 傍らで怒鳴るデュノを宥め、アシスは肩をすくめる。


「その通りなんだよ。しかもね、どうやら報告は近隣の警備に当たる兵からで、町を統括している領主からじゃないんだ」


 配られた資料に目を通しつつ、アランの言葉に目を細めた。

 ブレアシュという町はいくつか山と谷を越えた場所にある小さな町だ。のどかで自然も多く、多種の花が生息し、生産される蜂蜜は首都の菓子職人もよく使っている。大した問題もなく、領主も穏やかな人柄だった。


「問題や危惧の報告は、本来は統括する領主の仕事だ。事実確認のためにこちらから使いを送ったけど……」

「『そのような事実は確認していない』っていう返事だった?」

「……うん」


 シェルニードの重い溜息が部屋に響く。手元の資料にはブレアシュ近隣で起こった変化が事細かに書かれている。おそらくこれは警備に当たる兵のものだろう。


「『確認していない』けれど『噂が事実無根だ』とは言ってないんだね」

「そうだ。こちらとしては国内で魔族の大量発生など迷惑だ。かと言って、証拠もなく動けば魔族との折り合いも悪くなる。奴らと敵対したくなはない」


 この世界には多種多様の種族が存在する。その中で規格外なのが霊魂族、魔族、神族の三種族だ。

体内から生まれるわけでも、卵の中から出てくるわけでもない生物。

 霊魂族は名のとおり、死の瞬間、強すぎる意志を持った生き物がなる。生まれることが少なければ、死ぬこともない種族だ。


 そして魔族と神族。彼らは命ある者の負と正の感情から生み出される。魔力も身体能力も、人のそれとは比べ物にならない。また『核』と呼ばれる物質を破壊されない限りは不死身だ。相手にするには分が悪い。


「この報告の怪しい部分も、魔族の瘴気のせいか、ただの天候不良か判別つかないし……」


 アランが資料の紙をペシッと叩く。紙の上の事実では的確な判断は下せない。


「さて、しばらく様子を見るか……隠密員を送り込むか……どうします? 陛下」


 ラドバーは自身も考え込んだまま王に視線をやった。幼いとはいえ、彼にはそれだけの判断力があり、これが仕事だ。妥協はさせない。


「隠密員か……」


 隠密員とは、国お抱えの密偵・暗殺者の総称だ。

 高レベルの戦闘能力と、単独での行動が許された精鋭達。王と五賢者、そして一部の大臣以外にその素性は隠されている。


「……国に被害が出ることは避けたい。だが、隠密捜査員を送り込む程のことかどうか。それに、これが事実として魔族の目的は何だ? 魔族は『等価価値のある契約』以外では人間に近づかないんだろう? この村にそんなものがあるのか?」

「ないですね。しかし、ここの領主様が反乱を起こしたいと考えているなら、契約していても不思議はないですよ。あとは、魔族自身が人間を見下して排除したいとか……」

「それもあり得んだろう。あそこの領主は、国への不満を漏らしたことがないらしい。渡している管理費が多いと言ってきたこともある。それに、魔族が人間を排除してどうする。彼らの糧は我々が出す負の感情だぞ」


 アランの説をことごとくラドバーが否定する。アシスはそれを流すように聞いていた。確かに、感情というものはこの世界で人間が一番出している。最高の餌になるものを根絶やしにしては意味がない。


(魔族が動く理由、ね。それなら、一番考えられるのは……)

「ですよね~……あと考えられるのは……」


 スイッと、アランの視線がこちらを向いた。間をおかず、ラドバーとシェルニードもアシスに視線を向ける。


「……魔王の復活、だよね」


 アランの言葉は、いやに大きく聞こえた。


 人間以外の種族には長がいる。無論、魔族と神族も例外ではない。

 神王アーストレリアダイジェリオと、魔王アウリュルシードという長が存在する。正反対の感情から生まれた二人は『似ていない双子』のようなものだ。

 彼らもまた不死身ではあるが、その不死身にはそれぞれ条件があるという。そしてその条件を破れば消滅し、司る感情が一定量世界に溜まれば復活するらしい。しかも、王が消滅している間、その種族の力は弱まる。困ったおまけだ。


「魔王が消滅したと発覚して、もう千年ほどか。確かに、不死身とはいえ魔族もイラつくだろうな。まして、神王は健在なのだから」


 対極の存在だからか、二種族は仲が悪い。普段は別次元にいるから会うこともないらしいが、ばったり会えばよく騒動を起こす。たまに大陸の地形が変わるのは彼らのせいだ。


 魔王復活のために必要な負の感情を溜める方法。一番手っ取り早いのは世界を混乱に陥れ不安をあおることだ。根絶やしにするのではなく、恐怖させ、負の感情を放出させること。確かに、その理由なら魔族が動くのも分かる。


「ア、アシス……そ、その、体調は大丈夫なのか? 変わりは?」


 例えば、この台詞をあまり関係のない人物に、怯えた表情で言われたなら、アシスは無表情で無視を決め込んだだろう。だが、それを弟のような少年に心配げに言われれば、


「大丈夫。僕は何も変わりないよ。毎日つつがなく過ごしてます」


 両手を挙げ、苦笑して答えた。その隣でデュノも声を上げる。


「確かに、彼はいたって健康ですよ。仕事をサボれるぐらい」

「嫌味?」

「事実です」


 二人の軽いやりとりに、シェルニードはホッとして座り直した。本当に、アシスの身を気遣っていたのだと分かる。


「ま、だから魔族の動向に関しては……ね」


 そう言って肩をすくめるアシスに、ラドバーが反応した。何か言おうと、口を開きかけたその時――


「失礼いたします!」

 扉の外側から兵士が声をかけてきた。


「どうした。入れ」

「はっ! 実は城門に二人の男女が訪ねてきておりまして、五賢者の方にお会いしたい、と申しているのですが……」

「今は会議中だ。出直してきてもらえ」

「はい、そう思ったのですが……ブレアシュから来たと言っておりまして……」

「本当か?」


 件の町の名に、シェルニードが反応した。ラドバー達もそろって目を細める。


「は、はい。あの町の現状は噂になっておりましたし……訪ねて来ている男の方は魔導士のようなので……ご報告を、と」


 兵士はそのまま直立不動で返事を待つ。シェルニードはラドバーに視線を向け、頷いた。


「アシス、一緒に来い。陛下とアランは急ぎ大臣達を召集。現状の報告をお願いします」


 ラドバーは立ち上がると外へと向かう。すれ違いざまに向けられた視線に、アシスは息をつき、自らも立ち上がった。


「デュノ、君もシェル達の手伝いをしてくれ」

「分かりました」


 服を翻し、アシスはラドバーの隣に並ぶ。五賢者二人が急ぐ様子に、城の者達が幾人か振り返っていった。


「それで? 僕に何か聞きたいことがあるんじゃないの?」


 歩きながら、隣にだけ聞こえるようアシスは呟いた。顔は前を向いたまま。


「お前、魔族の動向について何か知っているな?」

「なぜ?」

「お前が語尾を濁すのは、嘘を言っていないが事実も言っていない時だ」


 クッと、アシスは喉の奥で笑う。さすがに付き合いが長いと見破られてしまうようだ。


「上官として聞こう。何を知っている?」

「……会議の少し前、何かがこの首都の結界に触れた。結構大きな力だよ」

「会議の前? 私は感知しなかったが……何だ?」

「さあ? でも、貴方達、他の五賢者が気づかず、僕だけが気づいたということは……」

「魔族か!」


 焦った声色に、アシスは笑って首を振った。


「どうかな。そこまで感知させるほど相手も馬鹿じゃなかったようだし。でも、その気配があった日に、件の町から訪問者。タイミング良くない?」


 ちらりと横を見れば、ラドバーは何事かを考えるように口に手を当てていた。その目がこちらを向き、アシスの赤紫の目を捉える。


「なぜ報告をしない……」

「今回のことと関連があるか分からないし、気のせいかもしれなかった。それに、仕事でもなく、迷惑をこうむらないなら……」


 アシス深い色の瞳が細め、微かに口角が上げた。他者が見れば、背筋に氷を入れられたような、冷たく、ぞっとした笑みに見えるだろう。


「僕には関係のないことだ」


 たとえ、誰がどう傷つこうとも。

 反射的にラドバーが視線をはずす。アシスは気にした風もなく前を向いた。


 すでに城を抜け、城門が見えてきている。彼はその前に佇む人影に気づいた。いくつかは見慣れた門番のもの。異色なのは二つだ。

 一人は、どこにでもいるような魔導士姿、どこにでもいるような顔の男。まじまじと見続けても、次に会った時は思い出すのに時間がかかる。そんな普通の男だった。

 彼がこちらに気づき軽く会釈する。そして、隣にいる人物の袖を軽く引っ張った。引っ張られた人物が顔を上げる。


 少女だった。まだ、十五、六の少女。こちらも、どこにでもいるような町娘のスタイル。ただ、彼女が振り返った瞬間、アシスは軽く目を見開いた。


「……あの子」


 少女と目が合った。合わしたわけでも、合わされたわけでもない。かち合ったのは一瞬、少女の目は、すぐに不安定に揺れ動く。

 どこにでもいる魔導士に連れられた、どこにでもいる格好の少女の目。白く濁り、何も捉えることができないその目が、ほんのつかの間、アシスを捕らえた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る