第一章
第3話
季節は春。天気は晴れ。風力良好。気温上々。
誰もが過ごしやすい日。熱くも、寒くもないのなら、外で日差しを浴びながら惰眠を貪りたくもなる。
なだらかな坂になった原っぱ。下には綺麗な小川が、せせらぎの音をたてて流れている。その二つの間に、いかにもここで休んで、とばかりに立っている一本の木。幹には馬が一頭つなげられ、その傍に一人の青年が寝そべっていた。
歳の頃は二十代前半だろう。黒で統一した服に、濃い草色をした前開きのローブをウエストで止めている。
マントと腰に、アクセントとしてつけられた大型のベルトもまた黒。
所謂、一般の魔導士の普段着だ。しかし、この青年は見た目が一般とはかけ離れていた。
頬をなでる金糸の髪。ざっくり切った中途半端な長さだが、何か手入れをしているのか、さらさらしている。肌も日焼けを知らぬほど白い。だが不健康な白さではなく、美しい白さだ。鼻筋もすっととおり高い。閉じられた瞳は男性にしてはまつげが長く、柔らかい影を落としていた。
つまり、格好良い、と言うよりは美人。いや、そういった言葉でくくるのも失礼かもしれない。
そこにいるだけでもかなり目立つ彼は、通り過ぎて行く人の視線を気にせず眠り続けている。胸の上には、読んでいたであろう古い本が置かれていた。
すやすやと穏やかな青年。すると、その顔に小さな影が覆いかぶさった。
「アシス……アシス、起きてください」
小川のせせらぎを遮って、小さな声が落ちてきた。そして、パタパタと軽く羽ばたく音。
「アシス……アシス、こらアシス! いい加減に起きなさい!」
「ん……」
「アシス、呼び出しがかかってるんですよ!」
「ん~、嫌だ」
「……アシス」
アシスと呼ばれた美青年は無視するように寝返りを打つ。された方は気分がよろしくないのか、一段と声色が低くなった。
「我侭もいい加減にしなさい。国王じきじきの召集です! 熱があろうが、目眩がしようが、不治の病だろうが這ってでも出なさい!」
「え~、だってまたくだらない話を小一時間するんでしょ? ねちねちねちねちさ。面倒くさいよ。そうだ、デュノが代理で出てよ。んで、内容をまとめて僕に……」
「アシスーッ!」
「うわぁ!」
言い切る前にボウッと重い音。同時に、木漏れ日などより赤く眩しい光が、アシスの間近で炸裂した。しかも、大量の熱を引き連れて。
「あっつ! 熱っ、熱いじゃないかデュノ! ああ……髪が焦げちゃったよ……」
飛び起き、一部ちりちりになった髪をもて遊びながら、アシスは斜め上空を睨みつけた。
「自業自得です。まだ『行かない』と言うなら、今度は丸坊主ですよ」
「あのねぇ、火竜の君が髪を燃やし尽くす炎なんて吐いたら、顔面炭だよ」
草を払いながらアシスは立ち上がった。その目線の先に、赤い塊が浮いている。
炎の赤色をした全長五十センチぐらいのチビ竜。額から角、背から羽が生え、まさしく竜なのに、なぜか耳にピアス、目にはモノクルをかけている。
妙に人間臭く、けれども人間じゃないそれは、今もアシスに炎を吐き出せる体制をとっていた。
それを見てアシスも観念した。長い付き合いで知っている。この竜、もとい従者は怒らせない方が良いのだ。余計にうるさくなるから。
「はいはい分かった。帰る。帰ります。出席するよ。だからそんなに睨まないでよね」
軽い調子で答えながら、アシスは馬の手綱を幹から解いた。
「まったく、若くして五賢者という地位につかせてもらったのに。いつになったら自覚が出るんです?」
ぶすっとした様子で肩に止まるデュノ。そんな彼の横で、アシスは皮肉げに笑った。
「『つかせてもらった?』冗談じゃない。実力でついたんだよ。僕より有能なのがいなかったからね」
そう言い捨てると、デュノの溜息をよそにアシスは馬に跨る。その瞬間、ローブの中から一つのペンダントが姿を現した。
金細工で作られた五芒星。それを同じ材質の輪が囲み、星の中心には赤い魔道石がはめ込まれた物だ。
この大陸の西側、三大大国の一つ。黒魔道大国セルドゥガルロ。その国を、国王に次いだ権力を持って運営する『黒魔道五賢者』の五人のみが持つ事を許される証のペンダントだ。
五賢者の仕事は、国の運営から軍の維持、魔道の研究と多岐にわたる。その役職を熟年の魔導士を差し置いて、アシスのような若人がしているなど異例だ。
それはもちろん、実力というものをまざまざと見せつけている結果だけれど。
「まったく……っと、アシス、本を忘れていますよ」
デュノが草の上に置き去りにされていたのを彼に渡した。その著者の名を見てデュノは口角を笑うように歪めた。
「また『リーファ・エルリスト』の著書ですか? 好きですね」
「彼は偉大な魔導士だよ。千年近く前の人なのに、魔法の基礎研究は文句のつけようなく、発展分野の説は今でも定説として生きてるんだから」
本を受け取って、馬にかけてある袋に丁寧に入れる。彼の著書は復刻版でも貴重だ。
「でも、今回のは魔法関係ではないんですね」
本のタイトルは『魔道研究 巻十三 召喚士一族Ⅰ』
「滅亡した召喚士一族の話でしょう? これ」
「……彼らのことは、接触したことのあるリーファの書にしか残ってない。今までは魔法研究だけだったけど、こっちの分野も少し手を出そうかと思ってね」
謎に包まれたまま滅んだ一族。唯一リーファ・エルリストの書にその詳細が載っているようだが、初版は傷みが激しく、解読は残念ながら進んでいない。
荷物を整えているアシスを見やって、デュノは彼の肩から頭の上に移動する。
「何、デュノ? 重いよ」
「いえね。似てると思いまして」
「ん?」
「貴方とリーファ・エルリストが」
ビクンッ、と一瞬、肩が揺れた。
「魔道研究にはまって熱心なのも。新しいことに手を出そうとするのも。彼の描写がしてあった書に当てはまるでしょう? ああ、確か外見も金髪に青紫の目の美形。ね?」
似てるでしょう? と長い首をもたげてアシスの目を見る。青紫ではなく、赤紫の深い色の瞳を。
そんな彼に鼻で笑うと、アシスは軽くデュノを払って馬を進めた。
「似てないよ」
「そうですか? 似てますよ」
「似てないよ」
「似てますって」
「似てません」
終わりの見えない問答を繰り返して、ついにはグワシッと頭の上の竜を掴んで投げる。もちろん羽をはばたかせてデュノは戻ってくるのだけれど。
「アシス?」
「僕は……」
『生きようと思う。どんなに辛くとも、どんなに無情な世界でも』
アシスは一度、瞳を閉じ、そうして、ゆっくりと開いた。
「やっぱり……似てないよ」
一言呟き、それきりアシスは口を閉じた。デュノもそれ以上は話かけない。
その内、眼前に塀が見えてきた。セルドゥガルロ国の首都セルディアシティ。ここは五賢者のペンダントと同じく、五芒星の形をした大通りを境に区画分けされ、首都の周りを円上に大きな塀が囲っている。
わざわざこの形なのは、五芒星が国の象徴であることと、五芒星の各頂点に五賢者の館を構え結界としているからだ。
一陣の風が首都からアシス達に向かって吹き付ける。すると、突然アシスは馬を止めた。
いきなり手綱を引かれ、馬は嘶きを挙げて急停止する。
「アシス? どうしたんです?」
回りこんだデュノに答えず、彼の視線は一点を見つめていた。風の吹きつけてきた方向。
首都のある場所を。
吹きつけた風に混じる気配。それは常人なら感じることのできないもの。しかし、自分の中のある部分が、微かなその気配を確かに掴み取った。
「アシス?」
「いや……何でもないよ。行こうか、怒られる前にね」
デュノの二度目のいぶかしんだ問いかけをさらりと受け流し、アシスはまた馬を進める。
その顔には笑みがあった。楽しむでもない、皮肉るでもない、ただ、興味の無いものに向けた形式的な笑み。
(僕に支障がない限り、仕事と言われない限り、どうでも良いことだ)
そう、隣にいる口うるさい従者に気取られないよう心の中で呟き、彼は、いつもと変わらない様子で、いつもと変わらない日を送り始めた。
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