小さな魔女と迷子の少年

はむちゅ

第1話

あるところに、ルチという名前の見習い魔女がいました。


見習いの魔女でしたので、リンゴの影に隠れられるくらいに小さく、使える魔法といえば、動物の言葉が分かることと、明日の天気が分かること、そして魔法の羽根ペンで空に絵を描けることくらいでした。


ルチにはナァという名前の使い魔がいました。ナァは、綺麗な金色の瞳の黒猫です。

ルチはナァの背中に乗って、街の色々な場所を散歩するのが大好きです。


ルチの住む街には港があり、そこはいつも活気に満ちていました。

大小様々な船が行き交い、海の男達が楽しげに働いていました。


見習い魔女であるルチの姿を、大人達は見ることが出来ませんでした。


船乗り達の話をナァの背中で聴きながら、見たことのない街や国、そこで暮らす人々のことを想像するのが、ルチの楽しみでした。




その日もルチは、ナァと一緒に街中を回っていました。


いつもの様に船乗り達の話を聞こうと港に向かうと、防波堤の端でぼんやりと座る少年を見かけました。


ルチは毎日のように港に来ていましたが、この少年に会うのは初めてでした。


ナァの背中に乗ったまま、ルチは少年の傍に、そっと近づきました。



「ねぇ、何しているの?」


ルチは少年に話しかけてみました。

見習い魔女の姿は、大人になると見ることが出来ません。

けれども子ども達には、その姿も声も、見聞きすることが出来るのです。


「ねぇ、何しているの?」


ルチは、もう一度少年に話しかけました。

けれども少年は、ちらりとルチの方に目を向けただけでした。


ルチは、なぜかとても、寂しくなりました。




次の日。

ルチはその少年に、会いに行きました。

その次の日も、またその次の日も。


少年は、いつもルチをちらりと見ては、海の方を見るだけでした。

それでもルチは、少年の元を訪れました。


どうしてかは、ルチ自身にもわかりませんでした。




ある日のことです。


「お前、魔女なんだろ」


突然、少年がルチに話しかけました。

ルチは驚きました。


もしかしたら少年には、自分の声も姿も見えていないのではないか。

そんな風に思い始めていたからです。


「お前、魔女なんだろう」


もう一度、少年はルチに問いかけました。

少年の瞳には、確かに、ルチの姿が映っていました。


「……でも、まだ見習いなの」

「見習い?」

「うん」

「……なんだ」


見習いなのか。少年はがっかりした声で呟きました。

ルチはそんな少年を見て、悲しくなりました。


自分が見習いの魔女である。それが少年をがっかりさせたのだと思うと、胸が苦しくなりました。

ルチは、泣きたくなりました。唇をキュッと噛んで、こぼれそうな涙を堪えました。

使い魔のナァが、慰めるかのようにルチに寄り添います。


ルチは逃げるように、少年の元から離れました。





次の日。

ルチは、いつもの様に、少年の元を訪れました。

そして、少年に話しかけました。


「私はルチ。魔女の見習いなの。あなたは?」


少年は驚き、ルチを見つめました。

二呼吸分の沈黙のあと、少年は呟くように言いました。


「……ラーサ。ラーサって呼ばれてる」


ルチは少年が話し返してくれたことで、とても嬉しくなりました。

話しかけても、また無視されたどうしよう。

そう思っていましたから、とてもとても怖かったのです。

だから、少年がちゃんと自分を見て答えてくれたので、もっと話したくなりました。


「ラーサは、何をしているの?」

「……海を見てた」

「どうして?」

「親父が船乗りだったから」

「そうなんだ。いつ帰ってくるの?」


ルチが尋ねると、少年は俯き、小さな声で言いました。


「沖に出て、そのまま帰ってこなかった」



ルチは、何も言えなくなってしまいました。

そして後悔しました。

自分の呑気な問いかけで、少年を傷つけてしまったと。

せっかく、少年が自分と話しをしてくれたのに、傷つけてしまったと。


「……ごめんなさい」


ルチは少年に謝ると、逃げるようにその場を走り去りました。





翌日は、朝から雨が降っていました。

細かい霧のような雨が、ルチとナァの身体をしっとりと濡らします。

ナァの背中に顔を埋め、ルチは少年のことを考えていました。


せっかく、話すことが出来たのに。

きっと彼は怒っているだろう。もう私と話してはくれないだろう。

そう思うと胸がギュッと痛くなりました。

涙が次から次へと溢れ、ナァの背中を濡らします。



ふと、ナァが呼びかけるように鳴きました。

顔を上げると、そこはいつもの波止場でした。

いつも少年がいる場所に、今日は姿が見えません。


やっぱり、彼は怒っているんだ。

ルチは思いました。

こらえきれずに、ルチは大きな声で泣きました。




どれくらいの時間が経っていたのでしょう。

いつの間にか、少年が隣に座っていました。

ルチは驚き、ぽかんとした顔で、少年の顔を見つめました。

少年は困ったような顔をして、ルチを見ていました。


しばらくすると、少年が話しはじめました。


「オレの親父は、オレが小さい頃に死んだんだ」


突然話し始めた少年に、ルチは戸惑いました。

じっと、少年の話に、耳を傾けます。

少年は視線を海に向けると、ぽつり、ぽつりと話を続けました。




「海が荒れて漁に出られない日は、いつも港に連れて来てもらってた。

親父は色んな人から話しかけられていて、頼られているみたいだった。

そんな親父が、オレは誇らしかった。

親父に肩車してもらってそこから海を眺めてると、遠くに船が見えて、それがすごく小さくて。

親父たちって、あんなに広い場所にいるんだって思うと、凄いなぁて思った。


――親父の乗った船が、帰ってくる日が何日も過ぎても戻ってこなくて」


そこまで話すと、少年は言葉を止めました。

海を見つめる少年の瞳が、ルチには静かに、波打つように見えました。

少しの沈黙のあと、少年は言いました。


「しばらくしてから、親父の乗った船が、沈没したって聞いたんだ。急に嵐が来て、どうすることも出来なかったって」




ルチは、どうしていいか分かりませんでした。

何故少年は、自分にそんな大切な話をしてくれるだろう?

戸惑いが、胸の奥から湧き上がります。


「なぁ、魔女は魔法を使えるんだろう? ……オレ、親父の船を探したいんだ」


少年は、ルチに向かって言いました。


「ルチ、魔女になって。魔女になって、一緒に親父を探してくれよ」





「……魔女になるには、子どもの願いを叶えないといけないの。だから……今の私じゃ、魔女にはなれないの」


見習いの魔女が一人前になるには、『子どもの願い』を叶えなくてはなりませんでした。

ルチが少年の願いを叶えるには、ルチが魔女にならなくてはいけません。

けれどその為には、少年の願いを叶えなければなりません。


このままでは、ルチはいつまでたっても魔女になれず、少年の願いを叶えることが出来ません。

ルチは悩みました。

どうしたら、少年の願いを叶えられるのか。

どうしたら、自分は魔女になれるのか。


ルチはまた泣きそうになり、少年から顔をそらしました。

自分は少年にとって、何の役にも立つことが出来ないのかと思うと、とても悲しい気持ちになります。


少年はそんなルチの様子を見て、「だったら」と言いました。


「オレが一人前の船乗りになれるよう、助けてよ。ルチの出来ることでいいから。

一人前の船乗りになることが、オレの今の願いだから」

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