第3話


「大変なのー、サラサ様ぁ」

「困ったですー、助けてですー」

 極細工のステンドグラスに彩られたエントランスホールに朝早くから響いた第一声がこれだった。

 ただいま帰還いたしましたと建物入り口に立つ護衛兵に告げ、ゆっくりと歩む。そうしないと、この必要以上に磨き込まれた大理石の床では転んでしまうのだ。

口々に朝の挨拶を交わしながらホールにずらりと並ぶ衛兵の間を通り抜けたところで甲高い声の少女二人に抱きつかれた。

 その衝撃でいくつか青い果実が床に転がった。分厚い皮はどうせ食べないから問題ないけれど早く拾わなくては。でも腰を屈める前に、わたしを見上げる潤んだ瞳に、お行儀の悪い行動の理由を聞かなければならない。

「どうしたの、双子達」

わたしの埃くさいチュニックの胸に飛び込んできた十歳ほどの双子。二人は王宮付き女官の中でも一番年下の小間使いだった。

着古された茶色の筒型胴衣の裾が揃って円形に広がる。

「ナネット、アネット、わたしのことを待ってたの? 一体どうしたっていうのよ」

わたしは両手に持っていた籠をひとまず床に置き、妹のように可愛がっている双子を抱きしめた。太陽光が照り返す大理石の床が等しくこの光景を映し出す。

鏡石のようなこの床はいつもの事ながら落ち着かない。足音も声も不必要に響くし、何よりペチコートの中身が透けて見えてしまいそうなのだ。

「だって姫様が、とおっても怒ってるのー」

 愛らしい顔いっぱいに涙を浮かべた幼い少女が赤い頬を膨らませて泣きつく。ほつれた三つ編みが顔に張り付いているのをかき分けてやった。

「お食事持って行ったのに部屋を開けてくれないのですー」

同じようにもう片方の手で小さな頭を撫でてやる。

「呆れた。他の人たちはどうしているの? 女官頭でも侍従でもいるでしょう」

 この城は使用人が無駄なほど多い。国土が豊かなのはいいけれどもう少し国家予算を削減しても罰は当たらないと思う。

それに、こんなお茶の準備くらいしか出来ない、右も左も上手いあしらい方も解らない小さな子供に寝起きで機嫌が最悪に低下しているアルの相手をさせるのが間違っている。

「女官長はサラサ様が帰ってくるまで待つしかないっていうのー」

「いつもお優しいのに今日の姫様はなんだか怖いですー」

子供二人の訴えを直立不動で、それでも忍び笑いをどうにか堪えて前方上方の虚空を見つめて整列している青銅甲冑の衛兵達が目に入る。

なんだか無駄に平和だなあ、と思う。

わたしは溜息をついて、籠を拾い上げた。

「それじゃ仕方ないわ。わたしが悪かったんだから」

 そう告げると、少女達は顔を見合わせて同時に言った。

「やっぱりサラサ様は頼りになるのー」

「やっぱりサラサ様は頼りになるですー」

 息の合った姉妹は床に散らばったフルーツを拾いあげ、掲げるようにして手渡してくれた。そう言ってくれるのは有り難いのだけれど、わたしは本当にそんな大層なものではないのだ。

ただ、アルと小さい頃から一緒に育って仲が良いというだけで。

もしかしてわたしの存在価値はそんなものかもしれない、と思わないこともないのだがそれは胸のうちに仕舞っておこう。やっぱり平和が一番なのだ。

「じゃあ行こうか。用意は出来てるの?」

ナネットとアネットはわたしの右手と左手にそれぞれすがりつく。

王宮で働く女性達の殆どが、行儀見習いを兼ねた貴族の娘であるというのが慣習であるし、この子達も相当に良いところのお嬢さんたちのはずなのだが、本当に素直で可愛らしい。

「もちろんなのー」

「あとはカートをお部屋に持って行くだけですー」

「じゃあ急がなくちゃね」

 金の縁取りがされている緋色の絨毯が敷き詰められた階段を昇る。これは床が柔らかいから滑ることもないし足音も聞こえない。宮殿内は大きな窓が多く、昼間は外のように明るい造りをしている。階段の踊り場に置かれている南国の観葉植物も今日はいつもよりも葉っぱが大きく開いている気がする。思わず、「良い天気ね」と深紅の百合のつぼみに口づけ挨拶をしたら、アネットに、

「サラサ様は今日はご機嫌なのですねー。姫様とは正反対ですー」

と言われてしまった。

「だいじょうぶよ、アルテミア様は朝が苦手なだけだから」

 わたしは不謹慎にも鼻歌さえ歌い出してしまいそうだった。

「あたしにはわかるのー、姫様は、昨夜からサラサ様がいないから寂しがってたのー」

それには返事はせずに曖昧な笑みに留めておいたが、そんなことあるはずがない。 

でもわたしが今日なぜだか心が浮き立っていたのは否定しなかった。何てったって、ハルマ殿に会ったのは実に一月ぶりなんだし。

そんなことを考えていたら厨房を経由して王宮最上階東の間、アルテミア王女の居室の扉の前についた。アルの部屋の入り口はあと二十日もしないで十七歳になる乙女の部屋らしく、白百合の大輪が飾られている。

槍を掲げた護衛兵が恭しく膝をつく。

ご苦労さま、と声を掛けて、真鍮のノッカーをコンコンと二度叩く。

返事がない。

「アルテミア様。遅くなって申し訳ありません。サラサです」

双子が背後で不安そうに顔を見合わせているのが気配でわかった。部屋の中から壁越しに沈黙が押し寄せる。

続いてドシン、という音。わたしの背丈の二倍以上ある観音開きの扉が衝撃にたわみ、その反動でドアが開いた。

失礼します、とお辞儀をして部屋に入ると、さっきの衝撃の原因の残骸が無惨に転がっていた。マホガニーのスツールが一脚。これを投げて扉を開けたのね。華奢な細工がしてあった背もたれから見事に真っ二つに割れていた。

あの怪力王女!

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