絵・美・死~ABC~ 色の魔術師
織田崇滉
EP1.光源のコーディネーター
アバンタイトル
放課後、美術部が壊滅した。
木の葉が紅く染まる初秋。
一〇名足らずの部員たち。
美術室で暴れ回り、破壊の限りを尽くし、何事かと顔を覗かせた一般生徒も巻き込んで、一人残らず病院送りという有様。
助かったのは、夏に引退した三年生の元部長ら二名と、たまたま居合わせなかった顧問の美術教師、名前だけ在籍している幽霊部員の男子生徒一名のみ。
砕けた机。
引っくり返った椅子。
美術用具や画材が散らかって足の踏み場もない。
窓は割れ、天井の蛍光灯は軒並み落下し、壁や床には風穴が空いている。
集団パニック?
集団ヒステリー?
「あの日、美術室で幻覚を見たの」
部員の誰もが、収容先の病院で口々に述べた。
部員の誰もが、寸分たがわぬ幻影を見たと告げた。
ありもしない白昼夢を見た。
「去年、イジメを苦に自殺したはずの女子部員が、化けて出たの」
大半が女子生徒で構成される文化系部活動。
女性特有の集団心理は想像を絶するとよく言われる。
縄張り意識と、右に倣えの多数派に所属して、自己実現を果たそうとする作用。
なびかなかった一人の女子部員を誹謗中傷し、画材を隠し、作品を裂き、絵の具で学生服を塗りたくり、便所に這い蹲らせ、彫刻刀で傷を負わせ、蹴って殴って侮辱した。
そしたら、自殺した。
その子が怨霊と化し、美術室へ再臨した――らしい。
おかしな話だ。
ねーよ、って普通は思う。
パニック状態による集団催眠みたいなものか、と大人たちは推論しているが、結論には至っていない。至るわけがない。頭でっかちな老害どもに、子供たちの何が判るのか。判ってたまるか。理解されたら、この事件が成立しない。
そのお化けは、イジメの加害者である部員たちに襲いかかったという。
お化けが物理的に接触できるとは思えないが、とにかく襲いかかったという。
美術部員たちは錯乱し、逃げ惑いつつも、死霊に応戦した。室内の調度品を投げ付け、あるいは盾にして戦った。半狂乱だった。そのうち誰が誰だか判断すら付かなくなり、ひたすらわめき、泣き叫びながら、身を守る一心で破壊活動に没頭した。
そんな混戦模様であるから、同士討ち・仲間割れに及ぶのも無理はない。
「あんたが、あの子のイジメなんか始めるから!」
「お前だって楽しんでたじゃん!」
漏れ出る本音。
罪のなすり付け。
醜い。
醜すぎた。
*
「――自殺したお姉ちゃんの
「別に……僕は静かに絵を描きたいだけだ」
校舎の屋上で、二人は話す。
男子の声と、女子の声。
紺色の
他には誰も居ない。
屋上は本来、立ち入りが禁止されている。出入り口は厳重に施錠されている――ように見える――が、そんなものは
「僕は美術部に幻滅した幽霊部員だ。他の部員ども、人目をはばからず堂々と集団リンチしていたからな。うるさくて仕方ない。だから粛清した」
キャンバスと画材を運び入れた男子は、眼下の市街地を模写しながらのたまった。
感情のない、素っ気ない物言いなので、女子は思わず聞き流しそうになる。まるで本心ではないような、今思い付いただけのような、そんな空々しさを滲ませる。
だから、女子はこう返す。
「嘘ね」
「……なぜ」引きつる頬。「……なぜ、そう思う?」
男子の手元が狂い、絵の具が跳ねた。
油絵の染みが、風景画に汚点を残した。
舌打ちを一つ。
「だって聞いたもん」舌を出す女子。「あなたが、お姉ちゃんに告白してたこと」
さらに男子は描き損じた。
市街地の奥に連なる野山の稜線が、空に滲んで汚れてしまった。
舌打ちを二つ。
「だから、あなたはお姉ちゃんの仇討ちをしてくれた」
「……人の告白を家族に漏らすなんて、あの人も堪え性がないな。好きになったのは見込み違いだったみたいだ」
絵の具を力任せに筆でかきまぜる。
色がにごる。
物凄くにごる。
涙すらにごる。
やがて陽が落ち、男子の背後に影法師が伸びた。
長身の人影だ。座っているのに、どこまでも長い。
女子の足下まで影法師が届いたとき、彼女は影を踏まぬよう、軽快によける。痩躯と赤毛の頭髪が夕闇に跳ね上がる。
「いい人よ、ってお姉ちゃんは褒めてたわ」容赦ない告げ口。「寡黙で不思議な後輩だけど、背が高くて見栄えも良くて、デッサンモデルにしたら描きやすいって」
「……そんな賛辞は初めて聞いた」
いかにも美術部らしい。
皮肉か、とさえ思う。
「そして、お姉ちゃんと同じ
「!」
筆を持つ手が、止まる。
デッサンモデルを務めるときのごとく、身動きを止める。
同じ
色彩芸術に携わる者ならではの、特別な
「あなたがお姉ちゃんを好きになったのも、その
「お前……どこまで知っているんだ?」
男子は即座に聞き返す。
決して後ろは振り返らないが、後ろ暗い語気で尋問する。
前方に見渡す市街地も暗い。キャンバスに描いた町並みも暗い。稜線は色のない禿山だらけで、洛陽の空からは暗澹ばかりが降り注ぐ。
「お前は
「無理無理。お姉ちゃんだけが特別なのよ」
「あの人は馬鹿だ。人目を気にせずイリュージョンを使えば、イジメから身を守れたのに」
「代わりに、あなたが仇を討ってくれたわ」
「手遅れだがな」
「美術室の幽霊騒動……『
「それ以上喋るな」矢継ぎ早の忠告。「僕は静かに絵を描きたいんだ」
「色彩原理を元にしてるのよね」めげない女子。「大気の温度差や水分を操作して、お姉ちゃんの写真を立体投影したんでしょ? 本当にお姉ちゃんが蘇ったみたいで、嬉しかった」
「他の奴らは泣き叫んでたがな」
「ざまぁみろ、よ」
ああ言えばこう言う。
男子は力任せに筆を折った。
今日は絵を描けないし、女子を追い返すのも諦めよう。
二重の意味で、筆を折った。
「あたし感動したもん。あれって、どんな手品なの?」
「手品じゃない。れっきとした色彩学であり、真の英才だけが使える幻術だ」
「お姉ちゃん、絵画の才能あったもんね。いろんなコンクールで賞を取ってるし、美大の推薦も狙ってたし……そのせいで他の部員から嫉妬されて、イジメられたけど」
「嫉妬ほど醜悪な色はない」
「何にしても、部が静かになって良かったわね」
「いや、しばらく報道と警察でうるさいぞ。集団パニックと乱闘騒ぎ、その影には才女のイジメ問題が横行し……ってな。いかにもマスゴミが好みそうなネタだ」
「じゃあさ」からめる両手。「その熱が冷めないうちに、もう一つお願いしていい?」
「……は?」
「姉さんのために。そして、あたしのために」詰め寄る女子の影。「あなたの
「……何をさせる気だ」
「決まってるでしょ。仇討ちの続きよ……!」
*
あの姉への告白は、失恋で正解だった。
なまじ成就したら、こんな妹とも親しくしないといけなくなるから。
*
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