3.
誰がいちばん早口言葉が上手いかという話。
自ら得意だと名乗りを挙げたのが円先輩で、反対に不得手だと自己申告したのは僕だった。
「はい。じゃあ、なっち。リピート・アフタ・ミィ」
電車のボックス席、斜め向かいに座る円先輩が僕に言った。苦手だと言っているのに、なぜそうやって試そうとするか。
「『隣の客はよく柿喰う客だ』」
「と、隣のガキはよく客喰うガキだっ」
よし、言い切ったぞ。
「いきなり
が、しかし、隣で呆れたように一夜。
……どっか間違ってた?
「次いくよ。『坊主が屏風に上手に坊主の絵を描いた』」
「坊主が屏風に上手にジョーズの絵を描いた?」
なぜか疑問形になったけどばっちりのはず。
「なかなかスペクタクルな屏風ね。……ええ、まぁ、虎の屏風もかなりスペクタクルだとは思うけど」
今度は司先輩に感心されてしまった。どうやらまた間違ったらしい。
「だから苦手って言ったじゃないですか」
「なんかそれ以前の問題って気もするけどね」
「僕ね、舌が少し長いんですよ。ほらほら」
そう言って舌を出し、その先で鼻の頭にちょんちょんと触れてみせる。僕の数少ない特技のひとつだ。
が――、
「「 うわぁ…… 」」
それを見て先輩ふたりが絶句した。……なんだろ? そんなに引かれるような芸をやったつもりはないんだけど。
「な、なに、その反応!?」
予想外の反応に僕が驚いて訊くと、円先輩が代表してひと言。
「……そこはかとなくエロい」
「何でっ!?」
「それで、これはどういうことかしら?」
他愛もない話題がひと段落つくと、司先輩が切り出した。
今、僕たちは電車のボックス席に座っている。男女に分かれ、窓側に円先輩と一夜が、通路側の席に司先輩と僕が向かい合わせになっている。
司先輩はミニスカートにレッグウォーマー、上着としてショート丈トレンチを羽織っている。頭にはキャスケットをかぶっているので、どことなくボーイッシュな感じだ。キャスケットは誕生日に僕がプレゼントしたもので、こうして身に着けてくれているのを見ると嬉しくなる。
円先輩はデニムのロングパンツにスタジャンという男前なスタイル……と思っていたのに、空調の効いた電車に乗ってファスナを下ろしてみたら、中は大胆に胸の開いたシャツを着ていた。
女の子というのは、可能な限り防寒よりファッションを優先するものらしい。
「どういうことって何がよ?」
「ええ、円と遠矢君、いつの間にここまで進んでいたのかなと思って」
司先輩が少し意地の悪い口調で言うと、途端、円先輩は「ついにきやがったな」みたいな顔になった。
「あ、それは僕も知りたい」
円先輩には悪いけど好奇心には勝てない。
「一夜って円先輩のこと嫌いだと思ってた」
「那智くん、それはわかってなさすぎ。夏休み前ごろからふたり仲よかったじゃない」
「え!? そうだったんですか?」
「……いえ、那智くんにこの手の話題に対する察しのよさを期待したわたしが間違いだったわ」
ため息混じりに言われてしまった。
それじゃまるで僕が鈍感みたいじゃないか。心外だな。
「それで――」
と、司先輩は改めて円先輩を見た。
「な、なによ……?」
円先輩は完全に警戒モードに入っている。気持ち的にはファイティングポーズを取っているに違いない。
「いつからデートするほどの仲になったのかしら?」
「い、いや、違うんだってば。アタシらそんなんじゃなくて……」
「へぇ。じゃあ、何なのかおしえて欲しいわ」
司先輩は追求の手を緩めない。
「何って……ねぇ、遠矢っち?」
助けを求めるように円先輩はぎこちない笑いとともに一夜を見た。が、その一夜はというと釈明も弁解も放棄したのか、それともそもそも他人事だと思っているのか、我関せずとばかりに窓枠に肘を突いて外を眺めていた。
「この……っ」
役に立たない相方に、円先輩が思わず拳を固める。凄いぞー。カッコイイぞー。今度はぜんぜん息が合ってないぞ、このふたりー。
「一般に男の子と女の子がふたりきりで遊びにいくことをデートと呼ぶと思うんだけど?」
「あ、そう言えば……」
司先輩に言葉に反応したのは僕だった。
「僕が先輩と初めて遊びにいったときは、デートなんて言葉ひと言もなしだったなぁ。今じゃそれが初デートってことになってるけど。もしかして、僕って騙された? ……おおっ!?」
いきなり向かいに座る司先輩が足をぴんと伸ばして蹴ってきた。かろうじて僕は腰を捻り、足の位置を変えてそれをかわした。
「騙してません。人聞きの悪いこと言わないで頂戴」
最初から制裁はやめてほしい。せめて警告と威嚇の段階を踏んでもらいたいものだ。あと、あれだ。そういう短いスカートで足を跳ね上げたりするのはどうかと思ったり思わなかったり。
「け、結果的にあれが最初になっただけです。当時はかわいい後輩をお姉さんが遊びに連れ出すだけのつもりでした」
なぜだか知らないけどふくれっ面でキレ気味に司先輩は言った。
「そう、それっ。アタシもね、別に深い意味はないわけよ。かわいい後輩であるところの遠矢っちと遊んでやろうと思ってさ」
ここぞとばかりに円先輩は司先輩の言葉をなぞってきた。なんかもう必死だな。
「おい、一夜、言われてるぞ。かわいい後輩だってさ」
「……やかましいわ」
隣の一夜を肘でつついて言うと、間髪入れず言い返してきた。
「ふうん。まぁ、いいけど」
と、口では言っているものの、司先輩は相変わらず疑いの眼差しを向けている。
ほっとしている円先輩にここで、『今はそうでもこの先どうなるかわからないし』なんて言ったらどうなるだろうな。経験に基づいてるからけっこう説得力あるぞ。
「あ、ほら、司、見えてきたよ。あれ、観覧車じゃない?」
「どれどれ? あ、ホントだ」
どうやら窓の外には本日急遽決まった目的地である遊園地が見えてきたらしい。指差す円先輩に司先輩が寄りかかるようにして、ふたりで外を見ている。僕は進行方向逆向きに座っている上、通路側なので見えそうにない。
はしゃぐ司先輩を見ながら僕は思う。
本当にどうなるかわからないものだな、と――。
今、目の前に司先輩がいる。
遠くから眺めて、風の噂に話題を聞くだけだった憧れの先輩が、すぐそばにいる。そして、これからもずっと一緒にいようと約束した。初めて先輩を見たときには、こんなことになるなんて考えもしなかった。
(本当、どうなるかわからないよな)
手をつないで、
デートを重ねて、
キスもして――
「……」
って、あー……。
こんなこと考えていたら、蒼司がくだらないこと言っていたの思い出しちゃったよ、ちくしょう。
「ねぇ、那智くん、着いたら最初にどこに行く?」
「……ホテル、かぁ」
「ぇ……」
そりゃあさ、僕だって男だからそういうこと考えないわけじゃないけど、そんな単語を出したら、一気にリアルになって嫌だよな。生々しいっていうか。……まったく。蒼司め、妙な呪いをおいていきやがって。
丁度そのとき、電車のアナウンスが流れた。もうすぐ遊園地前の駅に着くらしい。
「ぃよしっ。じゃあ、行きましょうか」
それを合図に僕は邪念を振り払い、勢いよく立ち上がった。
と――、
「……」
「……」
「……」
なぜか三人とも座ったままぽかんとした様子で僕を見上げていた。何なんだろう、この状況は。
「どうしたんですか?」
司先輩を見る。
「え、えっ!? あ、あの……」
が、先輩は突然顔を赤くしてしどろもどろになった。
「い、行くの……?」
「行かないんですか?」
「い、いや、行かないとか嫌とかじゃないけど……その、いきなり……だから……」
言いながらついには下を向いてしまう。
確かに遊園地行きはいきなり決まったことではあるんだけど。それにしては先輩の反応が変だな。
「?」
腕を組み、首を捻ると隣の円先輩と目が合った。
「ア、アタシらが口出すことじゃないから……っ」
慌てて両の掌を胸の前で振る円先輩。
……こっちもか。
ていうか、なんか話が噛み合ってなくないか?
「でも、もう着きますよ?」
「え? もうっ!? そんな……」
「遊園地」
「……え?」
瞬間、気の抜けたような声を出す司先輩。
「遊園地?」
「遊園地です」
何を今さら。
「そ、そう。遊園地! 遊園地よね。あは、あははは……」
そう言って先輩は乾いた笑いを漏らす。
が、突然、掌で口と鼻のあたりを覆うと、ふぅ~、と気を失ったように円先輩の膝の上に倒れ込んだ。
「何なのよ、さっきのひと言は……」
「まぁ、なっちだからねぇ」
円先輩は同情した様子で司先輩の頭を撫でている。……なにげに失礼なことを言われているような気がしないでもない。
「なに、司、期待したの?」
「……」
司先輩は黙ったままだった。
どうでもいいけど、もう着きそうなんですけど。
§§§
「よし。じゃあ、行くぞ、一夜」
そう言うと、那智くんは遠矢君を引き連れてカウンタへ向かった。
遊園地に着くと、わたしたちはまずフードコートにきた。お昼ごはんには少し早い時間だけど、混む前にすませてしまおうということになった。
システムは街のファーストフードショップと同じなので、那智くんと遠矢君が買いにいって、わたしと円は席を確保しつつ待つ。
「ホントのところはどうなのよ?」
ふたりの背を眺めながら、わたしは円に聞いた。
「こっちは那智くんとふたりっきりのデートを棒に振ってるんだから、円の正直な気持ちを聞かせてもらわないとわりに合わないわ」
「自分勝手な主張ありがとさん。嬉しくて涙が出てくるわ」
円は皮肉を込めて言った。
「遠矢君のこと好きなの?」
「どうなのかねぇ」
まるで他人事のような言い様だ。
「でも、今日みたいにふたりきりで逢ってるなら、そういう気持ちも少しはあるんでしょ?」
「かもね。……でも、どっちかって言うとアタシが勝手にあの子の世話を焼いているだけって感じかも」
円は少し寂しげな調子で言う。
視線の先ではカウンタで注文をしている那智くんと遠矢君の姿があった。
「遠矢っちってさ、あれでちょっと弱い部分があって、ほっておけないのよね」
「ふうん」
遠矢君は一年生にしては大人っぽくて落ち着いていて、しっかりしているみたいだからとてもそうは見えない。だけど、円が言うのだから本当なのだろう。
「まぁ、尤も、あっちはあっちでそんなアタシに合わせてくれてるみたいだし、けっこう余裕あるのかも」
「あら、だったら遠矢君も満更でもないんじゃないかしら?」
「だといいねぇ」
そう言って円は軽く笑う。
どうやら円は自分の行為に下心もなければ、見返りを求めてもいないらしい。そういうところは世話焼きな彼女らしいと思う。
「だいたいさ、遠矢っちにはほかに大事なやつがいるんだから」
「え? そうなの!?」
聞いたらダース単位の女の子が卒倒しそうな情報を、円はさらりと言った。
「おっと。この先は司にも内緒。誰かなんて聞いても無駄だからね」
「……まぁ、いいけど」
そういうのは円ひとりが知っておけばいいことだろう。
那智くんと遠矢君がカウンタから離れた。ふたりはそれぞれトレイを両手に持ってこちらに帰ってくる。歩きながらお喋りをしているらしく、実に楽しげだ。
初めて見る那智くんの表情。
きっとあれは同性の親友にしか見せない顔なのだろう。軽く嫉妬を覚える。
そして、遠矢君の表情もやっぱりわずかに柔らかかった。
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