2.

 そして、日曜日、デート当日――


 僕は自転車をかっ飛ばして、猛スピードで駅に向かっていた。


 何でこんなことになっているのかというと、平たい話、二度寝して気がついたらえらい時間になっていたのだ。いや、びっくりした。


 待ち合わせの時間に間に合うかどうかは微妙なところ。一本でも速い電車に乗りたい。そう思って路側帯を走っていると、高そうな外車が僕の横を通り、追い越していった。


(あんなのにぶつけたら笑えないだろうなぁ)


 そんな洒落にもならない想像をする。


 と、急にその車が減速した。当たり屋さんだろうか。僕も警戒して速度を落としたが、ついに横に並び、併走するかたちになった。


 そして、窓が開く。


「よう。俺の息子」


 運転手が顔を覗かせる。……にゃろう。左ハンドルかよ。


「……」


 僕は黙って速度を上げた。不良中年は無視るに限る。


「あっ、てめ、逃げんじゃねぇよ」


 しかし、その男――宇佐美蒼司は再びアクセルを踏み込み、僕に追いついてきた。人力の限界を感じる。


「……」


 さて、どうしたものか。路地にでも入って振り切ろうかと考えていると、行く手に信号が見えてきた。幸い、赤。

 これはチャンスだ。


 僕は車の流れが途切れていることを確認すると、そのまま交差点を突っ切った。交通マナーが希薄になりがちな自転車ならではの荒業だ。ザマーミロ。これで追ってこれないだろう。


 しかし――、


「お前、信号無視までして、なに急いでんだ?」

「……」


 ……あんたもな。


 片側二車線の交差点を白昼堂々と信号無視するかよ、フツー。なんかもうどうでもよくなってきた。


「急いでるんです。かまわないでください」


 観念して返事をした。


「それを早く言えよ。どこへ行くんだ? 乗せていってやるよ」

「けっこうです」


 ペダルを全力で回しながら答える。


 相変わらず併走したまま喋ってるんだけど大丈夫か? しまいに事故るぞ。ていうか、かまわん。むしろ速やかに事故れ。


「行き先は? この先の駅か?」

「とりあえずは。でも、そこから電車に乗りますから」


 そう言って、ついでに本日の目的と最終目的地もおしえる。


「あぁ、だったら高速を使えば電車より車のが早く着くな」

「……」

「お前の様子だと今すぐ乗っても間に合うか怪しいんだろ?」

「く……っ」

「タイミングよく電車がくればいいがな」


 蒼司は人の心を見透かしたように、わざとらしく言った。……あー、こいつ、ホントに事故って死なないかな?


「じゃ、この先の駅で待ってるからな。早くこいよ」


 そして、蒼司は僕の意見も聞かずにそう決めてしまうと、加速して前方に走り去っていった。窓から手を出して、ひらひら振っているところがやけに腹が立つ。


 僕は心の中で「事故りやがれ」と呪いの言葉を三回繰り返した。





 駅に着くと蒼司がロータリィに車を停めて待っていた。


 シャープな感じに整った容姿に悪ガキのような笑みを浮かべている。長めの前髪を前に垂らし、ぱっと見、人相がわかりにくい。お忍びか? やましいことがあって逃亡中の身とかじゃないだろうな。ありそうで嫌だ。


「よう、待ってたぜ」


 そして、十年来の親友を歓迎するように言う。


 どうもうまく嵌められているような気がする。僕はわけもなく不機嫌になって、何も言わず駅の有料駐輪場に向かった。


「早く乗れ。すぐに出るぞ」


 自転車を預けて戻ってくるなり蒼司にそう言われ、僕は助手席側に回った。


「車に気をつけろよ」

「うるさいな。わかってるよ」


 左ハンドルの外車なので助手席に乗ろうとすると、どうしても一度道路に出ないといけなくなる。……子どもじゃあるまいし、車がきてないかどうかくらい確認してるよ。まったく。お前は僕の親か。

 って――、

 あー、ちくしょう。そうだったな。


「……」


 おかげで不機嫌が増幅してシートに座ってからも積極的に話す気にならなかった。


 車が発進した。


 しばらく一般道を走った後、高速道路に入った。周りの風景が防音壁に遮られ、ひたすらコピィ&ペーストを繰り返したような単調なものに変わる。


 そこから車は一気に加速し、追い越し車線に入って次々と他の車を追い抜いていく。


「この前の話、考えてくれたか?」


 やがて運転も単純作業になり、暇になったのか蒼司が切り出した。


「考えたところで答えは変わりませんよ」

「そう、か……」


 少し落胆の色を見せたが、ただそれだけだった。


 それからまたしばらくして蒼司が口を開く。


「お前が今の生活にこだわるのは、あの片瀬って女の子がいるからか?」

「げ。なんで先輩のこと知ってんだよ」

「てめぇ。俺の情報収集力なめんな」

「奈っちゃんから聞いただけだろ?」

「そうとも言うな。……で、どうなんだ?」

「……」

「……」

「たぶん、そうだと思う」


 実際にそうなのだからそう答えるより他はない。


「こういうときってさ、父さんと母さんのことを思うのが普通のような気がする。でも、真っ先に司先輩のことを思い浮かべた。……僕って薄情かな?」

「俺はそうは思わないな」


 蒼司はきっぱりとそう言い切った。


「そういうときがあっていいだろう。そして、そのことで悩めるお前は絶対に薄情じゃない。俺が保障するよ」

「……」


 あぁ、そう言われると少しは安心できる。


「でも、どこかのIT企業の元社長は、金さえあれば女は寄ってくるっつってたけどな」

「……」


 今ここでそれを引き合いに出してくるかよ。


「でも、どこかの会長さんは若かりしころ、地位も名誉もお金もある家を捨てて、女の人と駆け落ちしましたけどね」

「ぐ……。お前、痛いところ突いてくるね」


 僕の指摘に蒼司は言葉を詰まらせ、居心地悪そうに頭を掻いた。


「あー。そりゃあ、あれだ。俺、親父がとことん嫌いだったからな。あいつが困るんなら一緒に逃げる相手は誰でもよかったんだよ」


 そして、蒼司は触れられたくない過去を守るように、口を閉じた。


「わかった。そういうことにしておくよ」


 僕はそう返しておいた。


 その後は核心に触れたり、互いに気分を害するような話題は出さず、くだらない話ばかりしていた。


 しばらくして前方に料金所が見えてきた。


「僕が出すよ」


 ポケットの財布に手をかける。


「あぁ? いいよ、ンなもの。だいたい、今どきの車にゃETCってものがあるんだよ」


 そう言って蒼司は顎で小さな機械を示した。


 おお、これが噂のETCか。父さんがこの手のものが苦手で敬遠してるから、うちの車にはついていないんだよね。実物は初めて見た。


「ガキが変な気を遣うなよ」

「変な気ってなんだよ。僕のためにここまできたんだから僕が――」

「お前のためだからだ」


 蒼司は僕の言葉を遮る。


「ほかのやつだったらしっかり取ってるよ、帰りの分までな。それにこんなところで余計な金使ってんじゃねぇよ。相手が年上だからってホテル代くらい出さないと格好つかないだろ、男として」

「ホ、ホテ……ッ」


 何をぬかしやがるか、この不良中年は。


 絶句している僕の横で蒼司がゲラゲラと笑う。……まったく。この前、先輩も妙なこと口走っていたし、今日この後、変に意識してわけのわからんことになったらどうしてくれるんだよ。


 車はETC専用のゲートを通り再び一般道に下りると、そこはもう市内中心部。背の高いビルが所狭しと林立していた。


 バカみたいに交通量の多い道路を走って目的の駅に着く。


 さすがに県庁所在地の名を冠するだけあって駅ビルの周りには十階を越えるデパートがふたつ、オフィスビルやシティホテルは数えるのも嫌になるくらいある。ひとたび地下に潜れば広大な面積の地下繁華街が広がっている。そこが今日の待ち合わせ場所だ。


 蒼司はバスやタクシーでひしめき合う駅前にうまく隙間を見つけると、そこに車を停めた。


 僕はまた何か言われる前に、行き交う車に注意していることをややオーバーな動きでアピールしながら車を降りた。そして、運転席側に回る。


「たぶん遅れずにすむと思う。いちおう礼を言っておく。ありがとう。助かった」

「気にするなよ。俺はお前のためなら何でもする」

「それでもいちおう、ね。……それでは失礼します」


 きっちり丁寧に頭を下げ、その場を後にする。


 が――、


「那智」


 不意に、歩き出した僕の名を呼んだ。


「大丈夫かー? ホテル代あるかー? 心配だったら貸すぞ?」

「……」


 僕は振り返ると、でっかい悪ガキが笑う車のそのボディに、ガスッ、と一発蹴りを入れた。


「あ゛ー!? てめぇ、何しやがる!?」


 慌てて窓から身を乗り出し、車体側面を見る蒼司。

 そんな蒼司を残して僕は脱兎の如く逃げ出し、近くの階段から地下へと下りた。





 地下繁華街の、前衛的なオブジェつきの噴水の前――、


 そこで意外なやつを見つけた。


「あれ? 一夜じゃんか。何してんの、こんなところで」


 そこにいたのは一夜だった。

 僕に気づいた一夜は、プライベート用眼鏡のブルーのレンズの向こうで、わずかに驚きに目を見開いた。


「別に。何もしてへん」


 と言ってるわりには声に焦りが窺える。


「何もしてないって……ここ、待ち合わせのメッカだぞ? 何も用がないのにここにいるのか?」

「そうや。文句あるか?」

「いや、文句はないけどさ。なんか怪しいなぁ。……あー、わかった!」


 ピンときたぞ。


「な、なんや?」

「さてはナンパだな?」

「アホ。違うわっ」


 アホとなじられるとともに即座に否定された。


「じゃあ、何だよ? まさかホントに意味もなくここに立ってるわけじゃないだろ?」


 ずい、と一歩踏み込み、詰め寄る。


「那智には関係あらへん」


 一夜はくるりと回って僕に背を向けた。


 ふむ。クールな一夜にしては珍しい態度だな。僕はひょいひょいと跳びはねて一夜の前に回る。


「とか言いつつホントのところは?」

「……」


 またも一夜は背を向けた。


 僕は、今度はぴったりその後ろに張りつくと囁きかけた。


「実は誰か女の子と待ち合わせしてたり?」

「……っ!」


 お。脈あり。テキトーにカマかけてみたんだけど、どうやら当たりっぽい。


 と、そのとき――、


「く……」


 小さく一夜がうめいた。

 見上げると、その視線は前方に注がれている。何かを見つけたらしい。


 そして、続けて――、


「よっ。遠矢っち。待った?」


 聞き覚えのある声。


(この声はもしや……)


 そう思って一夜の背後から顔を出して覗いててみると案の定だった。


 円先輩が片手を上げてこちらに歩いてくる。

 が、僕の姿を見るやいなや先輩の顔は引きつり、かっくんと直角に方向転換。そして、もう一度直角カーブを繰り返すと、きれいにもときたのと百八十度向きを変えて去っていった。


「何でっ!?」


 いや、もう、なんかいろいろと「何で?」だった。


 聞きたいことが山ほどあるが、しかし、円先輩は僕の声を無視してどんどん逃げていく。


 そうして一度はUターンした円先輩だったが、ちょうどタイミングよく登場した司先輩と出くわし―― 一瞬で状況を理解して満面の笑みを浮かべた司先輩によって連れ戻されてきたのだった。





 結局、その場の成り行きでいつぞやみたいに四人一緒に遊ぶことになった。


 ひとまず移動。


 前衛は、司先輩と僕。

 後衛は、円先輩と一夜。


 ちらりと後ろのふたりを窺うと、円先輩は不機嫌そうな顔を、一夜はいつも以上にどうでもよさそうな顔をしていた。


 そこで僕はあることに気づき、ぽん、と手を打った。


「これってWデート……おおっ!?」


 次の瞬間、僕は背中に受けた衝撃で前方に吹っ飛んでいた。


 いったい何ごとかと体を起こして振り返ってみると、例のふたりが日本人にあるまじき長さの足を振り上げて立っていた。……ダブルで蹴りをくれたらしい。


「「 ふん 」」


 そして、同時に鼻を鳴らすと、右と左に顔を背けた。


 何なんだ、このふたりは。息ぴったりじゃないか。いろいろと追求の余地がありそうだな。

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