3.

 昼休み――、

 五限目の化学のために理科実験室に移動する。


 その途中で僕は、中庭で友達と話をしている司先輩を見つけた。足を止めて二階の廊下の窓からその姿を眺める。


 ――十月の中旬。


 残暑はとうに消え去り、かと言って寒いわけでもなく、お喋りを楽しむには丁度いい季節だろう。そんな中で司先輩は友達三人と一緒にいた。


 輪の中心にいるのは司先輩。少し高い花壇の淵に体重を預けるようにして腰掛けている。友達はその左右にひとりずつ座り、正面にもひとり立っている


 ああ、やっぱり先輩は違う――。


 その場面シーンを見て僕は思った。


 誰もが認める美少女。彼女はきっと少女と大人の間にいるのだろう。だから、悪戯っぽく子どものように笑ったり、大人っぽく淑やかに微笑んだりできるのだ。どちらでもあり、どちらでもない。そんな今しかない一瞬のバランスが彼女の神秘的な魅力のひとつに違いない。


「……」


 ……。

 ……。

 ……。


 なーんてね。

 年下の僕が言っても戯れ言でしかないんだけど。





 不意に司先輩が携帯電話でメールを打ちはじめた。


 女の子とかで友達と話しながらメールする光景はよく見かける。例えばサトちゃんなんか人を蹴りながらやってたりするし、居内さんは横を通れば足を出してくる。でも、先輩のそういう姿を見るのは初めてだった。


 横からディスプレイを覗き込もうとする友達と、慌てて携帯を胸に抱えて隠す司先輩。そんな女の子らしいやり取りがとても新鮮だ。


 と、そのとき、ポケットの中で携帯が震えた。

 サブディスプレイを見てみると司先輩からのメールだった。……なんだ、僕へのメールを打ってたのか。


 いったい何ぞな、と受信したメールを開いてみる。



『こっそり覗き見してるのは誰かしら~?☆』



「ぶはっ……」


 瞬間、だーらだーら、と嫌な汗がいっぱい出た。


 恐る恐る顔を上げて窓の外を見てみると、下で司先輩が悪戯っぽく笑って手を振っていた。その周りでは先輩の友達も面白半分で手を振っている。


「あはは……」


 非常にばつの悪い思いをしながらも、僕も手を振り返す。


 あー、恥ずかし……。

 さっさと理科室に行こう。そう思って廊下の先に向きを変えたとき――、


「「 人誅ーーー!!! 」」

「の゛っ!?」


 背中に強烈な衝撃。


 僕は前方に吹っ飛んで、二メートルほど廊下をヘッドスライディングした。何ごとが起こったのかと体を起こす。


「昼間っから羨ましいぞ、なっち」

「をほほほほーーー」


 そう吐き捨てながら走り去っていく同じクラスのトモダチと宮里晶(通称サトちゃん)。


「……」


 ああ、あれだ。後ろからライダーキックみたいな角度の跳び蹴り(←サトちゃん)と中段蹴り(←トモダチ)のツープラトン攻撃を喰らったのが容易に想像できたぞ。


 ……ちくしょう。絶対ブレザーに足跡がふたつついてるな。


「まったく、もう……」


 愚痴をこぼしながら立ち上がろうとする。


 スパンッ


 しかし、小気味よい音とともに、今度は頭に軽い衝撃。


 見ると普通にすたすた去っていく居内さんの後ろ姿があった。手にした教科書でさり気なく僕の頭をハタいていったのだろう。


「みんな、いったい何なんだろうな」


 僕は思わず廊下の真ん中であぐらをかき、腕を組んで考え込んでしまった。





 放課後――、

 七限目が終わってから美術室へと向かった。


 あの後、司先輩からさらに『放課後、美術室にくること』と命令形に近いメールが入ったからだ。


「失礼しまーす」


 と、美術室の扉を開ける。

 中には十人弱くらいの生徒がいた。そして、肝心の司先輩はというと……こっちに突っ込んできていた。


「那智くんっ♪」

「おぶっ」


 ……いきなり抱きつかれた。


 女の子らしいやわらかさと真っ白い雪を連想させる香りを体全体で感じる。が、教室にいる生徒の「人前で何やっとんだ」「死にさらせ」と言いたげな呆れ顔を見ると、そんな悠長なことをやってられない。


「せ、先輩、みんな見てるんですが……」

「え? あ、そ、そうね……」


 すっかり忘れていたように言うと、先輩は僕から離れ、コホン、とわざとらしく咳払いをした。


「今日はね、見てもらいたいものがあるのよ」

「は、はあ……」

「こっちこっち♪」


 そう言って先輩は僕に後ろに回ると背中を押して誘導する。


 なんか今の先輩、妙にテンション高いな。ちょっとついていけなくらいハイだぞ。

 そうしてつれてこられたのは、一枚のキャンバスの前だった。近くに香椎先輩がいて、いつものようにデッサンをやっているようだった。


「どうも」

「よう」


 目が合って挨拶をする。


 それから僕はキャンバスの絵を見た。


「あ、これ……」


 それはいつか見せてもらった足に翼をつけた天使の絵だった。しかし、下書き段階だったあのときとは決定的に違っている部分がある。


「完成したんですね」

「ええ、そう。……さ、座って」


 先輩は僕の肩に触れてキャンバスの前の椅子に座るように促す。僕はそれに逆らわず腰を下ろした。


「ねぇ、どうかしら?」


 先輩が聞いてくる。

 先輩自身も僕の肩越しにキャンバスを覗き込もうとするものだから、僕の顔のすぐ横に先輩の顔がある。


「どうと言われましても、僕は絵のことなんてさっぱりだし」


 戸惑ったのはきっと絵の知識を持ち合わせていないせいだけではないだろう。かすかな雪の香りが鼻をくすぐり、頭がくらくらしてくる。


「もぅ。別に専門的な感想を言えって言ってるんじゃないんだから、思ったことを言えばいいの」


 怒ったような口調の先輩に言われて、僕は改めて絵を見た。


 絵は色がつけられてさらに幻想的になっている。それと同時に開放感も感じる。足に翼をつけた天使……、実際には描いた先輩にすら天使だか魔法使いだかわからないそれは、その翼でどこまでも駆けるように飛んでいきそうだ。


「凄くいいと思います」

「本当?」

「もちろん本当です」


 本当ですからこんな近くで顔を覗き込むのはやめて下さい。


「そう。じゃあ、これで百人力だわ。……この絵ね、今度コンクールに出展するの。だから、いつもより時間をかけて描いたのよ」


 それはきっと大変なエネルギィを費やしただろう。一時期スランプだとも言っていたし。それでも先輩は、そういうことも含めて絵を描くことが好きなんだろうと感じた。


「入賞狙いなんですね」

「そうね。もっと正確に言うと、この天使の絵でわたしは入賞したいの」


 なんか微妙な違いだな。


「あ、天使って決まったんだ」

「ええ、わたしの天使様」

「ふうん……」


 うわ。今、僕、すっごい筋違いの嫉妬した。


 そんなあまりにも高度な僕の精神活動はとりあえず横に置いておこう。


「きっとこれなら入賞しますよ」

「ホント!? 嬉しいっ」


 先輩は感激の声を上げると、僕の首に抱きついてきた。


 おかげでまた周りの生徒がこっちを向いた。でも、呆れながらもクスクス笑ってる感じだ。


「……」


 あー、なんか、みんな、僕の境遇を正しく理解してくれたみたい。

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