2.

「ぃよっし!」


 円先輩の投げたボールは真正面から突っ込んでいって、景気のいい音を立てたその後には立っているピンは一本もなかった。


 円先輩は4ゲーム目にしてさらに調子を上げてきて、パワーボウルに磨きがかかっている。ストライクが、まるでピンが爆発しているように見えた。


「どうよ? 遠矢っち」

「あかんな。まだ届かんわ」


 スコアを見て一夜が淡々と答えた。





 現在、ボウリング大会はチーム戦に移行していた。司先輩・僕 vs 円先輩・一夜。勝っているのは僕らで、円先輩たちは追う立場だ。


「あんだけ足引っ張ってんのがおるのにな」

「悪かったなっ」


 ……こんにゃろ。わざと僕に聞こえるように言いやがったな。


 僕らが勝っているのは、ひとえに司先輩のおかげだ。僕が稼いだスコアは微々たるもの。そういう意味では悔しいが一夜の言葉は否定できない。


「大丈夫。那智くんの分までわたしが頑張るから」


 ボールを手に取りながら司先輩が言う。


「いや、申し訳ないです……」


 ホント情けないな。いいところを見せようと思うのだけど、センスが欠片もないようでどうしようもない。


 そこに円先輩に茶々が入る。


「司ー。頑張るのはいいけど、あんま張り切ると……見えるぞ」

「えっ、嘘!?」


 ボールを構えてレーンの向こうを見つめていた司先輩がスカートのお尻の部分を押さえて振り返った。そんな先輩は、本日は白いスコ-ト風のプリーツスカート。もれなくちょっぴり短め。


「ホント!? 見えてる!?」

「見えてません見えてません! 大丈夫です!」


 別に僕が悪いことをしたわけでもないのに、縦にした掌をすごい勢いで振りながら慌てて否定した。


「油断するなよー。なっちだって男だから、見えてたってきっと黙ってるぞ」

「せ、先輩っ」


 頼むから僕を巻き込まないでくれ。


「う~……」


 ジト目でこちらを睨む司先輩。完全に疑心暗鬼になっているようだ。


「大丈夫、大丈夫ですから……」

「本当? 那智くんのこと信じてるからね?」


 恐る恐る僕が言って、恐る恐る司先輩が応える。何でこんなに気まずい空気が流れてるのだろうな。


 再びレーンに向き直る司先輩。

 と、そこにまたしても円先輩の茶々が入る。


「司ー、白いのが見えない程度に頑張りなー」

「何よ、やっぱり見えてないんじゃないっ。今日はピンク……」


 鬼の首を取ったように勢いよく振り返った司先輩だったが、


「……、ぁ……」


 小さな悲鳴を上げて、振り返ったときと同じ勢いでまた向こうを向いた。


 勝ち誇ったようにガッツポーズの円先輩。


 そして、折り重なる屍の如く転がる僕と一夜。……いや、ただ単に僕が一夜に向かって倒れ込んだだけなんだけど。


「一夜。僕、鼻血が止まらなくて死ぬかも……」

「……古典的やな、その表現も。あと、男としてそこまで耐性がないのもどうやろな?」


 僕の下敷きになりながら迷惑そうに一夜は言った。


「問題アリですか?」

「いや、那智らしいてええわ」


 結局、気になって仕方のない司先輩はフォームが乱れまくりでガーター。しかも、こちらに戻ってきたら、さっきよりもさらに気まずい空気になっていた。


 ……円先輩も狡い手を使う。


 しかし、ここで大人しく引き下がる司先輩ではない。先ほどのファミレスでのやり取りを見てわかる通り、けっこう負けず嫌いでやられたらやり返す人だ。


「円、見えてるわよ」


 司先輩が不機嫌な声で言った。


 今まさにボールを投げようとしていた円先輩は「ん……?」と身体を捻り、自分の腰を見た。とは言え、実際に見えたわけではないだろうが、そこに何があるかは思い出したようだ。


「ああ、これね。見せてんのよ」


 ジーンズからラインストーンで飾られた何かが見えている。


「チラ見せ用? ローライズ穿くならラインが見えにくい下着を選ぶのと、多少見せるのは基本でしょ、やっぱさ」


 さっぱりとそう言ってのけると、円先輩は何事もなかったようにボールを投げた。


 そして、再び屍と化す一夜と僕。


「……」

「……」


 ファッションも攻撃的だけど、言動までもが攻撃的だとは思わなかった。


「こっちは今まで触れないでいたのに、いらん想像しちゃったよ……。おい、一夜。女の子って男の前でああいうことを普通に話すものなのか?」

「……」


 返事がない。ただの屍のようだ。

 どうやら今回は僕の巻き添えではなく、一夜も撃沈したらしい。


 恐るべしは司先輩。試みた精神攻撃メンタルアタックが本来意図したところとは全然違うところに炸裂するとは。


 屍状態からようやく立ち直って、よろよろと起き上がる。そんな僕の視界に、突然、暗闇が落ちた。


「の゛っ!?」

「ダメよ。あんなの見たら目が腐るんだから」


 両手で僕の目を覆った司先輩が言う。


「ふぁい……」


 腐るのか。

 それは怖いな……。





 ゴールまで多少距離があったが、僕は仕方なくボールを持って跳んだ。


 円先輩も跳んでいる。

 当然だ。完全に僕がシュートを撃たされたかたちだ。


 僕は左手で円先輩のシュートチェックをガードし、右手のスナップだけでボールを放った。

 きれいな弧を描くボール。


 だが、それはリングにも当たらずコートに落下し、エンドラインを割った。


「うあ゛……」

「なっち、なさけねぇ。エアってやんの」


 絶望的な呻き声を上げる僕の横で、円先輩がからから笑う。


「ち、違っ。普段なら届きますよ、あれくらい。さっきのボーリングのせいです。あれで力が入らないんですっ」

「はいはい。そういうことにしとこっか」


 笑いながら円先輩はそう言が、あまり信じていない様子だ。


「ちっくしょー……」


 と、そこでベンチで見てるはず司先輩に目をやる。


「うあ゛……」


 僕はもう一度小さく悲鳴を上げた。


 司先輩の目が、なんかもうツンドラ気候だった。視線が冷ややかを通り越して、突き刺さるように痛い。そりゃあゴールにも届かなかったのは格好悪いけどさぁ、そこまで白けなくても……。


 ――ボーリングが終わった後、僕らは3on3のコートを借りた。


 ここはボーリング場というよりは総合アミューズメント施設なので、ゲームセンタ、カラオケ、ビリヤード等々、いろんなものがある。一日遊び回るにはとても便利だ。


 経験のない司先輩と一夜は見物、応援でいいと言うので、円先輩と一対一をくり返しているのだけど、僕がダメプレイを連発しているせいか司先輩の機嫌が目に見えて悪くなってきている。


「おーい、なっち。次、いくよ」


 ボールを拾った円先輩がドリブルしながら僕を呼ぶ。八月にクラブを引退したばかりで身体がうずうずしているのか、ここぞとばかりに遊びまくっている。まぁ、僕も根っからのバスケ好きなので似たようなものだけど。


 円先輩に急かされて僕はディフェンスについた。


 ここはいっちょいいところを見せて名誉挽回しないと、このままでは凍え死ぬか視線で体に穴があいてしまう。


「よし、じゃあ、いこうか」


 そう言いながら円先輩はボールを僕に投げてよこす。それを僕はバウンドパスで返してゲーム開始。


 ボールを受け取ったと同時に円先輩は勝負を仕掛けてきた。

 単純にスピードで抜きにかかるつもりらしい。


 横まで回られたらお終いだ。後は追って併走するだけで、止めることはできないだろう。僕は横に大きく一歩、跳ぶように踏み出す。


 円先輩のドリブルコースをふさいだ。


 が、それでも円先輩は止まらない。ならば、と僕はそこで強気に踏みとどまる。


「うわ……っ」

「ッ!」


 そして、接触。

 ふたりまとめて転倒した。


 だが、これならルーズボールを取りに行くまでもなく僕の勝ちだ。


「よっし。今のはオフェンスファウルでしょう」

「アタシもそんな気がする」


 円先輩が苦笑しながら答えた。ファウルを誘ったこっちよりも、やった本人の方がよく判っているようだ。


「突撃隊長みたいななっちにオフェンスファウル取られるとはなぁ。さすがに強引すぎたか」

「なんかひどいこと言われてる気がするな……」


 腑に落ちないものを感じながらも先に立ち上がり、手を貸して円先輩を引き起こす。


 これでどうだ、と司先輩を見たが、その態度は先ほどと変わらず冷ややかだった。


 そりゃそうだ。素人が見たところでオフェンスファウルの何がすごいのかわかるとも思えない。ただ単にぶつかってひっくり返ったようにしか見えないだろう。


 ていうか――。


(なんか怒ってる……?)


 と、どことなく不穏な空気を感じてる僕の前で、司先輩がおもむろに立ち上がった。そして、そのままずんずんこちらに歩いてくる。……BGMはジョーズな感じ。顔が引き攣る。


「……わたしも、やる」

「はい?」


 何を言ったか理解できずに聞き返す。


「わたしもやるって言ったんです」


 軽く丁寧語。

 こうなると逆らえない。が、かと言って司先輩と一対一をすることにもそこはかとなく危険を感じる。


 かくして僕はささやかな抵抗を試みた。


「でも、先輩、見物って……」

「気が変わったわ」

「いや、けど、その格好でやるんですか……?」


 そう言いながら視線を落とす。


 そこにはミニスカート。そこでようやく司先輩も自分の格好が跳んだり跳ねたりの運動に向いていないことに気づいたらしい。


 僕を見る。


 円先輩を見る。


 振り返って一夜を見る。


 そして――、


「遠矢君、むこう向いてて」


 びしっと言う。


 一夜は肩をすくめると、背もたれのないベンチの上で向きを変えた。


「さぁ、やりましょ」


 これで準備万端整ったとばかりに司先輩が言った。


「だそうですよ、円先輩」

「那智くんがやるのっ」

「あ、やっぱり?」


 まあ、そんな気はしていたけど。


「ここはもう諦めて相手してやるんだね」


 円先輩は僕にボールを押しつけると、にやにや笑いながら言った。


「じゃあ、先輩のオフェンスからでいいですか?」

「え、ええ……」


 僕はもらったばかりのボールを司先輩に投げ渡すと、スリースローラインの上に立ってディフェンスについた。


 さて、どうしたものか。

 司先輩相手に本気でやるわけにいかないし。程よく手を抜いて遊び半分でやるのがベストか。……と言いつつ実は巧いとかいうオチじゃないだろうな?


 そう思っている僕の目の前で、司先輩がいきなり無造作にドリブルをはじめた。


 てん てん てん


「……」


 どこからどう見ても素人のドリブルだった。位置がやけに高いわ、目はずっとボールを見ているわ。そして、何よりもディフェンダの真ん前でドリブルをする意味がわからない。


 さて、どうしたものか。


 さっきと同じことを、手を延ばせば取れるはずのボールを眺めながら、真剣に考えてしまった。


 結局、司先輩との一対一は終始気を遣いっぱなしだった。





 散々遊び尽くした後の夜道を司先輩と帰る。


 もう時間も遅くあたりは真っ暗なので先輩を家まで送っていくことにした。司先輩とお向かいさんの円先輩も一緒に帰るものだとばかり思っていたら、妙な気を回してか一夜とふたり別の道でゆっくり帰ると言い出した。「不健全な寄り道するなよ」って、余計なお世話だよなぁ。


 そんなわけで今は司先輩とふたりきりだ。


「んーっ。今日はいっぱい遊んだわ」


 組み合わせた手を天に伸ばしながら司先輩が言った。


「僕もさすがに疲れました」


 ええ、特に先輩との一対一で気疲れしましたとも。


「あーあ、明日からまた学校か……」

「そうね……」


 ふたり一緒にため息を吐く。


 また学校で好奇の目に晒されたり、人の姿を横目にひそひそと何か囁かれたり、決闘を申し込まれたりするのかと思うと陰鬱な気分にもなるというもの。


「どうせならいっそのこと思いっきりベタベタしようかしら?」

「それもいいかもしれませんね」


 先輩のやけくそっぽい冗談に笑いながら応える。


「手はじめに何からします?」

「そうねえ、手をつないで登下校は基本よね。そして、学校に着いて昇降口で別れるときにはキスをするの」

「ホントにベタベタですね……」


 僕がそういうと先輩はくすりと笑った。


「それからお昼休みはわたしが手作りのお弁当を持っていくわ。場所は、そうねぇ、中庭がいいわね。校舎の中からでもよく見えるから」

「そりゃ目立ちまくりだ」

「ええ、そうよ。みんなに見せつけるのが目的なんだから。……とりあえずはこれくらいかしら? 那智くんと一緒のクラスだったらもっといろんなことができたのに。……残念だわ」


 確かに僕もそう思う。ベタベタしたいとかじゃなく、極々単純に聖嶺での高校生活を少しでも多く先輩と過ごしたいと思う。


 けれど、もう半年もすれば先輩は卒業してしまう。

 つくづく先輩と同じクラス、同じ学年ならよかったのにと思う。


「だから、明日は那智くん、お弁当は持ってこなくていいわよ。朝の待ち合わせは、やっぱり駅かしら?」

「……は?」


 僕は思わず足を止めた。


「『は?』じゃなくて」


 数歩進んでから先輩も立ち止まり、振り返る。


「明日から早速そうしましょって言ってるの」


 腰に手を当てて怒ったように言う。


「冗談でしょ!?」

「冗談じゃないわ」

「冗談にしといて下さい!」


 見事な三段活用だ。


 先輩は怒ってるんだか拗ねてるんだかわからない顔で睨んでくる。


「ダメです、そんな顔をしても」


 こちらとしてもここで折れるわけにはいかないので、一歩も譲らないという気持ちでその視線を真正面から受け止める。


「もぅ……」


 そう言うと先輩は、ぷい、と顔を背け、さっさと歩き出してしまった。僕は慌てて追いかけ、横に並ぶ。


 つくづく先輩と同じクラスでなくてよかったと思った。


「……」

「……」


 黙って歩く。


 振り返る直前、頬が膨らんでいるように見えたけど、やっぱり怒ったんだろうか。でも、世の中できることとできないことがあるわけで。それで分けるならあれは、『やってみたいような気もするけど、やらない方が無難なこと』に分類されるわけで。……いや、ぜんぜん分けれてないけど。


 そんなことを思っていたそのとき、先輩が手をつないできた。


「だったら、ふたりきりのときくらいはいいでしょ?」

「ええ、まあ……」

「たまには那智くんのほうからつないできてほしいんだけど」

「……すみません、気が利きませんで」


 僕は鼻の頭を掻きながら謝った。


「でも、一度くらいこうして学校に行ってみたいわね」

「ですかね?」


 ちょっと賛同しがたい意見のような気もする。


「まあ、学校じゃ手をつないだりはできないけど、僕はずっとそばにいますよ。明日も明後日も、一年後も十年後も。それが約束ですから」

「ええ、そうね」


 そう応えて先輩は大人っぽく微笑む。


 心の準備もなくまともにそれを見てしまった僕は、どきっとして慌てて顔を逸らした。顔が赤くなるのが自分でもわかる。


 まだちょっと慣れないけれど、僕の大切な笑顔。


 これが見られるなら僕は百年後だって先輩のそばにいよう――。

 そう思った。









 少なくとも今この瞬間はそう思っていた。

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