第三章 新しい日常

1.

 学園祭から一週間後、十月最初の日曜日――


 待ち合わせの時間は十一時。

 現在の時刻、十時二十五分。


 無意味に張り切って早くきたのは、少しでも早く会いたいからか。それとも、ただ単に僕の性格の問題か。


 今からどこかで時間を潰すにしても中途半端だし、仕方ないので公園中央にある噴水の淵に腰掛けて待つ。後ろで噴水がばしゃばしゃいってるが、十月頭にあってまだ少し暑い今日だから心地よく聞こえる。


 と、そこに――


「あっれ~? 千秋くんじゃない?」

「あ、ホントだ。どうしたの、こんなところで?」


 歩み寄ってくる女の人ふたり。


 誰だろう? おそらく雰囲気からして聖嶺の上級生だろう――と思っていたら思い出した。何度か見かけたことのある。無類のスキャンダル好きで、その昔、司先輩と一緒にいるところを見つかり、その翌日には先輩が年下の彼氏をつれていたとの噂が学園中に広まっていたという、素晴らしく口の軽い人たちだ。


「おや~。もしかして司と待ち合わせかな~?」


 ひとりがにや~と笑いながら訊いてくる。


「まあ、そんなところです。……先輩たちは片瀬先輩のお友達ですよね?」

「ええ、そうよ。クラスは違うけどね~」


 さすが司先輩。かわいくて性格がよくて社交的ときたら、幅広い交友関係が構築できるらしい。


「よっ、なっち。お待たせ。早いね」


 そこに円先輩が登場。体育会系体質だからか、ぴったり三十分前にやってきた。

 胸元が大胆に開いたショート丈のシャツにローライズジーンズという、やたらと攻撃的なファッションだ。


「先輩こそ早いですね……って?」


 見ると横で先程のふたり組みが何だかばつの悪そうな顔をしている。


「あー……」

「えっとぉ……」

「だ、大丈夫っ。何も見なかったことにするから。……ねぁ?」

「そ、そーそー。司には黙ってるから安心して」


 そう言って少しずつ後ずさりしはじめる。


「うあ゛……」


 何か誤解された。しかも、口では誰にも言わないって言ってるけど、実際前科持ちでまったく信用できないし。


「先輩、今逃がすと大変なことになるかも」

「ん、わーった。……おっし、アンタら。ちょっと向こうで話をしようか」


 そう言って円先輩は立ち去りかけたふたり組の間に割り込むと、肩を抱いて歩き出した。そのまま五メートルほど離れたかと思うと、ぼすっ、と鈍い音がして、ひとりが腹を押さえてうずくまった。


 続けてもうひとりも。


「これでオッケー」


 そうしてふたり組を引きずるようにして帰ってきた円先輩は妙に晴れやかだった。涙目になっているふたりの姿が痛々しい。


「ぜんぜんオッケーじゃねーって……」


 それはただ単に力ずくで口を封じただけで、誤解が解けてないし。結果的には逆効果だろう。


「大丈夫よね?」


 円先輩が確認する。


「え、ええ、もちろん」

「し、四方堂さんじゃないのよね……?」


 と答えつつも視線が泳いでいる。どうもその中心は僕の後ろにあるっぽい。そう思って後ろを振り返る。


「うわあっ、一夜!?」


 そこに一夜が立っていた。

 休日だからかスタイリッシュなフレームに薄いブルーのレンズのプライベート用の眼鏡をかけている。


 僕は嫌な予感がして再び正面を向き直った。


「やっぱり実は本命は遠矢く――」

「ちがわいっ!?」


 この状況でどうやったらその結論に達するんだよ。誰かその思考過程を解説してくれ。できれば図入りで。


「安心して、誰にも言わないから。ねえ?」

「そーそー。……じゃあ、私たちはこれで。オホホホ……」


 今度は止める間もなく走り去っていった。


「い、一夜ぁ~」


 あまりにも絶望的な結末に、僕は思わずへなへなと崩れ落ちて、一夜の腰にすがりついた。


「何を騒いどんねん」

「まぁ、ちょっとした不幸な事故、かな?」


 僕の頭にぽんと手を置いて聞く一夜と、それに答える円先輩。……ああ、もうどうでもいいや。すっごい投げやりな気分です、僕。


 と、そこにようやく司先輩が現れた。


「誰っ!? 那智くんを泣かせたのは!?」


 いや、もとを辿れば原因は司先輩じゃないかなって気もするんですけどね。


「さては円ね!」

「何でアタシ!?」





 それから約三十分後、僕らはファミレスにいた。


 まだ昼前だけど、だからといって十二時まで待つと混みはじめるからと言うことで、もう店に入ってしまうことにしたのだ。


「あーあ、アタシもその場面、見たかったなあ」

「円先輩は他人事だからそんなこと言えますけどね、本当、こっちは大変ですよ」


 話題は先週の学園祭にまで遡る。


 学園祭二日目、司先輩が勢いで僕とつき合っていることを公言してしまい、その後から散々な目にあった。

 クラスメイトからは根ほり葉ほり聞かれ、行く先々でじろじろ見られたのが最初の二日間。それ以降は主に直接的な攻撃を受けた。とは言っても、ほとんどは嫌がらせレベル。ときたま決闘を挑まれるが、本気で意味不明なのでとっとと逃げることにしている。


 と、まぁ、基本的に聖嶺の生徒はお坊ちゃんで育ちが良く、徹底したことができないらしい。幸か不幸かこういったことに耐性がある僕にとっては「うっとうしいなぁ」程度で終わる。あと、クラスの中に、面白半分に冷やかすやつはいても、敵がいないことも救いのひとつだ。


 時々マジもんの上級生がいて本気で因縁つけてくるけど、そこまでくると今度はこっちもカチンときて真正面からやり返す。別に悪いことしてないし。ついでに言うと、その半分くらいは一夜が撃退してくれていたりする。


 回避不能なのは、僕を集中的に指名して黒板で解答演習をやらせる先生。て言うか、司先輩に人気って密かに先生方にまで及んでるのか。


「だから、何度も謝ってるじゃない」


 と、司先輩が口を尖らせる。


「だいたいね、それくらいならまだマシな方よ? わたしなんか、一度は階段の上から突き飛ばされたんだから」

「そりゃ過激だ」


 僕も喰らったけど。


「って、何で先輩が?」

「何でって……、えっと、それはその……」


 途端に口ごもる司先輩。


「なっちはね、人気あんのよ。特にアタシら三年にさ」

「え゛……」

「ちょっと、円! それは黙っててって言ったじゃない!」


 衝撃の事実に驚く僕の横で司先輩が猛烈に抗議する。が、それは一旦おいておかせてもらうことにする。


「何で僕が!? これじゃなくて!?」


 一夜を指さして聞き返す。


「……おい、『これ』って俺か」

「まあ、それもなんだけど、なっちもよ」


『これ』の次は『それ』呼ばわりで、一夜がさらにむっとする。


「顔はいいけど、恐ろしく愛想のないそれと違って、なっちは愛嬌があるからね。三年の間じゃ可愛いって評判なんだわ」

「そ、それは……」


 正直、嬉しくねぇ……。


「ま~ど~か~!」


 と、ここで目を三角にした司先輩が改めて抗議の声を上げた。


「いいじゃない。別になっちがそれを知ったからって何か変わるわけじゃなし」

「そうだけどさぁ。でも、なんか嫌……。那智くんには、自分が人気あるなんて知らないままでいてほしかったなぁって思う……」


 司先輩は顔をやや伏せて言った。

 その姿は何だかいじけているようにも見える。


 て言うか、あー、ちくしょう。僕が知らない間に、世の中、そんなことになってたのか……。


「こらこら。なっち、どこに行くつもりよ?」

「ちょっと外の空気吸ってこようかと……。ついでに、サイババに会ってきます」

「そんなもんそのへんにゃいないから。つーか、注文取りきてるんだから大人しく座ってなさいって」

「おおっ」


 見るといつの間にかウェイトレスがテーブルの横に黙って立っていたのだった。





「この後どうしましょうか?」


 食事の最中、みんなに意見を求めてみる。


 実はこうして四人で集まっているのも先週の学園祭での事件に原因があったりする。だいたいどのクラスも学園祭の翌日に打ち上げパーティをやっているのだけど、僕も司先輩も何となく顔を出しにくくなって、それに参加していないのだ。


 だったら内輪で遊びにいこうじゃないかというのが今日の趣旨だ。


「前に司先輩が行きたいって言ってたし、とりあえずカラオケでも行きますか?」

「却下」


 間髪入れずに言ったのは円先輩だった。


「司の歌は天然の音響兵器だから」

「悪かったわね、音痴で」


 多少自覚があるのだろう、やや拗ねたように司先輩は言った。


 そう言えば前に「歌で鳥が落とせる」とか言ってたな。それは誇張にしても、音痴なのは本当なのかもしれない。軽音のライブでもキーボードだったし。


「それと、あとカレーね」


 拗ねてそっぽを向いてしまった司先輩を面白がって、円先輩が付け加える。


「なっち、悪いこと言わないから司にカレーだけは作らせたらダメよ? 非常にコメントしづらいものを作ってくれるから」

「……いえ、残念ながらそれはもう体験済みです」


 そのときの僕の表情がよほど面白かったのか、円先輩はぷっと吹き出した。


「そっかそっか。もう手遅れだったか。ま、一度くらい食べておくのも悪くはないかもね。一度で充分だろうけど。……にしても、司、なっちの家にご飯作りにいったりしてるんだ。ふうん、やることやってんだ」

「べ、別にいいでしょ。それくらい」


 司先輩の顔はそっぽを向いたまま帰ってこない。


「作りにきたっていうか、ただ単に家出――」

「あ、こらっ」

「むごっ」


 言いかけた僕の口を、司先輩が物凄い勢いで塞ぎにきた。ほとんど体当たり。危うくふたりまとめて通路に転げ落ちるところだった。


 そこまでしたが時すでに遅し。円先輩の目が怪しく輝く。


「ほっほーう。司、また家出して、今度はなっちンとこに転がり込んだんだ。へえ~」


 円先輩は新たな情報を手に入れたことによって、さらに調子に乗ってちくちくと攻めてくる。


 だが、対する司先輩もやられっぱなしは性に合わないらしい。座り直すと、むっとした様子で真正面から円先輩を見据えた。


「ええ、そうよ。当てにしていた誰かさんはお友達の別荘へ行って不在でしたもの」

「ぐふ……」


 司先輩の反撃は効果があったらしく、円先輩は言葉を詰まらせた。


「……」

「……」


 睨み合い。


「ふ、ふふふ……」

「うふふふふ……」


 そして、どちらからともなく笑い出す。


 はっきり言って異様な雰囲気。

 まるで狐と狸の化かし合いを見ているようだ。しかも、どちらも先程とは一転して笑顔だが、そのわりには微かに顔が引きつっているもので、よけいに不安を掻き立てられる。


「えーっと……」


 よし、ここは一夜に助けを求めるか。


「い、一夜……」

「……知らん。俺に振るな」


 なぜか怒られた。

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