第二章 学園祭後始末記
1.
日曜日、二日間にわたる学園祭が終了。
翌、月曜日は振り替え休日。……まぁ、学園祭実行委員や生徒会執行部あたりが最後の後片づけをしているのかもしれないけど。
で、火曜日からは通常通りの授業だ。
その日、僕はいつもより早く家を出た。そりゃあもうお前は日直かというくらいに早い。が、今日は日直ではない。それでもこうして早く登校しないといけない理由が僕にはあるのだ。
……学園祭の最終日にいろいろとあったから。ありすぎたから。
朝の早い時間ではあるが、駅から学校へ続く道には生徒の姿が疎らに見られた。そして、そのほとんどが僕を見ている。……視線が痛い。この時間帯だからこれだけですんでいると思うしかないだろうな。
教室の前までくると、中からは人の気配。どうやら日直がもうきているらしい。ドアを開けて中に入る。
そこにいたのは
砂倉さんは自分の席で日誌を書いていたようだったが、ドアが開いた音に反応して勢いよく顔を上げた。そして、僕を見ること十数秒。それからおもむろにがっくりと項垂れた。
……なんか今すっごい落胆したよな。いったい何かしただろうか、僕。
と、我が身を振り返っていると――、
「こんなとこで立ち止まって、なんかあったか?」
背後から投げかけられる関西弁。振り返れば眼鏡の似合うクールな美少年が立っていた。
「あ、一夜。おはよう」
そう言えば一夜はデフォルトで登校が早かったな。
「おはようさん。今日は早いな」
「まぁね。ちょっと早く学校にきたい気分だったんだ」
いつまでも入り口で立ち止まっていても仕方がないので、一夜と一緒に席へ向かう。
「あれか」
「あれだ」
以心伝心でんでん虫。これだけで通じてしまった。
もったいぶらずにここで説明を挟むと、要するに一昨日、学園祭の最終日に司先輩が、僕たちがつき合っていることを公言、というか、絶叫してしまったため、僕としてはあまり人目につくところに出たくないのだ。
だって、『聖嶺一の美少女』とか『学園のアイドル』とか言われている司先輩とつき合っていて、それが公になってしまったのだ。全校の男子生徒を敵に回したようなものだし、迂闊に出歩いたら石を投げられたっておかしくはない。最悪、石以外のものが飛んでくる。
「お、おはよう。遠矢君……」
「ん。おはようさん」
砂倉さんが、勇気を振り絞った感じで、一夜に挨拶。
ああ、そういうことか。遅まきながら砂倉さんが落胆した理由がわかった。うん。こりゃあ確かに彼女には悪いことをしたかもしれない。
心の中で謝っておこう。
砂倉さん、目を三角にして僕をすっごい睨んでいるし。
「……」
「……」
いや、ほんと邪魔して悪かったよ。でも、僕にだって都合があったんだよ。
僕と一夜はそれぞれ机に鞄を放り出し、椅子に腰を下ろした。因みに、砂倉さんの席は一夜の真横。要するに僕、一夜、砂倉さんでL字に席が並んでいるわけだ。広い教室に三人だけで、それが狭い範囲で小さくまとまっているというのも、ちょっと滑稽な絵だ。
「一夜の耳にも入ってるってことは、そうとう広まってそうだな」
「そうとちゃうか。俺も姉貴から同じ話聞いたしな」
「……」
この様子じゃたぶん学校中に情報が拡散してるな。……頭痛ぇ。
「どうしよう?」
「……知らん」
だよなぁ。ここ半年ほどでよくわかった。一夜は基本的には頼りにならない。とりわけ日常生活レベルの悩みだと聞いてもくれない。いざというときには頼りになると信じているぞ、一夜。
「千秋君。あの話、本当なの?」
僕が今後のことで頭を抱えていると、さっきまで噛みつきそうな勢いで睨んでいた砂倉さんが聞いてきた。
「隠しても仕方がないっていうか、そんなレベルじゃないから言うけど、うん、本当のこと。……やっぱり意外?」
「……」
砂倉さんはしばし複雑な顔をして考え込んだ。
「……そうでもないかも。仲がいいみたいだったし。それに、ほら、時々片瀬さんが訪ねてきたりもしてたから」
「そっか」
こっちが思っているほど隠せていなかったわけね。
「遠矢君は知ってたの?」
砂倉さんは今度は一夜に聞く。ほら、答えてやれ。せっかく砂倉さんが話しかけてきたんだから。
「……知ってた」
「あ、そうなんだ」
「……」
「……」
それで終わりか。もっと話を広げろよ。……砂倉さん、気の毒。
と、まぁ、こんなふうにのんびり話ができたのもこのあたりまでだった。やがてほかのクラスメイトが登校してきて、そのたびに、
「あの話マジか!?」
とか、
「いつからそんなことになってたのよ」
とか、
「子どもは何人の予定ですかー?」
とか。
兎に角ひたすら質問責めだった。ていうか、最後の、意味わからんし。
でもって、ついにラスボス登場。
「あーっ! 千秋がきてるーっ!」
その場にいた全員が思わず耳を掌で覆った。そんなバカでっかい声を出したのは宮里晶(通称サトちゃん)だ。
「ちょっとちょっと、千秋! あれどういうことよ!?」
僕の席の周りに集まっていた四、五人のクラスメイトを押しのけ、宮里が突撃してきた。バン、と両手で机を叩き、凄むように顔を突きつけてくる。……お前、僕が仰け反ってなかったら、お互いの頭がぶつかってたぞ。
「あれってどのあれ?」
「片瀬先輩とのあれよ!」
だろうな。僕もどれだかわからなくなるほど隠しごとをした覚えはないし。
「そのあれなら宮里が聞いた通りだ」
「なんでそんな面白そう……じゃなくて、大事なこと、あたしに言わないのよ!?」
「そんな言い間違いするやつに言うか!」
宮里がどんなやつかよくわかる台詞だよな。
「因みに、僕が宮里に打ち明けてたら、どうしてた?」
試しに訊いてみる。
「そりゃあもちろん、そんな面白い話はほかにないから、『ここだけの話だけど』って言って、あちこち言いふらしていたわね。あったりまえじゃない」
「帰れ!」
そんなこったろうと思ったよ。
「いいや、帰らねぇな。俺の話はこれからだ」
「ッ!?」
今度は真後ろからの声。上半身をひねって振り返れば、そこにはトモダチが立っていた。なんか妙に殺気立っているように見えるのは気のせいか。マンガ的に表現すると、ゴゴゴゴゴ……って感じだ。
またややこしいのがきやがった……。
「なっち、てめぇ、人畜無害な顔しながら、陰では我らが片瀬先輩とそんなことになってやがったのか!」
「そんなの僕の勝手だろうが。あと、なっち言うな!」
「お前が俺に指図できる立場かあ!」
いったい何がこいつの怒りに触れたのか、吠えるだけじゃ飽き足らずスリーパーホールドをかけてきた。
「ちょっ、待……苦し……っ」
バシバシと腕をタップするが力を緩める様子はない。
「本当はな、片瀬先輩とつき合うのは俺だったんだ。そう、周りから羨望半分祝福半分の眼差しで見られながら学園生活を送るんだ。それで先輩は卒業するけど、俺も同じ大学に追いかけるように入って、そのままゴールインする予定だったんだ。そんな俺の人生設計をお前は横取りしたんだっ」
こいつはバカだ。春、司先輩と知り合う前の、ただ憧れるだけだった僕でも、そんな無根拠で無謀な夢は見なかったぞ。見ろ。周りのみんなだってドン引きじゃないか。
さすがに多少の理性は残っていたのか、僕がオチる前に腕を放してくれた。ちょっと本気で死ぬかと思った。
「わかった。僕が悪かった。謝ろう。まさかお前がそんなにバカだと思わなかったんだ」
「貴様あっ!」
「ぐおぉぉぉっ」
いったいどんな技を使ったのか、次の瞬間には僕はトモダチのコブラツイストを喰らっていた。
「痛い痛い痛い痛い! つーか、暑い! ただでさえ暑いのに、プロレスなんて勘弁してくれ!」
九月下旬って、まだけっこう暑いんだぞ。
「うるせー! そんなこと言ってお前は毎日片瀬先輩とコブラツイストを――」
「するか!」
どんな変態カップルだよ。誰かこいつの頭をカチ割れ。どんな脳の構造をしているのか一回見てみたいわ。
「ていうか、痛てててててっ!」
それどころじゃないな。全身の骨がメキメキいってる。これぜんぜん洒落にならないって。本当に誰か助けてくれ。
でも、トモダチの鬼気迫るアホさ加減に近寄れないのか、それとも僕がこんな目に遭うのが当然だと思っているのか、誰も手を差し伸べてくれる気配はない。
僕はコブラツイストを喰らいながら素早く首を巡らし、助けてくれそうな人間を探す。……いた。
「い、居内さん!」
僕はいつの間にか登校して、隣の席に座っていた女の子を呼んだ。
が――、
「……」
いつも通りの無表情で僕を一瞥しただけだった。……いや、まぁ、あんまり期待はしてなかったけどさ。
結局、僕はチャイムが鳴って、先生が入ってくるまでコブラツイストを喰らい続けた。
一時間目終了後の休み時間――、
次の授業は特別教室で行われるので、今、僕はそこに向かって廊下を歩いている……のはいいんだけど――、
「すれ違うやつ、みんな僕を見るんですけど……」
僕は一緒に歩いていた一夜に言った。
「気にすんな。どうせ今だけや」
「だといいけど……」
今まで漠然と公になったら大変だろうなとは思っていたけど、ここまでとは思っていなかった。どこに行っても好奇の視線に晒されるというのは、ひどく陰鬱な気分になる。
ため息を吐きながら階段を下りる。ほら、またひとり。下から上がってくる男子生徒が僕を見ている。もそんなに忌々しげに睨まなくてもいいじゃないか。
そう思ってすれ違った瞬間――、
ドン
「え……?」
背中を押された。
身体のバランスが崩れる。足が階段から離れて、
浮遊感。
落ちる……!
僕は思わず目を閉じて、身を強張らせる。
「那智!」
だが、覚悟していたような事態は訪れなかった。
代わりに一夜の声が聞こえて、腹に軽い圧迫感があった。
目を開けてようやく現状を理解した。一夜が僕の腹に腕を差し込み、落ちかけた体を支えてくれていたのだ。いつも思うんだけど、一夜って見た目は優男風なのに意外と力あるよな。
「いけるか?」
「あ、うん。ありがとう……」
礼を言って、それから遅れて冷や汗が吹き出た。
「……一夜。今、僕、突き飛ばされた……」
「わかってる。これ頼むわ」
短くそう言うと、一夜は僕に筆記用具と教科書を押しつけた。そして、身を翻し、今下りてきた階段を再び駆け上がりはじめた。踊り場で向きを変えて、その姿はすぐに見えなくなる。
「おい、一夜! どこ行くんだよ!?」
ワンテンポ遅れて、僕もその後を追いかける。
数段上って、踊り場で折り返したそのとき――、
「うわあああぁああぁぁ……ぐぎゅ」
物凄い勢いで男子生徒が下りてきて、そのまま正面の壁に激突した。崩れるように床に倒れる。
階上を見上げると、一夜が悠然と下りてくるところだった。
「悪い、那智。逃げられた」
「え? いや、でも、これ……は?」
床で苦しそうにうめいている男子生徒を指さして訊いてみる。
「知らん。足でも滑らしたんやろ」
「……」
ああ、そうですか。
これ以上追求しないことにしよう。
二時間目と三時間目が終了。
二時間目の休み時間は特別教室からクラスに戻ってくるために移動していたから気がつかなかったけど、実はクラスの前にけっこうな人だかりができている。どうやら我らが片瀬司の彼氏だというふてぇ野郎をひと目見ようとやってきたらしい。……僕のことだけど。
その昔、司先輩の教室の前に男子生徒が集まっているのを見たことがあるけど、あれを中から見たらこんな感じなんだろうな。
「実際、堪らないよなぁ」
那智くん、くじけそう……。
「ま、有名税だと思って我慢なさいな」
他人ごとだと思って楽しそうに言うのは宮里(通称サトちゃん)。
僕の席の周りには、もとから席が隣接している一夜、居内さん、砂倉さんのほかに、宮里やトモダチもいた。
「贅沢なんだよ、お前は。多少恨まれるくらいでプラマイゼロだろ」
そう言ったトモダチは、とりあえず朝よりは落ち着いたらしい。
「とは言ってもねぇ……」
ちらと教室の入り口を見てみる。相変わらず男子生徒が数人、教室の中を覗き込んでいた。何分か前に見たときと顔ぶれがそっくり入れ替わっている。
「おい、あれか。千秋ってのは」
「らしいな」
「ちっくしょう。俺の片瀬さんを」
「あ、こっち向いた」
「よし。これで顔は覚えたぜ」
「片瀬さんは俺の、俺の……っ」
……うわあ。なんか闇討ちされそうな勢いだな。あと、三人にひとりの割合でトモダチみたいな思考のやつがいる。
それは兎も角、そんなところで固まられたら非常に邪魔なんだけどな。宮里みたいなのは別として、クラスの女の子なんてちょっと怯えているし。よけいなトラブルが起こる前に何とかした方がいいのかもしれない。
さて、どうしてものかと思案していると、その人垣を割って堂々と入ってきたのがひとり。あれは確か……。
「千秋ってどいつ?」
そいつはずかずかと教室に乗り込むと、近くにいた女の子に聞いた。困った女の子が僕を見たことで、その視線から僕を見つけたようだ。
「お前が片瀬とつき合ってるってやつ? ふうん……」
見下すような目で僕を見る。
「千秋、あれって……」
「知ってる。三年の妹尾康平だ」
普通科三年。クラブは陸上部で、走り幅跳びの選手。女子には人気があるけど、男子にはそうでもないという典型的な遊び人タイプ。そして、一学期にしょーもない小細工をしつつ司先輩に言い寄って、見事に袖にされたやつでもある。
僕も目を逸らさず睨み返す。
「僕に何か用ですか、先輩」
「別に。ただ見にきただけよ。……それにしてもこんなガキっぽいやつとはね」
ほっとけよ。童顔なのは僕だって気にしてるんだ。
「片瀬も変なのを選んだな。まぁ、ちょっと変わったやつで遊んでみたくなっただけだろうけどな」
「この……ッ」
言わせておけば。
僕が気に喰わないならそれでもいいさ。でも、司先輩まで恋愛にいいかげんな自分と同類にするなよな。
頭に血が上って立ち上がりかける。
だが、その僕の肩に手を置いて、前へ出たのはトモダチだった。
「なに言ってんスか、先輩」
ゆっくりと寄っていく。
「あン? なに、お前?」
「俺? 那智の友達スよ」
不機嫌そうに凄む妹尾康平に物怖じせず、トモダチは答える。
「それより先輩、ちょっとみっともなくないスかね。目をつけてた女の子がほかの男を選んだからって、その男のところに乗り込んでくるってのは。そりゃあお門違いってものでしょう」
「んだと、てめぇ!」
「聞いたところによると、前に一度片瀬先輩に振られたって話じゃないスか」
「……」
あぁ、あのときのことってそういう話で決着がついているのか。噂がずいぶん広まっていたから、オチも同じくらい知れ渡ったのだろうな。
妹尾康平としては反論したいのだろうけど、半分以上事実だから何も言えないようだ。
「片瀬先輩が決めたことなんだから、潔く諦めましょうよ、先輩」
「……」
「それともはっきり言って欲しいんスか、何とかの遠吠えだって」
そして、しばし睨みあうふたり。
やがて妹尾康平は「ちっ」と小さく舌打ちすると、背中を向け、入り口の人だかりを突き飛ばすようにして教室から出て行った。
「あと、廊下にいるやつらも。那智は見せモンじゃねぇんだ。とっとと散れよ」
今度は廊下に向かって吠える。瞬間、入り口付近に集まっていた生徒はまっくろくろすけのように散り散りに逃げていった。
「これでよし」
トモダチはすっきりした廊下を見て勝ち誇ったように言うと、こちらに戻ってくる。
「友技……」
「技じゃねぇ! 枝だ!」
「あ、ごめん」
思わず感動のあまり名前を呼ぼうとしたんだけど、なぜか言い間違えてしまった。……やはりこいつの名前は発音できないのが、この世界の約束のようだ。
「悪い、僕のために」
「気にすんな。俺はただお門違いの八つ当たりをするのがムカついただけだから」
「そっか」
朝、わけのわからないことを言いながら僕にコブラツイストをかけてきたやつがどの口でそんなことを言うのかと思ったりもするけど、まぁ、今は突っ込まないでおこう。
とは言え、たかだか数人に啖呵を切ったくらいで現状が打開されるわけもなく、昼休みになればやっぱり同じような光景が廊下に広がっていた。
そんな中、入り口の人垣を突き破って教室に入ってくる女の子がひとり。
「千秋那智!」
姫崎さんだった。
今度はなんだ。いったい彼女までどんな文句があるというんだ。
「今日こそ私と勝負ですわ!」
彼女はきれいな指をびしっと僕に突きつけて言い放った。
「……」
「……」
「……」
「な、なんですの? 何を黙っていますの……?」
「あ、いや、あまりにもいつも通りだったんで……」
なんか妙にほっとした。
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