挿話 Non smokin' Girl(2)
夏休みがあけた九月初旬のある日――
後宮紗弥加は駅前の大型スーパーに足を運んでいた。
もちろん、買いもののためだ。
彼女のひとり暮らしは、中学を卒業し、高校に入ると同時にはじまったので、もうかれこれ三年目になる。はじめはコンビニで弁当を買うなどしていたが、そんないい加減な食生活をしていては食費も馬鹿にならないと気づき、次第に自炊するようになった。
なので、こうして買いものにもくる。
そのスーパーの入り口で紗弥加は片瀬司と遭遇した。
相手は店から出てくるところで、手には買いもの袋が握られている。そういえば父子家庭だと聞いたことがある。まだこちらには気づいていないようだった。
紗弥加はむっと不機嫌顔になった。
片瀬司は千秋那智の恋人――ただそれだけ。ただそれだけだが、紗弥加は司を見ると機嫌が悪くなる。
ようやく司が紗弥加に気づいた。瞬間、紗弥加は表情を笑顔へと変化させた。ただし、好感の持てる笑みではなく、人を小馬鹿にしたような笑いだ。
そのせいか司も紗弥加を見てむっとした後、挑戦的な笑みを見せた。
「あら、後宮さんじゃない」
「よぉ、片瀬センパイ」
同い年だが紗弥加はわざと『センパイ』と呼ぶ。
「今日はよく知り合いに会うわ」
「そうかい。それにしてもこれまた不景気なツラしてんな。ヤッてる最中に那智のやつが誤爆でもしたか?」
「ご……っ」
司の顔がみるみるうちに赤くなっていく。
が、すぐにそれが紗弥加の挑発だと気づき、クールダウンさせたようだ。呆れたようにため息を吐く。
「あなたねぇ。会うなりそんな品のない冗談を言えるなんて、どういう神経をしてるのかしら」
「悪かったな、品がなくて」
「それにあなたの言う通りだったら、きっと今ごろスキップして喜んでいるわ」
「ちょ……っ」
今度は紗弥加が絶句した。
「……冗談よ」
「こいつ……」
小さな声で「恐ろしい女……」とつぶやいた。
「お返しよ。じゃあね、さよなら。後宮さん」
「けっ。ダンプにでも轢かれやがれ」
悪態をつく。
そうして紗弥加は店内へ、司は外に向かって、それぞれ歩き出して、ふたりは別れた。
頭にインプットしている買いものリストを参照しながら店内を回る。すると、人の声が聞きたくもないのに耳に飛び込んできた。
「小麦粉ってこれか? ……ぅぐおっ」
「違います。それは薄力粉。主にケーキなどに使うものです」
やけに騒がしく暴力的な買いものをしている二人組。二十歳くらいの女が、高校生かそこらの少年を引き連れている。
「では、次へ参りましょう」
女の方は言葉使いこそ丁寧だが、妙にえらそうだ。
その二人組が去ってから、紗弥加は何となく薄力粉を手に取ってみた。
「……」
ケーキ。
きっと片瀬司ならケーキくらい簡単に作るのだろう。文句なく女の子している少女なのだから。自分だって、作ったことはないが、やってやれなくはないだろう。対抗して一度作ってみるか。いや、それ以前に何のための対抗かわからないし――などと考えていると、横から声がした。
「悪い。できればそれを譲ってくれないか?」
「あ?」
無闇に威嚇的な声で反応し、紗弥加はそちらに顔を向けた。
そこには高校生の少年が立っていた。高校生と判断したのは見た目もあるが、彼が聖嶺学園の制服を着ていたからだ。背が高く、収まりの悪そうな癖っ毛も長い。
「なに、お前もいるの?」
だったら別のを取れよと思ったが、棚を見るとどうやら紗弥加が手にしているのが最後のひとつらしい。
「今日ひとつ急ぎでシャルロットケーキを作らなくてはならないんだ」
「お前が? 男のくせにケーキなんか作るのかよ?」
紗弥加は純粋に驚いただけなのだが、口も性格も悪いせいか、聞く側の気分を害しそうな言葉になった。
しかし、相手はそれを気にした風はなかった。
「趣味なんだ」
照れることもなく彼は言う。
「で、今それがどうしても必要でね、譲ってくれたら礼はする」
「……」
紗弥加は手に持っている薄力粉に視線を落とし、それから再び彼を見た。
「……ほらよ」
面倒くさそうに言って、それを差し出した。
別に彼の言うお礼とやらが紗弥加を動かしたわけではなく、ただ単に人を押し退けてまで買う必要がなかっただけである。
「悪いな」
薄力粉を受け取り、彼は礼を言った。
渡してしまえば紗弥加はその場に用はなかった。彼に背を向け、立ち去ろうとする。
「もしかしてもう買いものは終わりか?」
「そうだけど?」
「俺はもう少し回らないといけない」
だからどうした、と紗弥加は思う。
「レジの向こうで待っててくれないか。すぐに行く」
「……あいよ」
この上なく投げやりな返事をして、紗弥加は歩き出した。
ああは言ったものの、街のスーパーでたまたま会っただけの人間に興味はなく、言うことも真面目に聞いていない。第一、お礼をされるほどのことをしたとも思っていない。
紗弥加はレジで精算を済ませると、そのまま家へ帰った。
数日後――
紗弥加は駅前をつまらなさそうな顔で歩いていた。
口にはタバコをくわえている。とは言っても、火はついていない。実際につけたことなど一度もない。
「お嬢さん。未成年の喫煙は法律で禁止されてるよ」
「!?」
そこに投げかけられた声に、紗弥加は驚いた。
彼女がタバコを口にするようになった
しかし、今現れたのは紗弥加の望む人物ではなかった。どうせどこかの正義漢ぶったお節介だろう。それだけに余計に不機嫌を加速させる。
「んなモン俺の勝手――」
鬱陶しそうに言い返そうとした紗弥加の言葉が途中で止まった。
そこに立っていたのは、先日スーパーで会った聖嶺の男子生徒だったのだ。
「探したよ。あのとき待っててくれって言ったのに、いなくなるんだからな」
「俺に何か用があるのか?」
「言っただろ。礼をするって」
「あ、あぁ、そうだったな……」
拍子抜けしたように紗弥加は頷いた。
確かにそんなことを言っていたが、まさか勝手にいなくなった相手を見つけ出してまで果たそうとするとは。尤も、本当に探し回ったわけではないだろうが。どちらにしても紗弥加の感覚では考えられないことだった。
「悪い。今、時間はあるか? 十分でいい」
「あるには、あるけど……?」
理解不能の人種を前に、紗弥加は相手の出方を窺うような手探りの返事をする。
「そうか。じゃあ、すぐに取ってくる。家が近いんだ。ここで待っててくれ」
取ってくる? 何をだろう?
「今度は勝手にいなくならないでくれよ?」
そう念を押してから、彼は駆け出した。
「変なやつ……」
その背中を見ながら紗弥加はつぶやいた。
ああいうのを何と言うのだろう?
優しい? いや、違う。
お人好し? 近いけど、やはりこれも違う気がする。
適切な言葉を探す紗弥加。今日はいつぞやのように帰ってしまおうとは思わなかった。
やがて本当に十分ほどで彼が戻ってきた。手には紙袋。それがお礼なのだろうか。
「待たせてすまない。これ、よかったらもらってくれないか」
彼はわずかに息を弾ませながら、それを差し出した。思ったより底面の広い紙袋だった。紗弥加はそれを受け取ると、無遠慮にさっそく中を覗きこんだ。
中にはケーキがふた切れ、あわせて4分の1ラウンドほどが、向きを違えて紙皿に置かれ、綺麗にラップがかけられていた。それともうひとつ……――
「これがあのとき言ってたナントカケーキってやつか?」
「いや、それはシャルロットケーキじゃなくて、ザッハトルテだな」
「ふうん……」
言われてもよくわからなかった。
「で、こっちは?」
そう言って取り出したのは、ケーキと一緒に入っていたもの――黄色いヒヨコのぬいぐるみだった。クレーンゲームで取ったものだろうか。
「それも俺が作った」
「はぁ!?」
その驚きは数日前のケーキのときと比べものにならなかった。
「趣味なんだ」
彼は前にも聞いたような台詞を、やはり照れもせずに言った。
「……」
変なやつ。
紗弥加は改めて彼のことをそう思ったのだった――
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