2.

 前略、司先輩。

 只今昼休み中ですが、僕は今、走っています。


 これが先輩に会うためならちょっとは格好いいのかもしれませんが、ただ単に逃げているだけなんです。


 誰から逃げているのかというと、それはネコ型決戦お嬢様。


 そして、なぜ追われているのかというと……あれ? なんでだっけ? 果たして僕はここまで追いかけ回されるようなことをしたのでしょうか。


 とは言え、今現在追われているのはまぎれもない事実。そろそろこの手紙ネタも終わりにしたいと思います。


 草々。


 涙そうそう。

 起訴相当。


 ……。

 ……。

 ……。

 うん、我ながらけっこう余裕があるな。


 全力疾走の八割程度で駆けながら、後ろを見てみる。追っ手の姿はなかった。まいたっぽい?


 それにしても、やっぱり行く先々で誰もが僕を見るな。もちろん、それは廊下を走っているからではなく、司先輩とつき合っていることがバレたからにほかならない。今僕を追っているお嬢様も、変な誤解されても責任持たんからな。


 顔を前に戻す。


 と、前方に五十嵐優子先輩――通称ゆこりん先輩の姿を発見。ここは二年の教室が集まっている場所か。先輩も僕に気づいたらしく、「あ」の発音に口を開けた。


 さて、今止まると追手に捕まりそうなので、申し訳ないけどここは挨拶をしながら駆け抜けることにしよう。


 そう思っていたら、ゆこりん先輩が肩を回しはじめた。肩凝ってるのだろうか。


 そうしてから、すれ違うその瞬間、


「こんにち、おごっ」


 ラリアットが飛んできた。


 クリーンヒット。

 足が上になるくらい豪快にひっくり返って背中から落ちる僕。


「おい、見たか今の」

「見た。きれいに喉に入ったぞ」


 廊下にざわめきが広がる。


「ゆこりん。そういうときは指一本出して、手を上に上げるの」

「こ、こう?」

「そうそう。……はい、いっちばーん」


 どこのプロレスラーですか。


「死んだんじゃねぇか?」

「おーい、生きてるぅ?」


 とりあえず生きてます。声は出ませんが。


「だ、大丈夫……?」


 これはゆこりん先輩。スカートを手で押さえつつ、僕の顔を覗き込む。そんなに心配そうで申し訳なさそうな顔をするなら、最初からやらないでください。ぜんぜん大丈夫じゃないです。


「大丈夫じゃないの!? ど、どうしよう……っ」


 なぜか僕の言いたいことは伝わったようだ。さすがあの謎の生物ナマモノ、居内さんと意思疎通をはかれるだけある。


 でも、そうやって慌てふためくなら最初から以下略。


「な、なんで――」


 こんなことをするんですか、まったく。


「千秋くん、なんか急いでるみたいだったら、普通に声をかけても止まってくれないかなって」

「……」


 惜しい。

 急いでるってことがわかったなら、この場合は止めないのが正解です。


「そんなに慌ててどうかしたの?」

「いえ、ちょっと……悪いやつに、追われてるんです……」


 だいぶ声が出るようになったな。まだしたたかに打ちつけた背中が痛むけど。


「た、大変っ。隠れないとっ」


 隠れたいのはやまやまですが、まだ思うように動けないみたいなのです。


 しかし、僕が何か言うよりも早くゆこりん先輩は、むんず、と僕の足を掴んだ。


「う~ん……」


 引っ張り、僕を引きずっていく。教室の中に引っ張り込むつもりのようだ。


「ちょっと、待……痛てっ。ドアの、レールが、痛てっ」


 足を掴まれているせいで立とうにも立てず、ずるずるごんごん、と教室に引っ張り込まれてしまった。女の人がうっかりどつき殺した男の死体を隠すときって、きっとこんな感じなんだろうな。


 直後、外の廊下から軽やかに駆ける足音と、声。


「おのれ千秋那智。今日こそはうにゃー」

「……」


 おいおい。後半、人語じゃなくなってるぞ。


「どうやら通り過ぎたようです」


 いや、ホントまいった。追ってくるやつと助けてくれる人、その両方からエライ目に遭わされるっていうのはどういうことだ。


 足を振り上げ、下ろす反動で上体を起こす。よっ、と。


 ゆこりん先輩のクラスらしい教室を見回すと、やっぱりクラスの人のほとんどが遠巻きにこっちを見ていた。居心地の悪さに頭を掻く。早く慣れないとな。しばらくはこんなだろうし。


「なんか大変そう……」


 そんな僕を見て、ゆこりん先輩が心配したように言う。


「まぁ、仕方ないです」


 そう答えるよりほかはない。


「やっぱり先輩の耳にも入ってますか、あの話」

「うん……」


 と、ゆこりん先輩は小さく頷く。


「でも、本当はもっと前から知ってたんですよ」


 そして、今度はちょっとだけ得意げに、ほにゃらかに笑う。


「へ? そうなんですか?」

「はい。わたし見ちゃいましたから」

「……」


 いったい何を見たんだっ。何を見られたんだ、おいっ。いや、校内で特に何かしたって覚えはないけど、なんかいやな汗が出るぞ。


 そんな僕をよそに、ゆこりん先輩は相変わらず嬉しそうにふわふわと笑っている。


 と――、


「優子? なに、何か引きずり込んだの?」

「あ、翠ちゃん」


 ショートカットの利発そうな女の子が、怪訝な表情でそばに立っていた。翠さんというらしい。たった今教室の外から戻ってきたのだろう。


「うん。あのね、千秋くんがいたの」

「千秋君? ……ほう」


 と、翠さんは理知的な光を宿した目で僕を観察する。


「そっか。君が千秋君だったか」

「ども」


 略式挨拶。本当は、初めまして、と言おうと思ったのだけど、どうも初めて会った気がしない。まぁ、学校生活の中ではいろんな生徒とすれ違うから、どこかで見かけたのだろう。


「なにい! 千秋だとう!」

「!?」


 いきなりの怒声。翠さんの後ろから妙な殺気を纏って、ずももぉ、と現れたのは、円先輩と同じくらい背の高そうな女の人だった。


「お前かっ。お前かあっ。私のコロポックルちゃんをっ!」

「ぐええっ」


 長い手が伸びてきたと思ったときには首を絞められていた。ガックンガックンとシェイクまでされる。


「く、苦し……っ」

「カク、やめなさいって。そのままじゃ死んじゃうから」

「そうだよ。カクちゃん、やめてよ~」


 そう言って泣きそうな声を上げながらも、ゆこりん先輩が教科書を手に取るのを僕は見た。


「止めてくれるな、ゆこりん。こいつはゆこりんを振――」

「それ以上言っちゃダメー!」

「おぶすっ」


 突いた。


 ゆこりん先輩はその教科書でもって、今まさに僕を絞め殺さんとしている女の人を、叩くのではなく突いたのだ。喉を狙って。


「ぐおおおっ」


 喉を押さえてうずくまる女の人。


「カクちゃん……めっ」

「……」


 いや、『めっ』ってレベルか、今の。


 にしても強いな、ゆこりん先輩。この教室だと強さが三倍だったりするのだろうか。だったら僕を引きずり込んだのも頷ける。


 それは兎も角。


「えっと……」

「千秋君。君、逃げた方がいいよ。この大女は程なく全快で復活すると思うから」


 そりゃ怖いな。


「うん、そうだね。千秋くん、また遊びにきてくださいね」

「ええ、まぁ、気が向いたら……」


 もう一度きたいと思う要素が何ひとつ見つからないですけど。


 もちろん、そんなことは口に出せず、僕はゆこりん先輩のほにゃっとした笑顔に見送られ、この場を後にした。





 昼休みも半分が過ぎた。さて、これからどうしよう。


 いつもなら学食へ行くところだけど、しばらくは人の多いところは避けたい。かと言って、教室も似たようなものだろう。午前中の休み時間にあれだけ代わるがわる見物客がきていたんだ。昼休みならさらに多くなっているに違いない。


 その昔、僕も聖嶺に入学したばかりのころ、噂の美少女、片瀬司をひと目見ようと教室に行ってみたものだ。


 遠い昔のことのようでほんの半年前のことに思いを馳せていると、後ろから誰かが駆けてくる足音が聞こえてきた。少なくともこれはあのお嬢様のものでないことは確かだ。彼女の場合、背後から忍び寄るという選択肢はなく、絶対に叫びながら近づいてくる。『ねこ』という名前に反して忍び足ができないのだ。

 ……うわ。足音だけで判別できるようになってるよ。本気で凹むな。


 と、そのとき――、


 自分とは関係ないと思われたその足音の主に、がっし、と腕を絡め取られた。


「千秋くん発見千秋くん発見っ。連行します連行します」


 そして、そのまま走り続ける。僕もその有無を言わさない勢いに負けて、思わず一緒に走ってしまった。


「ちょっ、なんですか!?」

「いいからいいから」


 よくねぇよ。


「ちょっと待ってくださいってばっ」

「あい?」


 ようやく止まった。


 僕を捕らえていたのは女子生徒だった。はしっこい感じの小柄な体に、ツインテールの髪。僕ら一年生よりちょっとだけ大人に近い相貌は、おそらく三年生。どこかで見たことがある。


「いったい何ですかっ。ていうか、先輩いったい誰ですか?」

「あれ? 会ったことなかったっけ? あたし、司と同じクラスの小八重。小八重双葉こやえ・ふたば。双葉って呼んでっ」

「あぁ……」


 思い出した。この繰り返しの多い忙しない喋り方に聞き覚えがあると思ったら、そうか、司先輩のクラスで会ったんだ。あと、調理実習で作ったクッキーを持ってきてくれた気がする。


「で、その小八重先輩が僕に何の用です?」

「それは内緒内緒のトップシークレット」

「……」


 結局のところ言う気はないのな。


「まーまー。悪いようにはしないから。ね? ね?」

「いや、そんなことを言われてもですね」

「そういう聞き分けのない子にはこうだっ。えいえい!」


 言いながら小八重先輩は首を素早く左右に振った。


 べしべし――


 頭の両端の尻尾が僕の顔に叩きつけられる。


 いっ痛ぁ~~~!

 き、器用な真似をする人だ。けっこう痛いぞ。


「これでもまだ逆らうって言うなら、腕を組んでむりやり引っ張っていくけど、それもいいのかな?


 いいのかな?」


「それは困りますね」

「でしょ、でしょ」


 何でこんなに嬉しそうなんだろうな。いったいどこにつれて行くつもりだ。


「まーまー。そこだからそこだから。心配しない心配しない」


 そう言って小八重先輩は歩き出す。


 一瞬、僕は先輩とは反対方向に向かおうかと思ったけど、あのツインテールが伸びてきて体に絡みつくのを想像してしまい、そんな気も失せた。


 素直に後ろをついていく。





 で、 辿り着いたのは美術室。


「……」

「あれ? 入らないの?」


 ドアの前で立ち尽くす僕に、小八重先輩が問う。


「もしかして、います?」

「うんうん。いるいる」

「……」


 中に司先輩がいるらしい。


 ということは、司先輩が小八重先輩に頼んで僕を連れてこさせたのだろうかとか、こんなややこしいときに校内で会って余計にややこしいことにならないだろうかとか――


「つれてきたよー」


 そんなことを考える間もなくドアを開けられた。


 中にいたのは司先輩――と、十人ほどの女子生徒。おそらく先輩のクラスメイトなのだろう。


 その全員がこっちを向いた。


「きゃあ、千秋君だーっ」

「本当に見つけてきたの!?」

「でかしたわ、双葉!」


 わけがわからん。


 というか、この状況からして理解に遠い。司先輩が窓際の椅子に座らされていて、それをクラスメイトが取り囲んでいる。一見していじめの真っ最中にも見えるが、雰囲気でそうではないとわかる。


 皆がこっちを振り向く中、僕からいちばん遠い位置にいる司先輩が申し訳なさそうに顔の前で両手を合わせていた。


「は、はは……」


 笑うしかない。


 教室を見回してみると、少し離れた場所で香椎先輩がいた。今日も今日とて習慣の静物デッサンのようだ。僕と目が合うと片手を上げて応えてくれた。


 もちろん、この後、僕は司先輩の横に座らされ、質問攻めにあった。三年の女の子が集まっているだけあって遠慮が微塵もない。芸能人の婚約発表でももうちょっと手加減があるぞ。


 そうしてチャイムが鳴るまで非常に恥ずかしい思いをしたのだった。





 昼休み終了の予鈴が鳴り、僕らは美術室を出た。


 教室へ向かう廊下をふたりきりで歩く。とは言っても、行き先がそれぞれ違うのですぐそこまでの間だし、数歩離れた後ろには先輩のクラスメイトがいるけど。


「ごめんね、那智くん。変なことに巻き込んじゃって」

「別にいいです、これくらい。まぁ、あまりにパワフルなので、ちょっと驚きましたけど」


 女の子が十人も集まれば恐ろしいパワーを発揮することがよくわかった。


「さっきのこともだけど……ほら、わたしが学祭のときに人前であんなことを言っちゃったから……」


 まだ気にしているらしく、先輩の声が力なくしぼんでいく。


 確かにすべての元凶は先輩の行動だと言えなくはない。


「でも、仕方ないでしょう。それにずっと隠しているよりは、言ってしまった今の方がすっきりしたような気がしないでもないです」


 もちろん、嘘だ。こんな騒ぎなどないほうがいいに決まっている。


「そうね。ええ、確かにそうだわ。わたしも胸を張って堂々とつき合ってるって言えて、本当は少し嬉しいの」

「……」


 いや、嘘なんですけどね。


 先輩って気持ちの切り替えが早いなぁ。


「でも、みんなわたしたちがただ普通につき合っているだけと思ってるみたい」

「?」


 他に何かあっただろうか。首を傾げている僕に、先輩は続けた。


「あら、忘れたの。わたしたちは将来を誓い合った仲よ」

「うあ゛……」


 そう言えばそんな話になっていたな。


「どうしよう。どうせならそれも言っちゃおうかしら?」

「い、いや、それはちょっと……」

「ふふっ。冗談よ」


 先輩は悪戯っぽく笑う。


「でも、それを言ったらもっと大騒ぎになるだろうなって。そう思うとすごく楽しいわ」

「まったくもう……」


 先輩って意外とトラブル好きなんじゃないだろうか。


 そこまで話したところで僕たちの短い旅が終わった。ここから先は別々のルートで教室に帰る。


「それじゃあ、先輩」

「ええ。またね、わたしの未来のダンナサマ♪」


 そう言いながら先輩は、素早く不意打ちに、僕の頬にキスをした。


「ッ!」


 絶句する僕。

 後ろでは歓声が上がっていた。

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