第四章 うさぎ騒動

1.

 学期末テスト、最後の科目が終了した――。


「一夜~~っ」

「いきなり理由も言わずに人の机で泣き出すのはやめろ。鬱陶しいから」


 テストが終わるなり、僕は後ろを振り返って一夜の机に突っ伏して泣いた。

 そしたらこれだ。


 心底いやそうな一夜の声。


「だってさ、聞いてよ、一夜」

「……なんや」


 面倒くさそうに一夜が返事をする。


「最後の問題さ、チャイム鳴る直前に閃いたんだよ。ぴっきーん、て。これぞ天啓と思って大急ぎで書き換えたらさ……」

「どうせ、それが間違ってたとか言うんやろ」

「そうなんだよ。それもどうやら最初に書いてた答えの方が正解っぽいんだよ。どうしよう、一夜……」


 ああ、口にしたらまた落ち込んできたよ。


 再び机に突っ伏した僕の頭の上から「鬱陶しいなあ」と微かに一夜のつぶやきが聞こえてきた。落ち込む親友を慰めようという優しさはないのか、この冷血漢め。


 と、そこに――、


「千秋~~っ」


 僕の名を呼ぶ女の子の声が聞こえてきた。


 顔を上げるとこっちに向かってくる宮里晶(通称サトちゃん)の姿があった。しかも、大粒の涙を撒き散らしながら走ってきやがる。


「うわあ……」


 鬱陶しいことこの上ない。


「ごめん、一夜。僕もあんなだったのね」

「わかればええ」





 前の席の椅子に座り、僕の机に伏せて泣く宮里晶(通称サトちゃん)。


 数分前の僕と同じ格好だ。


「居内さん、これ、いる?」


 まだ残っていた隣の席の居内加代子さんに聞いてみたが、もの凄い速さで首を横に振られてしまった。

 仕方ない。


「よし、一夜。帰るか」


 が――、


 席を立とうとする僕のカッターシャツを、むんず、と掴まれた。その手の主はあいかわらず机に伏せているものだから、ほんのりホラーチックだ。


「どーした、宮里(通称サトちゃん)」

「カッコ通称サトちゃんは余計よ~っ」

「怒るか泣くかどっちかにしろよ……」


 かと言って笑われても嫌だけど。


 宮里の場合、顔の下半分口にして大笑いしてる間に別の物体に変身しそうだ。いかでびるとか、あーゆーの。


「とりあえず、やり直し」

「……おけ」


 面倒だけどつき合ってやるか。


 では、改めて――、


「どうした、宮里っ。君が泣いてるなんて――うっ。……ごめん、途中で気分が悪くなった……」

「いい度胸ね、千秋」


 顔を上げた宮里が半眼で睨んでくる。


「いや、だって宮里だろ? どうせろくでもない理由に決まってるし」

「じゃあ、これが居内さんだったら?」

「もちろん心配する」

「遠矢は?」

「心配する……と思う」


 さっき酷い仕打ちを受けたから少し自信がなくなってるけど。


「じゃあ、学園のアイドル、片瀬先輩――」

「罠だ!」

「……は?」

「そんなの罠に決まってるだろ! あの先輩が普通の理由で泣くと思うか!? 何か企んでるに違いない。心配して近寄ったら先輩の思うつぼ。最悪、喰われるぞっ」

「……」

「……」

「……」

「……ごめん、忘れて」

「あんた、あの片瀬先輩にどういうイメージもってるのよ……」

「うん、まぁ、ちょっと、ね……」


 司先輩が泣いてたら、か。。


「それで、宮里はどうしたのさ?」


 話が進まなさそうなので、改めて聞いてみる。


「あ、でも、テストで間違い書いたとかはナシな。それは今さっき僕がやったばかりだから……って、えぇー、何その残念そうな顔……」


 図星かよ。


 ていうか、やることが宮里と同じなんだな、僕。……オーケー、ちょっぴりショックだ。


「だいたいさぁ、数式とか関数とか、将来なんの役に立つわけ? こんなものできなくたって死にはしないわよ」


 足を組み、頬杖をつきながら宮里が言う。

 今度は一気にやさぐれたな、サトちゃん。今にも「けっ」とか言い出しそうだぞ。


「そういう文句はフツー、試験勉強中に言うもんじゃない? 宮里ってあれだ。人殺した後、追いつめられたら『こうなったらひとり殺すのもふたり殺すのも同じだー』とか言い出すタイプだろ?」

「だろって言われても、そんな状況になったことないから、その例えはピンとこないんだけど?」

「それもそうか」


 でも、想像したらすっごい似合ってたんだけど、言ったら怒るだろうか。


「……まあ、すでに終わったことで悩んでても非建設的ってことで」

「わかったようなこと言うじゃないの」

「うん、まあ、宮里より遡ること数分前に同じ道を通ったからね」


 あははー、と乾いた笑いが口から漏れる。


「確かにそれも一理あるわね。……んじゃま、終業式までの休みと、さらにはその後に待ち受ける夏休みを有意義に過ごすことでも考えますか」


 さっきまで落ち込みはどこへやら、宮里はさっぱり晴れやかに言った。この辺の気持ちの切り替えの早さが宮里のいいところなのだろう。


「でも、終業式には通知票が返ってくるけどね」

「げふ」

「赤点があったら夏休みに入っても、しばらく学校通いだね」

「ああーっ」


 たったふた言で宮里晶(通称サトちゃん)は再び机に伏せて、未来を悲観して落ち込み出した。


「あい・あむ・うぃなー。……よし、サトちゃんも沈めたし。帰るか、一夜」

「……お前は鬼か」





 教室を出て昇降口に行くまでの間に一夜とは別れた。何でも知り合いに用があるとかで別校舎に行ってしまった。


 そんなわけでひとりで昇降口を出る。


「……」


 出たところでくるりとあたりを見回した。


(先輩に会いたかったんだけどな……)


 別のクラス、別の科の友達と一緒に帰ろうと待っている生徒は多いけど、そこに司先輩の姿はない。


 宮里が言うように、今日、期末テストを終えて、明日から終業式までの一週間ほど学校は休みになる。同じ敷地内にいたり、昼休みに学食行けばたいてい会える今の状況とは随分と変わってくる。だもんで、今日のうちに一度司先輩と顔を合わせておきたかったのだ。


「やっぱ先輩いないなあ」


 もう一度あたりを見回す。テストで凝り固まった首をほぐすついでもあったので、首は三次元的に回った。


「先輩って?」

「わあっ」


 いきなり後ろから声をかけられて飛び上がる。振り返ったそこには五十嵐優子先輩が立っていた。


「びっくりした、ゆこりん先輩か」

「こんにちは、千秋くん。誰か待ってるの?」


 僕の驚きようが面白かったのか、ゆこりん先輩はくすくす笑いながら聞いてきた。


「待ってるって言うか、探してるって言うか……」

「先輩って言ってたみたいだけど、片瀬先輩?」

「え゛? いや、えっと……、何でそう思われるのでしょう?」


 質問を質問で返すのは精神的劣勢の証拠。浅く墓穴掘ってる気がしないでもない。


「うん、千秋くん、片瀬先輩と仲よさそうだし」

「や、まあ、仲よくはさせてもらってますけど、だからってそれだけのことですよ?」

「ふうん、そうなんだ」


 じっ、とこちらを見つめてくる。


「……」


 うわ、何か暑さとは別にいやな汗かいてきた。


 つーか、今日のゆこりん先輩は何だかやりにくいぞ。背後から忍び寄ってきたり、妙に鋭かったり。いつの間にそんなスキルの身につけたのだろう。普段は時間と乖離してるんじゃないかってくらいおっとりしてるのに。


「そうなんだ」


 ゆこりん先輩は意味ありげに先程と同じ言葉を繰り返した。


「それじゃあ、わたし帰りますね。千秋くんも先輩見つかるといいね」

「あ、はい、それじゃ」


 ゆこりん先輩の挨拶に応えた後、僕は去っていく後ろ姿を見送る。先輩の歩みは非常にゆっくりしていて、下校する生徒の流れから浮いている。まるで高速道路で一台だけ四十キロメートルで走っている車みたいだ。


 あ、後ろから追突された。


「……」


 僕の周りで比較的まともな個性キャラクタの持ち主だったのにな。だんだん変な磁場を形成しはじめてるんじゃないだろうか。ちょっと心配になってきた。


 と、そのとき――、


(ん? なんだろ、あれ?)


 校門の柱からひょっこり顔を出して中を窺っている子がいた。

 どうも中学生くらいの女の子らしい。頭のツインテールが重力に従って鉛直方向下向きに垂れ下がっている。


(あれはあれで、すごい異様だな……)


 こっそり隠れて中の様子を見ているつもりなのかしれないが、なにせそこは生徒が登下校する校門。ぜんぜん隠れていない。バレバレだ。彼女のあまりに堂々とした隠れっぷりに近寄りがたいものを感じて、みんな横目で見つつ避けて通っている。

 僕だってそうする。


 とりあえず、見なかったことにしよう。

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