4.

 日曜日――、

 僕は一夜を待っていた。


 待ち合わせ場所は、僕の家の最寄駅からふたつ隣、一夜が毎日利用している駅の前だ。ここに決めた理由はこの後の行動にある。本日は、一夜と合流後テキトーに遊んでお昼を食べてから一夜の家に雪崩れ込む、という予定だ。





「それはいいんだけどさ……」


 と、駅前のロータリィで待っている僕はつぶやいた。


 駅の周辺が予想外にさびしかった。スーパーやショッピングモールが立ち並ぶ僕のところの最寄り駅や、デパートや児童館を含めて三次元的にデザインされた隣駅と比べると、少しさびしい。あるのは大きめのスーパーの他、文化会館や図書館といった公共施設ばかりだ。


 そう言えば文化的施設はこの駅周辺に集中させていると聞いたことがある。娯楽、アミューズメント関係はほかの駅へ。そういう役割分担らしい。この周辺に広がっているのが高級住宅地であることも関係しているのかもしれない。


 因みに、一夜以外の僕の知り合いでこの駅を利用しているのは、嘘くさいけど正真正銘のお嬢様な姫崎さんと、家が由緒ある旧家だという飛鳥井先輩だ。


 さっきからさびしいさびしいと言っているけど、それでも周りは住宅地だし、今日は日曜。行き交う人も多ければ、電車を利用する人も多い。


 何となくロータリィの方に目をやる。

 バスやタクシーの邪魔にならないところに赤いビートルが停まっていた。しかし、そんなかわいらしい車の持ち主は、格好いい女の人だった。背が高くて、髪が長く、理知的で意志の強そうな面立ちをしている。勝手なイメージで語らせてもらえば研究者か学者っぽくて、白衣が似合いそうだ。


 その女の人は車の横に立って、携帯電話で話をしていた。もちろん、声までは聞こえないが。


 さまになるなぁ。

 と、眺めていたら、向こうも僕の視線に気がついたようで、一度だけこちらを見た。しまった、いつの間にか不躾に観察してしまっていた。


 そんな自分に反省していると、女の人の方は電話を終えたようだ。端末を折り畳んで、そして――、

 僕に向かって微笑みとともに、ウインクひとつ。


「……」


 やがて唖然呆然とする僕の前を通って、赤いてかぶと虫は走り去っていった。


 ……。

 ……。

 ……。


 いや、これはまいった。あんな魅力的な人にああいうことされると、破壊力あるなぁ。それともただ僕が年上に弱いだけ?


「おっと……」


 そんなことより。

 時間は十一時五分前。一夜との約束は十一時ジャストだ。僕みたいに無駄に早くきたりはしないけど、時間に遅れるようなこともしないのが一夜だ。


 というわけで、ここで簡単な一夜の見つけ方を実践してみよう。


 まずは周りの人の声を拾う。特に十代二十代の女の人だ。丁度こちらに歩いてくるふたり組がいた。


「ね、見た? 今の男の子。すっごいカッコいいの」

「見た見た。ちょっと怖そうだけど、見惚れちゃった」


 次に女の人たちが歩いてきた方向に目をやる。


 いた。

 一夜は改札口を出たところの柱にもたれていた。ここからだと微妙に陰になっている。そのせいだろう、今まで見つけられなかったのは。


 今日の一夜は薄いブルーのレンズの眼鏡をかけていた。服装は白地のプリントTシャツに、プリーツ巻きスカート付きの黒いズボン。柱にもたれる姿はファッション雑誌の1ページみたいだけど、顔の不機嫌というか投げやりな感じの表情がすべてを台無しにしている。近づきにくい雰囲気だ。


「一夜」


 だけど、それが一夜のデフォルトだと知っている僕は遠慮なく声をかける。向こうも軽く手を上げて応えた。


「那智にしては遅かったな」

「いや、とっくにきてたんだけどね。一夜が見えなかったんだ」

「そうか。ま、それでもまだ時間前やしな。別にええやろ」


 あまり細かいことには拘らない一夜。たぶん僕が五分十分遅れてきても、「きたからいいだろう」と言うだけなのだろうな。


「それにしても一夜、なかなかファッションセンスにあふれたスタイルだな」


 僕は改めて一夜を見た。今わかったけど、足元はブーツだ。


「自分で選んで買ったのか?」

「家にな、こういうのを見つけて買ってくるお節介がおんねん」


 一夜はかすかにうんざりしたような顔を見せた。


「お節介?」

「姉貴のひとり」

「あぁ」


 そう言えば聞いたことがあるな。一夜には三人の義理のお姉さんがいるのだそうだ。


「なるほど。なかなか愛されてるな、一夜」

「かもな」


 短く素っ気ない返事。


 たぶん一夜自身も愛されていると自覚している。それを半分は鬱陶しいと思い、もう半分では悪くはないと思っているのだろう。


「もしかしてさ、今日一夜の家に行ったら、お姉さんに会える?」


 ふと思いついた。一夜のお姉さんってどんな人なのか見てみたい気がする。


「ふたりは出かける言うてたな。ひとりはおるんとちゃうか」

「おおっ」


 思わず期待に歓声を上げてしまった僕を、しかし、一夜は冷めた目で見る、


「何を嬉しそうな声出してんねん。それよりもええかげん動かんか。こんなとこで立ち話してても時間の浪費や」


「あ、そうだな……って、これからどうするんだ? 思った以上に何もないんだけど」


 大型スーパーに入ればフードコートくらいはありそうだけど。


「こっからちょっと行ったとこに郊外型のショッピングモールがあるわ。そこ行こか」

「いいね。じゃあ、チャリンコ取ってくる」


 僕は一夜にそう告げてから、スーパーの自転車置き場に置いていた自転車を取りに行った。


「なんや、チャリできたんか」


 マウンテンバイクに乗って帰ってきた僕に、一夜は言う。


「僕、ふた駅くらいなら平気で走るぞ。教会もこれで行ってるしね。さ、行こうか」


 一夜はここまで歩いてきたらしいので、僕も自転車から降りて、押して歩くことにした。


 ふたり並んでショッピングモールを目指す。


 道中は他愛もないことを話した。

 一夜は相変わらずデコレーションのない言葉で、最小限の文字数で話す。僕はこういう一夜の話し方が嫌いではない。素っ気なく見えても意外に感情は豊かだ。まぁ、振幅は少ないけど。


 やがてショッピングモールが見えてきた。


 と、ふと僕の中でひとつの記憶が鎌首をもたげる。


「あ、僕、ここにきたことある」

「やろな」


 一夜も察したようだ。


 そうだ、僕はここで一夜と会ったことがある。初めて会ったのは聖嶺の受験会場。席が隣同士だった。その次が結果発表の日。合格通知をもらった僕は、浮かれて自転車でここまで走ってきたのだ。そして、ふらっと入った書店で一夜と再会した。ここで初めて名前をおしえてもらった。


「まさか試験に消しゴム忘れてくるやつがおるとは思わんかったわ」


 一夜は少し意地の悪い調子で、過去の記憶を穿り返した。……まだ言うか、このやろう。


「悪かったよ。前の日から緊張してたんだよ」


 ついでに言うと、僕が合格できたのも消しゴムをわけてくれた一夜のおかげだよ。


「よし、一夜。僕、チャリンコ置いてくるよ」


 ショッピングモールの敷地に入ると、僕はひとまず自転車を置きにいくことにした。


 自転車を漕いで一夜から離れる。大きなショッピングモールの建物の正面にだだっ広い駐車場が広がり、その端の一角に駐輪スペースがあった。そこにマウンテンバイクを停めて、建物の方に向かう。一夜は入り口で待っているだろう。


 そのときだった。僕の行く手を阻むように、一台の自転車が目の前で急停止した。


 乗っていたのは、高校は卒業しているだろうと思われるお姉さん。髪は茶髪のショートで、雑誌で流行のアウトドアファッションとして紹介されていそうなスタイル。そんなモード系のお姉さんが、小さなリュックを背負い、折りたたみ自転車にまたがって僕の前にいた。


「ね、キミ。お姉さんに服選び任せてみない?」

「は?」


 予想だにしなかった言葉に、僕は呆気に取られて素っ頓狂な声を上げた。そして、軽いデ・ジャヴ。


「そりゃあもう、これ以上ないってくらいコーディネイトしてあげる。……お願い。ダメかな?」

「えっと、そういうのは間に合ってますんで」


 それじゃあ、と僕はお姉さんの横をすり抜けた。


「今度会ったとき、気が変わってたら遠慮なく言ってねー」


 そんな背後からの声。めげないというよりは、ダメ元で誰彼なしに声をかけてるのだろうな。もう会うこともないと思うけどね。





 変なお姉さんと遭遇しつつも、一夜と再合流。少し早いけど昼食をとることにした。


 今日は休日なので家族連れが多く、レストラン街もフードコートも昼が近づくにつれて混んでくるだろうと予想したのだ。


「僕、そこのハンバーガショップでいいぞ」

「好きやな、ジャンクフード」


 呆れているわけではなく、単なる感想として一夜はこぼした。


「今までそういうのを食べてこなかったからね」


 未知の食べものに触れて、只今マイブーム真っ只中というわけだ。


 が、しかし――、


「……そうか」


 一夜の返事は短く、どこかばつが悪そうだった。


 たぶん誤解している。一夜は、僕がジャンクフードを『食べられなかった』と思っている。


「違うぞ、一夜。僕は単に縁がなかっただけだ。ほら、僕の親ってわりと年だろ? そういうものに理解がなかったんだ」


 そんなわけで、僕は食べたいと言い出せなかった。小学生、中学生の頃は友達同士で外で食べる機会がほとんどなくて、買い喰いを頻繁にするようになったのは高校に上がってからというわけだ。


「だから気にしなくていいぞ」


 僕は一夜の肩をぽんと叩いてから、ファーストフードショップに向かって歩き出した。





 一夜と向かい合わせに座って、ハンバーガを食べる。


「そう言えばさ、一夜って通常クラスの受験じゃなかったっけ?」


 僕の記憶は二月の受験の日へと遡っていた。


「一日七時間の授業なんてアホらして、やってられんからな」

「そのわりには繰り上げ合格で特進にきたんだよな?」


 何でも一夜は入学試験の成績が非常によかったのだそうだ。それで学校側から特進クラスに入ってくれたら入学費を免除しますよと打診があり、一夜はそれを受け入れた、と。そこには当然、一夜が三年後には有名大学へ合格してくれるだろうという打算があるのだが、それを汚いと思うほど僕は純粋ではない。学校ビジネスとしては当たり前のことだろう。


「不思議なことするよな」

「何がや?」


 僕が疑問を口にすると、一夜が問い返してきた。


「特進に合格するだけの学力はあるけど、あえて通常クラスを受験した。でも、結局繰上げ合格にしてもらった――。一貫性がなくないか?」

「……」


 一夜は無言でハンバーガを食べる。その様子は答えを考えているようで、ただ単に食べている最中だから返事ができないだけのようにも見えた。……要するによくわからない態度。


「……気が変わっただけや」


 しかし、待たされてようやく出てきた回答は、そんないいかげんなものだった。


「三年間通うんだから、もっと真剣に考えろよ……」

「ほっとけ」


 そう言うと一夜は僕の前にあるポテトを一本つまんで、口の中に放り込んだ。


「あ、お前、自分のポテトがあるのに、何で人のを取るんだよっ」


 相変わらず手癖の悪いやつめ。六法全書で張り倒したくなるな。


 僕が一夜を恨めしそうに半眼ジト目で睨んでいると、その一夜がへちったポテトを飲み込んでから言った。


「別に間違った選択やったとは思てないけどな」

「……」


 そうか。それならいいんだ。





 食後、僕らは思い出の(?)本屋に立ち寄った。

 大量の本を前にした一夜の人格が変わるかと期待したけど、淡々と見て回るだけでいつも通りだった。残念。


 そうしてからある意味では本日のメインイベントである一夜の家に向かった。一夜が歩いてきただけあって、ここからそう遠くないとのこと。


「で、そろそろか?」


 案の定というべきか、閑静な高級住宅地の中を通りながら、僕は聞いた。


「地図の上でやったら、もう家の前におるけどな」

「へ?」


 僕は今歩いているこの場所を改めて見回した。


 この付近でも有名な高級住宅地。

 立ち並ぶ家々は、うちの近所のものとはひと回りもふた回りも大きい。ガレージなんか最初から車が複数台入るように作られているものばかりだ。


 よく見ると右手には、上に瓦が乗ったような塀がコピィ&ペーストしたみたいに延々と続いていた。もちろん、終わりが見えないほどではない。少し先に門らしきものが見えている。


 僕はおそるおそる聞いてみた。


「もしかして……これ?」

「まぁな」


 恐ろしい答えが返ってきた。


「うへぇ」


 なんとも、まぁ。言葉を失くすとはこのことだな。


 程なく門の前まできた。純和風。車二台が余裕で通れそうなくらいの幅があったが、出入りするたびにいちいちそれを開け閉めするのはエネルギィの無駄だ。僕らはその横にある小さな扉をくぐって中に入った。


 目の前に現れたのは和風の邸宅だった。あまりにも大きくて僕の視界に入り切らず、全体像が把握できない。


「……」


 今度こそ本当に言葉を失った。僕はただただ呆けたように屋敷を眺める。


 気がつけば一夜が先に行ってしまっていて、今まさに玄関を開けようとしていたので、慌てて追いかけた。


 引き戸を開けた一夜に続く。


「おお、広い!」


 玄関は邸の大きさに比例して広く、立派だった。お金持ちのお屋敷訪問、みたいなテレビ番組の中でこんな感じのを見た気がする。


「そして、誰もいない! ……使用人の人たちが並んで『おかえりなさいませ』とかやってくれるのかと期待しちゃったよ」

「アホ。手伝いはおるけどな。そんなアホなことやるほど暇やないわ」


 さすがにこれには一夜も呆れたようだ。庶民の発想で悪かったよ。


 広くて綺麗で立派だけど、どこか寒々しい雰囲気のする玄関を上がる。一夜はスリッパも出してくれなかった。ま、お互い男なのでそんなことは気にしないし、期待もしていない。


 ひんやりと冷たい廊下を、靴下のまま歩く。

 手入れの行き届いた庭を一望できる廊下を行くが、まったく人と会う気配がない。家が広ければそれだけ人口密度が下がるし、エンカウント率も低くなるということなのだろう。


 僕らはさらに渡り廊下のようなところを通り、辿り着いた先は――、


「離れ?」


 そう、庭の一角に建てられた離れだった。


「まぁな」


 一夜には珍しい皮肉っぽい苦笑。


 中はまるでワンルームマンションのようだった。簡易のキッチンがあり、バス・トイレもついているようだ。家具は本棚と勉強机、床にテーブルと座椅子がある。ベッドはないけど、奥にもうひと間あるようで、そちらが寝室なのだろう。


「テキトーに座り」


 一夜はそう僕に勧め、自分は勉強机の椅子を引いて腰を下ろした。


「すごいな、一夜の部屋は」


 僕は普段一夜が使っているのであろう座椅子に遠慮なく座った。背もたれに体を預け、一夜を見上げる。


「正妻としては愛人の子が同じ家におるのが気に喰わんらしい。本館にはあまりくるなってことやろな」

「……」


 そうだったな。一夜は愛人の子で、お母さんの死後、ここに引き取られたって話だったな。


「だからって大人しぃしてるような性格ちゃうけどな、俺は。じい様の書斎にな、アホほど本があって、よう借りに行かせてもろてるわ」


 なかなか神経太いな。


「だから気にせんでええよ」


 一夜は椅子から立ち上がり、僕の肩をぽんと叩いた。


 そのまま歩いて入り口の方へ向かう。出て行くのだろうか。


「どこか行くのか?」

「姉貴が、帰ってきたら声かけろ言うてたのを思い出した。……ちょっと行ってくるわ」


 肩越しに軽く手を上げる一夜。その口調は嫌々というほどではないけど、仕方がないと今にも嘆息しそうな感じだ。


 一夜が出て行き、部屋には僕ひとりが残された。


 改めて部屋を見回す。

 中には必要最低限のものしかない。一夜らしいと言えば一夜らしい。本棚には様々なジャンルの本が並べられていた。ぱっと見ただけでミステリ、SF、純文学もあればノンフィクション、政治家が趣味で書いたような本もある。乱読家だな。この読書遍歴を活かして小説でも書いてみたらどうだろうな。今度勧めてみようか。


 本はこの座椅子に座って読むのだろうか。肘掛けまでついていて、なかなか快適だ。ん? 回転までするのか。思わずくるくる回ってみる。


「お前は子どもか」


 帰ってきた一夜に回っている姿を見られてしまった。


「ほっとけ。お姉さんのところに行ってきたのか?」

「ああ。喰いもんと飲みもん持ってくるって」


 一夜はまた勉強机の椅子に腰を下ろした。


「おお。ということは、もしかしてお姉さんに会える?」

「そうなるな」


 なぜか複雑な顔をして、一夜は答えた。


 とりあえず三人いるお姉さんのうちのひとりにお目にかかれるわけか。いつかは残りふたりにも会ってみたいな。腹違いとは言え半分は同じ血を引いているわけだし、似ていたりするのだろうな。


 と、そのとき、ドアがノックされた。


「一夜さん」


 僕の耳朶を打ったその声は、一夜と似て温度が低く、硬質な響きを持っていた。


「開いてますけど」

「手がふさがっているの。開けてもらえる?」


 直後、一夜は小さく舌打ちした。お前、その態度はないだろ。


 一夜がしぶしぶドアを開けると、そこにはお盆を両手で抱えた女の人が。


「いらっしゃい、千秋君」

「お邪魔してま――」


 居住まいを正して挨拶をするが、しかし、その顔を見た瞬間、思わず言葉が途切れた。


 直後、僕は驚きで絶叫するのだが、ここではあえて何があったか書かないことにしようと思う。

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